39.守護竜
マーズの口から出た──“ファフニール”というワード。ジークが“竜”について調べていることを理解した彼女は……そのドラゴンについて語り始めた。
宿の照明がゆらゆらと揺れ、光が右往左往している。時間は夜。カウンターの卓上に置かれた一つのロウソクが、頼れる光源となっていた。
「……ファフニールは……この大陸に居る竜だよ。いや正確には……“居た”と言った方が正しいね」
「……過去形なのには理由があるんだろ?」
問いを投げかけるジーク。暗がりの中で照らされたその顔は、期待か不安か……そのどちらともいえない表情をしていた。
マーズは、脳内から昔の記憶を引き出すように、“記憶”という名の箱から“竜”に関する記憶をたぐり寄せるように……話を続ける。
「えぇ。……ファフニールは、“守護竜”だったのさ。メタルの守り竜、なんて言われていてね」
“守護竜”とは、一言で言うのならば……ヴァリア王国における守り神のようなもの。だからこそ、ヴァリア大陸では竜信仰は排斥されることになった。
言ってしまえば、ヴァリアの国境と正面から相反する信仰なのだ。それは時に──政治的にも宗教的にも──為政者の目には邪魔に映る。
対して、明確な“指導者”たる国家が存在しない、ある意味では小国の連合体であるメタル大陸においては、竜信仰は未だ残っている。
それも、この大陸の武器鋳造を担うドワーフたちに信じられている重要な事柄として。
「あたしらを守ってくれる。守る力を与えてくれる。武器に“加護”を与えてね」
「……“竜の力”か」
ジークは相づちを打ちながら……マーズの話を聞き続ける。いつの間にか、バハムートとティアマトらが言い合う音も消え、ジーク達の周囲に響くのは彼ら自身の声だけとなっていた。
「実際……メタル大陸から出て行く武器は一級品さ。鋭さ、硬さ……どれをとっても最高の品質だった。“守り竜”が意図していたかは分からないけれど……おかげでメタルは豊かさも手に入れた」
うんうん、と頷くジーク。だが冒険者の頭の中には疑問が浮かぶ。今の話だけを聞いていると……ただの良い話ではないか、と。
まるで、めでたしめでたしで終わる──それこそおとぎ話のような大団円。全てが丸く収まる話。
だが……全ての問題は、ここからだった。
「……あいつが……リュートが来てから、全部変わっちまったよ。このメタルは」
うつろな目で虚空を見るマーズ。空虚で暗いその表情は、まるで“既に涙も枯れた”とでも言わんげで……それだけで、魔物がもたらした悲劇の程度を冒険者へ悟らせるほどに。
マーズは深呼吸をして……震える唇を動かしながら、言葉を紡いでいく。
「メタルにはヴァリアの騎士団みたいな組織が無い。魔物に組織的に対抗できなかったのさ」
実際、マーズの言うことは正しい。ドワーフたちは、確かに武器を打つ能力に長けている。天性の才とでも言えば良いのか……メタルに生まれたドワーフはすべからく鍛冶に打ち込むべき……とまで考えられているのだ。
というのも、彼らの身体は普通の人間に比べれば小さい。日常生活においては特に支障の無いレベルだが……問題は“戦いの場”におけるデメリットだろう。
身長の低さというのは、確かに時として唯一無二の武器となる。だがそれは、小さな身体を巧み動かす技術あってこそ。
素人が達人の太刀筋を真似ても、全く同じに動けないどころか、まさに“猿”のように真似ることしかできないのと同じで……戦いの技術は一朝一夕で身につけられるものではない。 そして、常に鍛冶技術の研鑽に励むドワーフたちが、戦闘技術の訓練に割く時間もない。……つまり、武器はあっても戦える存在が少ないのだ。
「魔物が提示してきた選択は二つ。このままメタルを明け渡すか……」
「武器を作って納品するか、か」
マーズは首を縦に振り頷いた。ここでようやく……ジークは合点がいく。なぜ、アイアンの街のドワーフたちが、魔物に武器を渡しているのか。
そして、バハムートが見た、魔物に囚われた多くのドワーフが、どこから連れ去られてきたのか。
マーズの話では、リュートはアイアンではなく“メタル大陸”に交渉を迫った。この大陸に在る全ての街で……履行できていないドワーフから“魔物”に攫われていく。
となれば……みな、嫌でも魔物に協力せざるを得ない。それは決して本心から来るものではなく……自分の身を守りたいという純粋な願いからだ。
ジークは……静かに、拳を握った。冒険者の感情は希薄だ。誰かのために怒ることも、誰かの為に悲しむことも今までは無かった。
だが“今”というこの瞬間……彼は初めて、怒りの感情を覚えた。罪の無い人々を脅し、自らの手中に収めコントロールする……“リュート”に対して。
最初から、魔物は気づいていたのだろう。メタルに“選択しない”という選択肢が存在しないことに。
そして、他のヴァリアやケントニス、帝国……そうした大陸が、全て自らの領土を侵す魔物への対処で精一杯であることにも。
「……ファフニールは、助けてくれなかった。この大陸を守る竜って話だったのに……あたしらは……魔物に……っ」
カウンターに突っ伏せるマーズ。ジークは、そんな彼女のそばへ行き、テーブル越しに言葉を続けた。
「安心しろ。俺達が何とかしてやる」
「……え?」
顔を上げたマーズの困惑した顔。彼女は“何を言っているんだ”とでも言いたげな表情でジークを見ているが……すぐにそれは、期待の表情へと変わる。
「……初めて、魔物をぶっ飛ばしてやりたいと思ったからな」
ジークの顔は、いつものどこか柔でどこか頼りげのない表情ではなく……その瞳から見るものに覚悟を与えるほどの……鋭い目つきになっていた。
その瞳は──ただまっすぐに敵を見据える。
メタル大陸の人々を陥れ──彼らに横暴を働く──“リュート”という魔物の頭領を。




