姉弟の夜
食事を終える頃には、カーリンの気もすっかり滅入っていた。
母との約束が、辛うじてカーリンの心を繋ぎとめているようだった。
ふらついた足取りで自室に向かっていると、壁にもたれるように立つヨハンが見えた。
彼の横顔からはその考えを読み取ることはできないが、機嫌が悪い事だけはしっかりと把握したカーリンである。
できることならば見つかりたくないが、この道を通らねば自室にたどり着けないため、困ったように眉を下げるしかできない。
不自然に止まった足音に気が付いたのか、ヨハンの視線がカーリンへと向けられる。
「姉さん、少し話をしましょう」
予想したよりも冷静な声だった。
カーリンは、弟に叱られることを恐れていた。先ほどまでの両親からの叱責で、カーリンの心は既に限界が近く、ここに弟のお叱りは心が折れてしまうと思っていた。
それでも、弟と話さないという選択肢はカーリンにはなかった。これでもカーリンは弟を好いているので。
「私の部屋で?それとも、別の場所?」
「こんな時間に、いくら弟と言えど部屋に入れるものではないですよ。サンルームにしましょう。今日は星が良く見える」
そういうと、ヨハンはカーリンの側に立ちエスコートの手を差し出す。その腕を取り、二人はゆっくりとサンルームに向けて歩みを進めた。
夜は冷えるからと近くのメイドにひざ掛けを用意するように伝える弟を見ながら、体だけでなく精神もまた成長しているのだと当たり前の感想をもつカーリン。
どうしてか、カーリンには弟は守るべき対象としての強い思い込みがあった。
サンルームは、先ほどのメイドから話がいったのか、既に二人が話せるように場が整えられていた。ヨハンが言ったように、雲一つない夜空には零れそうなほどの星が瞬いている。
ヨハンは柔らかなクッションが置かれたソファに姉を座らせると、その隣のソファに自分も腰を下ろした。そうして、静かに星を眺める姉を見ながら、どう話を切り出そうか言葉を口の中で転がした。
「ヨハン、ごめんなさいね」
先に口火を切ったのはカーリンであった。
「今に始まったことじゃないので。ただ、今回のは流石に俺も怒ってます」
「そうね、お父様にも、皆にも迷惑をかけてしまったわ。ヨハンとも、学院に行く約束をしていたのにね。ほんと、ごめんなさい」
カーリンはしょんぼりと肩を落とす。こうなると、ヨハンは姉にあまり強く出られないことを自覚していた。
うっと息を押し込め、言いたい文句の一つも言葉にならない。そも、自分のこの不満や不安をどう言葉にしてよいのかも、見つからないでいるのだが。
「・・・姉さんのデビュタントは既に2年遅れています。学院は義務ではないので何とかなりますが、社交界はそうじゃない。過去にもなかったわけではないですが、風当たりの厳しさは並ではありません。それでも2年の猶予を頂けたのは、父上が様々な人に掛け合ってくれたからです。今回の件は王家も絡んでくるので、確実に我が家の責任を問われること。どのような沙汰になるのかはわかりませんが、お咎めなしとはいかないと思います。」
ライツェガング帝国の学院は中等部から高等部まで存在し、それ以上の研究機関として国立研究所がある。これらの機関に平民が通うことはほとんどないと言ってよい。その代わり、初等教育に関しては各領に領民学校が存在し、平民貴族関係なくその門戸が開かれている。
貴族は中等部で学院に入学し、その卒業と同時にデビュタントを果たす流れが一般的である。高等部への進学率は高いものの、途中で結婚などを理由に退学する者も少なくはない。
カーリンは中等部には通わず、デビュタントも高等部への入学も2年の猶予を与えられていた。これは世間体を重要視する貴族社会では極めて異例であり、今後の縁談や社交界での関係に大きなハンデとなることは明らかだ。
「お父様には、何か楽し気な魔法でもプレゼントするわ。うう、申し訳ない思いが・・・!」
カーリンはここにきて漸く事の大きさを飲み込んだ。そして、その申し訳なさに胃が痛くなった。
本当に、悪気があったわけではないところが彼女の厄介なところである。
「・・・姉さんは、本当は学院に行きたくなかった?学術院の方が良かったりする?」
カーリンは困った姉ではあるが、その才能が本物であることを誰よりも分かっているヨハンだ。学術院の方が、姉を理解しその才能を遺憾なく発揮する土壌があるのではないか、そう考えずにはいられなかった。もしそれを願うなら、何とかできないか相談することは可能だと考えていた。
カーリンは驚きながらヨハンを見た。弟は、幼いころを思い出させる表情をしていた。
「学術院は、魔法が好きなら一度は憧れる場所よ。そこにいる教育陣も施設も、全てがそろっている。さっきも言ったように、あの学校にいる先生方には聞きたいことも教わりたいことも山のようにあるわ。だから、機会があるのなら行きたい。・・・例えば、お父様が剣術を教える教師をしたとして、その場所が辺鄙な場所でも、教われるならヨハンは行くでしょう?」
「それは、そうですね。父上から教われるなら、国中の騎士や冒険者やその道を志す者が行くでしょうね」
ヨハンの答えを聞いてにこりと笑むと、視線を星に投げた。
「学院が嫌なわけではないのよ。学院におられる教師の方々もまた、素晴らしい研究者ですもの。ただ、今興味のある分野の一番好きな人がそこにいて、たまたま試験を受ける機会があって、その問題があまりにも楽し気で受けてしまっただけで、ヨハンと学院に行くつもりでいたの。本当よ」
「きっと、父上は明日には王都に立って試験のことをなかったことにしようと動くでしょう。それでも、いいんですか」
「良いも何も、最初からその約束ですもの。それに、学院には古代語を専門にしておられる先生がいらっしゃるでしょう。古代語と古代魔術の関係も面白いのよ。魔法と魔術の話に繋がるのだけど、古代魔法においてはその区別があまりなかったんじゃないか、という説があってね。正直とても興味があるのよね・・・」
カーリンの言葉に嘘はない。正直、両校に通うことが理想なのだ。ただどちらかを選ぶとなったときに、学術院に行く機会があるなら、という気持ちが暴走しただけで。
ヨハンはいつも通りの姉に溜息を洩らしそうになった。俺の心配は一体何だったのか、といった心地だ。
ヨハンは姉の作り出す魔法も魔術も好きだ。その才能を最も間近で見てきたという自負がある。だからこそ、今まで外に出されなかったこの才能を、自由に出してやりたい気持ちが家族で一番強かった。
王家との約束の為に学術院への留学は許されないだろうし、この才能を他国にやる危険性も理解できるためできることなどほとんど無いのだが、それでも父親に掛け合うつもりでいた。
もろもろの約束を破ったことには怒っているが、姉の魔法も姉の可能性も信じているのだ。
「学院に行くことが苦でないなら、俺はいいです。約束を破ったことは許しませんが。まあ、しばらくは研究を禁止されていますし、おとなしくなさっていてください」
「うっ。しばらくはお母さまの”強養”・・・。あれは”教養”ではないのよ・・・」
「それに関しては、俺からはなにも。頑張ってください」
学院に行くことが嫌でないなら、ヨハンはそれでよかった。思うところは多分にあるが、最終的に重要なのはその一点である。
頭を抱える姉の横で、静かに笑みを浮かべるヨハンであった。
二人がベッドに入ったのは、日付のちょうど変わる頃であった。
しばらくぶりです。病気をして、なかなか更新できずにすみません。
二週に一回は嘘でしたね。本当に。
シスコン、ブラコンネタが大好きで、気が付くと盛り込んでしまいます。愛は重めに、大量にですよ。
明日もう1話出せると良いなぁ…。
※加筆修正しています(2025,3,19)