黒歴史
「ふふふ、愉快なポーズをしているね」
「マナーだ。曲がりなりにもお前は女だからな」
「ありがと。……ってそれ褒めてんの?」
阿藤は少し悩んでから返す。
「貶してはいないが褒めてもいないな」
要領を得ない回答であるのは承知済みだが、それ以外に適当な返答を思いつかないのだ。相手をなるべく傷つけないように言葉を選ぶのは非常に難しい。
が、まあ、長菜とはそれこそ曲がりなりにも幼なじみである。気の置けない仲として言葉を選ぶことも可能だ。
例えば。
「それとも何だ? その前衛的なTシャツはまさかツッコミ待ちだったのか?」
こんな風に。
黒字に七色迷彩まではセンスがいいが、もっと色々カッコいい感じの言葉とかあったはずだろう。可愛い言葉でもいいし、ファニーな言葉もありだ。
だが現実は「AHO」である。はっきり言ってどう斬り込んだらいいかわからない。先程のは単なるおふざけだったが、ツッコミにくさで言うのなら、長菜の今のファッションは魔王級のツッコミにくさだ。
「何を言っているんだ? 黒字に七色迷彩は攻めてはいるがファッショナブルだろう」
こいつ、文字が読めないのか? と阿藤は思った。「AHO」だぞ「AHO」。製作者の悪意しか感じられない。世界保健機関みたいなテンションでデザインする文字ではないだろう。
「まあ、お前の服はどうでもいい。昔からこんなだったからな」
「あ、今のはわかったぞ。お前、私を馬鹿にしただろう?」
「出会い頭で『ど阿呆』と言われたのだから、これくらいの仕返しは可愛いもんだろ。とりあえず、レディファーストだ。お前が座れ」
「レディファーストとか言って、危険を回避する気だろう?」
レディファーストというのは「女性を優遇する」的な意味で使われるが「先が危険かもしれないので、とりあえずレディファーストで誤魔化す」という糞解釈もある。もちろん阿藤は前者の意味で使ったため、あんまりな言われように肩を竦める。
大体、駅の優先席を巡ってレディファーストと言っているのに何の危険を回避するというのか。昔からそうだが、頭はいいくせに、どこかずれているのが長菜椰染という女である。
「で、出発間近の電車にスライディングで入ってきて、俺に何か用?」
「ああ、いや、特に用はないのだが」
おや、と阿藤は思う。確かこいつ「やっぱり理画ちゃんだ」と言いながら入って来なかっただろうか。
「なんとなくね。ほら、同窓会で久しぶりに会った友達に本人確認する感じよ」
同窓会レベルに久しぶりの再会なら納得だが、阿藤と長菜は仕事の都合かただの腐れ縁かよく会うことと言ったらない。新しい画集を出すときにゲストとしてコメントしたり対談したりする相手が長菜のことが多いのだ。阿藤はいい加減こいつとの縁を切りたいのだが、長菜はそうでもないため、この縁が細々と続いている。
「にしても、昔はただの悪ガキだった理画ちゃんが、まさか一人前に稼ぐ画家になるとはねえ。感慨深いよ」
「親みたいな口聞くなよ」
「だってぇ。まさかありんこ殺して楽しんでたノーマルオブノーマルな男の子が大出世じゃない」
「五月蝿いな。電車では静かにしろよ」
それは阿藤の中では立派な黒歴史認定の過去である。あのとき以来やっていない。
それはありんこを殺すのがガキ臭いからとかではなく、あのときのことがあるからだ。もちろん、精神年齢は立派な大人だ。長菜共々三十路を迎える。
昔、阿藤はありんこを殺すのが好きだった。蝉の亡骸に群がるありんこをちっちゃいハンマーで叩き潰したり、お湯を巣にかけて全滅させたりするのをゲーム感覚でやっていた。愚かなことをしたものだ、と思う今でさえ、あのときの無意味なまでの爽快感を忘れることができない。
それが何故、ありんこ大虐殺をやめたかというと、実は長菜に言われたのだ。
「やめなよ、理画ちゃん。あんた、ひっどい顔してるわよ?」
そうして、鏡を見せられたとき。そのときがありんこ大虐殺の快感以上に忘れられないインパクトを持って、今の阿藤の根幹になっている。
長菜が言っていた「ひっどい顔」というのが、それはもう当時小学校低学年だった二人には「ひっどい」としか表現のしようのない顔で、具体的に言うと口の端にはえくぼという言葉では誤魔化せない二重の皺が浮かび。狐のように目を細めてにんまりと、獲物を捕らえたしたり顔というにはあまりにも不気味に笑っていたのだ。
なかなか頭から離れなかった。夢にまで出てくる始末で、耐え兼ねた阿藤はそのときの自分の顔をスケッチブックに描き殴った。
どんな皮肉か、それに芸術性を見いだした阿藤の母親が有名SNSに挙げたことにより、その手の者の目に留まり、「鬼才、誕生」となる。つまり、あのときのことがなければ、今、画家なんぞやっていないというわけだ。
「人生どうなるもんかわからないよねぇ」
列車が走り出したというのに、吊革にも掴まらずに仁王立ちしている体幹化け物女が言う。まあ、こうして見ると、あのとき、長菜の指摘がなかったら、画家になるチャンスを手に入れることができなかったわけなので、画家の阿藤理画の生みの親とも言えるだろう。
阿藤は別に感謝はしていない。ただの偶然だ。遅かれ早かれ、誰かには注意されていたことだ。それがたまたま、こんな出世に繋がっただけ。阿藤は別に絵を描く趣味はなかったし、将来の夢が画家だったわけでもない。ただ一つ幸運だとすれば、食うのに困らない生活を送れていることだろう。
世は就職難である。画家や小説家なんてもののあはれを仕事にするのはかなり難しい。しかし、ヒットするとリストラの心配が当分ないというのがまたいい。そんな気楽さで絵を描いている。
そういう意味では、長菜の写真家という方がなかなか難しいのではないだろうか。
「仕事は?」
「ぼちぼちだよ。いやぁ、写真家はいいねぇ。仕事で旅に出られる」
そう、こいつは地方なんかに行って風景を撮るのが上手い。実は海外の祭りなんかにも行って、文化交流だかの新聞に提供しているという。旅費は依頼人が払ってくれる場合が多いので、タダで旅行して、おまけに金儲けという小癪な生き方をしている。賢いといえば賢い。
「俺はお前がこんな有名すぎてもはやどこを撮るべきかわからない駅にいるのかが気になるな」
「ふふーん」
おっと、と阿藤は察した。この胸を張り、得意げに笑う感じはいかにも「そう聞かれるのを待っていた」というようだ。それくらいの自慢話というわけだ。それはそれはどれくらい大層なものなのか、是非ともご拝聴したいものだ。
長菜はダサTに隠れて見えなかったウエストポーチからメモ帳を出した。仁王立ちだけでもやべえ女だと思っていたのに、走行中の列車の中で姿勢を崩さずに立ったまま探し物とは。
「実はこんな依頼があったのだ」
そのページにはこう書いてあった。
「山手線にて、幻のマニ車撮影」
NiOさんの夏ホラ
「深海の駅」
https://ncode.syosetu.com/n0681gj/