第56話 自殺について聞いてみた
世の中には自殺をすると悪霊になるとか、地獄に落とされるとか、何もない空間に一人ぽつんと閉じ込められるとか、時間が止まって延々と自殺する瞬間を繰り返すとかいう話が流れている。
自殺については第三四話の死神の話で「自殺した人の魂の回収について」は触れているが、自殺そのものには触れてなかったと思うので、この機会に触れてみることにする。
「守護神様。スピリチュアル情報で流れている自殺した人の末路ですが、どこまで事実が語られてるのでしょうかね?」
『それは難しい質問だな。自殺した魂についてはケース・バイ・ケースが多すぎて、答えようがないとしか言えないぞ』
「最初の悪霊になるケースは、実際にありますか?」
『そりゃあ強い怨みを抱いて自殺した人が、自分を追い込んだ相手を呪うケースはある。だが、死んじまったら呪えるかどうかは運任せだ』
「呪いに運があるんですか?」
『簡単な話だ。まずは霊体になった時に騒霊現象を起こせるほどの能力があるかどうかだ』
「あったら?」
『力が強かったら、立派な悪霊になれるぞ。霊障で事故を起こせば、相手をいくらでも取り殺せるだろ』
「怖い、怖い、怖いです。そんな悪霊の話、聞いたことありませんよ」
『そりゃあ、そうだ。そもそも、それほどの力を持った魂は誰かから悪意を向けられても、そうそう自殺にまで追い込まれない。守護する神や霊も強いからな。だが、悪質な連中から執拗に狙われて殺され、その怨みから悪霊になるというパターンはある。まあ、その時はやらかした連中は殺された本人の怒りだけでなく、間違いなく神からも不興を買ってるから天誅は避けられないだろうな』
「それ、菅原道真とか、平将門……ですか?」
『その二人は怨霊になってないぞ。とはいえ、やらかした連中は神を敵にまわしたんだ。死んだあとも閻魔裁判やら何やらで罪を問われて、魂を灰にされるか、良くて草木からのやり直しだ』
「自分の身勝手から始まったことですから、そうなるのは自業自得ですね」
今の時代、すでに神様を怒らせた一〇〇万人近くが死後、魂を灰にされることが確定し、すでにセントラル・サンへ連行されて刑が執行された人も出ている。このあたりは第四一話で触れた話題だ。
『さすがに相手を殺せるほどの霊障を起こせないレベルになると、あとは本当に運だ』
「呪いに運って……、想像できないんですが……」
『理屈は簡単だ。呪おうとする相手に霊感があるかどうかだ。呪おうにも、相手に存在を気づいてもらわないと呪いにまで至らないんだ』
「気づかないと呪えないんですか?」
『そうだ。だが、気づくだけじゃダメだ。呪いってやつは、一種の思い込みだ。相手にカケラでも罪悪感や良心の呵責がないと呪いにはならん。目の前に現れても、「なんだ、こいつ?」で終わったら、思い込みからの呪いにはならないんだ』
「夢の中でも見たら、それは呪いになりませんか?」
『きみねえ、食べられた魚が怨んで夢の中に現れたと考えてみろ。「怖い」と思うか?』
「それは……思いませんね。それどころか『夢で見るほど美味しかったのかな?』なんて思って、また近いうちに食べようとか思うかも……」
『悲しいけど、それが世の中だ。それに獣までの魂には、殺されたことを怨むな。食べられたのなら、それは魂が出世する喜ばしいことだと教えている』
「そんなフレーズが、日月神示にもありましたね」
『だが、人として生まれてきたら、獣の時代のままの弱肉強食は許されない。何事にも競争は必要だが、それよりも魂は「愛」を学ぶことが最優先だ。それなのに魂が獣のままの相手を見つけたら、多くの神は「こいつはまだ人間になってはいけなかった」と感じるはずだ。場合によっては「こいつは再教育できそうもない」と思うかもしれん』
今の時代、そんな人が増えてるよね。
「今の話で気になったのですが、その理屈でいくと、呪いで殺された人には情状酌量の余地があるってことですか?」
『そうだ。ただし「神を怒らせてなければ」という前提付きだな。もっとも、殺されたら殺されたで逆怨みして悪霊になっていく者もいる。このあたりが厄介なんだよなぁ」
「あのぅ、悪霊になって相手を呪い殺した人は?」
『自分を自殺に追い込んだ相手への怨みは果たせたんだ。そこで満足して自然と成仏する。呪いに失敗した場合も、どこかであきらめて天に還っていく。そもそも、そういう人は関係のない人には危害を加えない。だから自殺者が悪霊になるケースはあるにはあるが、誰にでも害を与える危険な悪霊にはならない。遅かれ早かれ最後には天へ還っていく一時的なものだ』
「じゃあ、自殺者が悪霊になるという話は……」
『一般的な悪霊のイメージで考えるなら、滅多に無い話だと思った方がいいだろうな。むしろ自殺に追い込んだ連中が取り殺されて悪霊化していく現象が、傍からはそう見えたんじゃないのか?』
誰かを自殺にまで追い込んだら、やった人の方が悪霊になる。そういう話だった。
「自殺したら地獄に落とされるという話は、どうなんでしょうか?」
『死後の世界に地獄なんか無いぞ。無い場所には行けないだろ』
「これも日月神示に書かれてある通りですね。地獄はないから、行きようがない。むしろ平成時代の日本が、一番の地獄だったと……」
『日本社会が地獄なのは、あと一年とちょっとか……。無事に終わると良いな』
「それも心配ですよねぇ」
日月神示の中では、二〇二四年の七月に世の立て替えが終わり、それと同時に日本の地獄も終わると語られている。そのためのグレンがいよいよ始まったそうだ。
だが、日本の政治家や官僚、財界人エリートたちの腐敗がひどすぎて、終わりの予定が数か月延びたという情報も流れているが……。
「自殺をしたら何もない空間に閉じ込められるという話は、どうなのでしょうか」
『あれは臨死体験で、三途の川やお花畑などを見る待ち合い室みたいな空間だ』
このあたりの話は第五話で触れている。
「一応、自殺したあと、三途の川までは行ってるんですね」
『運命通りとか、守護神や指導神が認めた自殺ならちゃんと映像を用意しておくが、認めてないのに勝手に自殺した場合は、守護神の方も映像を流さず、そのまま何もない空間にしておくことがあるんだ。その記憶が伝わったんだろうな』
「その時の守護神様は、魂を回収しないのですか?」
『それこそ自殺の理由によって、ケース・バイ・ケースだ。人生の課題からの逃避だとわかったら、予定してた寿命まで何もない空間に放置するとか、指導神と相談してすぐに次の肉体を用意して放り込むとかだな。後者は課題をクリアするまで何度でも似たような人生を繰り返すことになるから、あまり好ましい自殺とは言えないぞ』
話があまりに単純明快過ぎて、何も言えない……。
「……ん? 神様が認めた自殺というものもあるんですか?」
『そりゃあ、あるぞ。まず生まれる前に定めた使命や課題の中に、自殺が含まれている場合だ』
「そんな場合があるのですか?」
『そこは人生の課題を決める指導神が何を考えてるかだ。最後に自殺を選ぶ人生を与えられた魂の話はあるが、さすがにそういう課題は極論すぎるだろうな。とはいえ課題をやり遂げる最後の選択肢の一つとして、自殺が示されている場合は少なくない。まあ、生き物の本能として、選ばない人は多いのだがな』
「そういう話は、想像しづらいですね」
『それと意外と多いのが想定外の問題が起きて、使命を果たせなくなったとか、課題となるこの世の行ができなくなった場合だ。これは傍目には良い暮らしをしていても、魂としては人生が詰んだ状態だな』
「そんなことが起こるんですか?」
『親や学校の無理解で重要な才能を潰されたとか、後戻りできない袋小路に入ってしまうとか、年齢的なリミットを超えてしまうとかだな』
「それは……誰にも起こりそうですね。その場合、どうなるのですか?」
『その時は三者面談だ』
「三者面談?」
『夜、寝てる時に魂をあの世へ戻して、指導神や守護神と今後の方針を話し合うんだ』
「それで新しい課題を設定するんですか?」
『そういうことは滅多にしない。当人が自分で新しい目標を見つけていたら話は別だが、そういうことがない場合は、いつ、どのように人生を終わらせるか、それを話し合うんだ』
「それは怖い話し合いですね。その場合、どのような終わり方になるのですか?」
『最初に検討されるのは事件や事故の被害者役だ』
「あれ? そういう被害者役って、因縁ミタマが担当するんでしたよね?」
『その通りだ。だから被害者役が検討されるのは因縁ミタマに限られる。で、被害者役の次に検討されるのは、病気か加害者のいない単独事故での終わり方だ。これで終わりが決まった魂は、その前に自殺しても黙認されることになっている』
「終わりが決まってるのに、自殺しちゃうんですか?」
『そのあたりは人によるぞ。意識はしてなくても、魂が自分の死ぬ時期を知ってるんだ。比較的魂が成熟した人たちは、亡くなる前に生前にお世話になった人たちにあいさつ回りみたいなことを済ませようとする。この機会に生まれ変わったみたいに何かに挑戦してみる人もいる。その一方でまだ魂が若い人は時を待たずに自殺することがある。肉体で見たら精神的に不安定になったようになってるが、魂で見たら次が決まったんだ。気持ちが逸って、もう来世に向かってしまってるんだな。これは仕方ない。これに近い形だが、危ないことに挑戦して死期を早める人もいる。このあたりの行動は十人十色だ』
「ところで魂の行として人生が詰んだ人は、死ぬしかないんですか?」
『もちろん、先の人生が使命にもこの世の行にもならなくても、そのまま肉体の寿命まで生きるのは自由だぞ。それを決めるのが三者面談の意義だ。どうしても被害者役が足りない場合は説得するケースもあるが、基本的には人生を終わらせるかどうかを決めるのは当人だ。よほど目に余るようなことがなければ、神が強制することはない』
「長生きを選ぶ人と、早めの死を選ぶ人にどんな違いがあるのでしょうね?」
『それこそ人によるとしか言えん。よく「家族がいる人は長生きを選び、単身者は死を選ぶ」なんて話も聞くが、あくまで傾向の話だ』
「寿命の比較では、単身者ほど早死にすると言いますもんね」
とはいえ芸術家やクリエーターの場合、昔から独身のまま九〇歳まで生きたという人の話はよく聞く。そういう人が目立つというだけで、実際にはどうなのだろうか。
「あと自殺するとそこで時間が止まって、同じところで何度も自殺を繰り返してるなんて話をよく聞きますけど……」
『あれは自殺した魂が繰り返してるんじゃない。低級霊が自殺を真似てるだけだ』
「真似てるだけ……ですか?」
『いわばオウムみたいなものだ。低級霊には意味はわかってないだろうが、なんかショッキングなものを見たので、それを真似て繰り返してるんだ』
「たしかにオウムみたいですね。でも、なんで、そんな真似をするんですかね?」
『それもオウムと同じで、低級霊にとってのコミュニケーションなんだろ。真似てみて、それに周りが反応したから気を良くして繰り返す……ってな。真似ても誰も反応してくれなかったら、やるだけ無駄だろ』
「ああ、たしかに……。日常の一コマを切り取って真似ても、あまりにも日常的過ぎるとスルーしちゃいますもんね」
なんとも呆気ない理由である。
「そういえば自殺スポットってあるじゃないですか。あれは悪霊が引き寄せてるんですか?」
『そういうケースもあるが、それよりも「悪い引き寄せの法則」だな。自殺願望のある人が、自殺スポットのウワサを聞いて集まってくるパターンが多いと思うぞ』
「じゃあ、まったく自殺願望のない人がそういう場所へ行っても、自殺はしないってことですか?」
『それこそ場所による。誰かを取り殺そうとする悪霊が引き寄せてる場合もあるし、自殺のウワサを聞いて悪霊の方が集まってくる場合もある。そうなったら自殺願望なんか関係なくなるが、そのあたりは一般論では語れない話だ』
「そこは厄介ですね。その悪霊に捕まって自殺しそうになったり、すでに自殺してしまって悪霊に取り込まれそうになってる場合は、死神たちが救出してくれるんでしたっけ?」
『一応は、そういう手筈になっている。とはいえ今は死神のなり手が少なくて、救出に人手を割くのは難しいな。俺たち守護神が持ちまわりで見回りをしてるけど、あまり期待してくれるなとしか言えない』
「昨今流行りの心霊スポット巡りですが……」
『君子危うきに近寄らず。あまり好ましい風潮ではないから、冷やかし気取りでいくのはお薦めできないぞ』
「で、ここまで自殺した魂がどうなるかという話題をしておきながら何ですが……。そもそも論として自殺というものは、神様から見て……というか魂の行という観点から見て、どういう扱いなのでしょうかね?」
『自殺を十把一絡げで語ってくれるな。自殺に良いも悪いもない。殺人も平時には犯罪だが、有事で殺しに来てる相手に対しては正当防衛だ。どちらも時と場合による』
「じゃあ、悪い自殺というのは?」
『もちろん、この世の行から逃げ出す自殺だ。これは対戦ゲーム中に、相手に勝てないと見るや盤面をひっくり返したり、リセットしたりする失礼極まりない行為と同じだな。そんなことをしたら神からの心象は悪くなる。子供を押し入れに閉じ込める感覚で、何もない空間に入れたまま放置したくなるのもわかるだろ?』
「反対に、必要な自殺はあるんですか?」
『あるぞ。まず指導神が自殺を人生経験の一つと考えてる場合は、すでに語っておいたな』
「運命の選択として、自殺が含まれている人生の場合ですね」
『それから薬物やネガティブな波動などで魂が汚染されてる場合の治療だ。こういう魂は汚染を浄化するために、課題を設定せずに地上に生まれてもらうんだ。肉体の成長が浄化を早めるから、体が大人になったところで自殺すれば二〜三回の生まれ変わりで魂の治療は終わる。一〇代、二〇代の死にたがりの中には、そういう治療目的で生まれてきてる魂もいるんだ』
「それは私たちの常識や良識に反しますね」
『今の人間の智では、そうなるだろうな』
ここは第一三話で触れたネガティブな魂についての補足になる。
汚染の中には不適切な輸血や臓器移植によるものもあるが、今の医療技術では防げない問題である。
「……ということで、だいたい語り尽くしましたかね?」
『今回はこのくらいでいいんじゃないか? 何か語ることが出てきたら、その時にまとめればいいさ』
ということで、今回はここで終わりである。




