第30話 霊格カテゴリーについて聞いてみた
霊格カテゴリー。重要な単語でありながら、これまで詳しく解説しないまま来てしまった。
宇宙人論やスピリチュアル系の情報を調べていると、宇宙や霊の世界を九段階に分けているものが多い。その世界の霊格の高さで、まず天国、中界、地獄の三つに分け、その中を更に三段階に分けるというものだ。
呼び方は様々だが、霊格カテゴリーとして一番下をカテゴリー一、一番上をカテゴリー九としたものが、もっとも感覚的にわかりやすいだろう。
日月神示ではこれに似たものとして富士の巻 第九帖に、
『神界は七つに分かれているぞ。天つ国三つ、地の国三つ、その間に一つ。天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中界の七つぞ』
と、神界の分け方を紹介している。
「守護神様。霊格カテゴリーと日月神示に出てくる分け方は、同じものと考えていいんでしょうかね?」
『真ん中をひとまとめにしてる以外は、まったく同じものだ。他にスウェーデンボルグはもう一つ霊界という階層を加えているが、これは仕分け前の中間世界を独立してかぞえたものだ。だから、まったく同じものを語ってると見ていいだろう』
「このカテゴリーですが、霊の世界を語る時も、惑星の文明度を語る時にも使われてますが……」
『霊格カテゴリーは魂の磨かれ具合である精神的な指標だ。文明度や科学技術のレベルとはまったく別の指標だぞ』
「別物ですか?」
『簡単に言えば「文化」と「文明」の違いだ。互いに影響し合うこともあるから似たようなものだと思ってる人もいるが、まったくの別物だぞ。どちらか一方だけが突出して高くなって、もう一方は貧しくなることもある』
「教養人と専門バカみたいなものですか?」
『まさにそれだな。そもそもカテゴリーを文明度に置き換えるのは、大老智勢力が流してるマヤカシだ。文明や科学技術のレベルは魂の周波数や波動という言葉で表されるが、それが地球人にはわかりやすいために大きな誤解を生んでいる』
「霊格の方はどのような数字なんですか?」
『純度の高さを数値化したものだ』
「ということは、対数表現ですか?」
『その通りだ。ただし一桁でいくつ変わるかは知らんけどな』
対数表現。これは身の回りで多く使われている。数字が増えるごとに実際には何倍ずつ変わっていくものだ。
たとえば夜空の星の明るさは、一等級ごとに二・五一二倍ずつ変わるように決められている。これは一等星と六等星の明るさを一〇〇倍と決めたことで数値化に成功した指標だ。
地震のマグニチュードはエネルギーが千倍ごとに二つ増える目盛りとなっている。
音量のデシベルは一〇倍ごとに数値が二〇変わるように作られた単位だ。
「霊格カテゴリーは、霊格値の平均ですかね?」
『いや、必ずしもそうとは言えん。たとえ霊格値の高い市民を集めた国を作っても、身勝手で欲深い者ほど世の中の上に立ちやすい社会だったら、不条理や理不尽がまかり通ってカテゴリーが落ちる。反対に霊格値の低い市民ばかりの国でも、徳の高さで社会的な階層が決まる社会ならカテゴリーは上がる。そういうものだ』
「つまり、別物……なんですね。これは地球人の科学が発展すれば、数値化できるものですか?」
『もちろん科学が発展すれば数値化までは可能だ。ただし霊格カテゴリーは数字から厳密に決められるものというより、状態によって変わってくるものだからなあ』
「じゃあ、基準となるものと比べて決まる、モース硬度や火山噴火指数みたいなものですか?」
『小数点以下がないか、あっても「中間」を意味する「・五」しかない意味では同じだな。霊格カテゴリーの場合は、更に七段階ずつに分けられてるけど……』
ということは、カテゴリーには四八以上の細かな基準があるのだろうか。
「守護神様。カテゴリーは具体的に、どのように分けられるんでしょうか。特に中界と地獄の境界の違いは……」
『空間を認識する時の次元の違いだ』
「次元?」
『きみは今、空間を三次元だと認識してるだろ?』
「そうですね。縦、横、高さのある三次元です」
『霊の世界は五次元だ。だから俺も世の中を五次元で見ている』
「それは『死後の世界』に触れた時にも話に出てきましたね。肉体は三次元で、魂は五次元だと」
『そうだ。今の人間は三次元空間でしか物が見られなくなった。そのせいで霊体が見えなくなっている。霊体としての神が見えなくなったのも、空間の境界線を越えて地獄のレベルに落ちてしまったからだ』
「じゃあ、見えないだけで、天界の神様は地上へ降りてきてますかね?」
『ほとんど降りてこない。これは宇宙人も同じだ』
「宇宙人が……ですか?」
『どうして宇宙人が地球を訪問してこないのかって疑問があるだろ。その答えの一つが、地球人が五次元を認識できなくなったためでもあるんだ』
「いきなり話がぶっ飛びましたね」
とはいえ霊格カテゴリーは宇宙人論でも似たようなものが出てくるのだから、間違ってはいないんだろうなぁ……。
『日月神示には、いくつも「泥海」とか「泥の海」という言葉が出てくるだろ。カテゴリーが三以下の地獄になると、天界から地上を見下ろすと泥で海底が覆われたように見えるんだ』
「泥の海というと真っ黒な海に見えるんですか?」
『それは一番汚い状態だな。カテゴリー三はまだ水が澄んでいて透明度は高い。だけど、わずかだが泥が俟っていて、それが少しずつ海底に溜まっていく感じだ。その状態が長く続くと、ついには泥で海底が見えなくなる』
「なんとなく、どんなイメージかはわかりますね」
『とはいえ三次元しか認識できなくなった地上人には、この泥が見えない。だから泥の汚染に気づかず放っておくようになる。それを天界の神々から見たら、たとえ水はキレイに見えても泥に汚染された不衛生な状態だ。これでは汚くて地上に降りなくなった事情もわかるだろう』
「大腸菌が検出されて、遊泳禁止になった海水浴場みたいなものですか?」
『まさに、それだ。それがあるからカテゴリー三になると地上界と神の世界の隔離が起こる。とはいえ見た目がキレイなら、世の中には気にせず泳ぐ人たちがいるだろ。天界の神々の中にも、そのあとも気にせず地上に降りていた型破りな連中はいたらしいけどな』
「ネフィリムとかですね。人間でもスキューバダイビングする人たちの中には、海が濁ってても装備をそろえて潜ろうとする物好きもいますしねぇ」
『で、泥が舞い上がって視界が悪くなるのがカテゴリー二だ。さすがに型破りな連中も、こんな泥海になったら地上へ降りようとはせん。スキューバダイビングと同じ、仕事で仕方なく降りるか、一部の物好きが降りるかの例外がいるだけだ』
「それで神様というか、宇宙人が地球に来なくなったんですね」
これを合図に世界中の神話から天界の神様が登場しなくなって、地上に下りた神様が英雄として活躍する人間の時代になったわけだ。
日本神話でも天の岩戸伝説を最後に、いつの間にか天界の神々が登場しなくなる形で描かれている。
「ところで守護神様、天界の神様から泥に見えるものって何なんですかね?」
『そりゃあ欲深さで汚れた魂だ。それと本当ならまだ人間に生まれるべきではない霊格の魂だな』
「ワンダラーですか?」
『それもあるが、一四世紀以前に地球へ来たワンダラーはそれほど多くない。それよりも悪魔や、悪魔に魂を売った者たちだな。世の中のカテゴリーが三──いわゆる地獄へ落ちると、そういう連中が人の上に立って権勢を振るい始める。それが目立って増えるのがカテゴリー二の状態だ』
「……ん? 泥が舞い上がるのって、霊格的に低い魂が社会の上に立つってことですか?」
『それに決まってるだろ。政治家とか、政府高官とか、会社の経営陣とか、教師や学者、弁護士とか……』
「世の中を動かす人たちですね」
『カテゴリー二になるとウソを撒き散らす人が増えて、地上界の人たちにとっても真実が見えにくくなる。これは地位を利用してウソを流し、私利私欲を満たそうとする者が増えるからだ。こうなると社会的な地位と才能や徳の高さが一致しなくなる。むしろ才能や徳のある人ほど、野心のある人には邪魔になるから攻撃を受けやすい』
「イヤな社会ですね」
『何を言うか。それが昭和の日本だ。その日本も平成時代になると社会福祉や労働環境がカテゴリー一へと落ちていくんだ』
「カテゴリー一は、どこまで酷いんですか?」
『弱肉強食の世の中になる。しかも心の汚れた連中は規範意識が薄いから他人のルール違反には文句を言うくせに、自分では守らないダブルスタンダードだ。それに加えて搾取を強者の権利だと思っている。こうなった社会では才能や徳の高い人ほど搾取されたり足を引っ張られたりされて、世の中の最底辺へ落とされるんだ』
「そこまで来ると、もう末法の世ですね」
『だが、それが今の世の中だ。日本も一九八五年から、カテゴリー一の世の中へ落ちたんだぞ』
「日月神示にもありますね。大きな飛行機事故──日航機一二三便が御巣鷹の尾根に落ちた事故が合図だと……」
『あの事故はメディアの体質が大陸的なものに変わった象徴でもあったな。まず日航機が落ちたのは御巣鷹山ではなく、南隣にある高天原山だ。メディアはこの大きな誤報を訂正せず、こっそり事故のあった場所を「御巣鷹の尾根」と名づけて、そういう名前の尾根に落ちたのだから間違ってないという物言いまでしている』
「勝手に『御巣鷹の尾根』と書いた慰霊碑まで立ててますもんね。地元の人たちは『高天原の尾根だろ』とツッコんでるそうですが」
このあたり、グーグルマップでも簡単に調べられるほど雑な間違いだ。
『メディアが変わったと言えば、この事故から毎年「事故から何年」と言って追悼放送を流すようになった。それまでは太平洋戦争の終戦の日以外には、そんなことはなかった。「事故から何年」も、三年ほどで終わりだ。五年後、一〇年後の節目に流す程度で、しつこく繰り返してはなかった』
「言われてみれば日航機事故以前にも数多くの大きな事件や事故はあったのに、終戦の日と防災の日として避難訓練の日になった関東大震災の日以外は何もなかったように話題になりませんね。それなのに日航機事故以降となると、『なだしお事件』がけっこう長く報じられた記憶がありますし、『阪神淡路大震災』『地下鉄サリン事件』『えひめ丸事件』『JR福知山線脱線事故』あたりが、何だかんだで毎年報じられてるように思います。そして『東日本大震災』に至っては、毎年どころか今も毎月一一日にニュースで触れられてますし……」
『月命日は最初の数か月なら報じることもあったが、今みたいに東日本大震災から一〇年以上経ってもまだ報じてるのは異常だ』
「その割には関西空港でタンカーが橋を壊した台風や、長野で新幹線が水没した台風は翌年に話題に出た程度で、二年後にはもう忘れられてますよね」
『あれは日本以外では被害の復旧に何年もかかると言われてたのに、日本では一か月とかけずに通常営業に戻っただろ。それらの台風に触れたら、イヤでもGHQの定めたプレスコードにある「日本の良いところを報じるな」になるじゃないか』
「その割にはプレスコードで禁じた『虚偽の報道』は平気で流してますよね?」
『GHQの目が光ってる占領時代でも平然と捏造報道はやらかしてたんだ。むしろ何も捏造しない時代の方がなかったんじゃないか?』
ムチャクチャな話である。
『とはいえ捏造が一気に左傾化したのは日中国交正常化した一九七二年からだ。このすぐあとから南京事件で犠牲になった八千人から一万二千人の中国人は、戦死した国際法違反の便衣兵か、それとも戦闘に巻き込まれた一般市民かって議論が始まってる』
ここでいう便衣兵というのは民間人を装うために軍服ではなく私服を着たゲリラ兵のことだ。
『メディアが露骨にウソを流し始めるのは、日本がカテゴリー一に落ちる一年前の一九八四年からだ。朝日新聞が南京大虐殺と言って、三〇〇万人を殺したと言い出したのもこの頃だ』
「最初は三〇〇万人でしたよね? 今、ネットを調べると最初から三〇万人と言い続けてたように書かれてますけど……」
著者は南京事件は三〇〇万人と繰り返し刷り込まれてきたため、今の二〇万人に減ったことに違和感を強く覚えている。
ちなみに一九九〇年代後半から始まった三〇万人を主張してた時代が長い。だが近年の研究から、当時の南京市の人口が二五万人以下なのが確定的となった。これではシンボル的な数字でも、三〇万人では明らかに矛盾だ。そのためか当時の南京市の人口に合わせて、昨年(二〇二〇年)頃からか二〇万人と主張を変えてきたようである。
こういう無節操さこそが、まさにプロパガンダの証拠だと思う。
『一九九〇年代に入ると、その数が三〇〇〇万人にインフレを起こした』
「いつの間にか、増えてましたよねぇ」
未確認だが、五〇〇〇万人まで盛られたという話を聞いた覚えがある。そのため二〇世紀中に一億人と言われる日が来るという予測を聞いた記憶もある。
『それに七三一部隊の人体実験とか、従軍慰安婦とかの捏造報道が始まったのもこの頃からだな』
「真実がまったく見えなくなりましたよね。図書館で近代史の本を書いた著者一覧を調べたら、ほとんど左派系の活動家だったり、そういう活動経験のある学者だったり……」
著者が歴史書の矛盾やデタラメに気づいて図書館で調べた時、棚に並んでるほとんどの本がそういう本ばかりで驚いたことがあった。まともな研究者の意見でも、そういう本を参考文献として語られると、話がおかしくなるのも道理だ。
かといって反論本やネットの反論サイトが右翼活動家っぽい言動の人のものだと、そちらも身構えて手を出しづらくなってるという状況なんだよねぇ。今は……。
「これがカテゴリー一ですか?」
『偏向報道の問題もあるが、日本を一番ダメにしたのは政府の秘密主義と労働問題だ。前の財務省問題でも触れたが、日本を好景気にしないためと言って国が搾取をやりすぎてる。そして理由を説明できないから、隠している事実、調べようとしない問題が多すぎる』
「隠してる事実はわかりますが、調べようとしない事実とは?」
『一つの例が今のコロナワクチンの副反応による死亡件数だ。以前は疑わしい件数を発表していたが、その件数がいきなり公文書からゼロ件にされ、その後は追跡調査をやらないことでゼロ件だと言い張っている。やってることが、あまりにも不透明で常軌を逸してるだろ?』
「そう……ですね……」
『それと同じぐらい問題なのが労働問題だ』
「やっぱり正社員が減って、非正規社員が増えた問題ですか?」
『いや、そこは問題の本質じゃない。日本の経済活動が良好だったら、非正規社員の収入は額面では正社員の二倍から三倍で落ち着くはずだ』
「そんなに高くなりますか?」
『今は不況が長引いてるから、替えの利く非正規労働が安く買い叩かれてるんだ。だけど非正規でも他に替えの利かない技術を持った人は、三倍や四倍の収入をもらってるだろ?』
「需要の割になり手が少ないフリーの放射線技師や麻酔科医がそんな感じですね。でも、二、三倍というのは……?」
『単純な理屈だ。会社が正規に人を雇う場合、一人につき賃金の三倍ほどの経費がかかるんだ。だけど労働力をフリーランスや派遣を雇って済ませる場合、経費分の負担は少ないし、何かあった時に雇い止めしやすいだろ。とすると……』
「好景気になって人手が足りなくなると非正規の労働コストは、正社員と同じコスト──つまり受け取る賃金が正社員の三倍近くまでは上がりやすいってことですね。それでも労働力が足りなくなった時、企業は新しい労働力を正社員として囲うか、高い賃金を払ってでも解雇が難しくなるリスクの方を避けるかの経営判断……ですか?」
『バブル景気が始まった時、まだ大卒初任給は一六万円程度だった。だけどアルバイトの時給は一五〇〇円、二〇〇〇円が当たり前だっただろ。たしかきみの知人の中には、月収六〇万円を稼いでいた人もいたよな?』
「建設業界へ進んだ人ですね? 忙しくて休みの取れなかった月には稼ぎが八〇万円を超えたとか……」
『手に職があれば、それが普通だ。その頃の学生たちは就職して社会的な地位の安定を取るか、年功序列賃金のために若いうちは不当に給料が安いからと新卒採用を棄ててフルタイムで倍以上の収入があるフリーターを続けるか、または手に職をつけて不安定でも高い収入を狙うか。そんな選択をしていた。それができる世の中の方が自然なんだよ』
ちなみに当時の最低賃金は高校生バイトが四五〇円から五〇〇円だから、そのあたりだと思う。
自分に適った仕事が見つかるまでアルバイト先を転々と変える暮らしを続けていても、ある程度の生活が続けられる時代。それが昭和の日本にはあった。
だけど、一九九一年のバブル経済の崩壊によってアルバイトの賃金は一気に三分の一になった。以降は最低賃金に近いところで推移している。それとこの頃にフルタイムの最低月給を一五万円と定めたという記憶があるのだが、いつの間にか非正規の公務員を月給一〇万円以下で雇ってる自治体があるのは何だろうか……。しかも非正規でも公務員だからアルバイト禁止と制約まで付けてる性根の腐った自治体もあるらしい。
『今の日本がカテゴリー一の最底辺にあるのは、努力を権力者に取り入ったり、他人を蹴落とすことに特化した無能が高い地位を得て威張ってるためだ』
「そういう話はよく聞きますけど、業界にいれば、周りはみんな必要な才能に目が肥えてますよ。そんな中で無能が上に立つなんて、できるんですか?」
『簡単だよ。法律で決められた社外取締役とか、会社を乗っ取った企業からの出向幹部とかで無能が上に立てば、あとはそいつらに取り入られるように動くだけでいい。仕事に才能を持つ人間は、働きで結果を見せようとする。だが、上に立つ無能は肝心の仕事を知らないんだ。どんなに仕事で結果を見せても、間に口のうまいヤツが入れば功績を横取りだ。上の無能は口のうまいヤツに良いように騙され、それでのし上がった無能もあとから来る口のうまいヤツに騙される』
「キツネとタヌキの化かし合いですね。でも、現場で仕事のわかってる人から指摘は出ないんですか? そこが不思議なんですよね」
『不思議でも何でもない。優秀な人ほどトップクラスの才能を持った人と自分を比べて、今のだいたいのレベルがわかっている。そんなところに口のうまい連中が足りない部分をいくつか指摘してみろ、よほど的はずれなことを言われない限りは立場上の力関係も手伝って何も言い返せないだろう。それに世の中には嫉妬に狂った無能も多い。そういう連中は才能を磨く努力よりも、自分より才能のある人をこき下ろすことで、自分が偉くなったよう錯覚したいんだ。こういう連中は容赦なく陰口を叩くからな。しかも、無能上司よりも仕事や技能について知ってる分だけ、的確に重箱の隅を突いてくるから始末が悪い』
「それは心が折れそうですね」
『日月神示にも書かれてただろ。今のような世の中では、ほんの一握りのトップクラスを除くと、才能や徳のある人ほど周りの悪意から自信を失って、社会の底辺へと落とされてしまうんだ』
日月神示に何度も出てくる、苦労に苦労した落ちぶれた人、今は落ちぶれてる神の臣民の話だ。今はそんな人が大勢いる、カテゴリー一のイヤな世の中になってるんだね。
でも、日月神示によると松の代になる前にそんな世の中がグレンとひっくり返って、
上の者下に、落ちぶれた民上になるぞ(上つ巻 第二一帖)
という現象を引き起こすそうだ。
それが二〇二四年以降に始まるらしいのだが、はてさて……。




