第59話 自殺とヒヨコについて教えられたw
「守護神様。何ですか? この死ぬ瞬間には、極上のエクスタシーを感じるって情報は?」
『そこに書いてある通りの内容だぞ。それと関連した話で、長く苦しんできた人ほど死ぬ時が近づいてくると、苦しみが晴れて恍惚感や幸福感に浸るという話もあるぞ。きみが聞き知った話の中にも、自分の死に様を実況しながら亡くなったお爺さんの話があるだろ?』
「病院での話ですよね? 集まった親族の前で自分が天に召していく瞬間を、実況しながら亡くなった豪快なお爺さんの話……」
『そうそう、その話だ。多少の誇張はあるが、おそらくは事実だと思うぞ』
「それはマジ……ですか?」
話題に出たお爺さんの話は、次のようなものだった。
長い闘病の末、命の尽きかけたお爺さんのところへ、最後を看取ろうと大勢の親族が集まってきていたそうだ。その中でお爺さんは息も絶え絶えな声で、集まった親族一人一人に別れを告げていた。長患いのために、すっかり体力が衰えていたそうだ。
その時、お爺さんは何かを感じて、お迎えが来たと悟った。そこからお爺さんは、今、自分の身に起きていることを実況し始める。
最初は「爪先から魂が抜けていくようだ」と語ったらしい。それが徐々に上がってきて、「腿のあたりまで来たぞ」「腰まで来たぞ」と言い続けた。やがて「手からも抜けていく」「胸まで来た」というところから、徐々にテンションが上がり始めたそうだ。先ほどまでの弱々しい口調がウソだったような声で、熱く実況をしている。まるでテレビのレポーターのような口調に変わったらしい。その後も感覚は首を通って口、鼻、目と上がっていったそうだが、口は止まらず熱く語り続けていたという。そして「もう少しで脳天に到達します。頭から抜けそうです。それではみなさん、さようなら〜」とお別れを告げると、そこでパタっと息を引き取ったという話だ。
当然の話であるが、お医者さんが「ご臨終です」と告げたあとも親族たちはあまりの出来事に呆気に取られて、しばらくの間、誰も泣きださなかったらしい。
この場に立ち会ったお医者さんには、その時の心情を聞いてみたいものである。
『そのお爺さんの話だがな。もしかしたら魂が抜けていく時の快感で、実況のテンションが上っていった可能性があるぞ。何よりも胸を過ぎたあたりからテンションが上り始めたのは、そこで息苦しさを感じなくなったためとも考えられる』
「何にも言えねえっす……」
その話に、いったいどんなコメントをすれば良いのやら……。
「死ぬ時の快感なんて、本当にあるんですか?」
『それがなかったら、肉食動物に食い殺される小動物が可哀想じゃないか』
「小動物……。ああ……」
捕食者に捕まった瞬間、倒れて痙攣を起こす個体がいる。たぶんそれが、
「死ぬ前に食い千切られた痛みで苦しまないように、脳が快感物質を……って話ですか?」
今はどのような説明に変わってるか知らないが、小動物や羊などでも見られる現象だ。
日月神示にも食べられると魂が出世するから嬉しいとあるし……。
『快感物質がどーのは知らんが、最期の瞬間の痛みや恐怖を和らげるために起こる仕組みだ。事故や殺人で亡くなる人は一瞬だったりショックが大きかったりで、エクスタシーを感じる暇はなかっただろう。だが、老衰を含めた病死や餓死などで、ゆっくりと衰弱しながら亡くなっていった人の場合は、けっこう長い時間にわたって──人によっては亡くなる三日前あたりから快感にさらされることがあるんだ』
「お迎えが近づくと苦しみが和らいで、一時的に表情が穏やかになる人がいると言いますものね」
『まさに、それだ。そのエクスタシーが強すぎると、死んだあとになって亡くなる前後で体験した快感が忘れられず、クセになってしまう魂がいるんだよ』
「クセになる……ですか?」
『そうだ。死んだ時の快感を、またすぐに体験したいという魂がいるんだな』
「え? そのためには生まれ変わって、死なないといけないじゃないですか」
『そうなんだよ。それが自分でも理由のわからない死にたがりの正体だ』
「生まれ変わって過去生の記憶を忘れていても、魂は快感を渇望し続けてるってことですかね?」
『だいたい、そんな感じだ。しかも快感を得た時の詳しい記憶がないために、単純に「死ぬ」と「快感」が結びついてしまって、手段を選ばない死にたがりになるんだろうな』
「それで自殺願望になる人はわかりますが、危ないことを好む方の死にたがりは?」
『頭のどこかに「自殺は悪いこと」という意識が残ってるんじゃないのか? 知らんけど……』
「それでスリルも快感になってるんですかねぇ? あくまで想像ですけど」
『とにかく……だ。受け持ってる魂に、そんな理由で勝手に死なれてみろ。俺みたいに守護してる者からしたら、堪ったものじゃないぞ』
「あ、だから待ち合い室に放置したくなるんですねぇ」
ここでいう待ち合い室というのは、死後、三途の川などの映像を見せる空間のことだ。詳しくは第五話や最近では第五六話で触れている。
『あと、そういう死にたがりの魂だけどな。まれにすぐに殺される生き物に紛れ込んでるらしいぞ』
「それは、オスのヒヨコとか……ですか?」
『その通りだ。経験値稼ぎのワンダラーが多く潜り込んでるのは知られてるが、ごくまれだが快感を求めた魂も宿ってるらしいんだ』
これは第二一話で話題に出た、養鶏場ですぐに殺されるオスのヒヨコに関した追加情報である。
「私が守護神様や指導神様の立ち場でそういう魂に気づいたら、すぐに運命を書き換えて、ニワトリのまま寿命をまっとうさせてやりたいですね」
『ははは。俺も同感だ』
「そういうニワトリは、自分からネコに近づいていったりするんでしょうかね?」
『その前にニワトリに宿ったせいで、考える力をすっかり失ってるかもしれんぞ』
「それはそれで下手に快感を得るよりも、幸せになってるかもしれませんね」
おかしなマゾになるよりも、魂的には健全かもしれない。
「そういう魂は、ウシやブタには生まれないんですかね?」
『オスのヒヨコなら生まれた翌日には殺されるのに、ウシだと殺されるまで二年、早いブタでも七〜八か月はかかるんだぞ。手軽に自慰行為をしようとしてる魂が、選ぶと思えないぞ』
「いたとしたら、そうとうな迂闊者でしょうかね?」
『ははは。そんなヤツが一人や二人は、いるような気がしてきた』
世の中に絶対はないからねぇ。
「守護神様。今回の話題は、このぐらいですか?」
『今回は雜談だけのネタ回みたいなものだから、これで十分だろう』
ということで、今回はここで終わりである。




