第77話 デジャビュとグリッチについて聞いてみた
今回も著者の興味に走った話題である。
超常現象としては調べていながら、意外とダウジングでは確かめてなかった話題だ。
まずはデジャビュについてだ。
デジャビュは『既視感』とも言い、今、初めて体験しているはずのことなのに、まるで過去にも体験したという記憶が蘇ってくる現象である。
この感覚は若い人ほど体験しやすく、歳を取るほど減っていく傾向があるそうだ。
また初めて訪れる場所なのに「なぜか知ってるような気がする」ということで、自覚する人の多い現象でもある。
もっとも場所に関するデジャビュは、著者には記憶がないのだが……。
「守護神様。デジャビュはただの思い違いでしょうか?」
最初に科学界における解釈を尋ねてみる。
『ちゃんと記憶があって感じるものだ。学者が考えるような思い込みじゃない』
ということで、現代科学では手を出せない現象であると確定してしまった。
「では最初に私の調べた、物事が運命通りに進んでいることを確認する現象という見方が正しいのでしょうか?」
『それがデジャビュのほとんどだ。指導神と人生の方針を決める時に、運命のシミュレーション映像を何度も見せられている。その運命通りに人生を歩んでいると、ポイントとなる場所で確認するように魂に記憶された映像を思い出して見比べてしまうんだ』
「なるほど。それだと運命の選択の多い若い人ほど多く体験するというのもわかりますね」
『きみ場合はどうだ?』
「20代の頃までは良く感じてたと思いますけど、30代になったあたりからは10年に1回ぐらいですかね? 最後に見たのは何年ぐらい前だったか……」
『多くの人は30代で運命が決まるから、そのあたりを境に頻度は減るぞ』
「それに生まれる前に見た記憶ですから、古くなって忘れてる可能性もありますね」
『おいおい。運命のシミュレーション映像を見せられるのが、生まれる前だけという思い込みは間違ってるぞ』
「そのあとも見せられてるんですか?」
『何のために夢を見てると思う? 夜になるとあの世へ戻ってきて、指導神からのチェックを受けることもあるんだぞ。人によっては運命の修正があったり、再確認のために映像を見直したりということを、やってるんだ』
「私も、それを受けてるのですか?」
『その通り。歳を取っても人生から学ぶことはある。時期が近づけば、当然、念入りにチェックする。病気や災害の前もそうだ』
「災害は怖いですね。あれ? でも、病気って……」
『2023年には急性膵炎で緊急入院をしたり、手術を受けたりしただろ』
「最近見たデジャビュって、その前だったかも……」
『俺からはきみがいつ見たのかは知りようもないが、おそらく時期的に見たんだろうな』
「ホロスコープが予言してた通りの時期に病気になったのには驚きました。その運命を確認してたんでしょうかねぇ?」
『きみは対人運は壊滅的だけど、他はほぼ運命の型通りの人生を送ってるからな。と言っても最近の10年は、対人運に足を引っ張られて仕事運も苦しくなっているが……』
「私の運勢の話は良いです。それよりもデジャビュに関しては、他の世界線にいる自分から、未来の記憶を受け取ってるという説がありますけど……」
『その仮説は間違いだ。他の世界線──パラレルワールドにいる自分から過去の記憶を受け取ることはあるが、未来の記憶を受け取ることはありえない』
「ということは、記憶は過去から未来への一方通行ですか?」
『それが因果律だ。それでも別の世界線から受け取った記憶と似た状況が生み出されてたとしたら、それはこちらの世界線では、同じことが時間遅れで起きたということになる』
「じゃあ、そういう意味でのデジャビュなら、起こる可能性はあると……」
『まあ、可能性としてはあるが、かなりのレアケースだと思うぞ』
「レアでも可能性があるなら、それでいいんです。他にもデジャビュは同じ時間を繰り返し体験してるためという説もありますけど……」
『世の中には成功するか納得するまで、同じ人生を繰り返してる魂がいる。そういう魂にとっては、デジャビュが過去の経験を思い出した可能性はあるが、それを一般論として語るのには問題があるぞ』
「つまり仮説に当てはまる魂はいるけど、あくまで限定された条件での話……というわけですね」
ということで、デジャビュの話題は、このぐらいで良いだろう。
「次にグリッチと呼ばれる現象についてお尋ねします」
グリッチ。これはスピリチュアルでは、この世界のバグや不具合という意味で使われている。
元は電子機器や情報系システムで発生する原因不明の不具合を意味する用語であったようだが、のちにコンピューターゲームにおいて、好ましくない不具合を『バグ』と呼ぶのに対して、神秘的でプレイ可能な不具合を『グリッジ』と使い分けて呼ぶようになった。いわゆるある条件でシステムの判定にエラーが出て起こる、壁抜けや空間移動、無敵モードなどの現象だ。
それが近年、監視カメラなどの動画映像で見つかる、途中で人が消えたり現れたりする、見えない何かにぶつかったような交通事故が起きる、などの説明できない現象を呼ぶようになった。
また特定の人物が同じ時刻に離れた場所で目撃される、バイロケーションをも含めて呼ぶようである。
『それは世界線の影響で引き起こされる現象だ』
「世界線?」
『この世にあるすべてのものは、同じ世界線の上に乗ってるのではない。一つ一つは別の世界線の上にあるが、存在には広がりがある。そのため広がりの中にある世界線の中であれば、どこでも見えるし、触れ合うことができるんだ』
「量子力学でいう場の理論みたいなものですかね?」
これは日常の常識では考えられない不思議な科学の話だ。
量子力学では粒子の場所を特定できない。観測すればその時の場所や状態は特定できるが、観測によって状態が変わってしまうために確率でしか解釈できないという考えだ。場所や位置であれば、確率空間のどこかにあるという見方である。
ところが量子は確率空間のどこかにあるのではなく、どこにでもあるように振る舞うのだ。そのため粒子ではなく、場として扱う必要がある。世界線と人の振る舞いも、これと同じであるようだ。
『その解釈で良い。互いの世界線が場の中にあるうちは存在しているが、離れて場の外へ出た途端、まるで存在しなかったように消えるんだ』
「そんな現象が実際にあるんですか?」
『ある。普段、気づいてないだけだ。たとえ目の前で起こっても、ほとんどの人たちは消えた場合は目の錯覚や気のせい、現れた場合は見落としや死角に隠れてたという理由をつけて、常識が通るように片づけてしまうんだ』
「それが監視カメラの普及で、証拠映像として出てきたと……」
『その通りだ』
「映像の中で消えたり現れたりするのは、監視カメラのある世界線から観測できる範囲から出たり入ったりしたからという解釈で良いんですかね?」
『それで良い』
「切り貼りされた加工動画との違いは、見てわかりますか?」
『それは以前よりも難しくなったと思う。かつての動画映像の切り貼りでは瞬時に人や物が消えたり現れたりしてたから、編集したかどうかが一目瞭然だった。だが、最近は観測可能な世界線から出入りする時のように、すうっと消えたり現れたりするから……』
「そこはデジタル加工の弊害ですね」
かつての画像編集では映像を単純につなげることしかできなかったため、音声は自然に聞こえても、映像は動画にするとパタパタしたものになっていた。背景にあるものが突然消えたり現れたりするのは、この切り貼りによるものだった。
ところがAfter Effectという加工ソフトが出てきてから、切り貼りした映像の前後を自然につなげるようにデジタル加工する技術が出てきた。前後の映像でつなげる対象のないものが、このソフトによる動画加工で、画面からすうっと消えたり現れたりするようになったわけだ。
とはいえ、この加工ソフトが出てきた直後は切り貼りした前後を注意して見ると、まだ動きや姿勢が不自然に変わるという課題が残っていた。ところがここにAI技術が入ってきたことで、自然に補正できるようになってしまった。こうなると世界線の変化か編集によるものかの判断が難しくなってしまう。
まあ、それでも未編集の監視カメラ映像のものであれば、消えたり現れたりの瞬間が映っていた可能性は高いのだが……。
『ところで、きみは消えた場合と現れた場合ばかりを考えているが、入れ替わった場合については考えてないのか?』
「入れ替わることもあるんですか?」
『ある。というか、これがもっとも頻繁に起きてる。2つの世界線──パラレルワールドにいる存在の場が重なっている場合、排他律に従って1つの世界線からはどちらか一方しか観測できない。だいたい近い世界線にいる存在を見てるんだ。そのため相手の世界線との位置関係で入れ替わるのだが、その時、一瞬この世から消えて、再び現れるという現象だ』
「一瞬でも消えるのなら、気づくことはありませんか?」
『それは無理だ。消えると言っても、それは人間の目では識別できないほどの短時間だ。だから入れ替わっても見た目が同じなら、まず変わったことに気づくことはない。それどころか目の前にいる人物の服装や持ち物が変わっても、極端な話として別人に変わってたとしても、まったく気づかない人が多いんだ』
「それは、さすがに気づきませんかね?」
『そう思うか? 社会実験であっただろ。意外と気づかない人が多いみたいだぞ。違和感を覚えても、すぐ錯覚だと思って自分を納得させるそうだ』
「ありましたね。人が入れ替わる実験……。でも、そんな現象が、本当に起きてるんですか?」
『おや? 少し前に科学実験の調べ物で読んでたはずだぞ。分子構造が変わる瞬間を動画映像に収めようとしてたもの……』
「あれですか……」
この実験というのは、ある分子が異性体に変わる瞬間を映像に収めようとしたものだ。観測しやすくするために対象を熱して、異性体に変わりやすくしている。それを観測している学者は、分子の中で原子がどのように動いて、異性体に変わるのかを突き止めようとしていた。
ところが、その変わる瞬間が衝撃的だった。分子が突然この世から消えて、次に現れた時には異性体に変わっていたのだ。分子の中で原子が移動して別の形に変わるのではなかった。
これと似たような現象が起きているのだろうか。
「ん? 入れ替わりは一瞬の1回だけですか? 実験では2分近くにわたって、2つの状態で揺れていたようですが……」
『実験では分子構造が変わる瞬間を見るために、境界線となる状態を保っていたから2つの分子構造を行ったり来たりしてたんだ。そういう事情でもなけりゃ、入れ替わりは1回で済むと思っていい』
「それなら納得できました。ところで、もしかして……ですが。昔からある身体の一部が欠けた写真って、この瞬間が撮られたんですかね?」
『あの現象から、そういう理由を連想したか。まあ、その理由づけは出てきて当然だが、この世界から消えるのはシャッタースピードよりもはるかに短い何十万、何百万分の1秒という時間だぞ。だから欠損写真の原因にはならないと思う』
「あらら。それは勇み足でした……」
「それじゃ、車が見えない壁や車とぶつかって壊れる映像は、どんな感じですかね? 事故車同士は近い世界線にあっても、どちらか一方が監視カメラの捉えられる世界線の外にあったという感じでしょうか?」
『その事故に関しては、そういう解釈で間違いないだろう。それがCGで作られたフェイク動画でなければ……だがな』
「フェイク動画……ですか?」
まさかと思ってネット検索をしたら、本当にそういうフェイク動画が作られてる事実があった。
かつてはホンモノの車をぶつけて撮っていた事故シーンを、近年の映画やドラマではCGで済ませている。その時に使ったと思われる衝突シーンの1台だけのものを、交通監視カメラの映像などに重ねたものが世の流れているようだ。
『そういうフェイク動画は、あまり好ましくないな。あまりにも精巧に作られると、ホンモノの動画までニセモノ扱いされてしまう』
「世の中には意図的に捏造された不正論文や映像によって、真実が見えなくなるケースが過去何回もありましたもんね」
ピルトダウン人、旧石器捏造事件、縄文人と弥生人の骨格比較写真、……。
他に学説でもないのに、国や御用学者が勝手に教科書に載せてしまったものもある。中国や韓国の捏造の歴史は有名だが、日本では地学界で確定した考え方でもないのに、地理学者が勝手に『死火山』『休火山』などを使いだして、後世の火山学者が間違ってるとは気づかず学界の常識としてすり替わっていた例もある。古代文明論にある『四大文明論』も明治時代に出てきた中国人ジャーナリストの妄想なのに、今では東アジアの教科書のみだが載っている間違いだ。
多くの人が間違いの方を正解だと信じてしまうと、その社会ではますます真実が見えなくなる厄介なことになる。
少し異なるケースだが、ナチス・ドイツがやったユダヤ人虐殺を指す言葉として『ジェノサイド』が作られたのに、国際的なメディア戦略によっていつの間にか『ジェノサイド』は無差別大量殺人を意味する一般名詞に変えられてしまった事実もある。それに替わった「ホロコースト」は、終戦直後は広島長崎に落とした原子爆弾による市民殺害のことだった。本来はキリスト教の『燔祭』の意味で、神様への捧げ物を火で焼き尽くして天へ送る儀式だ。そこから被爆者を焼き尽くした核兵器の使用を意味するようになったのである。だが、これは核兵器を正当化したい国連常任理事国には都合の悪い言葉だったのだろう。朝鮮戦争の頃から時間をかけて言葉のすり替えが行われ、1980年頃には完全にすり替えられていたと思う。
キリスト教徒の人たちには、自分が敬虔なクリスチャンを気取ってるのなら、ナチス・ドイツの蛮行は否定しないが、それを『ホロコースト』と呼んでいる違和感に気づけと言いたいのだが……。
「では車の前輪がいきなり跳ね上がって、後ろにひっくり返されたり、横倒しにされたりする現象はどんな感じでしょうか?」
『その映像の多くは世界線とは関係ないと思う。映像では見えづらいだけで、垂れ下がった電線やワイヤー、ないしはすれ違った対向車が引きずってたものによって起こされただけだろう。もちろん垂れ下がった電線などが離れた世界線のものだった場合は、映像にはカケラも映ってないという可能性までは否定しないが……』
「車が跳ね上がる事故に関しては、そういうケースは散々言われてますね」
この現象動画に関しては、今回のグリッチとは関係がなかったようである。
「では最後に、バイロケーションについては、実際に起こるんでしょうかね?」
特定の人物が同じ時刻に複数の場所で目撃される現象だ。
『それは見間違いの可能性もあるが、事実なら世界線を移動して起きたマンデラ効果の一種だと思うぞ。世界線を動いたのが自分か、問題になった人物の方かは不明だがな。それに場が重なっていた場合は、どちらか一方しか存在できないとは言ったが、同じ世界線の上でも場が重ならないのであれば、複数の場所で目撃される可能性までは否定できない』
「なるほど、別の世界線で目撃した可能性ですか。私は経験がないですね」
『それは思い出せないだけだろ。誰もが人生で「おまえ、この前ドコドコに行ってただろ?」「いや、行ってない」という会話を何度も経験してるはずだ。まあ、否定されたら他人の空似で済ませるだろうが、中には腑に落ちないケースもあるはずだ』
「そう言われると、私は人に『この前ドコドコで見かけたけど、買い物?』みたいな話の振り方はしませんからねぇ」
『つまり、きみの場合は体験していても、それは相手のプライバシーとして確認してこなかっただけ……というわけだ』
「だから記憶にないと……」
『だが、相手から話を振られて否定することは、よくあっただろ』
「日常会話として、そういう話の振り方が好きな人もいますよね」
『バイロケーションとは違うが、マンデラの方で中学3年生の時に、かなりすごいものを経験してるぞ』
「中3の時? 何かありましたっけ?」
『転校直後だ。1人で街を探検してたはずなのに、クラスの女子から「姉と一緒にいた」と言われただろ』
「ん? そう言われると、そのようにからかわれた記憶がよみがえってきました。とある有名なお寺で目撃されたんですよね。転校から数日はまだ近道を知らないから、大きな道を使って大きく迂回するように登校してましたけど、そのお寺から裏道に入ると学校まで斜めに行ける近道があると知って……」
話題の中3の時の話であるが、それは小さな町から県庁所在地のある大きな都市へ転校した直後にあった話だ。転校直後は大きな商店街が物珍しかったのと、新しい通学路の開拓で毎日のように出歩いていたのである。
最初は道に迷わないようにわかりやすく、まっすぐに伸びた大通りを通学路としていた。最初の登校時は神社の表参道をまっすぐに進み、やがて東西に走る大きな道と交わるので、その交差点で東へ曲がって道なりにまっすぐに進めば、やがて中学校の正門が見えるという遠まわりだがわかりやすいコースだった。
だが、そのコースを使ったのは1回限り。行く途中で見つけたが、大きなお寺の表参道の方が道が広くて多くの商店が並んでいた。ここを使うとお寺の中を通り抜けることになるが、帰りはかなり道をショートカットできることに気づいた。このお寺がランドマーク兼通学路になる始まりだ。
このあとお寺の表参道をまっすぐに進まず、宿坊のある裏道へ入っていくと、途中から学校へ斜めに向かって裏門から入る近道が見つかった。問題の日はその裏道に入り、学校の裏門から入るのちの通学路を見つけた日の話だ。
たしかその時も1人で街を探検してまわってたはずだが、翌日、クラスの3人の女子から「きれいな高校生のお姉さんと一緒にお買い物したあと、◯◯寺にいってたでしょ」とからかわれた。街で見かけ、好奇心を持った女子たちがしばらくついてきてたというが……。
『あれな、おそらくパラレルワールドのきみたちを見たんだと思う』
「パラレルワールドの……きみたち?」
『きみがこの世界線では存在しない姉として生まれて、きみの肉体には別の魂が入る世界線だ』
「ありましたねぇ。そんな世界線……」
二児として生まれる世界線の話だ。
『クラスの女子たちがひと目見て「姉だ」と思ったのは、きみの身長が160cmで姉が166cmと、まだきみの方が小さかったからだ。それに、きみと姉は良く似ている。そして何より、クラスの女子たちには中学で見かけたことがないから、「じゃあ、高校生だろう」と決めつけたのだろう』
ちなみに中学生だった頃の著者は比較的小柄だった。中学に入った頃は136cmで、学年で2番目のチビだった。中3になった直後の身体測定で、ようやく160cm台に届いたという感じだ。これが卒業時には170cmになったこともあり、この中3の頃が、やたらと貧血で倒れることの多い時期だった。そして、この身長の伸びは大学に入ったあとまで続き、最終的に177cmになるとは思わなかったが……。
「ん? 姉は166cmもあったんですか?」
『最終的には168cmだ。男女の身長差の平均は13cmだから、きみがスポーツをやってたら180cm台になるポテンシャルを持ってたのかもしれん』
「なんか。良いのか悪いのか、ビミョーなことを聞いてるような……」
話題とは関係のない部分に喰いついてしまった。
ちなみに過去にも書いたが、小さな町の中学校は封建的なところで、生徒に自由はなかった。部活も自由に決められず、入学時の身長でスポーツは無理と決めつけられ、無理やり吹奏楽部に入れられたので徹底的に幽霊部員を決め込んでいた。というか教師に反発して部活動をしない生徒が多かったなぁ、あそこ……。
「それで、クラスの女子たちは、本当にパラレルワールドの私たちを見てたのですか?」
『確定はできないが、状況から考えると、それが一番しっくり来る。というか、きみ、子供の頃から何度も同じことを聞かされ続けてきたせいで「女の幽霊に取り憑かれてる」と本気で気にしてた時期もあっただろ』
「あぁ〜。そんな記憶、うっすらとあったような……」
この一件のあったあとが、もっとも気にしてた頃だったかもしれない。あのあと黒歴史として、すっかり記憶を封印してたかも……。
あくまで可能性ではあるけど、クラスの女子たちは街で見かけた転校生が男女ペアでいるのを見かけたから、好奇心を感じてずっと尾行していたのだろう。
ちなみにその日は、商店街の裏に近道がないかと探していたが、良さそうな抜け道がない上に道が入り組んでいたため、途中で迷子になってしまった。そこでランドマークにしてた大きなお寺へ向かおうと、とにかく知らない繁華街を通って表参道に出た。お寺にさえたどり着ければ、迷子になっても家を見失うことはなかった。
そのお寺まで戻ったあと、今度は宿坊のある裏道へ入ってみようと思った。その奥まで行った時に、思わぬ方向から同じ中学に通ってると思われる生徒が下校してくるのが見えた。それでここが通学路になってる可能性があると当たりをつけて道を逆にたどっていくと、中学校の裏門を見つけたのだ。
余談であるが、その場所にはすごく見覚えがあった。実はイトコがその近くに住んでいて、まさか見知った景色が通うことになった中学校の裏門からのものだと知ったのだ。だからこそ、そのあとはすんなりと道を把握できた。
一度学校の裏門に着いたあと、そのまま帰宅する生徒の後をつけるように、のちの通学路になる道を帰っていった。後をつけたおかげで、車では入れない隘路を見つけた。これが予想以上のショートカットだった。
その時にはクラスの女子たちとは出会ってないのだが、いったいどこまで付いてきてたのだろうか?
「ところでクラスの女子が姉を見てたということは、彼女らはあちらの世界線の方が近かったんでしょうかね?」
『その可能性はあるが、その時の意識がどちらへ向かったかまではわからん。あくまで可能性の話だ』
不思議な話ではあるが、昔から感じてた謎の一つが見えた気がする。
「話ついでに、パラレルワールドにいる世界線の中学では、姉は何組にいたんでしょうね?」
ちなみに私は2組である。
『7組だ。これ、どんな意味かわかるだろ』
「私を妙に気に入ってくれていた国語の先生が担任だったクラスですね。英語の先生に嫌われてたこともあり、その先生に英語を教えてもらったこともありましたし……」
『それよりも国語の授業で短編小説を書く課題があっただろ。あの時の指導で、運命で作家になる方向を作ってくれた恩師だ』
「そうなんですか?」
『そうだ。あの時に指導されながら短編を仕上げた経験があるから、あとで書き始めようと思うキッカケになったんだ』
「不思議な縁ですね。それが姉のいる世界線だったら、姉が……ですかね?」
『そういうことだ。その中には短編を書き上げられず、作家にはならない世界線もある』
時々、思い出すことがあるのも、それなりに縁があったからかもしれない。
「ところで今回の話題にしたグリッジを使って、チート行為をしてる人たちはいませんかね?」
『それはない。というかグリッジは世界線の変化で起こる結果だ。グリッジが起こされるケースはあるが、1回限りだからゲームのように利用できるものじゃない』
「あらら。言われてみると、そうかも……」
ということで、今回の話題は以上である。




