第3話 風の時代について聞いてみた
ダウジングの相手が本当に守護神様──というか高次元にいる存在であるのなら、やはり聞いてみたいのはこの話題だろう。日月神示を含めて今のスピリチュアル系の大きな話題といえば、風の時代とアセンションだ。
「守護神様。地球は二〇二〇年の冬至から『風の時代』に入ったと言われてますけど、天界から見て、何か意味はありますか?」
『意味? そんなものはねーよ』
振り子は迷わず反時計回りに動いた。
「ないんですか?」
『あれは占星術の話だろ。今でこそ『風の時代』と呼んでいるが、元は一九六〇年代から七〇年代に「水瓶座の時代」と呼ばれて、その時代が始まる一九八四年から「争いや富の独占が終わって平和でみんなが豊かに暮らせるようになる」と言われていたんだ』
「一九六〇年代から……。つまりアメリカで最初のスピリチュアルブームが始まった頃の話ですね」
『きみが初めて「水瓶座の時代」を聞いたのは、一九九〇年からと言い直されたあとだったかな』
「あれは言い直したあとだったんですか?」
今から思えば一九八四年に何もなかったから、「本当の時代の変わり目は一九九〇年」と言い直したのだろう。著者は一九八〇年代の後半あたりで『水瓶座の時代』を耳にするようになったので、この頃に日本にスピリチュアルブームが上陸したのだろうか。
「予言されていた一九九〇年前後の時代の変化はすごかったですね。一九八九年にベルリンの壁が崩壊して、一九九一年にはソビエト連邦まで消えて冷戦時代が終わりました。経済でも一九八〇年代までは世界の上位一〇〇社はオランダのロイヤル・ダッチ・シェル石油を除くと、残り九九社すべてをアメリカの企業がずっと独占してたと記憶してます。そこに日本やヨーロッパの企業が入ってきたのが、まさにその頃ですね」
『第二次世界大戦の戦後復興が終わって、力をつけてきた日本やヨーロッパの企業が、どんどん喰い込み始めた頃だな』
「たしか世界から植民地がなくなったのも、その頃ですよね。で、後知恵では一九九〇年はバブル経済が崩壊して景気が下り坂ってことになってますけど、当時の市民感覚ではこの年がバブルの絶頂期だったと思います」
当時の著者は時代の大きな変化を感じていた。それを能天気に「水瓶座の時代が予言した通りの時代が来た」と思い、これからすべての国が民主化されて争いがなくなり、アメリカによる富の独占も終わって世界から貧困がなくなると信じていた。
『で、水瓶座の時代は一九九〇年以降に実現されたのかな?』
「いえ、まったく実現されてませんね。というより、そこからの三〇年間でもっと悪くなったように感じます。世界的には宗教原理主義との戦いが続いてますし、日本では労働に関するモラルが崩壊して、過労自殺やサービス残業、派遣労働、ワーキングプアが年々深刻な問題になったような……」
『そうだろうなぁ』
宗教原理主義との戦いというと、二〇〇一年のニューヨーク同時多発テロ事件を起こしたイスラム教原理主義を思い浮かべる人が多いと思う。だが、それよりも前の一九九五年に、仏教原理主義のオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしている。
労働モラルもバブル経済が崩壊したあと、数年でおかしくなった。
バブル経済の頃はフリーランスやフリーターは高収入で、わざわざ給料の安い正社員になるのはバカだという風潮があった。フリーターの中には数件の職場を掛け持ちして、月収百万を超えていた人がいたほどだ。それでも正社員になるのは、「一般社員の頃は給料が安くても、将来、出世して管理職以上になれば取り返せる」と長期戦略で考えた人たちだろう。
だけど、バブル経済崩壊で、まずアルバイトの時給が一気に半分とか三分の一に削られた。正社員も一九九三年から就職氷河期と言われる就職難が始まる。この頃から「勝ち組、負け組」という言葉が出てきた。それでも、この頃はまだ優秀なフリーランスなら、まだ生活水準を維持できていた。
少しすると、いきなり正社員の貴族化が始まった。多くの企業が幹部候補だけを残して、その他の労働者は子会社や派遣社員、フリーランスを使うようになった。この時、仕事のできる社員ほど子会社へ移される異常な選択をする企業が増えた。仕事のできる人を子会社に入れた方が、必要な時に関連企業間で融通できるという思惑からだ。それを見て「仕事を覚えたら負け」という変な風潮が言われ始めた。これはネタではなく、人によっては出世コースに残れるかどうかの切実な問題だ。
そして一九九七年から派遣労働の職種制限が取り払われると、社員たちに「派遣にされたくなかったら黙って働け」と言うブラック企業がはびこるようになった。そして幹部社員ほど現場の仕事を知らない割り合いが増え、しかも仕事を知らないから「現場の仕事なんて誰にでもできる」という労働軽視の風潮が年々悪化していった。
少し話が脱線したが、こういう流れから今はまだ日月神示にある「日本社会が地獄の一番底まで落ちる三〇年」なのだろう。
『一九九〇年の次は二〇〇〇年だ。それもハズレると、すぐ次は「二〇一二年だ」と言い出す。そして二〇二〇年になると、ようやくバツが悪くなって「水瓶座の時代」という言い方を避けたんだろうなあ。代わりに「風の時代」なんて言い換えているんだ』
「なんで『風』ですか? 水瓶座は水属性じゃないんですか?」
『水瓶だからって水属性じゃない。占星術では風属性なんだ。だから「風の時代」なんだよ』
「ずるずると延ばしてきたマヤ暦よりも、しつこいですね」
言われてみると「風の時代」は、痛スピの象徴的なワードに過ぎなかったのね。