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38.峡谷

 竜の姉妹の二女である──ティアマト。今の彼女はその姿を“竜”へと変貌させ、青く澄み渡る空を飛行している。

 そして、その鋭いかぎ爪を持つ手に乗るのは、冒険者ジークと竜の姉妹(ドラゴン・シスター)長女のバハムート。


 アイアンで人型の魔物──“リュート”と戦い、その後を追っていた彼女たちだったのだが……ひとつ問題が起きた。


「……おいおい」


 ジークはティアマトの手から下を見下ろす。こんな時で無ければ、その美しい景色に思いを馳せているのだろうが……。

 目下にあるのは……魔物の根城だ。自然にできた巨大な峡谷に築かれた要塞は……まさに難攻不落であるように見える。


 立地だけで無く、その規模にも目を見張るものはある。小さな街一つと比較できるレベルの“要塞”で……そこに居座る魔物の数も尋常では無い。


「……ほう。流石……敵の総本山と言うべきかのう」


 人の姿をした竜であるバハムートは、その異常なほど良い視力をもって要塞を守る魔物の数を見る。

 もちろん、その姿形を細かく見れるわけでは無いのだが……それでも少なく見積もって万を超える数の魔物が、そこには存在していた。


 ここはいわば……魔物の“国”。そう簡単に攻め落とせるような場所で無いことは、ジークの目にも明らかだった。

 だが……男はティアマトの顔……上を見上げて口を開く。


「もっと……近づけないか?」

「……」


 ティアマトは牙の生えた口を開かず……その瞳でジークをただ見る。そんな時間が少し続いたあと……“竜”は大きく翼を開いた。

 ばさっ、という鼓膜が潰れそうなほど大きな音。そのまま前傾姿勢になったティアは──飛ぶ。


 彼女の飛ぶ速度は風のように素早い。だが、ジークが受けるその影響は少なく……それはティアマトが彼……いや彼らに配慮していることを示すものだ。

 ティアマトは旋回を繰り返しながら、少しづつ“峡谷”へと近づいてゆく。幸い、未だ魔物には見つかっていないのか……敵が向かってくる様子は無い。


「……あれは」

「何か見えたのか? 竜娘」


 バハムートは、神妙な面持ちで下を見る。ジークには何も見えないのだが……少女には“あるもの”が見えていた。


「……むごいことを」


 少女の視界に入ったのは……ドワーフたちの姿だった。それも一人では無い。何十何百という数のドワーフ族が、要塞の中に居る。

 殺されていないことを喜ぶべきか……いや、彼らの状態はそれよりも悪い。



 というのも、彼らが魔物の陣地の下で何をしているのかというと……武器を作っている。あるいは、労働力として要塞の補修に使われている者も居る。

 メタルとて、魔物に脅かされているのは同じだ。ドワーフ族は確かに排他的だが……魔物に喜んで手を貸すような存在では無い。


「ドワーフ族じゃ。やつら、ここに連れてきて武器を作らせておる。……十中八九、やつらの為のものじゃろうな」

「……ってことは……アイアンから消えたドワーフも……」

「おるかもしれん。流石にここからでは分からぬがな」


 ……と。ジーク達……というよりティアマトの巨大な体躯を隠していた雲が移動していく。これ以上ここに留まるのは危険だ。

 いくら“竜”であるとはいえ、その力は完全には戻って居らず、ティアの身体にかかる負担も尋常では無い。


「一度戻ろう。戻って……どうするか考えるぞ」

「異論無しじゃ。そうと決まれば早速戻ろうぞ? ティア!」


 バハムートに呼ばれたティアマトは──全速力でその場を離れる。最後まで魔物達に見つかることは無く……着けられてもいない。

 三人は……アイアンへの帰路についた。



「そりゃ……とんでもない話だねぇ」


 開口一番、マーズはそう告げた。ジーク達の話を聞いた宿屋の主人──アイアンでも唯一の非ドワーフ族である彼女は……純粋に困惑していた。

 というのも……ジークが彼女へ“竜”のことを伝えたからだ。


 宿屋のカウンターに肘を突く女将。目を閉じて頭のの中を整理している。ジークは今はエントランスに居るが……竜娘達はと言うと。

 帰って早々、竜から人へ戻ったティアマトがふらついたので、宿の部屋でバハムートがつきっきりで看病している……というわけだ。


「あぁ。だが……あいにく本当の話だ」

「……疑ってるわけじゃ無いさ。ただの嘘つきならもっとまともなほらを吹くよ」

「……自覚はしてる」


 ジークはばつの悪そうな顔で頬をかいた。そんな最中にも、上の階から“お待ちください姉様!”だの“少しは静かにせい!”だの……そんな声が扉を貫通して宿の中に響く。

 それだけ見れば……確かに“竜”には見えない。少なくとも、何も知らない者にとっては、おとぎ話の存在よりも等身大の少女に映るだろう。


「それで……“竜”の情報……だったかい?」

「あぁ。リュートの要塞の攻略には……もっと力が欲しい」

「……“竜”……ね」


 そう言って、どこか遠い目で壁に掛かる絵を見るマーズ。そこに描かれているのは竜。ありきりたりな絵だが……彼女にとっては違う。


「……ファフニール。探してるのは……そいつだろう?」


 宿のエントランスの時間が止まる。マーズとジークしか居ない空間は、その機能を一瞬だけ停止させる。

 ジークにとって思いもよらない言葉が出てきた。“ファフニール”。以前ティアマトが呟いた、聞き慣れない名前。


 だが、諸々の状況を鑑みるに……それが“竜”の名前であることは、ジークにも分かった。それが、自分たちの探す竜の姉妹(ドラゴン・シスター)であることも、なんとなく。


「……教えてあげるよ。“かつて”この大陸を守っていた竜……ファフニールのことをね」

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