1.8. マウスかちかち軍団
「ただいま。今日は散々だったよ」
色々な意味で疲れ果てた僕は、普段は禁じ手にしている自宅以外からの転送で入道相国に戻った。
もはや目に馴染んだ乗組員室三〇一号の風景にホッと息が漏れる。
飲み勝負は結局有耶無耶のまま終わった。と言うのも、僕が酒を吹いたのと同時にパーシャルさんが気絶してしまったのだ。変身して酔いが覚めたように見えていたのだが、それは本当に見た目の上だけで、実際はとっくに限界だったらしい。
幸い、事態を察知したボーイさんがすぐ対応してくれたので大事には至っていないと思う。
まぁ、半分以上は彼女の自業自得なのだが、その責任の一端は僕にもあるので少々申し訳ない気もする。
そもそも「飲み勝負」と言いつつも何も賭けていなかったので、勝とうが負けようがどうでもよかったのだ。
さっさと降参するべきだったのかもしれない。
しかし、変身したパーシャルさんは相当な眼福だったので、僕的には勝負して良かったとも言える。
そう言えば、あの「変身」は何だったのだろう? ビックリ人間だろうか? いや、そんなバカな。それとも幻覚でも見ていたのだろうか? 結構飲んだから「酔っぱらって幻覚を見た」というのが一番現実的な回答だとは思うが……。
「お疲れ様でした。このヴィ○ティムという曲はナカナカ癖になりますね。ベースソロが可愛いです」
「また聞いてるのか……」
まり子の声で、現実に引き戻される。
確かにアレは妙に耳に残る曲だ。
見れば、ヴィク○ィムのアルバム「By The Ne○k」が例によって謎のピンポン玉の上で回っていた。
AIも音楽を聞いて楽しいのだろうか? まぁ、今のコメントを聞く限り、充分楽しんでいるとしか思えないが。
「そういえばさ、まり子の故郷にも音楽はあったのかな?」
ふと思い浮かんだ疑問をそのままぶつけてみた。
入道相国の故郷については以前少しだけ聞いたのだが、まり子曰く「地球によく似た環境の惑星だったと思います」だそうだ。
曖昧に「だったと思います」と言っているのは、その星についての情報の多くが欠損しているのだそうな。
座標データも欠損していて、その惑星がどこにあるのかもわからないという。
しかし、座標がわかったとしても、現存しない可能性が高いとの事だ。と言うのも、入道相国は建造された後、ある恒星の中心部に永い間封印されていたらしいのだ。
「永い事」というのがどれ程なのかはわからないが、もしかしたら十億年とか百億年とか、人類には想像もつかないような遠い時間の彼方なのかもしれない。
で、封印されていた入道相国をスタンチョーユ博士が何かの実験の際に「偶然掘り起こした」との事で、……あのオッサンは一体何をやっているんだ。
「すみません。やはり、故郷についての情報は欠損が多くて何とも言えません。音楽など文化的な事柄については、ほぼ何も残ってないんです」
「そっか。ゴメンね、ヘンな事聞いて」
まり子はそれに「良いんですよ」と答えて音楽鑑賞に戻った。と見せかけて質問を投げかけてくる。
「ところで、先ほど『散々だった』とおっしゃっていましたが、何があったのですか?」
「え? ああ、今日はね――」
朝からトラブル対応で大忙しだった事、そして夜はキャバクラに行って飲み勝負をした事……、パーシャルさんについては一部ぼかしつつ大まかなところを掻い摘んで説明すると、まり子は(正確には謎のピンポン玉だが)くるりとこちらを向いて言った。
「はい。ありがとうございました。実は今日、英治さんが監視から外れていた時間帯があるんです」
監視。
そうだ、心のゴミ箱に突っ込んで忘れたフリをしていたが、僕はまり子に常時監視されているのだった。
嫌なことを思い出してしまった……。
待て。
今「監視から外れていた時間帯がある」と言ったか。超技術の塊である入道相国の監視から外れる!? そんな事があるのか?
「監視から外れたのは、英治さんがキャバクラに入った直後です。『監視から外れた』と言っても、完全に見失っていた訳ではなく、生体パルスと大まかな位置情報は捉えていました。しかし、映像と音声が欠落しましたので管理者対象の監視としては不合格です。申し訳ありません」
「念の為、周辺一帯を走査して害になりそうな敵性体が居ない事は確認しましたし、充分な保険もかけてありましたので万一の事は無いと確信していましたが、そもそも監視が外れる事自体が異常です。ですので、あのキャバクラの一帯は調査する必要があります」
「また、今後他の場所でも同様の事態の発生が懸念されますので、英治さんには自衛の技術を学んでいただこうと思います」
色々言われたが、ちょっと待ってほしい。
情報が整理できていないが、気になるところは突っ込みを入れておくべきだろう。
「待った、保険をかけてあった、って何?」
何だろう? 少なくとも生命保険ではないはずだ。そもそもお金の問題じゃない訳だし。
「はい。保険という表現は正しくありませんでしたね。単に『前々から備えをしていた』という意味で申し上げました」
僕が危険な目に遭う事を想定して何らかの準備をしていた、という事か。
「ええっと、備えっていうのは何を準備していたの?」
「はい。英治さんの体を強化しておいたのです」
「強化?」
体を強化? どういう事だろう?
反射的に二の腕やお腹に手をやって肉付きを確認するが、いつも通りのヒョロガリだった。いや、おなかの贅肉はちょっと増えている気がするが……、気のせいだろう。
「ええっと、強くなっている感じはしないけど?」
「はい、運動能力は変化していませんが、生物的には強くなっていますよ。簡単に説明しますと、大きく分けて三種類の生体強化を施してあります。一つは細胞の強化、もう一つは代謝のサイクル化および効率化するための腸内細菌の追加、最後の一つは環境対応用ナノマシンの注入です」
細胞強化!
細胞強化!
僕はいつの間にか改造人間になっていたのか?
急にそんな事を言われても信じられないが、まり子が嘘をつくとも思えない。
恐らくは、いや、確実にまり子の言う改造が施されているのだろうけど、僕はどうすれば良いのだろう。「あー、俺改造人間になっちゃったよー」と絶望すればいいのか? それとも「あ、ラッキー♪」と軽く受け取っていいのか?
まったくもって実感が無いので感情もついて行かない。
「うーん、まぁ、あんまり変わったような感じはしないし、普通の人とそんなに変わらないんだよね?」
「いいえ、場合によっては違いを実感すると思いますよ。例えば、今日はかなり多量のお酒を飲んだようですが、アルコールの影響は皆無のはずです。どうですか?」
指摘されて、背筋に冷たい物が走った。
事実から目を背けていただけで、薄々気付いてはいたのだ。
何杯飲んでも一向に酔いが回る感じが無いどころか、アルコールが口内や咽を焼きながら流れ落ちていく感覚や、胃の中に熱く染み渡るような感覚も無かったのだ。
そして、最後にはエタノール(アルコール)を原液のまま飲んだが、何ともなかった。
本来なら「何ともない」なんて事はあり得ないのだ。
エタノールを何杯もガブ飲みすれば、病院送りになるのが普通だろう。場合によってはあの世行きだ。
「確かに、酔っていない……気がする」
「はい。先程チェックしましたが、英治さんの体内からはエタノールおよびアセトアルデヒドの類は一切検出しませんでした。シラフですよ」
シラフか、そうかシラフなのか。
そしてキリンはジラフだ。
という事はやはり、スーパーパーシャルさんの存在は幻覚ではなかったのだ。
つまり、変身する人間なんてものが現実に存在するという事なのか。
いや待て、現実的に考えれば人間が変身などする訳が無い。ここは、光で目が眩んだ隙に入れ替わったと考えるべきだろう。そうだ、恐らくパーシャルさんとスーパーパーシャルさんは姉妹なのだ。そう考えた方がずっと自然だ。
しかし、そういえばスーパーパーシャルさんもエタノールをカパカパ飲んでいたが、本当に大丈夫だったのだろうか。
今更ながら不安になってきた。一度お見舞いに行くべきだろうか。
いや、もしも、万が一、スーパーパーシャルさんが急性アルコール中毒で亡くなっていたりしたら……。
その後、キャバクラ周辺の調査や自衛の技術を学ぶ件について色々提案されたのだが、残念ながら脳に入って来なかった。
-/-
寝付きも寝覚めも悪く、気分は最悪だった。別に宿酔いしている訳ではないのだが、心労というのは思いの外重いようだ。
それでも気付けばいつもの様に出社していた。
これも社畜のサガか……。
「お疲れーい! んあ? お前は割と元気そうだな。」
職場では、昨日一緒に飲みに行った面々が青い顔でマウスをカチカチしている中、僕とクラミン先輩だけが平常運転だった。
「ええ、まぁ、何とか」
まさか「僕は酔わない体質なんです」などと言う訳にもいかず、笑顔で誤魔化す事にした。
「いや、参ったわ。昨夜は俺も飲み過ぎたみたいでな、ちょっと記憶飛んでるんだわ」
そういえば、昨夜のクラミン先輩はかなり酔っていたが、まさか記憶が飛ぶ程だとは意外だった。それでも、宿酔いせずケロッとしているあたり鉄人の名は伊達ではないだろう。
「ところで、なんだが」
そこで言葉を区切ったクラミン先輩は、折り畳まれた桜色の紙片を胸ポケットから取り出し、開いて見せてきた。
珍しく神妙な面持ちで聞いてくる。
「お前さ、あの店で何かやらかした?」
その紙片には次のように書かれていた。
クラミン様
店長のまもりです
今日は遊びに来てくださり ありがとうございました
みなさんのお陰で とても楽しい時間を過ごせました
女の子達も楽しかったと喜んでいます
また みなさんご一緒に遊びに来てください
みんなでお待ちしています
P.S.
タカムラ様にお店に来ていただけるようにお伝えください
忘れ物を預かっております
明日の営業時間前に来ていただけると助かります
「忘れ物? えぇ? 何か忘れたっけ?」
念のためカバンをゴソゴソ探ってみるが、紛失しているものは無さそうだった。
「多分な、忘れ物っていうのは呼び出すための方便だと思うぞ」
それで「何かやらかした?」と聞いたわけか。
やらかした覚えが「ある」か「ない」かで言えば大いに「ある」わけで……。
「あぁ……、何かやらかしたんだな? 何をやったんだ? 教えろよ」
あちゃーと思ったのが顔に出てしまったようで、それを見たクラミン先輩の追及が始まった。
しかし、そうは言ってもあの場には先輩も居た訳で、先輩の知らない事は何もないはずだ。
「いや、店の子とお酒の飲み勝負をしたのは先輩も見てましたよね」
「すまん、割と本格的に何も覚えてないんだ。席についてから後は何も覚えてない」
「えぇ……」
他の同僚にも聞いてみたが、揃って記憶が飛んでいた。
それも、席に着いた直後から店を出るまでの記憶がすっぽりと抜け落ちているのだ。そして、ただ「楽しかった」というおぼろげな感覚だけが残っているらしい。
明らかに異常だ。あの店での出来事を覚えているのは僕一人なのだ。
少しは思い出してくれるかと思い、昨日あの店であった事を可能な限り詳細に話してみたのだが、全員首をかしげるばかりでどうにもならない。
当然だが、パーシャルさんの事については信じてもらう事すらできず、話せば話すほど「お前は何を言っているんだ」という感じで呆れられる始末だった。
「ともかく、迷惑をかけたなら、ちゃんと謝ってきてくれよ。気に入ってる店なんだから」
クラミン先輩にそう言われて話は終わり、もはや「店に行かない」という選択肢はなくなっていた。