環状線に乗る男
阿藤理画は画家である。主に人物画で売れている。
こんな名前だが、一応男で、イケメンではない。というわけで、個展を開き、ご本人登場すると、ドン引きして帰る女性客が多数。なんでだ。
人は名前で決めるもんじゃないだろう。例えば「なおみ」とかいう男性は昔から多くいる。この理論でいくと、「なおみ」という男性は生きていちゃいけない話になる。だが人はそれを差別だという。それなら「りえ」が男だってかまわないじゃないか。
あと、男がみんなイケメンだと思うな。アーティストがみんなイケメンだと思うな。ゴッホや葛飾北斎を似顔絵見ただけでイケメンというやつは特殊性癖かもしれない。だが、そういうイケメンの線引きだって存在するのだから、画家本人に顔の良し悪しは関係ないだろう。
……という不満を抱きながら生きているのが阿藤理画という男である。なんだかんだと言ってはいるが、画家として売れている。個展はたまにしか開かないし、週刊にすっぱ抜かれるほどではない。けれど、生活に不自由しない程度に人気で顔は上中下で言ったら中の下くらいだろう。生活するのに不便なほど不細工というわけではない。とても健全で、絵が上手いということを抜けば、とてもつまらない男だった。
そんな彼の知られざる趣味は、駅通いだった。
乗るときもあれば乗らないときもある。まあ、乗るときが多い。駅や列車で人々が行き交うのをただただ観察するだけ。これまたつまらない趣味と言えよう。
だが、人間観察は画家にとってインスピレーションの源にもなり得るので、全くの無意味とは言えない行動だった。まあ、阿藤自身はそんなことは考えていない。
昔から、意味のないことが好きだ。それはもう子どもの頃は典型悪ガキみたいなものだったし、成長して、中学高校は窓際の席でぼーっと外を眺めるのが好きだった。授業中ノートに落書きしたし、それが見つかって先生に怒られたりした。まあ、よくいる生徒だったことだろう。
それが興じて、まさか画家になるなんて、阿藤自身が一番予想外だった。普通の人間として普通の生活を送り、普通に死ぬのだろう、つまらない人生を謳歌しよう。あのときからそう思っていたのに。
まあ、趣味に当てられる時間が多いのは幸いだ。列車オタクというわけではないが、一男児として乗り物にロマンを感じるのは避けては通れない。つまらないと言われてもこれだけは譲れなかった。
ガタンゴトン、ガタンゴトン……規則的な音を出して動く列車。山手線と言われるおそらく日本一有名な列車に乗る。それが日常だ。何も起こらないのでつまらないのだが、優先席で行われる譲り合いを見ていると、「近頃の若者は~」と偉そうに宣うやつらに見せてやりたくなる。
だが、それこそ意味がなく、むしろ盗撮的な感じで訴えられるのではないか、と思い、阿藤は自分の脳内に収めるだけにしている。気分がよくなる。
ちなみに、阿藤は優先席を譲るのが面倒なので、最初から吊革を掴んで立っている。阿藤がいる平日の昼間は空いていることが多いので、ハンズアップしなければならないということはない。もちろん、女性客が近くに立っているときはハンズアップする。これはマナーである。
「まもなく~、目黒、目黒でございます。お降りの方はお忘れ物のないよう、お願いいたします」
いつもいつもふざけていて多少うざく聞こえるお馴染みの男性アナウンスが流れてくる。阿藤は近くの手すりに掴まった。わりと、慣性の法則に耐えられず、転ぶことがあるのだ。足で踏ん張ればいいじゃないか、と言われるだろうが、阿藤の足は貧弱でこそないものの、各駅停車にずっと耐えられるほどの忍耐は持たない。
なら座れという話だが、優先席しか空いていない。繰り返すが、優先席を譲るのが面倒なので最初からわざわざ立っているのである。
銀色にぴかぴか光る手すりを掴まえ、足元を見る。いくら手すりにすがれたからとはいえ、足でもある程度は踏ん張りたい。何気、筋力を鍛えることになるのだ。必要でもないのにジョギングとかするのは嫌だ。だが足腰は鍛えたい。そんなワガママなあなたにおすすめ、「慣性の法則に耐えよう」。素晴らしい利害の一致ではなかろうか。
見ると床にはうっすら、模様が浮かんで見える。何の模様かはさっぱり。どんな車両に乗っても不思議な模様になっているため、なんだろう、と結論を出さずに分析するのも阿藤の趣味である。
列車が停まるとほっと息を吐いた。二、三分ほどではあるが、クールタイムである。ずっと棒立ちの足を動かして、固まっていた膝の感覚を戻す。
降車する人はいないようだ。構内にアナウンスが広がる。
「まもなく~、三番線より列車が発車致しま~す。危険ですので、駆け込み乗車などはお控えくださ~い」
こちらを馬鹿にしているのか、と思えるほどイントネーションの癖が強いアナウンス。しかし内容は乗客を気遣うもので、決して馬鹿にしているわけではなく、むしろ思いやりの放送である。
一度、初めての列車なのかひゃっほーいと乗り込もうとした男の子が、入口前でべしゃあ、とこけて、泣きじゃくって、列車の運転が三分遅れた事案がある。それを知ってからだと、この放送の有り難みが身に染みるというものだ……
「待て待て待てぇぃゃっ!!!!」
そんな心のあはれを完全スルーして入ってきた、服装の女子力がおっさんの女性が、駅内アナウンスを完璧に無視するスライディングで入ってきた。お洒落みたいな感じで文字の縁から絵の具が垂れたようなロゴだが、黒地に七色迷彩で「AHO」と書かれている。下はくたびれたステテコ。こんな歩くおじさんファッション精神年齢五歳未満の女性など、見なかったことにしたい。
「よっしゃ、やっぱり理画ちゃんじゃない。ヤッホー」
……知り合いでなければ。
「ドチラサマデスカ」
「あっはー、なんで片言なのー? っていうか我が名を忘れるとはいい度胸だな?」
「命ばかりはお助けを、魔王やしみさまー」
「わーっはっはっは! そうじゃ、余を崇めるが良い。……って、誰が魔王じゃーい!」
阿藤の棒読みボケに見事であり、無駄なまでの演技力を持ってノリツッコミした女性。服装からは女性らしさが一ミリも感じられず、カメラを首からぶら下げた彼女の名は。
「長菜梛染だろうがど阿呆」
「うん、今のお前にだけは言われたくないよ」
歩く「AHO」と化している彼女は阿藤の幼なじみの長菜である。こういうテンションで写真家をやっている。幼なじみで、一応阿藤のファンの一人だ。
「なんだ理画ちゃん、座らないのか? こんなに席空いてるのに」
「俺は足腰を鍛えているんだ」
「あたしに相撲で負けるくせに」
「いつの時代の話だよ」
やんちゃ坊主もびっくりのお転婆姫な長菜は喧嘩がとても強い。家がなんか道場らしい。何の道場かは阿藤も聞いたことはないので知らない。別に必要な情報でもない。
長菜とは、こんな感じだが、長らく縁が続いている。所謂腐れ縁というやつだ。ファッションセンスを除けば、文武両道、成績優秀、容姿端麗なので、何をやってもおかしくないやつだ、と専らの評判だった。高校時代は読モのお誘いがあったらしいが、しつこい仕事人をストーカーと勘違いしたらしい長菜氏は、スカウトマンを片手で伸したという逸話を持つ。
そんな彼女が選んだのが、撮られる側ではなく、撮る側の仕事、写真家である。フリーで働いていて、よく雑誌編集者なんかからの依頼で動いている。
とりあえず、お洒落度がド底辺でも女性は女性なので、紳士な阿藤は無言でハンズアップした。
NiOさんの夏ホラ作品
「深海の駅」
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