108.平凡冒険者とドラゴン少女
「──やっと見つけましたわ、姉……様」
静寂の訪れた空中宮殿の中で……ジークは危機感を感じていた。男は目を見開いて……自らの前に立つ“竜”を見る。
「……はは。ひ、久しぶりだな、ティアマト?」
「……?」
今のジークの状態は……竜の姉妹の長女であるバハムート……もといクリエムヒルトを抱きしめている状態。
肩に顔を埋めていた少女も、急に顔を真っ赤にして……その場から頭を上げた。
いつもと同じなら、ジークはティアマトに吹き飛ばされていたことだろうが……。
「……お帰りなさい、姉様。それに、あなたも」
「……ティア」
少女……クリエムヒルトは、その場から立ち上がって……腰まで伸びている赤色の髪をたなびかせながら、ティアマトへ近づく。
「……わらわは……竜では無かった。……おぬしらを騙すような真似をして……すまなか──っ」
今にも泣き出しそうな声の少女を……ティアマトは思いっきり抱きしめて、続ける。
「姉様は姉様です。あなたはバハムートでは無いかもしれないけれど──慕う気持ちに変わりはありませんわ」
「……ティア」
ティアマトは──今度は少女の体が潰れそうな勢いでその体を抱擁する。見ているだけで骨が折れる音が聞こえてきそうな光景だったが……クリエムヒルトはそれを受け入れた。
「……良かった。無事で……本当に……姉様」
「……ただいまじゃ。ティアマトよ」
ティアマトは満足いくまで“姉”を抱きしめると……すぐにジークへ視線を移す。
冒険者は……姉と触れあう際の表情とは違うティアマトの顔を見て……再度体の力を入れ直した。
「……気づいているでしょう?」
「……あぁ。アジ・ダハーカが……消えていない」
ジークとティアの言葉を裏付けるように……空中宮殿の目前にある“巨体”は、動きを止めただけで未だ健在だ。
幸いにも、“竜もどき”の生成も停止しているが……とはいえ、楽観視できる状況ではないというのは、誰の目にも明らかだった。
「……アーサーは?」
「ファフニールが“下”で看病していますわ。傷は深いですが……あの男が死ぬとは思えませんし」
「……つまり、大丈夫って事だろ?」
ジークの要約具合に一瞬顔をしかめるティアマトだったが……すぐにその体を動かし始めた。
「来て下さい。姉様も、どうか一緒に」
少女は頷き……ジークの後ろについて歩き出す。ティアマトが向かった先は……祭壇の中心部だった。
そこにはまだ……血を流しながら死んでいる、エリュシオンの死体が残っている。
「──おぉ、来やがったな」
“中心部”に入ったジークの視界には、クリエムヒルトとさして変わらない背丈の少女が映る。違いと言えば、髪の色が青いところと……多少言葉遣いが悪いところだろうか。
ふと、冒険者が周りを見ると……その少女“リヴァイアサン”の他にも……魔物少女と“影”の魔物の姿があった。
「……しぶといね、キミも……いや、キミたちも、かな?」
いつものように軽口を叩くリュートと、その横に立つ無口のアリア。だが……その姿は傷にまみれ、もはや体の血が竜の返り血なのか魔物の血なのか判別できない状態だ。
「……そっくり返すぜ、その言葉」
「……まぁいいさ。コイツを……魔道士野郎を殺せなかったのは残念だけど──どうやら、また面倒なことが起きたみたいだしねぇ?」
リュートは……笑顔を見せながらも、その鋭い目つきでティアマトとクリエムヒルトを見る。少女は何が何だか……といった困惑した様子だったが……ティアマトはため息をついた。
そんな竜の姉妹の次女は、祭壇の中央部に立ち……説明を始める。
「世界を暗闇に染めたのは……おそらくアジ・ダハーカの力によるもの。……どうにかして“彼女”を倒さない限り、終わりは──」
べちゃ。血だまりの中から……“それ”は動いた。動けるはずが無い。誰もがそう思っていた……エリュシオンが。
黒装束は……笑っていた。この状況にあっても──胸が貫かれていようとも──血を吐きながら、エリュシオンは笑っていた。
「……無駄ですよ。はは……。あれはあなた方竜族の“滅び”そのもの。かの者は、生まれ落ちたその時から……世界を滅ぼす定めを負っている」
「……こいつ、まだ息が……」
その……狂ったしぶとさに……思わず後ずさりするジーク。だが……エリュシオンは立ち上がる素振りすらなく……崩れた瓦礫にもたれかかりながら……しかし口を開き続ける。
「ははっ! 無駄ですよ! ……やったんだ、私は……世界はまもなく、終わる……。“産み落とされることの無かった”……滅びの竜によって」
エリュシオンが身に纏う装束の上には……吐き出された血が溜まっている。もはや……その魔道士は、誰に語りかけているかも分からない……おぼろげな言葉を吐く。
──滅びは避けられないのか──エリュシオンの“血の言葉”にみなが動揺する中で……ただひとり、少女……クリエムヒルトが前に出た。
少女はそのまま……アジ・ダハーカの元へ歩き始める。
「お、おい、竜娘!」
ジークの制止もむなしく……少女は歩みを止めようとしない。“何か考えがあるのか”──そう冒険者が逡巡する前に……クリエムヒルトは告げる。
「……あいにく、アジ・ダハーカのやつは……おぬしが思うほど、弱くは無い」
すれ違い様に、エリュシオンに投げかけられた言葉。生きているのか死んでいるのか、もはや判別できない魔道士は……その言葉に何の反応を示すことも無かった。
少女はそのまま……“滅びの竜”の前に立つ。ジークも、ティアマトも……リュートですら、彼女を信じて……息を呑んでいた。
クリエムヒルトは……自らに宿るバハムートの力を借りる様子は無い。ただ──その小さな手を、アジ・ダハーカへと差し出す。
「おぬしに体を乗っ取られて……ようやく、分かったのじゃ。“滅びの竜”が感じた、苦しみをの」
少女の身につけている首飾りが……淡く光を放ち始める。それはまさしく──ジークがクリエムヒルトを助けたときと同じ。
「じゃがもう……大丈夫じゃ。安心しろ、とまでは言わぬが……わらわ達はもう、この世界でも歩いて行ける。案外、今のドラゴニアの住み心地も悪くは無いぞ?」
少女が言葉を重ねるごとに……首飾りの光が増していく。バハムートとのつながりが──戻っていく。
「──おやすみ。竜の未来を案じた……優しき者よ」
──光。ジークも、ティアマトも、竜の姉妹も、魔物も、リュートも、その光景を見た。
少女──クリエムヒルトの体から光が溢れ──暖かな光がアジ・ダハーカの体を覆っていく。光が──“滅びの竜”を、満たしていく。
『……おや、すみ。巫女の……おねえちゃん』
子供の声が、周囲に響く。それと同時に──アジ・ダハーカの体から──強烈な光が放たれた。
竜の体から発された“それ”は──空を、海を、大地を照らしながら──世界に“色”を与えていく。
ジークは……光に照らされた瞬間に……何かに抱きしめられている感覚を感じていた。ジークだけではない。世界中の誰もが、この感覚を共有していた。
「──」
──アジ・ダハーカの残した光。その中から現れたのは……バハムートの姿。巨大な赤色の竜が、大きな翼を目一杯広げる。
──世界を包む、暖かな光。
それは──竜の力強さでは無い。それは──竜の聡明さでは無い。
そう──その日のドラゴニアは──竜のやさしさで、満たされていた。