1.4. 真夜中のクッキング
「ディー○パープルのハイ○ェイスターはビ○ジーズが歌った方が綺麗だと思うのです」
帰宅して部屋に入った直後、まり子から意味の分からない事を言われて脳がサイパンにトリップした。
というかそんなのを聞いたら腹が捩れて死ぬかもしれん。CDあったら即買うわ。
「あ……、ああ、聞いたのか」
見ると本棚に仕舞ってあったCDが数枚、こたつの上に出ている。そのうちの一枚はケースから出されて、件のピンポン玉みたいなやつの上でクルクル回っていた。
ペン○ラゴンのレッ○シューズか。
「とりあえず、ハイ○ェイスターを上品に歌うのはちょっと違う気がする。面白いかもしれないけど」
「そうでしょうか。ピッタリピタリだと思うのですが」
時刻は午後十時を回っている。夕飯がまだなので気分がガツガツしており、アホな話題に付き合うのは少々辛い。何でもいいからすぐに食べたい。
「とりあえず飯食うわ。それ聞いててもいいけど、終わった奴は方付けといて」
「はい。わかりました」
この部屋には入り口とは別の扉があり、その先には簡易なキッチンとトイレ、更には洗面台と浴室がある。
荷物を置いた後洗面台へ移動し、スーツ一式を脱ぎ捨てて傍らにある造り付けの箱に放り込む。
この何の変哲もない箱は、実は洗濯機だ。
洗濯機、と言う割には水は出ないし回転もしない。どういう仕組みなのかまり子に聞いたところ、分子をあーだこーだして汚れを落としているという。
まったく理解不能なのだが、しっかり綺麗に――と言うか新品同然になるのが恐ろしい。
何しろ、綺麗になるだけでなくスラックスは折り目クッキリになり、ワイシャツはパリッとするのだ。
どう考えても洗濯機の域を超えている。
と、洗濯機の事はどうでもいい。飯だ飯。
棚から着替えのジャージを取り出して身に着け、調理台脇の壁に埋めこまれたスイッチを押す。
すると、壁の一部がスッと消えて壁面収納が現れた。
中には調理器具、食器および食材の類が整然と並べられている。
まり子によると「この壁面収納は、消えている間は時間軸の存在しない半空間に放り込んであるので入れたものを長期保存できます」とのことだ。
実際、温かいものは温かいまま、冷たいものは冷たいまま保存できるので重宝している。容積がかなり広いのも良い。
さて、何か簡単に食べられるものは……と。
食べられるものを探したが、無かった。
いや、正確に言うなら炊いた米が約一合と生の牛スジ肉が一キログラム程ある。
今からスジ肉を調理するのは時間がかかりすぎる。かといって、米だけ食べるのも嫌だ。
一応、調味料の類なら何かあるだろうと当りをつけ、もう一度探ってみたが赤味噌しかなかった。
赤味噌をお湯に溶いてごはんを食べるのも手か。
いや待て、スジ肉のスジ部分を避けて小さくそぎ切りにし、赤味噌を付けて焼けば美味しくいただけるのではないだろうか。
しかし、それでは手間がかかり過ぎる上に量が少なくなるだろう。
そこそこ腹が減っているのだ。手間はかけたくないし、たくさん食べたい。
いっそ外食を! と考えるが、今月の懐具合を思い出して断念した。残金を日割りで計算すると給料日までギリギリなのだ。
この目の前にある米とスジ肉と赤味噌で乗り切るしかない。
厄介なのはスジ肉だ。これさえ何とかすればパラダイスが待っているはずだ。
スジ肉、牛スジ肉、スジスジ、スジ牛スジ、肉スジ牛。スジー牛。スージー肉牛。アレか、やはりスージー肉牛を食べるならアレしかない。
問題はアレがあるかどうかだ。アレがあれば勝てる。パラダイスに勝てる!
「まり子、圧力鍋ある?」
そう、圧力鍋で煮るのだ。
スージー肉牛は固い。焼いて食うと顎にクる。しかし、煮込めばゼリーのように柔らかくなり、味わいも深くて良さがある。
良さがあるのだ!
ただし、スージー肉牛をしっかり煮込むのには時間がかかるという問題がある。そこで登場するのが圧力鍋だ。
圧力鍋を用いれば、煮込みに要する時間を圧倒的に短縮する事ができる。でかいジャガイモなども圧力鍋でものの十分程度煮れば芯までホクホクになったりする。
そう、圧力鍋はとにかく早いのだ!
次に赤味噌だ。肉を煮れば少々臭みが出たりするが、愛知県出身の同僚が昔「大抵のものは味噌で煮込めば何とかなる」と言っていたから間違いない。
奇しくもここにあるのは愛知県某市が世界に誇る「あの赤味噌」だ。これならば間違いない。
間違いないのだ!
そして、これらを組み合わせれば何も文句をつけようがない。何しろ「良さがある」かつ「早い」上に「間違いない」のだから必要なものがすべて揃っている。
一言で言うなら「完璧」だ。
完璧なのだ!
「いいえ、ありません」
「なーっ」
無かった。完璧な圧力鍋が。
パラダイスが……。
「何に使うのですか?」
「赤味噌をね。スージー肉牛を煮込んでパラダイスをね……」
「スージーニクギュウ?」
「圧力をかけて完璧なパラダイスを作るんだよ!」
「ああ、それでしたら代用できそうな物がありますよ」
「お? おおおっ!?」
何やらあるらしい。
それを使わせてくれとお願いして暫く待っていると、以前見た謎の台車が大きなものを運んできた。
形状は業務用の炊飯器のような、あるいは軟膏の容器を大きくして下にも蓋を付けた感じだ。
全体的に黒光りする金属質の光沢があり、触ってみると実際金属的な冷たく硬い感触だった。
そして重い。
「何これ? すっごい重いんだけど」
「はい、以前スタンチョーユ博士が触媒の研究に使っていた……、ええと、フラスコのようなものです」
スタンチョーユ博士というのは入道相国の元の持ち主だ。
彼は僕に入道相国を無理矢理押し付けて何処へともなく去っていった。
今はどこに居るのだろうか。まり子によれば、少なくとも太陽系内には居ないらしいが……。
ちなみに、「スタンチョーユ」というのは偽名だ。「本当の名前は日本人には発音し辛いからローカライズした」とか言っていたが、それにしては「スタンチョーユ」というのはどうなのか。
同様にローカライズされた「入道相国」と「まり子」は純和風なのに。
「とてもフラスコには見えないけど、まぁいいや。どうやって使うの?」
「はい、まずはこの上の部分を捻りまして……」
蓋の部分がネジになっていて、捻ると外れるようだ。いよいよ軟膏の容器っぽい。
しかし、蓋だけでも相当な重量があり、単に捻じるだけでも苦労した。
ようやく開けてみると中は綺麗なもので、外観と同じく黒光りする金属の滑らかな面があった。
どうやら、キッチリ蓋をすると内面が真球になるようだ。
「ここに熱したいものを入れたら、しっかりと蓋をして、あとは強火にかけてください」
まり子の説明に従い、スージー肉牛と赤味噌を溶いた水を入れ、蓋をする。
そして調理台のコンロに移して……。
「ぬががががが! 重いいっ!」
どうにかコンロに移して火を入れ、って、あれ?
「まり子、これ空気穴が無いよ?」
「はい、問題ありません。完全密閉タイプのフラスコですので」
そういう物かと納得して火を入れた。
強火にするって言ってたよな?
コンロのゲージを操作して火力を調整すると、真っ白い炎が立ち上ってフラスコを包み込んだ。
「うわわわ! 危なぁッ!」
「良い感じですね。このまま十五分ほど加熱すれば完成しますよ」
事もなげに言ってのけるまり子は流石だ。
キッチンは一面マグネシウムでも焚いたかのように真っ白く照らされている。
よもやこんなにも火力の強いコンロだとは知らなかった。貧乏性故にいつも弱火でチョロチョロやっていたからな……。
「一応遮熱シールドが働いているので安全ですが、目に悪いですから居室に戻るのをおすすめします」
確かに、明るすぎて目が痛いのでまり子の言葉に従う事にする。
部屋に戻ると、まだCDが回っていた。
今はサイ○ントサイ○ンのサー○ィー○ンダーランドを聞いているようだ。
「このビー○ンという歌は、上○颱○が歌っても良さそうです」
もはや返答する気力もなくベッドに倒れ込んだ。
お腹すいたよ。
-/-
十五分経った!
デ○ランデ○ランの某曲が頭の中でピコピコ鳴っている。
状況的に合っているのは曲名だけだが、そんな事はどうでもいい。
それにしても、狼には四六時中腹を空かせているようなイメージがあるけど何故なんだろう。
探せば「狼のように満腹」みたいな歌が一つくらいあるだろうか?
それこそどうでもいいか。
まり子はまだCDを堪能しているようなので放置し、キッチンに移動する。
「うおっ、まぶしっ」
手をかざし、火を直接見ないように努めながら火を消した。
「あ……」
当然と言えば当然か。
劫火の中にあったフラスコは赤熱し、手で触れる事などできない状態だった。
いやそれよりも、中身は大丈夫なのだろうか? 密閉されているから水分がなくなる事は無いだろうし、焦げ付いたりはしていないか?
「まり子、これどうしよう」
「はい。何ですか?」
「これ、開けられないよ。中身大丈夫かな?」
「はい。内部をスキャンしたところ、大丈夫そうです。うまいこと出来上がっていますよ」
「おおおお! ホントに!? ていうか開けられないけど、どうしよう」
「では、冷却してください。コンロにある青いボタンが冷却機能のスイッチです」
言われて、そうだったのかと思い至る。
青いボタンは押しても火が付かず、何の変化もないので不思議に思っていたのだが、冷却機能だったのか。
感心しつつ冷却機能を動かすと、見る見るフラスコの赤熱がおさまっていった。
「もう触れると思いますよ」
その声を聞き、早速蓋を開けにかかる。
蓋が熱で固着していないかと身構えたが、捻るとすんなり回転した。
きゅるきゅると小気味のよい音と共に蓋が持ち上がっていく。
ついに、ついに! パラダイスが目の前に!
濃厚な赤味噌でしっとり煮込まれたスージー肉牛を想像すると、よだれが口内に溢れ、お腹がぐうと鳴った。
そうして捻り続けると、カパリというネジの外れた感触を覚え、即座に蓋を外して中を覗き込んだ。
「え? あれ!?」
中身は、空だった。
「あれ? あれ!? 無いよ? まり子! 無いよ!」
「いいえ、ありますよ。良い出来栄えです」
「えええ! どう見ても無いよ!」
無いのだ、水の一滴も無くなっている。
フラスコの内部は、スージー肉牛を詰める前となんら変わらない、曇りひとつない滑らかな金属面しか無かった。
「わかりやすいようにモニターに映します。こちらをご覧ください」
その声と共に、傍らの壁から生えてきたモニターに映像が映し出された。
「何これ?」
「マイクロブラックホールです」
晩飯はご飯一合だった。しょっぱかった。