【7】
渡良井さんは私を玄関先まで見送ると、靴を履き終えた私に軽く口づけた。
「落ち着いたら連絡して。待ってる」
「はい」
自宅に戻ると、すぐに作業にとりかかった。
奥原先生に頼まれた絵の構想に入る前に他の作品を終わらせておこうと思った。
無意識だったが相当な時間集中していたようで、圭太が電灯のスイッチを入れて初めて夜になっていたとわかった。
「あれ、うそ!圭太もう仕事から帰ってきたの?」
「恐ろしい集中力だね。お腹は?空いてないの?」
「お腹…私、朝から何も食べてないや」
「おおっと!そりゃ大変だ!よし、牛丼食べよう」
「牛丼?牛丼限定?」
「もう買ってきちゃったから」
ダイニングテーブルには、圭太が通勤カバンに忍ばせているマイバックが存在感アリアリで鎮座している。
中には大盛りと並盛の牛丼が入っていた。
あと、生野菜サラダとお新香も。
「なんでー!?圭太、エスパー?私の修羅場に気づいてたの?」
「スマホ、見てないだろ?何度か夕飯どうするってLINE送ったけど、全然既読にならないからさ。こりゃいつもの没頭地獄だなと察したわけだよ」
「圭太、すっごい!」
私は圭太の首に腕を回して飛びついた。
「ううう、苦しい!重い!」
全体重をかけてぶら下がった私を、慌てて両手で抱える圭太。
「俺がいなかったら律加は餓死するよな」
「断言したね」
「だって、間違ってないもん」
チュッとキスして床に下りた。
「仕事のし過ぎで死ねるなら本望だよ、私」
「やめてー。律加が餓死したら俺、生きてる意味がなくなる」
牛丼を袋から取り出しながら、圭太が笑う。
「圭太は優しいし、すぐに伴侶が見つかるよ。私より気の利く素敵な人が」
「いやだよ。俺、再婚なんてしないよ」
「一途だなー」
「俺には律加だけ。お願いだからさ」
「なに?」
「律加が死ぬのは俺の後にしてね」
「そんなに都合よく死ねるかな」
「1日でいいんだよ。いや1分でもいいから俺より長生きして。約束ね」
「約束って言われても…」
「よし、食べるぞーいただきまぁす!」
圭太は大盛り牛丼をモリモリ食べた。
私も隣でモリモリ食べる。
どうせなら、同じ場所で同じ時間に死を迎えられたら命が消えるのも怖くないかもしれないなと想像しながら。
寝る前にメールをチェックしようとパソコンを開いた。
ほとんどが企業などからのお知らせメール。
見る必要なかったやと思ったが、1件だけ削除してはいけないものが届いていた。
『奥原です』という件名。
私の名刺に書かれていたメルアドに早速連絡してきたようだ。
中身を見ると、単刀直入な文章が3行だけ。
『絵の依頼を受けてくれてありがとう。
詳細を詰めたいと思います。
会えますか?』
「会えますか……なぜ…?」
デジタルがいいとか、ここの風景を描いてほしいとか、指示を出すことくらいならメールで十分のはずだ。
わざわざ会って打ち合わせがしたいといってきたかつての恩師。
渡良井さんには聞かせられない、秘密の話があるというなら興味が湧く。
私は少し考え、
『わかりました。
空いている日にちを教えてください』
と返信した。