第31話 霊格カテゴリーと仕事について聞いてみた
『働かざる者、食うべからず!』
「守護神様。いきなり、どうしたんですか?」
『これは日月神示では否定してる考えだが、カテゴリー二以下になった世の中では当たり前のように使われるようになった言葉だな』
「むりやりカテゴリーの話題に絡めてきましたね。でも、言葉の元は新約聖書ですよ?」
『邪神に乗っ取られた宗教の言葉に、普遍の真理があると思うか?』
「辛辣な物言いですね」
『もっとも、今言われてる「働かざる者、食うべからず」は百年前に使われるようになった、みんなの好きな共産主義思想だけどな』
「皮肉もいいです」
ということで、今回は霊格カテゴリーと仕事についての話題である。
『今の地球は世の中がどんどん地獄化してきたから、本来は楽しいはずの仕事が苦しいものに変わっていってるのが神にとって悲しい状況だな』
「昔の肉体労働と比べたら、むしろ楽になってるように思いますが……」
『それは間違ったイメージだ。というより、それこそがカテゴリー一で物事を見るようになった弊害だ。これはかつて多くの人が従事していた農業で考えるとわかりやすいと思うぞ』
「農業ですか?」
『まず農耕が始まる前の狩猟採集時代は、食料集めや寝床作りに一日二〜三時間。一日に最大でも六時間、週一六時間程度の労働時間で済んでいた。これが人類にとって、遺伝子に刻まれた最適な労働時間だと思ってくれ』
「週一六時間。短いですね」
『これが農耕時代に入っても、初めの頃は農繁期を除くと、ほぼ似たような労働時間だ。仕事をするのは日の出から日が高くなるまで。夏場になると午後は暑くなるから、涼しい日陰でのんびりと体を休めつつ遊んだり、趣味に没頭したりする暮らしだ』
「農家の夏というと、雑草取りで毎年、何人も熱中症で亡くなってますよね?」
『それこそが世の中の霊格カテゴリーが落ちて、生きるための仕事で体を壊したり、命を落とすようになった呪いだ』
「それって、熱中症ですか?」
『雑草取りの方だ。そもそも雑草取りに手間がかからなければ熱中症にはならないし、長時間の作業で腰を痛めたりもしないだろう?』
「世の中の霊格カテゴリーが高くなると、雑草が生えなくなるんですか?」
『そんなワケあるか! 世の中が悪くなった影響が農作物の育て方にも出て、仕事がつらくなるんだよ!』
「田畑に影響が出るんですか?」
『出る。カテゴリー四以上の世の中だと、生きるための仕事は週一六時間労働が当たり前だ。その仕事もイヤイヤするものではなく、一つ一つが喜びだ』
「そうなんですか? なんか、やりがい詐欺のようなことを言ってますけど……」
『それこそが今の世の中に毒されてる物の見方だ。これがカテゴリー三に落ちるとイヤイヤする仕事やつらい重労働が出てくる。だが、先も言ったように、この段階ではまだ週一六時間の辛抱だ。それで何不自由なく暮らせるから、残る時間はすべて自分の自由にできる。週一六時間以上働いてる人は、その仕事が好きで続けているにすぎない』
「カテゴリー三でも、今の時代から見たら理想郷ですね」
『これがカテゴリー二に落ちると搾取が始まって労働時間が長くなる。重労働も増える。だが、まだ理不尽な労働は少ないし、重労働もそれに見合った賃金がもらえるから苦労を受け入れる人は多い。それに自然をあるがままに受け入れるから、このカテゴリーでの農業は気候や風土を無視した無茶な農耕はやらない』
「重労働は、どうして増えるんですか?」
『霊格カテゴリーの高い世の中では、重労働にならないように創意工夫するからだ。ところがカテゴリーが落ちるとそういう知恵が働かなくなり、あらゆる場面で仕事が大変になるんだ』
「今でも創意工夫はあると思いますよ?」
『そりゃあ、どこにだって工夫はあるさ。だが、それ以上に手っ取り早く片づけようとしたり、おかしな慣習を持ち込んだりするから多くの仕事が大変になるんだ』
「具体的には、そんな感じですか?」
『カテゴリー一になると実業家や経営陣が、目先の損得で仕事のやり方を決める傾向がある。その結果、公害や自然破壊なんかを起こして、大勢の人に迷惑をかけるのが良い例だ』
「なるほど」
『またカテゴリー一では出世欲だけで視野の狭い無能が出世しやすくなる。そういう無能が職場に意味のない作法や理念を持ち込んで、部下に余計な手間や負担をかけさせることもある。平成時代の日本に蔓延した「仕事道」なんか馬鹿の極みだ。仕事を楽しむ人の、どこが不マジメだ? 誰もが人生の多くの時間を仕事をして過ごすんだぞ。だったら、楽しんだ方がいいじゃないか。それに仕事中、少し席を立ってストレッチしたり、生理的欲求でお手洗いへ行くことの、どこがサボりだ? 我慢させた方が仕事の出来が悪くなるだろうが』
「仕事中に席を立つと罰金を科すような、おかしなブラック職場があったらしいですね」
日月神示の予言で平成時代から三〇年間、日本社会が地獄の最底辺まで落ちるというのが、まさに職場におかしな空気が広がったことを言ってるのだろう。
『それで話を農業に戻すが、農作業もカテゴリーが落ちると苦労が増えるんだ。カテゴリー三以上は種蒔きやちょっとした手入れ以外はほとんど手がかからんぞ』
「ちょっとって、どんな感じですか?」
『放し飼いの牧場……。いや、栽培漁業のようなものだな』
「栽培漁業? なんですか? それは……」
謎の言葉が出てきた。
『きみだってよく知ってるだろ。自然に戻しても生き残れる大きさまで育てた稚魚や稚貝を海や川に放流して、あとは自然に任せて大きくなるのを待つ育て方だ』
「それを農業でもできるんですか?」
『そうだ。作物によって種を蒔いたり苗を植えれば済むものもあれば、ある程度の大きさまでは手間のかかるものがあるみたいだがな』
「雑草の問題は?」
『そこは知恵の見せどころだ。それを説明する前に、きみは、近代農法とか、アジア式農法とかいう言葉は聞いたことないか?』
「一応はありますよ。アジア式っていうのは本当にアジアでやってる農法って意味じゃなくて、いくつもの作物を一緒に育てるやり方ですね。有名なところでは中南米でマヤ・アステカ時代から続いてるというトウモロコシとマメ科作物を一緒に育てるものですか」
『西洋式の一つの畑で一つの作物を育てるやり方を近代農法と言って、それ以外をアジア式という西洋目線の言い方だな。だが、西洋式はカテゴリー一時代の農業、アジア式はカテゴリー二以上の農業という違いがあるんだぞ』
「アジア式の方がカテゴリーが高いんですか? 物の本には時代遅れの農業みたいに書かれてますね」
『農業を科学的にやってるつもりの西洋人には、そういうふうに見えるのだろう。もしかしたら焼き畑式農法と区別がついてないんじゃないか?』
「その焼き畑式農法はカテゴリーで言うと、いくつに当たるんですか?」
『規模が小さければカテゴリー三以上だ。作物を育てる前に畑を焼くことで木や枯れ草が炭になって良い有機肥料になる。そのついでに雑草の種や害虫の幼虫や卵が焼き殺され、更には熱で土も殺菌されるからな。あとは種を植えて水を撒くだけで楽に作物が育てられる』
「自然に対してはやり方が乱暴で、いかにも原始的ってイメージがあるんですけどね」
『さっきも言ったが、小規模なら人間も自然の一部だ。焼き畑はむしろ森を新陳代謝させて、生態系を豊かにする役に立ってるんだぞ』
「そういうものですかねぇ」
まるで文明化するとカテゴリーが落ちるように思えてくる。
『それで話をアジア式に戻すが、アジア式の肝は何だと思う?』
「栄養……ですよね。マメ科と組み合わせるものが多いのも、マメ科は土壌中に窒素肥料を撒き散らしてくれるから……」
『きみは、そっちの方に注目するのか。いかにも理系的な物の見方だな』
「ええ〜? そうですか? 今は減ってますけど、子供の頃の見慣れた風景を思い出すと……」
『山育ちで幅の狭い棚田を見慣れてれば、マメ科といえば大豆と蓮華が代表になっちまうな』
山の斜面に沿って、等高線を描くように作られる棚田。田んぼの奥は石垣で、谷側に作られた畦には大豆が植えられている。今は減ったが、かつての棚田ではよく見かけた光景だ。
そして稲が実って穂が垂れ始めると、田んぼから水が抜かれる。そして地面が乾くと刈り取る前に蓮華の種が蒔かれるんだ。稲が刈り取られた田んぼに芽吹く蓮華の苗。それが雪の下で冬を越し、春になると赤紫色の花を咲かせる。この蓮華が枯れて黄色くなった頃が田植えの合図だ。そのまま田んぼに鋤き込んで水を張り、その年の稲作を始めるのである。
近年、復活しつつあるようだが、化学肥料が使われるようになってからは、ほとんど見なくなった光景だ。
「大豆と蓮華は違うんですか?」
『雑草の話では、ちょっと違うな。大豆と蓮華は自立できるだろ。そうじゃなくてマメ科に多い、地を這うように広がる蔓草タイプの種類だ。これが葉を広げて畑を覆い尽くすことで、地面に日光が届かなくなるだろ。それで雑草が育たなくなるんだ』
「たしかに、そうすれば雑草は減りますね。でも田んぼでは……?」
『田んぼで雑草を防いでくれるのは、一緒に育てる作物ではなく水辺に棲む生き物だ。地域によってホウネンエビ、カエル、フナ、イトミミズなどの違いはあるが、泥をかき混ぜて雑草の発芽を邪魔したり、芽吹いたところで食べてくれたりしてな』
「うまく自然界と共存してますね」
『自然界との共存と言えばスズメだ。スズメは稲の穂が育つまで、田んぼに来て害虫を食べてくれる。カテゴリー一の世の中と二の世の中の違いは、そのスズメが実った稲穂をついばんだ時の反応だ。カテゴリー二の世の中なら、一緒にお米を育てたスズメの取り分だ。だが、今の世の中はスズメはお米を横取りする害鳥だ』
「まるで舌切りスズメですね」
『似たような話がアジア各国にある民話だな。その話が生まれた時期は、まさに地球がカテゴリー一へと落ちていく時代だ』
大ざっぱに一〇世紀から一五世紀の間だろう。
「それで聞くまでもないかも知れませんが……。カテゴリー一の農業は……」
『もちろん西洋式──農地では一度に一つの作物しか作らないやり方だ。しかも収穫量を増やすために作物の間隔を広げて下の葉にまで日光が当たるようにしてるから、雑草もよく育つようになる』
「たしかに目先の収穫量だけを考えると、雑草取りの手間までは考えませんね。まして植民地の大規模農園となると、農園主は自分で畑仕事はしないでしょうから余計に……」
『しかも現代では化学肥料や除草剤、殺虫剤などを大量に撒いている。作業する農民は雑草取りの重労働だけでなく、化学薬品の害にも苦しめられるんだ』
「その結果、生きるための仕事で体を壊したり、命を落とすようになるんですね」
『まさに呪いだろ』
「……ですね」
『それで……だ。これと同じことは農業以外でも言える。しかも勤め人の場合は、カテゴリーによって誰が過労で倒れるかの違いが顕著だぞ』
「そんなに違うんですか?」
『カテゴリー三以上の世の中では霊格と徳が高い人ほど出世するから、政治家や社長経営陣など社会的な地位の高い人ほど過労で倒れやすいんだ』
「地位の高い人ほど責任が重くなるのですから、当たり前のような……」
『きみ、自分で言ってて、途中で矛盾に気づいただろ』
「そうですね。実際にはそんな話はほとんど聞きませんから」
高齢の人が多いための急病は別にして、報道陣から逃げるための緊急入院としか思えないタイミングでの過労入院は多いのに、それ以外で過労入院したという報道はほとんど耳にしない。
『霊格が高い人ほど責任感が強いから、カテゴリー三以上の世界では社会の指導層が過労で倒れる。だが、カテゴリーが二に落ちると世の中のトップには無責任で霊格の低い者が成り上がるようになるんだ。そのためトップではなく中間管理職に甘んじた人格者が過労で倒れるようになるぞ』
「江戸時代から昭和でよく聞く話ですね。江戸時代は幕府や藩主から奉行職を任された人たちが過労で亡くなったり、早死したりすることが多かったとか……。昭和の時代も過労で倒れるのは、政治家や社長の側近や、役職を与えられた人たちで……」
この手の話をしてて、著者の脳裏に二人の名前が浮かんだ。
一人目は日本製コンピューターの開発者──池田敏雄。富士通でスーパーコンピューターの開発を成功させ、その功績で執行役員にまでなったが、それはコンピューター関連の仕事や責任をすべて丸投げされたものだった。そのために多忙を極め、そこから四年で過労からくるクモ膜下出血で亡くなっている。享年は五一歳だった。
もう一人はクラシック音楽の作曲家──矢代秋雄。完璧主義な性格のために残された作品は少ないが、優秀な邦人作曲家として活躍を期待された人だった。その優秀さ故に若くして東京芸大の主任教授を任されるが、その頃の口グセが「教授になんかなるもんじゃない」だったらしい。そして主任教授になってからわずか一年半で、四六歳の若さで過労死している。
「これがカテゴリー一になると……」
『過労で倒れるのは、末端の労働者になる。経営者は儲けたカネで奢侈に走り、中間管理職は部下に仕事と責任を丸投げして発破をかけるだけだから、過労になりようがない』
「要するにブラック職場ですか?」
『そうだ』
「末端の労働者が過労で倒れるのは、戦前の重商主義時代ってイメージがありますけど……」
『それは戦後の左翼思想家が作った、ウソの歴史教科書に騙されてるぞ』
「騙されてる?」
『そうだ。何でもかんでも資本家と労働者の対立という構図で語ろうとするウソだ。ピラミッドの建設だって、奴隷が石を運んでたなんて話はウソだっただろ』
「当時の記録が出てきて、農閑期の農民が喜んで働きに来てたみたいですね。しかも二日酔いでその日の仕事を休んだ人が多いなんて記録まで出てきて……」
有給休暇の日数に余裕があっても、今は二日酔い程度で休ませてくれる企業が少ないなんて話も聞く。
まあ、その前に、二日酔い程度で有給休暇を使いたくない人が多いそうだけど……。
『同じように明治大正時代の会社は、労働時間こそ当時の法律のせいで今よりも長いが、職場はホワイトもホワイト。だから社員が家族ぐるみで付き合って、慰安旅行とか職場対抗や取り引き企業対抗の運動会とか野球大会、忘年会や新年会、花見などの文化が生まれたんだ』
「今はそういうイベントをイヤがる人が増えてるそうですね」
『ははは。きみが社会人になった頃も変わりないだろ。就業時間内にやる企業内イベントは別にして、かつては時間外のイベントは自由参加だ。だけど、カテゴリーが一に落ちた頃から就業時間外なのに社員を強制参加させる会社が増えた。そのあたりから世の中がおかしくなってきてる』
「時間外での強制参加なのに、参加費まで給料から自動天引きなんていう会社もありますね」
『本来、企業イベントは会社の福利厚生でやるものだ。それなのに社員に参加を強制しておきながら参加費まで徴収するようになると、もう企業倫理を疑う世界だな』
「経営陣のお金を使いたくないって気持ちが透けて見えますね」
『そもそもイベント事をイヤがる社員が増えてきたのは、上司の霊格が落ちた問題もある。日月神示では自分よりも霊格の高い存在に身を捧げると、無常の喜びがあると教えているだろ』
「ありましたね。そうすると霊格も上がるんでしたっけ?」
『そうだ。だが、今は上司の霊格の方が低い職場が増えた。そうなってしまうと多くの人が仕事に生きがいや喜びを感じなくなって苦痛になる。それどころか人によっては苦労させられながら、霊格まで落とされ兼ねん。過労死に追い込まれる人も出てくる。これでは生き地獄じゃないか』
「そうやって聞くと、今はイヤな世の中になってますね」
『まったくだ。早くこの歪みが解消されて、松の代が始まってもらいたいものだ』
「それはもう同感です」




