102.竜のまどろみ
「……」
ジークは、困惑していた。冒険者の脳内は……自身の置かれた状況を理解しようとするが……しかし、あまりに非現実的な光景を目にして……頭の回転が鈍る。
アジ・ダハーカ。“滅びの竜”が宿る“竜の巫女”に抱擁されたジークは……いつの間にか、知らない場所に居る。
いや──ここを場所と呼べるかどうか──それすら定かではなかった。
今ジークの居る場所は……真っ暗な空間。その空間に……冒険者の体はふわふわと浮いている。 だがそれ以上に重要なのは、ジークの目の前にある“モノ”だ。
「……こりゃまた……」
真っ暗闇の夜のような中で、ジークの視界に“それ”がはっきりと映ることはない。しかし──彼はその物体が何であるかを察していた。
それは単純に──見慣れた“竜”の頭のような部分が、ちょうどジークの目前にあったからだ。
「……?」
冒険者は、水中を泳ぐような感覚の中で前に進もうとするが……しかし、その“頭”との距離が縮まる様子は無い。かといって、離れている様子も見受けられない。
「……何なんだ、ここは──って」
そこまで言って──ジークは思い出す。この不可解な場所に来るまでに──何があったのかを。 ジークの手には……まだ、“少女”の手を掴んだ感触が残っていた。彼は自らの手を握っては離し、握っては離し……その“感覚”が確かなモノであることを確かめる。
「……クソッ。ここから出て……アイツを──バハムートを助けないと──」
そんな決意を胸に、再度ジークが動き出そうとした瞬間のこと。冒険者の目の前にある頭が……微かに動き始めた。
竜の瞼が開き、ひときわ目立つ鮮やかな赤色の瞳が……ジークを見ている。暗闇の中にあっては……よけい目立つ見た目だ。
『──懐かしき、名前だ』
「……あんた、喋れるのか……って」
竜は体をぎこちなく動かす。その過程で……竜の体表が露わになり、その表面は傷だらけだった。ともすれば……朽ちていそうな程に。
ジークの目の前に居る“謎の竜”は、ティアマトらの竜の姉妹の姿とも、アジ・ダハーカの姿とも異なっている。
言うなれば……埃を被ったアンティークのような……ボロボロの体だ。
「……大丈夫なのか? ……それ」
『面白い。余の声を理解できるのか』
「……質問に答えろよな」
朽ちかけの体を指指すジークは……思わぬ竜の返しにばつの悪そうな表情をする。
「……ここはどこなんだ?」
『冷静なものだ。取り乱しはしないのか』
「……こちとら、案外慣れたみたいでね。心外だけどな」
竜の声は……老人の声のように穏やかで、ジークを拒絶する様子も無さそうだった。対して冒険者も……いくばくかの警戒を解いて、“先客”である竜へ話しかける。
「なんというか、マトモな場所じゃ無さそうだが」
『正しいな。ここは“竜の墓標”だ。余のように──死にかけの竜が生きる世界よ』
「……死にかけって……じゃあ、あんたは……」
竜の動きが止まる。その竜は、ちょうどジークの正面に体を動かし……上からその頭をもってして……人間を覗く。
『余は──バハムート。かつて滅びた竜族の……希望“だった”存在よ』
「……で、あればだな。聞きたいことが山ほど生まれてきた」
ジークはその場で腕を組んで……首を上に傾けながら、その竜──“バハムート”へ語りかけ始める。
「巫女……まぁ、俺からすれば“あっち”がバハムートなんだが……。あいつとは……どういう関係なんだ」
『……後には戻れぬぞ。これから余が語るのは竜の秘密。人間ひとりに耐えられるものではない』「……耐えられるさ。あんたも──そう感じたから、俺を呼んだんだろう」
冒険者の言葉に……バハムートは反射的に目を細めた。縦長の楕円形の瞳が……鋭くジークを見つめる。
『気づいておったか』
「ここがもし、アジ・ダハーカとやらが生み出した場所なら……とっくに俺は殺されている。多分……あんたも」
『なるほど。だが余が……あやつに協力していたらどうする? そうなれば、汝の前提が成り立たぬであろう?』
ジークは……どこか“巫女”の屁理屈の並べ方と似ている竜の言葉を聞いて……ため息をつきながら笑うという高等な芸当を見せた。
「かもな。だがそれでも……あんたが悪い竜には見えない。なんとなくだが」
『……楽観的だな』
「これまでさんざん竜とやらを信じてきたんだ。うだつのあがらない冒険者でも、たまには勘に頼るさ」
竜は……バハムートは、そんなジークの様子を見て……口角を上げた。
『……似ているな』
「……? 誰にだよ──って」
瞬間──バハムートは目にもとまらぬ速さでジークの体をすくい上げた。そのまま竜は自らの背へ人間を投げる。
ジークはというと……もはや受け身を取ることが出来ずに……背中で転がっていた。
「いきなり何を──」
『聞いて、そして目に焼き付けよ』
竜の翼が開く。朽ちた体が動き……その体に生えた苔やら何やらが落ちていく。
「かの巫女を──救う方法を」