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昼の休憩も終わり、再び作業に取り掛かろうとしたところで事件は起きた。
「マリカ!」
午後は羊の追い込みをやってみたい、とのことでコウさんはシロを連れて中姉ちゃんと一緒に追い込み部隊の方に行った。
あぶれた私は毛の回収を買って出て、麻袋に詰め込んで倉庫に運ぶ。それを繰り返して、何回目かの時だった、あの男が話し掛けてきたのは。
「……なにか用?」
出来ればしばらく顔も見たくないし、話もしたくない。その状況に陥ったのはマリカが立ち聞きしてしまったからで、相手はそれを知らないのだけれど。
「結婚するって聞いた。客人と」
「だったらなに?」
それでも冷たいあしらいになってしまうのは、仕方がないことだと思う。幼馴染みで意地悪される事も有るけど、親しくしていると思っていた。
なのに影であんなこと言って笑って居た男だ。昨日の今日で普段通りには出来ない。
「長に命令されたのか? 結婚しろって!」
違う、母さんはそんな人じゃない。そう言いたいのに、声が出なかった。
「パッとしないお前は客人がお似合いだとでも言われたのか?」
客人と言われて、コウさんの顔が浮かぶ。少しだけ喉のつっかえが取れた気がした。
「母さんはそんな事言わない! 馬鹿にしないで!!」
普段なら言い返すことは出来なくて、うつ向いていたに違いない。でもほんの少し滑り出した言葉は、ちゃんと反論として相手に伝えることができた。
一言返してしまえば沸々と怒りが込み上げる。馬鹿にされたのは私だけじゃない、この時ばかりは怯えては居られなかった。
母さんは長だからと言って、娘に集落の都合で結婚を強要するなんて事は絶対にしない。娘の私達の意思を尊重してくれるし集落の皆に対してだってそうだ。
父さんに対してだって、いつか帰ってこなくなっても、帰ってしまっても、責めないでおやり、とこぼして居たことがある。ちなみに家に帰ってこなかったことは一度もないし、その兆候も見せたことはないが。
「だってそうじゃなきゃ可笑しいだろ! 第一お前と結婚しようだなんて奇特な男……」
「私が結婚したら可笑しいの? ああ、貧相な私だけはナイって言っていたもんね?」
「っ! お前、聞いてたのかよ!!」
「聞こえたの間違いよ、出来れば聞きたく無かった」
「あれは、その……」
先程までの勢いはどこへやら、尻すぼみになった男に、この人にこんなに言い返したのは始めてだ、なんてどうでもいいことを考えていた。
「謝らなくていいよ。別に気にしてないから」
「え」
「こっちだって頼まれたってナイので。失礼します」
バッサリと言い捨てきびすを返したところで、羊毛を抱えたおじさんと目があった。
「おじさん、二回目は許しません」
声を低くしてそういえば、おじさんはからくり人形みたいに首をかくかく動かしていた。
怒りに任せて羊毛を片っ端から袋に詰めて運ぶ作業を繰り返し、日暮れ間近となって、ふと冷静になった。
あ、コウさんとの事、訂正するの忘れてた。
「あー悔しいぃぃぃ」
私が一足先に帰って夕飯の支度をしていると、中姉ちゃんが地団駄を踏みながら帰って来た。
「お帰りなさい、どうしたの?」
「コウさんと引き分けた! ここしばらくは負け無しだったのに!!」
多分、馬で競争でもしたんだろう。中姉ちゃんは集落一の馬バカでスピード狂である、競争で引き分けたのが相当悔しかったらしい。
「中姉ちゃんと引き分けるなんて凄いねコウさん」
「そうだろ?」
中姉ちゃんの後ろから入り口でコウさんがえっへんと胸を張っている。
「あ、お帰りなさい」
「……いい」
うん? コウさんが顔を押さえてなんか言っている。
「ご飯作りながらお帰りなさい、だなんて新妻感が凄くいい」
「マリカはまだ嫁にやらないよ」
私の前で手を広げ通せんぼをする中姉ちゃんに、ちょっと待ってと言いたい。いやコウさんもだけれど。何がどうなって妻とか嫁とか何とか言っているの?
混乱しかけた頭で一つだけ思い当たることがあった。……アレか、隣のおじさんの姿が頭に浮かぶ。二回目の方では無いと思いたいが、やはり私も鉄拳制裁に加わるべきだったのだろうか?
予告通り、次の機会があったら私も加わろうと心に決めた。
「つまり嫁に欲しければ自分を越えていけ、と?」
「そう言うことよ!」
「ならば、いざ尋常に」
「「勝負!!」」
「アホなことやってないでとっとと中に入りな!」
鶴の一声、勝者お母さんで、二人の勝負は呆気なく幕を閉じた。母さんの後ろから、大姉ちゃん小姉ちゃん父さんと続けて家に入ってくる。
「皆お帰り、ご飯もうちょっと待って」
「手伝おっか?」
騒がしさは小姉ちゃんの一言で家の中が静まり返る。お願い誰か何とか言って。
「だ、大丈夫」
結局誰も口を開かないから私が答えることにした。小姉ちゃん気持ちは嬉しい。嬉しいけども、うん。
「私追い込みだったからそんな疲れてないし、私が手伝うよ。皆先にお風呂行ってきたら? 羊の毛が結構付いてるし、今日は混みそうだから早めにさ、私達先に食べちゃってるから戻ってきたら入れ替わろ?」
中姉ちゃんが物凄い早口で妙案を捻り出した。
「そうね、お言葉に甘えさせて貰おうかな」
大姉ちゃんが一等先に乗っかった。
「あ、俺は手伝います」
「コウさん男湯の後の方はヒドイよ、特に今日は皆居るからね……」
「お湯を先に失礼します!」
コウさんは素直に父さんの助言を聞くことにしたらしい。手の平を速攻で返した。
「そうしな、私らも混む前にとっとと行くよ」
「じゃあ私もそうしよ、次姉ちゃんマリカよろしくー」
そう言いながら小姉ちゃんが機嫌を損ねること無くお風呂に向かったので、中姉ちゃんナイスアシストである。
「……危なかった」
「中姉ちゃん有り難う」
「いや、疲れた体にあの料理はキツイから」
中姉ちゃんの目が遠くを眺めているようだった。うん、わかるよ。小姉ちゃんの味付けは……うん。
「まあ疲れたのはコウさんとムキになって競争したからだけどね」
「意気投合した感じだね?」
「どっちかと言うと好敵手出現って感じかな、コウさんは可愛くない男だよ」
中姉ちゃんが下ごしらえし、私が調理担当でテキパキと進めていく。
「そうかな? 結構可愛いと思うよ?」
昼の羊の真似は可愛いと思ってしまった。思い出すとまた笑える。
「……それ言うマリカが一番可愛い。やっぱり嫁にはやらん」
中姉ちゃんは言いながら私をぎゅうっと抱きしめた。中姉ちゃんは愛情豊かで表現が体当たりだ、文字通りなのでちょっと痛い。
「中姉ちゃん、あのね、アレ隣のおじさんのデマだから」
「聞いた、だからこの程度にしているんだよ。でなきゃコウさん吊るしてる」
腰に紐を結ばれて、軒先にぷらーんと吊るされているコウさんの姿が想像できた。ちょっと面白い。
「おじさんじゃなくて?」
「うん、可愛い妹が拐われないようにコウさんを吊るしておく」
「私がコウさん以外を連れてきたらどうするの?」
「相手が誰でも吊るす、可愛い妹達を拐ってくやつは総じて一回は吊るす」
本当に、中姉ちゃんは表現が体当たり(物理)である。
「有り難う。でも私が好い人を連れてくるのはまだ先の話かなぁ」
「だといいけどね」
中姉ちゃんが寂しそうに言ったので首を傾げたが、答えははぐらかされたのだった。




