50.向かうべき場所
「……これが……彼女の姿……」
バハムートに手渡された“本”の表紙を見たティアの脳内には……稲光のような衝撃が走る。強く脳みそを揺らされたような錯覚。
この感覚を……彼女、いや“竜の姉妹”達は知っている。
これは──自身の“記憶”が戻った時の……感覚だ。
「うむ。中身はどうやら“まがい物”のようじゃがの」
「……やはり、何者かの意図を感じますわ」
「……この棚に置かれていたのはこの本だけじゃ。……おぬしの予想、案外当たっておるかもな」
竜達は神妙な面持ちで、手にした“本”をまじまじと見つめる。すると──。
「──なっ」
突然のことに──バハムートが体を震わせる。自らの手のひらにあった“本”が──一瞬にしてその姿を“消した”からだ。
様々な考えが彼女たちの頭の中を逡巡し──答えを導き出す。
「──ジーク! すぐにここを出るのじゃっ!」
「え──」
冒険者……ジークは、その少女の声に反応する間もなく……その手をバハムートに掴まれて、半ば強引に連れて行かれる。
対してコウテツは、ティアマトに背負われるようにして“図書館”を後にした。確かに──彼らにとって気になる書物は山ほどある。
しかし……仮に自分たちが干渉したことを気づかれたために本が消えたとしたなら──ここをすぐに離れなければ、まずいだろう。
どのような術かは分からないが、ドワーフの従える“黒装束”達は、竜の動きすら制限できる魔法を用いている。
果たして本当に竜の力が使われているのかは定かでは無いが……いずれにせよ、脅威であることに変わりは無い。
「お、おい! 説明ぐらい──うわっ!」
バハムートの“馬鹿力”に振り回されるジークは、三半規管を乱され、もはやまともに声を出すことすら出来ない。
対してバハムートとティアマトは……冷静に、ただ“城”の中を爆走していた。
「ティア! 出口はどっちじゃ!」
「こっちです! 姉様っ!」
竜二人が足を忙しなく動かす。ティアマトは、その持ち前の常人離れした“感覚”で、何とか人気の無い出口を探していた。
ドワーフたちの姿は無い。だが……彼女たちが警戒しているのは彼らでは無い。
「……あやつらか……あるいは」
ぽつりと少女がそう呟く。“本”に触れていたバハムートだからこそ……理解していた。
本が消えた理由が……おそらく自分にかけられた“魔法”のようなものであるのだろうと。
ジークもコウテツも何が何だが分かっていない様子だが──しかし、彼らもすぐに……なぜ少女達が焦っていたのかを理解する。
それは──ジーク達一行の前に姿を表した……ある存在の姿によって、だ。
“城”の豪華な内装にとても似つかわしくない服装。頭からつま先まで真っ黒な装束に身を包んだ……“黒装束”の姿がそこにはあった。
「……ちぃっ」
舌打ちをしたバハムートは、ティアマトと共にその場に足を止める。ジークとコウテツも、ようやく地面に足を付けることができた。
「……のう、おぬしら。……と言っても答える気は無いのじゃろうが」
「……」
少女の言葉通り……話しかけられても、“黒装束”が言葉を返すことは無い。
フード……いや、ベールの付いた帽子を身につけているため、その表情を伺うことすら困難だった。
得体の知れない……まるで人形のような存在は、ジーク達の前に不気味に佇む。
「……何も言わぬ、というならば──」
そう言うと──バハムートは、“黒装束”へ拳を構えた。ジーク達が制止する暇もなく……少女は戦闘態勢へと移行する。
目の前のこの存在がもし──自分たちを脱出から手引きした人物ならば。もちろん、少女の頭の中にはそのような考えもあった。
だが、しかし。今は一刻も早く脱出するべき時だ。となれば……バハムートの取る行動はひとつ。持ち前の“力”を活かして──この状況を突破すること。
「──ッ!」
少女は──目にもとまらぬ早さで、その拳を前方へと突き出した。
炎を纏った赤い拳は、敵に向けてその“業火”を放つ。
燃えさかるような火炎。大型の魔物ですら焼き殺せそうなほどのその“火”は──しかし着弾することは無かった。
「……」
無言で佇む“黒装束”は……竜の姉妹の長女が放った“火”を……打ち消した。
「……っ」
目の前の光景に……思わず言葉を失うバハムート。“竜の力”が絶対的なものであると信じていた少女は……その“事実”に打ち砕かれる。
“黒装束”は、おそらく魔法を用いたのだろう──その姿の前には、背丈と同じ高さほどの“魔方陣”が展開されていた。
丸い円に幾何学的な紋様が描かれたそれは、光を帯びて空中に浮かび出されている。
「姉様ッ!」
すかさず、ティアマトが少女へと駆け寄った。そのまま、背中に生み出された“剣”を握るが……振ることが出来ない。
バハムートの“炎”という、ある意味で純粋な“竜の力”を打ち消されたということは……ティアマトの“それ”も例外では無い。
ジーク達も一応剣を構えるものの……魔法に対して何の対抗力も持たない彼らは、戦力には成らないだろう……と。
今まで無かった“危機”に陥るジーク達へ……“黒装束”が口を開いた。顔を覆うベールを剥がし──ただ一言──。
「我らは、“教団”なり」
低くも高くも無い、大きくも小さくも無い、しかし囁かれているような距離で、その言葉はジーク達の耳に入る。
“教団”。その言葉が何を指すのか──そう考えている内に……“黒装束”は姿を消していた。その場所にあるのは……城の裏口へと出る道だ。
「……姉様! 今はひとまず脱出を!」
「……うむ」
バハムートは俯いたまま……そう答えて、走り出す。
そんな様子を心配しながらも──ジークの脳内には、“教団”というワードが強く染みつくように残っていた。




