量子力学者の研究室はシュレーディンガーの猫になった
「科学で解明できない謎」なんて表現をよく聞くが、僕にしてみれば噴飯ものの発言だ。
科学でわからないことは、科学の世界にこそ溢れ返っている。世の科学者はそれに挑戦し、頭を抱えるからこそ偉大なのだ。特に量子力学の世界は未知の部分がまだまだ多く、ファンタジーのようなことが起こったとしても全く不思議ではない。
「――だから僕は、あなたが未来人であると一応は信じてやる。だが、だからと言ってなぜ僕の研究を邪魔する?」
突如として現れ、僕の研究室を荒らし始めた悪しき女に僕は敵意たっぷりの目線を向ける。
「言ったでしょう。あなたの研究はこれから約八百年後に恐ろしい量子兵器を生み出し、世界戦争を起こす引き金となる。だから人類の未来のために、あなたの研究を阻止しに来たのです」
「随分な言い草だな。だが、僕の行動がそんな戦争だとか兵器だとか物騒なものに繋がるとは思えないな。学問としは我ながら素晴らしいと思うが、そんな代物を作ってる自覚はないぞ」
「放射能を発見したマリ・キュリーも、ダイナマイトを生み出したアルフレッド・ノーベルもそう考えていました。例えあなたに悪意がなくても、悪意を持つ者があなたの研究を利用する。だから今ここで、それを破壊するのです」
「もっともらしいことを言ってるが、それが科学の発展を阻害して良い理由になるか? ラボアジエが処刑された時、フランスの化学は百年遅れたと言われているんだ。その損失は計り知れない……だいたい、君の話が本当なら僕の研究を止めれば歴史が大きく変わってしまうんじゃないか? そっちの影響は大丈夫なのか?」
「あなたの研究で、何百万人もの罪なき人が死ぬよりマシです」
言うが早いか、女が拳銃のようなものを取り出す。
だが、僕だって能天気にコイツとここまでペチャクチャお喋りしていたわけじゃない。背後からそっと取り寄せた鈍器を振り上げ、女の手元に叩き込む。そうすると女は銃を落とし――僕とその女は、同時にそれへと手を伸ばした。
――研究室に銃声が響く。
しかし「シュレーディンガーの猫」よろしく、どちらが亡くなったのかは扉を開けるまで誰もわからなかった。