1.7. 魅惑のミクスト・ドリンク
以前何かの記事で読んだのだが、「お酒は飲めば飲むほど慣れて強くなる」というのは嘘なのだそうだ。
強くなったと思うのは実は錯覚で、多くの場合飲酒による多幸感を求めるようになっているだけなのだという。そして、お酒に強いか弱いかは元々の体質によるもので生涯不変らしい。
「さて、タカムラさん。次は何を飲みますか?」
「あー、では、ダイキリください」
また別の記事で、酒に含まれるアルコールの有害性について読んだこともある。実は、アルコールは毒性も常習性もタバコより上なのだという。本当なのか? と思うが確かめる気はない。
僕はタバコを嗜まないので喫煙者の感覚はわからないが、傍から見るとタバコの方が常習性が高いように見える。でもそれは、タバコへの執着を目にする機会が多いからかもしれない。
タバコを吸う人は、冬の雨の日に寒風吹きすさぶコンビニ前で頑張って吸っていたりするのだから、その執着は吸わない者からすれば恐ろしく感じる事もある。
話が逸れたが、今問題なのは酒だ。
ステレオタイプな酔っ払いのキャラクターに、ベロンベロンに酔っぱらっているにも関わらず「全然酔ってないよー」とクダを撒くものがあるが、現実の酔っ払いはもっと性質が悪かったりする。
個人的に一番性質が悪いと思うのは「一見シラフのような酔っ払い」だ。
「はい、飲みました。次はパーシャルさんが選んでください」
「いい加減選ぶのが面倒になってきましたね。すみませんが、ころ……、このメニューの上から順に持ってきてください」
毎年、酒が原因で命を落とす人が少なからず居る。
人間という生き物は少量でもアルコールが入ると反射神経や理解力といった能力が全体的に低下する。
ゲーム的な表現で「ステータスにデバフがかかる」と言い換えればわかりやすいだろうか。
これはあくまで持論だが、癌になるリスクがどうのこうのよりも、この「デバフ」こそがアルコールの一番の毒性だと思う。
この「デバフ」がどれ程恐ろしいものなのか?
ゲーム的に例えるとこうだ。
ある敵が目の前に居る。その敵は自分より弱いので苦も無く一撃で倒せる。しかし酒を飲んでいた事で自分のステータスが下がっており、敵より弱くなっていた。しかし、理解力が低下している為、それに気付かずに戦いを挑んでしまう。その結果、敵に負けて死んでしまった。
これを現実の話に置き換えると次のようになる。
目の前に踏切がある。電車が近づいて遮断機が下り、カンカン鳴り始めた。向こうまで十メートルも無い。遮断機はまだ閉まりきっていない。元陸上部の自分なら二秒で駆け抜けられる。今の内だ! 走れ! 急げ! あれ? 変だ。地面がフワフワする。走りにくい。足がもつれる。膝に力が入らな――
ゲームと違って厄介なのは、自らの能力が低下している事に気づけない点だ。当然だが、現実の世界には自分の能力を分かりやすく数値表示してくれる機能は無いし、デバフを警告するインジケーターも無い。
流石にデバフかかったら自覚するだろう。と思うかもしれないが、シラフの状態でならわかるとしても、アルコールを飲めば理解力も低下する為、自らのステータスが低下していることに気が付くのは困難だろう。
出来ると思っていた事が出来ない。その認識の乖離が、不幸な結末を引き起こす原因だと思う。
そういう不幸を回避する為には自制が肝要だ。
少しでも酒を飲んだら「自分は酔っ払いなのだ」と自戒しなければならない。酔っていれば、いつも当たり前のように出来ている事が、全力でやっても出来ないかもしれない。
そう心に刻んでおかなければならないのだ。
僕はそう思っている。
「次は、えーと、雪国?」
「あるぇは……、あれはそこそこ強いお酒ですよ。果たしてあらた……、あなたは飲めますかね? ヒック」
そして、酒を飲む時に注意しなければならない事柄に「急性アルコール中毒」というものがある。
これは、一気飲みなどで多量のお酒を短時間で摂取した場合に、血液中のアルコール濃度が急激に高まる事で発生するという。
対処を誤れば、誰もが等しくあの世行きする恐ろしい中毒症状だ。
これを未然に防ぐには、多量のお酒を一気飲みしない、ゆっくり時間をかけて飲む、または自分の飲める限界以上に飲まない、等の対処が有効らしいが、どうにも基準が曖昧だ。それらの境界線はいったいどう判定すればわかるのか。
当然、わかりようがない。
極論だが「そんなにアルコールが危険ならば禁止してしまえ」という意見もあるだろう。しかし、これは実際に、どこぞのお米の国が過去に禁止したことがあるらしいのだが、結果は散々だったとの事だ。
ともかく、まずは自衛からだ。
お酒を飲む時は、充分注意して飲む。まぁ、そもそも飲まないのが一番良いのは確かだが。
「次はさいどぅく……ヒック、サイドカーですか」
「パーシャルさん。そろそろやめませんか?」
そこそこのペースで飲んだが、まだ酔った感じはしていない。だが、実はそれが罠だという事は知っている。僕は騙されない。
現に、同じものを飲んでいるパーシャルさんは顔を真っ赤にして目を座らせている。呂律も回らなくなってきているし、動きもヘンだ。
僕も自覚が無いだけで、そこそこ酔っているに違いない。
「らりを……何を言うのですか。私はまだまだろめ……飲めますよ」
「あまり大丈夫そうには見えないけど」
次のグラスが運ばれてくると、パーシャルさんは億劫そうに受け取って手前に置き、腕を組んでうつむいてしまった。
どうにも、相当キているように見える。この人、実はお酒に弱いのかもしれない。
「おいっ、篁っ」
何やら後ろから呼ばれたので振り向くとクラミン先輩が居た。その背後には店長さんの姿も見える。
「ああ、先輩。どうしました?」
「はっはっはっは! どうしましたっ! じゃないよー! はっはっはっは! お前っ凄いなーっ! はっはっはっはっは!」
ああ、と思った。
完全に出来上がっている。
クラミン先輩はある程度以上酔っぱらうと高笑いをするようになるのだが、今がまさにそれだった。
経験上、この状態の先輩には理屈が通じない。通じても一瞬後には忘れている。
「あっ! 先輩、こんな所に水がありました! これ美味しいヤツですから飲んでください!」
「はっはっはっは! たーかむらー、気が利くじゃないかー。お前出世するぞー?」
丁度手付かずのおひやがあったので、渡すとゴクゴク飲みはじめた。
「先輩、あっちで女の子が呼んでます。行ってあげてください」
「お? 女の子? どこ? 行くわー」
適当に促して店の奥の方に誘導した。女の子が呼んでいた、と言うのは勿論出まかせだ。
フラフラ歩いて行く先輩を目で追っていると、あのボーイさんが捕まえてどこかへ連れて行った。
トイレだろうか? まぁ先輩は常連っぽいので、悪い事にはならないだろう。
「フフフ、あしらうのに慣れていらっしゃるのですね」
しっとりとしたささやき声が耳をくすぐった。
見ると、店長さんだった。
「あ、いや、どうも。普段飲まないので、対応に慣れちゃいまして」
思わず、乾いた笑い交じりの返答をしてしまった。
この人も近くで見ると迫力がマシマシになるらしく、色々と凄い。スゴみが凄い。ってそれはもういいか。
「そうなのですか。先程から、かなり飲んでいらしたはずですが。お強いのですね」
確かに、過去を振り返っても派手に酔っぱらった事は無い気がする。
両親ともそこそこお酒を飲む方だったので、その血を引く僕は遺伝的に考えて人並には飲めると思っていたが、強い方なのだろうか? いや、単に量を飲んだことが無いだけか。
覚えている限りで一番酔っぱらったのは、成人式の時だろうか。飲んだのはビールの中瓶一本と焼酎をコップ二杯程度だったか? あの時は結構体がフワフワした覚えがある。
「いやぁ、せいぜい人並か、それよりちょっと飲めるくらいだと思いますよ?」
答えると、店長は困ったように眉をひそめた。
何かまずい事を言ってしまっただろうか。
「でも、もう六十杯くらいお飲みですよ? 当店のメニューを二巡しておりますし……」
「ええと、そうですね。でも、一杯当たりの量が少ないので、何とかなっています」
フォローしたつもりだったが、一層困った顔をされた。
不謹慎で申し訳ないが、その表情も絵になる。店長さん、すごく良い。
「聞きましたよ、らかむら……タカムラさん!」
突然の声に振り返ると、こちらを指さし、もう片方の手を腰に当てて仁王立ちしたパーシャルさんが目に入った。
「言いましたれ? 一杯当らりの量が少らいから何とかなっている、と。それらら、一杯当らりの量ら多いおらけらら、ろーりろらららいらら」
もはや呂律が回っていないどころか言葉になっていない。
ここらへんが限界だろう。
「あの、やっぱもうやめまし」
「おだまりららい!」
何とも面倒な子だ。
これ以上飲ませるのは良くないから、強制的にご退場願うのが一番だろう。
幸い、すぐ背後には店長さんが居るので、引っ込めてもらうようお願いしよう。
「あの、店ちょ」
「れんりょ……店長。ごめんらさい。れも、わらしは負れたくないろれす。れっかく助けれくれたろり、ほんろうにごめんらさい」
何か切羽詰まった感じで訴えているが、何を言っているのか半分もわからない。
「パーちゃん! ダメよ! 落ち着いて!」
店長さんは店長さんで、なにやら慌て始めた。
何だろう。何かまずいのだろうか。
「らか……タカムラさん! わらしの本気を少しらけ見せてあげます! かんさしなさい!」
そう叫んだパーシャルさんの瞳が輝き始めた。
一瞬前まで妖しく煌めいていた銀河の瞳が、今は虹を湛えたオパールのように強く強く輝いていた。
「なんだ!? 新しい手品か!?」
瞳から放たれる光は更に輝きを増していき、遂にあふれ出すと顔から全身へと広がって、とうとう頭の先から足の先までが虹の光に包まれた。
そしてパーシャルさんの変化はそれだけで終わらなかった。
光になったパーシャルさんの体形が変化を始めたのだ。
しかし、かざした指の隙間から辛うじて視認できたのは、身長と髪の毛が徐々に伸びていく事だけだった。
時間にすれば一分に満たない程だったろう。
光がおさまった時、そこに居たのは変身したパーシャルさんだった。
いや、変身と言って良いのだろうか? 「成長したパーシャルさん」と言った方が正しいかもしれない。どういう理屈でそうなったのか理解不能だが、目の前で起きた現実は受け入れる他ないだろう。
艶やかな紫色の髪は腰まで届き、銀河の瞳は一層妖しさを増して煌めいている。身長は僕より頭一つ分ほど低かったのが、僕と同じくらいに高くなり、肉付きが良くなりつつも引き締まった体形を映えさせる。
だが、最も大きな変化は上半身の前面だろう。何とは言わないが、日本人離れした、見た事も無いような大きさになっているのだ。
非常に目のやり場に困る。
大きさも問題なのだが、なにより着ているミニドレスがパワーアップ前のままなのが事熊を更に悪化させていた。
そう、元々「ミニドレス」だったのが、今では「スーパータイトドレス」とでも表現するような状態になっているのだ。
胸元は一応フルカップなのだが、今は肝心な部分を辛うじて隠しているだけの状態であり、裾は長さが足りておらず、ほぼ股下スレスレになっている。というか全体的に布が足りてなくてムチムチ、ピチピチのつんつるてんだ。
少しでも動けば何かがはみ出す! そんな危険さがある。
「パーちゃん……」
店長さんが引きつった笑顔でつぶやいた。
周りに居た同僚たちは、パワーアップしたパーシャルさん――スーパーパーシャルさんとでも呼ぼうか――を見て大いに盛り上がっている。
恐らく、余興か何かだと思っているのだろう。
……いや、余興なのか? というかどういう事なの? 変身? ええええ?
どういう事なのか店長さんに聞こうとしてそちらを向くと、スッと目を逸らされた。
ナニカヤマシイコトデモアルノデショウカ?
そんな事を考えているとスーパーパーシャルさんが口を開いた。
「店長、クライシス=オー・アール・ゼットをくれませんか」
-/-
嬉し……、いや、残念なことに、スーパーパーシャルさんと飲み勝負を続行する事になった。
スーパーパーシャルさんは変身した事で酔いがリセットされたらしく、目の前に運ばれてきたカクテルをかっぽかっぽかっぽかっぽ飲みはじめた。
「どうですか、タカムラさん? このクライシス=オー・アール・ゼットのお味は?」
「いや、どう、と言われても」
どうにか意識をその部分から外そうと努力するのだが、これは無理だ。
スーパーパーシャルさんが体を動かすたびに、ゆさりゆさりと生物的な重みを伴った動きで胸部の柔軟な塊が揺れるのだ。
どうにかガン見しないように取り繕っては居るが、本当に取り繕えているのかは自信が無い。
どうしても、チラチラ見てしまう。どう足掻いても目で追ってしまう。
猫じゃらされる猫の気持ちはこういう物なのだろうか。
次々に「クライシス=オー・アール・ゼット」なるカクテルが運ばれてくるのだが、もはや味わう事など出来ていない。
機械的に口に運び、胃に流し込むだけだ。
「そういえば、聞いたことないカクテルですけど、材料は何ですか?」
「知りたいですか?」
スーパーパーシャルさんは、そう言ってニヤリと笑った。
「これはですね、ごくシンプルなカクテルです。恐らくこの世で最もシンプルなカクテルですよ」
そこで言葉を区切って、ジョッキになみなみと注がれた一杯を飲み干した。
「ふぅ……、流石に効きますね。さて、材料ですが」
後ろをふり返ってボーイさんが来ないか確認する。
よし、居ないな。
「エタノールを四百ミリリットル。それだけです」
丁度口に含んでいたそれを、盛大に吹き出してしまった。