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カーリンと弟

「できた・・・」


 カーリン・フェイエルフォードは、ごみ屋敷も斯くやといった部屋でひとりごちた。カーテンの隙間から日の光が朧げに室内を照らすが、辛うじて確保されている導線だけが唯一の救いといった有様である。かつては広々としていたであろうその場所は、何を隠そうカーリンの寝室である。壁一面ともいえる大きさの本棚と天幕付きのベッド、それから唯一片付いていると言える執務机が、この部屋で視認できるものである。とはいっても、この数カ月でベッドにも本や紙が浸食を始め、危機的状況に置かれているが。


 何はともあれ、その部屋でカーリンは感動に胸を震わせていた。長らく考え続けていた魔術がとうとう完成したのである。一体何日風呂に入っていないのか脂ぎった茶色の髪を絡め、顔にありありと疲労を乗せながら、しかしその瞳は炯々と不気味な力強さがある。

 カーリンはその努力の結晶である資料を束ねると、紐を通して簡易的な本にした。それを至極大切そうに執務机の後ろにある本棚に仕舞うと、カーリンはそこでやっと電源が切れたように倒れこみ気を失ったのであった。


 暫くして部屋の扉が開くと、5人のメイドが慣れた手つきでカーリンを運び出した。カーリンが目を覚ましたのは、それから丸一日が経った後である。


 ――――――――――――――――――


「失礼します」


 2つ下の弟であるヨハン・フェイエルフォードは、有無を言わせない声音で言うと同時に押し入った。その顔は魔王も裸足で逃げ出すほどの憤怒の表情。

 月白色の柔い質感の髪は切り整えられ隙が無く、同色の切れ長の目が一層鋭い印象を与える。姉とは似ていないその整った顔立ちは、冷たい印象を与えながらも、幅広い女性から支持を得ている。成長期に差し掛かった身長は、会うたびに「また大きくなったの」と言われ、ずいぶん前に姉を越していた。


 ヨハンの人生は、姉に振り回されてきた記憶がほとんどである。ずっと幼い記憶にはそれ以外もあるが、やはり思い出すのは姉の厄介な性格とそれに振り回され続ける自分である。それでも、姉が大切であることに変わりなく、今回もまた屋敷中の期待を背負って説教をしに馳せ参じたのだ。


「ヨハン、私返事をしていないわ」


 しかし、カーリンはそんな弟など気にもとめず言い放つと、パンがゆを食べるのを再開してしまった。

 これには流石のヨハンも青筋が立つ。勢いのまま大声で怒鳴りそうになるも、努めて深呼吸を幾ばくか行うことで何とか怒りを抑え込むことに成功した。側に控えていた侍女は、事実主人の返事のない入室の無礼を承知しつつも、心中でヨハンがカーリンを諫めることを応援しているため静観している。


「姉さん、今度はいったい何日食事を抜いたんですか」


 その声は押さえきれぬ激情が滲んでいた。それもそのはず。カーリンがこうして倒れるのは初めてではなく、倒れるたびに睡眠と食事の大切さを説き、改善するよう厳命してきたのはヨハンだ。にも拘らず、一向に改善する様子の無い姉にヨハンもとうとう限界であった。それは、自分が姉の中で価値の無い存在だから聞いてもらえないのかもしれないという絶望感から来るものかもしれなかった。

 実際には、カーリンは毎度叱りに来る弟をそれはそれは大切に思っているのだが、一度熱中しだすと周りが見えなくなる性格と弟への無条件の甘えが、ヨハンの誤解を深刻なものにしていた。


「失礼ね。ちゃんと食べていたし、睡眠だってとっていたのよ。なのになぜ倒れてしまったのか、私にも分からないのよ」


 カーリンはむっと唇を突き出してぶつぶつ文句を言うと、またパンがゆを頬張った。


「はぁ・・・姉さん、今日が何の日か言えますか?」

「今日?陰の日でしょう?」


 スプーンを口から離し、何を当たり前のことを、とでも言いたげな答えにヨハンは頭を抱えた。今日は5日の雷の日である。察するに、この姉は今日が何日かも把握できておらず、そのうえ2日もずれていることから、ここ最近の状態も察して余りある。

 ヨハンは痛む頭を抑えながら大きく息を吐いた。


「・・・今日は雷の日です。頼むから、睡眠と食事くらいちゃんとしてください」


 弟の言葉に、カーリンはひどく傷ついたような顔をしてそっぽを向く。


 カーリンも好きで倒れているわけではない。何度も叱られ懇願されるたびに反省しているのだ。それでも一度気になりだすと、それ以外が疎かになってしまう。

 自分の至らなさのせいで弟にどれ程迷惑をかけているか、カーリンは知っている。大人びた話し方も、いつも張り詰めたものを抱えているのも、全ては自分の責任だと自覚していた。


 またヨハンに迷惑をかけてしまったのね。

 最近は意識して食べているし寝てもいるのに、どうして出来ないのかしら。


 もちろん、この問題に対し屋敷のメイドや家族がなにも策を講じなかったわけではない。むしろあの手この手で作業を中断させようとした。しかし、そのどれもがうまくいかなかったのである。

 例えば、連日寝ずに作業していたため無理やり風呂に入れようとしたところ簡易結界をはられ、本当の意味で手出しできなくなった時には、何もできずに娘が死ぬのかと両親は肝を冷やした。他にも、何やら空を見て考え込んでいる時を見計らって食事を取らせようとしたところ、始めのうちは良かったものの何度目かでメイドが締め出された。未だ理由がわかっていない。

 その後もメイドの締め出しが通常化し、とうとう家出された事をきっかけに、対策するよりもその後のケアとフォローに力を注ぐよう方向性を変えた。


 こうした背景がありつつも、ヨハンはなんとか対策をと諦めていない。それ故に、屋敷の期待も背負っているのだが。

 カーリンもまた、なんとか倒れないようにとは思うのだが、一度興味を持つと他のことなど忘れて1人の世界に入り込んでしまう。


 そもそも、家系的にもカーリンは珍しい子どもだと言えた。というのも、フェイエルフォード家は代々武の家系であり、隣国との国境に領地を持つ辺境伯である。中には研究の道や文官の道を選ぶ者もいるが、その多くもある程度の武を修めている。

 しかしカーリンは、自身の生活のほぼ全てを魔術や魔法、またそれらに関することに振り切っている。彼女の在り方を理解する人間が、なかなかと言っていいほど居ないのが現状であった。(たとえ研究者を多く輩出する家系であっても、カーリンは変わり者だとされただろうが。少なくとも、話の合う人間はできただろう。)

 現時点で、理解者がいないことが、もしかすると最大の不幸だったかもしれない。


「・・・悪いとは、思っているのよ」

「悪いと思っているなら、・・・はぁ、もういいです。それより、居間で母上達が待っています。なるべく早く来てください」


 ヨハンはそれだけ言うと、カーリン付きの侍女に簡単な指示を出し部屋を出ていった。


「とりあえず、このかゆを食べてからでもいいかしら?」

「・・・お嬢様」


 急ぐ様子もなく、あくまでマイペースにかゆを口に運ぶ自身の主人に、呆れの声を吐いた。

 侍女は、そんな主人をそのままに、できる仕度から始めたのであった。

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