第27話 九月八日の仕組みについて聞いてみた
今回は時期が迫っているので、緊急の話題である。
この話は二〇二一年九月一三日に起きた。
「守護神様。神様が意図的に、誰かを別の世界線へ動かすことはありますか?」
『動かすことなんかできないぞ』
「ですよね。これは以前聞いた時も同じ答えでしたし……」
しかし、著者はここで引っかかりを感じた。
「でも、ミッドウェー海戦の話の時に、別の世界線から利根機の航法士を連れてきたって……」
『ああ、意識を入れ替えたやつな』
「意識?」
『そうだ。魂はその世界線から動けないから、他の世界線の魂と意識だけ入れ替えるんだ』
「……え?」
慌てて過去の記録を読み返す。たしかに「動かす」じゃなくて「入れ替える」だ。ちゃんと使え分けてる……。
「じゃあじゃあ、神様が意図的に他の世界線の魂と意識を入れ替えることはあるんですか?」
『あるよ。それに毎年一回、大掛かりな入れ替えをしているぞ』
「大掛かりな入れ替え? それはいつですか? 大晦日? それとも旧正月の頃とか……」
『そんなの、重陽の前に決まってるじゃないか。知らなかったのか?』
「知りませんよ。そもそも重陽なんて戦後には祝わなくなった節句ですよ。私だって、日月神示を調べるようになったおかげで、この数年で知ったばかりですし……」
『そうだったのか。昔は収穫祭として、一年でもっとも重要な節句だったのになあ。まったく気づいてなかったぞ』
大きな認識のズレである。
「重陽といったら九月九日ですね。これは旧暦ですか?」
『天界の神事は旧暦で行われると思っていい』
「重陽の前ってことは……九月八日? 日月神示に出てくる九月八日の仕組みって?」
『それが天界の神々による、一年に一回の大入れ替えだ』
「じゃあ九月八日の仕組みって、私の解釈した『準備を終えるべき期日』とか『締め切きを過ぎたら、いくら完璧な準備をしてももう遅い』という意味では……」
『まったく間違ってるな』
「ええ〜っ!」
愕然となって、そのまま脱力してしまう。
このあたりの解釈を、全面的に見直さなくてはならなくなった。
「ところで守護神様。天界の神様は、どうして意識の入れ替えを行ってるんですかね?」
『パソコンのメンテナンス、ハードディスクのデフラグのようなものだ』
「デフラグ?」
『そうだ。天界の神々が何もしなかったら、同じ世界線の上には良い行いをした意識も悪い行いをした意識も混在したままだろ。その世界線の未来は、はたして良い方向と悪い方向、どっちへ向かうと思う?』
「それは……どっちなんでしょうね?」
『そう、結果が出るまでわからない。だから天界の神々は年に一回、すべての世界線上にある意識の入れ替えを行って、良い方へ向かう世界線と悪い方へ向かう世界線をわかりやすくしてるんだと思う』
「私たちにとっては一年の総決算ですね。良い方へ行けるか、悪い方に落とされるか。入れ替える相手はパラレルワールドの自分自身ですけど……」
『きみがどっちへ行くかは、俺にはわからん。そもそも俺には魂は見えても、中にある意識の動きまでは見えないからな。昨日のきみと今日のきみの意識が入れ替てっても、そうそう気づくことはないだろう。よほど離れた世界線との入れ替えが起こらない限り……な』
「よほど離れた……ですか。そういうことはありますかね?」
『きみは二〇〇七年に経験してるぞ。横浜に出てきた伯母さんと食事をした時、その伯母さんがふと「日本、本当は戦争で勝ってたよね?」と言い出したこと、憶えてないか?』
「ああ……。そんなことがあったような……。そういえばその時、伯母が横浜中華街にある行きつけの店がないとか言ってたことも……」
『その時の伯母さんの意識は、日本が第二次世界大戦で戦勝国になった世界線の意識と入れ替わってたんだよ』
「あれ? その世界線での私は政治家になってるんじゃ?」
『いや、二〇一〇年代の前半まで作家をやってる世界線がある。だから、そのあたりの齟齬がない世界線から来たんだろうな。その世界線でも俺が守護神をやってるから、政治家としてはイマイチだけどな』
「自虐的なことを言いますね」
『でもまあ九月八日の入れ替えは、そういう離れた世界線に飛ばされた意識を元ある世界線へ戻す意味もあるんだ。あのあとは、もうそんなことを言ってないだろ?』
「たしかに、言われた記憶はありませんね」
この話題は後日に回して、本題に戻そう。
「こういう意識の入れ替えみたいなこと、これは宇宙中でやってるんですかね?」
『ぶっちゃけて言うと、惑星によっては、こんなことをしない神は多い。だけど、地球というかプレアデス人系の神は魂を育てるために産土神や守護神のような見守り管理システムを作り上げたり、今回の話題にしてる九月八日の仕組みの大入れ替えなどをやってるわけだ。これはプレアデス人系の神に特有の文化・風習みたいなものだと思えばいい』
「他にもあるんですか?」
『あるよ。@△※とか@△※とかあるが、うまく伝わらんな……』
「はい。ダウジングの限界ですね」
ということで著者にとっては未知の仕組みが、まだまだあるようだ。
「最後に一つ。この大入れ替えはいつ頃行われるんですか? 九月八日の仕組みというぐらいですから、旧暦の九月八日、今年二〇二一年は一〇月一三日ですか?」
『さすがに一日で作業は終わらん。毎年、一一日から一二日はかかるな。ハードディスクのデフラグも、けっこう時間がかかるだろ。それを見込んで、旧暦の九月八日に終わるように作業が始まるんだ』
「ということは、今年は一〇月に入ってから始まると思えばいいんですね」
『そうだ。それと秋分の日のあたりで評価に区切りをつけるんだ。このあとで良いことをしても、それが反映されるのは翌年の大入れ替えの時だな』
「う〜ん。年によっては秋分の日に区切りを入れたら、旧暦の九月八日には間に合わなくなる場合もありそうですが……」
『そういう年の作業は、少し前倒しで始まるだけだ。でも、そうなりそうな年は閏八月が入りがちだから、天界の神々ものんびりやるだろうな』
「旧暦には閏月がありましたね」
旧暦の月の決め方。一見すると単純なようで、年によっては複雑になるからねぇ。
有名なところでは旧暦二〇三三年問題とか……。
「旧暦の九月八日が過ぎたら、マンデラ現象の報告が多く出てきますかねぇ?」
『どうだろう? いきなりコロナ問題が消える世界線もあれば、新しい致死性の新型感染症が出てくる世界線もあるからなぁ。一人一人の意識がどこへ移るやら……』
「できることなら不運が消える世界線に移りたい……」
『それはきみの運命だから、もうちょっと我慢して……』
「…………しくしくしく……」




