107.掴み取れ、想い
「……アーサー! だ、大丈夫かっ!」
“竜もどき”の蔓延る、現代の ヴァリア。バハムートの記憶の残滓から帰還したジークは……目の前に倒れる“見知った顔”の姿を見て……急いで駆け寄る。
「遅いですよ……まったく……ぅ」
「なんでお前がここに……」
「さてね……。みな……あなたに賭けてみたくなったんでしょう」
それは──言葉を発している張本人であるアーサーも……同じ思いだった。騎士団長は……傷だらけの体になりながらも……いつもの笑顔を崩さず、ジークへ顔を向ける。
「これを……あなたに」
アーサーがジークへ差し出したのは……彼がいつも手にしている“聖剣”だった。刀身には神々しささえ感じる紋様が掘られており……どちらかと言えば祭儀用の剣に見える。
「……これは」
「……助けるんでしょう、彼女を。……その剣は……聖なる剣。魔を払い……光を呼ぶ」
おぼつかない声色で……それでもアーサーは、ジークへ言葉を伝える。
「あなたなら……再び空を、青く染められる。それは……ジーク、君の……やるべきことだ……」
そこまで言って──アーサーはぱたん、と意識を失った。ジークはそっと……その体を横たわらせて……“聖剣”を握る。
ここ祭壇において……冒険者は孤独。だが……それでも、ジークの決意は変わらない。
剣を構えながら……冒険者は“少女”を見る。アジ・ダハーカの意識に乗っ取られた黒髪の少女……バハムートもといクリエムヒルト。
周りの轟音は止まない。竜達の戦う音は、未だ健在だ。地上からも……人々の叫び声が聞こえる。これだけ劣勢にあっても……誰もが、希望を捨てていなかった。
「……バハムート」
ジークは……懐の中の“首飾り”を握る。その一瞬で、冒険者の脳内には様々な記憶が思い起こされる。
笑う少女の姿、喜ぶ少女の姿、呆れる少女の姿、涙を流す少女の姿。
そして、少女……バハムートに助けられる……ジークの、姿。
「今度は──俺が助ける番だ」
──ジークは駆け出す。いつも、バハムート達に助けられていた自分を後にして。
「……っ!」
例え、アジ・ダハーカの意識が攻撃を仕掛けてこようと……冒険者の脚は止まらない。止まることを知らない。
“少女”から形を伴った“闇”が飛来する度に……ジークは聖剣を振るい……それらを打ち払っていく。
「まだだ……っ!」
“少女”とジークの差が縮まっていく度に……アジ・ダハーカの攻撃は苛烈さを増していく。冒険者に、卓越した剣術の才能は無い。全ての攻撃を打ち払うことは出来ず……いくらかのものは食らってしまう。
「……っ!」
それでも、ジークは立ち止まらない。痛みも、後悔も、怯えも……全ての感情を置き去りにして、冒険者は駆ける。
その姿を前にして──アジ・ダハーカの本体が動いた。
世界が割れてしまいそうなほどの、甲高い咆哮。アジ・ダハーカは、命を賭けて……ジークを排除しようとしている。
“滅びの竜”の咆哮を受けて──“竜もどき”達は──祭壇を走る冒険者へ狙いを定めた。
「……クソっ!」
ジークの数倍は体格差のある“竜もどき”が……上空から“人間”を喰らおうとした瞬間──“黒い巨体”がその場に現れ、冒険者を救う。
考える間も無く──助けられた“人間”は──前を向いて駆ける。
『姉様を──助けてあげてッ!』
戦うティアマトの声を背に、ジークは少女を前にして跳んだ。大地を蹴った冒険者の体は──そのまま放物線を描いて──少女の元へ跳んでいく
「──ッ!」
この隙を逃すまいと、一斉にジークへ放たれる、“暗黒”の束。だが──ジークは剣を構えながら……回った。
聖剣の力が“障害物”を一掃して──冒険者の体は──少女の元へ落ちる。
「起きろ、バハムート──ッ!」
ジークは叫ぶ。喉が潰れそうなほどの大声が周囲に広がり──冒険者は首飾りを、少女へ掲げた。
“首飾り”は輝きを放ち──その光が──“赤色の髪”の少女を照らし出す。
「今だ──」
ジークはそのまま……バハムート……もといクリエムヒルトの体を抱きしめ……地面へ転がった。 怨念の如くその場に残った“闇”は……次第に霧散して消えていく。
──勝った。その文字が、ジークの脳内に浮かび上がった。思わず冒険者はため息を吐く。それは……疲れを外に吐き出すためだ。
冒険者は今までの出来事をその瞬間ごとに思い起こす。バハムートとの出会い。記憶の残滓の中での出来事。
「……ぉぃ……ゃ!」
思えば色々あったものだ……そう回想するジークの腕の中で、もぞもぞと動く姿がひとつ。
「……わ、悪い!」
冒険者はというと……今更自らの腕の中に少女が居ることを思い出したようで。
「……大丈夫……か?」
「むうぅ……っ!」
何とか座る姿勢を取れた少女……クリエムヒルトは……一瞬ジークを睨むも……その体を見て……鋭い目つきは消えた。
「ぼ……ボロボロじゃの、おぬし」
「……まあな。また買えばいいさ」
自分の壊れかけの装備を見ながら、軽く言ってのけるジークに対して……少女の声は震えている
「その……痛かったじゃろう、その傷」
「……すぐに治るさ、寝ればな」
少女を助け出す際についた、多くの傷。アーサーほどではないが……それでもジークは血を流した。
巫女は……クリエムヒルトは、そんな姿を見て……正面に座るジークの腕を掴んだ。
「わらわ……は……わらわは……」
顔を上げた少女の表情には……大きな涙が浮かんでいる。ジークは……何も言わずに、少女の華奢な体を、抱きしめた。
「すまぬ……すま……ぬ……わらわのせいで……こんな……」
ジークは……涙を流すクリエムヒルトの背中をさすって……赤色の髪を持つ頭を撫でる。
「……まったく。助けてやったんだ。そこは──ありがとう、だろ?」
微笑みながら……諭すような声色で……冒険者は告げた。少女は体を震わせ、ジークの肩に顔を埋める。
「……ありがとう……ありがとう……ジーク」
涙声でそう告げる少女。ジークはしばらく……その体勢のまま、クリエムヒルトの涙を受け止め続けた。
まだ──戻る様子の無い、空を見ながら。