103.竜は謳う、失われた時を
『かつての戦争、それは知っておるか』
「……あぁ。少しは」
ジークは思い起こす。以前流れ着いたケントニスで再会した……マーリン。
年老いた老婆が発された……人間・竜・魔道士が争った事実。
だが……冒険者が聞いたのは、それだけだった。肝心の──戦いが終わった後のことについては、彼も詳しくは把握していない。
『……そうか。では──』
バハムートが──ジークへそう呟く。厳かな竜の声がしたかと思うと……周囲の“暗闇”がいきなり晴れていく。
その闇から露わになったのは……冒険者も知っている光景だ。
「これは……」
ジークは、竜の背から大地の様子を伺う。緑の生い茂る大地のなかにそびえる、巨大な城。賑わう城下町の様子は……空の上からでも分かるほどだ。
「……ヴァリア、か……? だが……なぜ」
『ここは──“巫女”の中に僅かばかり残った……余の記憶の残滓。汝の見ているのは、過去のヴァリア王国だ』
確かに──ジークの見慣れたヴァリアとは……少しだけ様子が違う。ヴァリアから伸びる街道はいまほど整備されていないし、その護衛の為に騎士の出入りも活発だ。
現在の──城門の付近を護る兵士達とは様子が違う。
『戦争の後……余は……竜は滅びの運命を悟った。だが──魔道士達は生き残り……虎視眈々とアジ・ダハーカの復活を悲願としていた』
「……その生き残った例が……エリュシオンってわけか」
『さよう。それを防ぐ為に余は──最も近しく最も強い竜を選び、眠りにつくことにした』
「……アジ・ダハーカに、備えるために、か……って」
ジークが下を見ると──ちょうどフォル村の周辺に遺跡のような建築物が建てられている途中だった。
「まさか“これ”が……竜の姉妹の……始まり?」
『そうだ。結局余が選んだのは、同じ時に生まれた姉妹達よ。ゆえにこそ……姉妹と呼ばれるのは正しくもあるが』
空を旋回しながら“かつての光景”を見るバハムートは……どこか寂しげな声でそう告げる。
だが……ジークの頭にはある疑問が浮かんだ。というのも……だ。
ジークがあの“遺跡”で出会ったのは……竜の状態のバハムートではなく、かといって人間の状態のバハムートでもなく……遺跡の祭壇に横たわっていたのは“巫女”だった。
「……これだけ見たら……平和に見えるが」
『問題は……これからだ。行くぞ──』
「……行くって──うおっ!」
バハムートは急に速度を出して加速した。忙しなく動く“翼”の動き。冒険者は……自分の体を襲う重力と戦うので精一杯だ。
『しばしの辛抱だ。耐えて見せよ、人間』
「……めちゃくちゃ……言いやがる……っ」
通常の人間なら気を失いそうなほどの勢いに──ジーク何とか耐えることができた。喜ばしいことなのかどうかは定かでは無いが、冒険者が一息つく前に場面は動く。
「……今度は何だ?」
バハムートの背に乗るジークは、ようやく平衡感覚を取り戻した。しかし……その視界の中に入る光景はまるで幻覚でも見ているかのようで。
バハムートの体は……巨大な人影の間を縫うようにして飛ぶ。
『竜が消えた世界で──余は信仰の対象となった。彼らは竜を、自然を司る神とみなした』
「……それが、あんたの目にはこう映っていたと」
『良いではないか。余は──歩き方もおぼつかぬ人間が……勇敢に前に進んでゆく姿は嫌いではない』
「……で、この中に“巫女”が居た……そういうわけだろ?」
そのジークの言葉を聞いたバハムートは……一瞬だけ目を閉じて……すぐに“上昇”し始めた。 再び、竜と冒険者を取り巻く光景が様変わりする。彼らの目に映るのは……祭儀の様子だ。
「……こりゃまた、賑やかなもんだ」
『ふん、そう見えるだろうな。だが──問題はここからだ』
バハムートが羽ばたく度に……竜の見せる記憶の残滓が進んでいく。すると──。
──記憶の中でお祭り騒ぎをする人々が……突然ある村人を担ぎ始めた。周りには涙を流す人間も居れば……更に大きな声で騒ぎ出す者も居る。
『人間は余に祈りを捧げ……余もまた、大地に僅かながら恵みを与えた。竜の持つ力によって』
「……それだけ聞くと良いことのように聞こえるが?」
そろそろ竜の体の揺れに慣れてきたジークは……いつもの調子で翼を動かすバハムートへ質問を投げかけた。
『人々はまた、自然のもたらす恐怖も……竜によるものだとした。しかし、竜の力をもってしても、世界の理を変えることなど到底出来ぬこと』
「……じゃあまさか──さっきの光景は」
ジークの脳裏に嫌な想像が浮かぶ。既に周りの光景は暗闇に戻っているが……先ほどの“祭儀”のなかでの異様な光景は……冒険者に最悪の想像をさせるに十分な要素だった。
『“贄”。あやつらは……いわば受けすぎた“恵み”を返すために……人間を差し出した。……余は人など、食べぬと言うのにな』
「……それは」
バハムートの上昇が止まる。すると……暗闇に無数の人影が映し出された。……そこには多種多様な人間の姿があり……果てしなく続いている。
『……余は……ようやくそこで力の行使を止めた。だが……送られる贄が止むことはついぞ無かった』
「……こいつらは……どうなったんだ?」
『余の体の上に建てられた祭壇に閉じ込められておった。ゆえに……彼らには竜の力を与え……生きる力を与えた』
バハムートは飛ぶ。かつての光景を思い起こしながら……記憶に刻まれた生け贄達の姿を前にして。
『だが……殆どの者は死を迎えた。竜の力に適応できる人間など……余も見たことが無かった。……彼女ただひとりを、除いてはな』
「──っ」
ジークは正面を見た。バハムートの記憶の残滓の中に……ひときわ大きく映し出された影がある。 髪は黒く、身に纏う衣装も古風なもの。だがその姿を見て……ジークは感じた。
「……バハ、ムート」
『……』
バハムートは……“巫女”の在りし日の姿を前にして……言葉を発することが出来なかった。
そのまま……竜は前に進む。
『しかと見よ。余と巫女の出会い……巫女のことを。それは必ず──』
竜は、目線を上にして……背中の上に乗る“人間”へ言う。
『汝がかの者を助け出し──アジ・ダハーカを退ける力となるであろう』