笑顔の眩しい腹黒王子は、固い扉を蹴り破る
モニカは見知らぬ部屋で、目を覚ました。
天井近くにある窓からは、雲から顔を出す月が見えた。
部屋に射し込む月明かりのおかげで、かろうじてあたりの様子が浮かび上がる。
たったひとつの窓以外には、出入口の扉がひとつ。
狭い、薄暗い、埃っぽい。ここは一体どこだろう。
暗闇にも少し目が慣れて、だんだんと頭もハッキリしてきた。モニカは身体をゆっくり起こしつつ、部屋をぐるりと見渡してみる。
(なるほど……)
何段にも積み上げられた木箱に、雑多に置かれた袋の数々。どうやら、ここは物置部屋のようだ。
埃の積もり方からして、直近で人が立ち入ったような形跡は無い。おそらくしばらく使われていないような……誰も寄り付かない場所にあるのだろう。
(私は、なぜこんな場所に?)
モニカは頭を整理した。
記憶を辿れば、最後に覚えているのは城の廊下。いつものように花瓶の花を整えていたところ、後ろから何者かに口を押さえられ、変な薬を嗅がされて……そして目覚めたら、このようなところで倒れ込んでいた。
(わけがわからないわ。なぜ私なんかを……)
シュテーデル伯爵家次女のモニカは、城勤めの侍女だった。伯爵令嬢といえど真面目なモニカにとって、侍女という仕事は天職で。行儀見習いとして一・二年……と予定していたところ、勤め始めてもう五年も経っていた。その熱心な仕事ぶりから、ついには王妃より声がかかり、以来二十一歳となる今日まで王妃付きの侍女として日々を送っている。
つまり、モニカはただの侍女だ。
誰が何の目的でこんなことをしたのかは分からないが、こちらとしては大迷惑である。今日やるはずだった仕事は放ったらかしで、王妃だって突然姿を消したモニカのことを心配しているだろう。
早く戻らなければと思うものの、嗅がされた薬のせいで身体がだるい。それでもなんとか立ち上がり、部屋の扉を開こうとするものの。案の定とでもいうべきであろうか、木の扉は外側から鍵で閉ざされていて、こちらから開くことはない。
(まいったわ。明日はローレンス殿下のお妃選びだというのに)
明日は二十四歳になる皇太子、ローレンスのお妃選びが執り行われる予定である。ここ数日は城を挙げてその準備に追われているのに、モニカだけがこんなところで油をうっている場合ではない。
しかし……辺りはしんと静かで、誰の気配もなくて。たとえ助けを呼んだとしても誰も――――
「誰も来ないね」
驚いた。
てっきり一人きりだと思い込んでいたのに、背後の暗闇から声がしたのだ。
勢いよく振り向くと、書棚近くに一人、誰かが座っている。
「誰……!?」
モニカと同じく閉じ込められたのだろうか。……けれど、その割には声が明るい気もする。こんな状況で、よくもまあ……と思っていたが、聞き覚えのあるこの声、この口調。
この方は、もしかして――
「もしかして、ローレンス殿下!?」
「あたり」
「な、何をしていらっしゃるんですか! このようなところで!」
そこにいたのは、まさかの人物であった。
明日の主役、皆の憧れ。麗しの皇太子ローレンス。
明朝、広間でお妃選びをしなければならないその人が、こんな埃だらけの物置部屋で、なぜか侍女と閉じ込められている。
「なぜ、どうして、ローレンス殿下まで……!?」
「君を閉じ込める計画を耳にしたからさ。先回りして助けようとここで待ってたんだけど、一緒に閉じ込められてしまったね」
ローレンスはなんてこと無いように、軽い調子で言ってのけた。
モニカはくらりと目眩がする。ローレンスが閉じ込められた原因は、親切にもモニカを助けようとしたせいらしい。言わば、ただの巻き添えだった。なんてことだ。
「なんですか。その、私を閉じ込める計画って……?」
「嫉妬深い侍女達のくだらない話を聞いてしまったんだよ」
「嫉妬? 私に、ですか?」
「明日のお妃選びに、君を参加させないようにって」
「……わ、私は参加するつもりなんてありませんでした」
「うん。けれど、母上はしつこく君を誘っていたじゃない?」
そうなのだ。実はモニカも、王妃から「お妃候補になってみない?」とお誘いを受けていた。王妃は真面目なモニカを随分と気に入ってくれていて、それはもう「娘にしたい」と周りへ公言するほどに。
けれどモニカは、それを真に受けたりはしなかった。だって自分はただの伯爵令嬢だ。ここへは行儀見習いに来ただけで、そんな自分が名乗りを上げるなんて、身の程知らずなことはするべきではないと分かっている。
なのに、どうしてこんなことに……
「万が一、君が明日のお妃選びに出席したら、もう選ばれるのはモニカに間違いないから」
「そんな。お妃候補をお選びになるのは、王妃様ではありません」
「そうだね」
「ローレンス殿下が直々に選ばれるのですよね……?」
「そのとおりだね」
静かすぎるほどの密室。噛み合わない会話。
ローレンスはモニカに向かってにっこりと笑った。
◇◇◇
壁の向こうでは、城の森に住むフクロウ達が鳴いている。
もう、どのくらい待っただろうか。依然として助けは来ない。
「静かだね」
「はい」
「不安?」
「はい……この部屋は、一体どこにある部屋なのですか?」
物置部屋は逃げ出したいくらいシンとしていて、夜の時間は長過ぎた。
皇太子ローレンスと二人きり、という状況に落ち着けるはずもないのだが、ローレンスはというと埃だらけのイスに腰をかけ、ゆったりとこちらを眺めている。
「ここは温室の裏にある物置小屋なんだよ。ほら、この本棚。薬草を記録した帳簿があるよね?」
「あ……本当ですね」
「久しぶりに来たよ。もう何年使われていないんだろうね」
今は亡き先代の王が使用していた温室は、庭の外れに位置していた。まだ先王が存命であった頃、モニカも温室へは足を運んだことがあるのだが、物置小屋にまで入ったことは無くて。
(人を閉じ込めるにはもってこいの場所だったのね……)
ここがあの物置小屋なら、ひと気がなくて当たり前だ。城からはかなり離れた場所にあって、現在は誰も利用していなくて……見つかる可能性は限りなく低いだろう。
モニカは頭を抱えた。このまま朝を迎えてしまったら、ローレンスは――
「――ローレンス殿下、申し訳ありません」
「なぜ君が謝るの」
「一晩、私などと一緒にいらっしゃって、変な噂がたってしまったらと思うと……」
きっと朝まで待てば、ローレンスの捜索が行われるだろう。庭にだって捜索の者は来るだろうし、その時がくればきっとここからは出られるはずだ。
けれど、その時はモニカと一緒に発見されることになる。お妃選びが行われる大事な日に、侍女と一晩を過ごしたという好ましくない事実が発覚してしまう。
「変な噂、か」
「私などと一晩一緒であったとしても、殿下に限っては何も無いと、皆様お分かりになるでしょう。けれど、やはり外聞はよろしくありません。その時には、私が責任をとってお暇させていただきます」
ローレンスは、身持ちの固い男として評判だった。
端正な顔立ちに、有能で人当たりもよい皇太子。彼に選ばれたいが為、行儀見習いに上がる令嬢も後を絶たない。過去には令嬢から色仕掛けをされたり、夜這いをかけられたりということもあったと聞いている。
それらにも全く動じなかった彼が、侍女と一緒に閉じ込められたくらいでは信頼を失うこともないかもしれない。けれど……モニカには責任を感じずにはいられないのだ。
「なに言ってるのモニカ。一晩中、男と二人きりだったなんて、君の方がダメージ大きいでしょ」
「そ、それは」
「そうでしょ?」
「まあ、そうですね……」
厳しい現実に、モニカはがっくりと項垂れる。
こんな場所でローレンスと閉じ込められてしまって、もし噂が立ってしまったら。なにかと下世話に噂をされてもおかしくない。というか、面白おかしく噂されるに決まっている。
そうなれば、モニカにはいよいよ縁談の類も無くなるだろう。考えたくもないけれど、今後の身の振り方を考えなければならないかもしれない――
モニカが残酷な未来予想に絶望していると、ローレンスはこちらに向かって明るく笑いかけた。
「もしそんなに噂がたったなら、俺に責任を取らせてよ」
「え?」
「大丈夫。悪いようにはしないから」
「ほ、本当ですか……?」
それはまさに救いの言葉だった。モニカの顔も声も、たちまちパッと明るくなる。
こんな閉じ込められた状況であるというのに、ローレンスは最初からずっと余裕ある笑みを浮かべていて。その様子が実は少し不気味でもあったのだが、もしかすると彼には何か考えがあるのかもしれない。
噂を揉み消す算段でもついているのだろうか。それとも、モニカに別の勤め先を紹介してくれるのだろうか。ここより良い勤め先など、無いとは思うが仕方がない。噂が広がってしまっては、もうここにはいられないだろうから。
「ありがとうございます、ローレンス殿下。私への嫌がらせのせいで……殿下は巻き込まれただけなのに」
「いや……俺は感謝してるよ。ここにモニカと二人きり閉じ込めてくれた令嬢達にね」
「ん?」
「責任持って、君を妻として迎え入れよう」
「はい!?」
意味がわからない。
混乱するモニカの頭に、二人きりの物置小屋に、フクロウの鳴き声が虚しくこだまする。
「……ええと、ローレンス殿下。どういうことですか」
「どういうことって、そのままの意味だよ」
「私を妻に?」
「そう」
「ご冗談を……」
そんな、わけのわからない話は冗談にしたかった。
けれどローレンスの低い声が物語っている。
これは、冗談じゃないらしい。
「冗談じゃ無い」
「そんな」
「俺はずっと、君のことが好きだった」
耐えきれずに顔を上げると、切なげな顔をしたローレンスが、懇願するように見下ろしている。
「王子の俺は、嫌い?」
(う、うそでしょう……?)
モニカには返事が出来なかった。
たとえローレンスを、まだ好きであったとしても。
◇◇◇
五年前、侍女として働き始めたばかりのモニカは知らなかったのだ。
温室にいた優しくお茶目な『お爺さん』が、実は先代の王だったなんて。
そして時々『お爺さん』のもとを訪ねてくる青年が、まさか皇太子ローレンスだったなんて。
当時十六歳の新米侍女モニカは、空き時間を見つけては城の散策を楽しんでいた。どこまでも広い敷地には、美しい庭を始め、噴水や池、森まである。モニカの気ままな探検は、毎日飽きることなく続けられた。
そんな探検の折に見つけたのが、あの温室だ。
ちらりと覗けばそこにはいつも、気のいい『お爺さん』が笑っていて。モニカを見つけると「こっちにおいで」と、優しく手招きをしてくれる。
お爺さんのいる温室は、まるでモニカの居場所のようになっていった。愚痴や泣き言、嬉しかったことなんかも、お爺さんは「うんうん」とにこにこ笑って相槌をうってくれたりて。
そうして『お爺さん』との穏やかな時間を過ごしていると、時々、青年がやって来た。『ラリー』と愛称で呼ばれる黒髪の青年は、どうやら『お爺さん』の孫らしい。
彼もお爺さんと同じように、モニカを優しく迎えてくれる。
三人で過ごす温室での時間は、とても落ち着けて、楽しくて……そんな温かい空間の中で、モニカが『ラリー』に心惹かれるようになるのも、そう時間はかからなかった。
優しく、美しい青年ラリー。新人で右も左も分からないモニカに、城のイロハを教えてくれた。一日の流れや、役職の意味、何なら食堂の空いている時間まで。
城での、ありとあらゆることをラリーから教えてもらった。
彼が「ずっと城にいればいいよ」と、言ってくれてときめいた。
モニカも、ずっとこうしてラリーと会っていたかった。
しかし、恋心に自覚し始めた頃、知ってしまったのだ。
あの温室も、王族のものであるのだと。
ならばあそこにいた『お爺さん』は。その孫であった『ラリー』は――
馬鹿なモニカはやっと気づいた。
そして、身の程知らずな恋心に、固く蓋をしたのだった。
◇◇◇
「ひどいじゃないか? 俺が王子だと分かった途端、避けるようになるなんて」
「あ……」
「祖父も待っていた。優しく頑張り屋なモニカのことを。けれど、君は来なくなってしまった」
「も、申し訳ありません……」
モニカは居たたまれず、ローレンスから目を逸らした。けれどそんなモニカの視線を取り戻すかのように、彼はそばへと歩み寄る。
「母上も、君を閉じ込めた侍女達も、みんな分かっているんだよ。モニカ以外は選ばれないって」
「みんな……!?」
「そう。気付かないのは、いつも君だけ」
月明かりを反射して、ローレンスの瞳がキラリと光る。
その視線は鋭かった。モニカの胸をえぐるくらいに。
「どうしても、俺はモニカ以外考えられない」
「む、無理ですよ……」
「ねえモニカ。俺のお妃候補になって?」
ローレンスからは、どんどん距離を詰められる。
心が、がたがたと揺れてしまう。
このままでは駄目だ、このままでは――
「い、今はここを出ることが先決のはずです!」
モニカは、苦し紛れに話を逸らそうとした。
「この小屋から無事出るまで、そんなこと考えている場合ではないでしょう?」
そうだ、今は閉じ込められている非常事態なのだ。こんな、結婚だのなんだの言っている場合ではない。
しかし話は逸れるどころか、ローレンスからは何やら黒い笑みをこちらに向けられている。
「な、何ですか……」
「小屋から出たら考えてくれるの?」
彼はあっさりとモニカの元を離れたかと思うと、外鍵のかかった入り口扉の前に立ち――
突然、扉を蹴り上げた。
「えっ!!」
……!!!!
凄まじい音を立てて、木製の扉に亀裂が入る。
メキメキと蝶番の外れた扉は行き場を失って、とうとう向こう側へと倒れ込んだ。
「ひ、ひえ……!!」
扉が、開いた。
木製とはいえ、モニカが押しても叩いてもびくともしなかった頑丈な扉が、ローレンスの一蹴りで木っ端微塵になってしまった。
「さ、最初から、こうしていれば出れたのでは……?」
「何言ってるの。せっかくモニカと二人きりになれたのに、すぐ出るなんて勿体ないでしょ」
目の前の光景に目を白黒させていると、ローレンスが眩しいくらいの笑みを浮かべてこちらを振り向く。
「さあ、モニカ。考えて」
「……え」
「小屋から出られるよ。考えよう。これからの俺達のことを」
どうしよう。扉が、開いてしまった。
この小屋から出なければ。そして考えなければ――ローレンスとの結婚を。
「まず、今日のお妃選びには出てくれるよね?」
「え?」
「ドレスはこちらで用意するから。すぐ、準備させよう」
「え? え?」
「広間では俺が君を選びに行くまで、モニカは立っているだけでいい」
モニカの意思に関わらず、ローレンスによってどんどん話が進んでゆく。
到底、頭がついていけない。
「ちょ、ちょっと待って下さいますか」
「待ったよ。何年もずっと待った」
「そんな!」
「もう、待てない」
迫り来るローレンスからじりじりと逃げていたモニカだったが、とうとう壁まで追い詰められて。
彼の腕はモニカの両脇の壁につき、最後の逃げ場を無くしてしまう。
「モニカ、降参して」
「ローレンス殿下――」
モニカは、気持ちを誤魔化しきれない。
だってこんなにも顔が熱い。
赤い顔のモニカを、ローレンスは愛しそうに見つめて――二人は震える唇を重ね合った。
明かり取りの窓から見えるのは、橙色をした朝焼け。
彼越しに見る新しい朝日は、モニカの固い心をゆっくりと溶かしていった。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
4/13誤字訂正致しました。名前間違えすみません!
ご報告下さった方、ありがとうございました…!!