2.2. 消えた二人
一限目の授業が終わって休憩に入ると、担任の松浦先生がひょいひょいと近づいてきた。松浦先生の風体は「ザ・数学教師」という感じの見事な銀縁メガネで無表情なのだが、その「無表情がこちらに視線を固定して迫り来る」様はちょっと怖い。
「立花と纐纈、昼休みに飯食い終わったら職員室へ来い」
来たと思ったら、それだけ言って去って行った。
どうも松浦先生は事務的と言うか淡泊と言うか、他人と接する際に心の距離が遠い気がする。悪い先生では無い、とは思うのだが少々とっつきにくいところがある。
そして、職員室に呼ばれた理由を考えながら立花さんの方に目を向けると、彼女もこちらへ目を向けていた。
これは丁度良いと考えて、話しかけようとした瞬間に彼女との間に誰かが割り込んだ。
見れば、立花さんの周りにわらわらと人が集まってきている。男子も女子も一緒くたになってだ。
そして、それぞれが一斉に口を開いたので、教室中が爆発的に騒がしくなった。
聞こえてくるのは立花さんへの質問だ。内容は「どこから来たの?」や「趣味は?」のようなごく無難なものから、「家庭の事情ってなに?」や「かかか彼氏は居るのかな?」などの少々突っ込み過ぎなものまで様々だ。
そして案の定だが、私にも「はとこなの!? マジで!?」などと流れ弾が飛んできたので、ひとまずお手洗いに避難する事にした。
正直なところ、私も立花さんと色々な話がしたかったのだけれども。
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「里見! ちょっと待ちなさい!」
「へはっ!?」
お手洗いから教室に戻ろうとした矢先、突然の怒号に驚いて変な声を出してしまった。
誰だろう、と考えるまでもない。声でわかる。
少しばかり重くなった気分をどうにか立て直しながら声の方に目をやると、そこには予想通りの顔があった。
芳沢錐蘭……と、その友人だろうか? 錐蘭の他に二人ほど知らない顔が並んでいた。三人とも襟元を青いリボンで飾っており、それは「特別進学科」に在籍している事を示している。
この錐蘭とは小さい頃からの付き合いで、昔はそこそこ仲が良かったのだが、いつの頃からか一方的に敵視されている間柄だ。敵視されるようになってからは、私を見かけると何かしら理由を作って突っかかって来る。今話しかけてきたのも、そういう「突っかかり」に違いないだろう。
それにしても、相変わらず錐蘭の目付きは半端なく鋭い。逆ブロウの眼鏡で本来の鋭さが若干和らいでいるとは言え、それでも突き刺さるように鋭い。何故だろう、今日はいつにも増して鋭いように感じる。その視線を浴びていると、胃の辺りをキリキリと締め付けられる気がした。
「な、なんでしょうか?」
どうにか絞り出した返答は、自分でも驚くほど愛想の無いモノだった。
「はぁ? 相変わらず辛気臭いわね。少しくらい愛想よく出来ないの?」
「あ、ええと、ごめんね」
思わず謝ってしまったが、辛気臭いのはそんなに悪い事なのだろうか。
ちなみに、敵視されている原因はよくわからない。一度、何故なのか聞いてみた事があるが「前から気に入らなかった」の一言で済まされてしまった。それで、長らくこの関係に甘んじているのだが、いい加減放っておいて欲しいと思う。
「まぁ良いわ。それよりも」
錐蘭は私のそっけない返事を早々に切り捨てて言葉を続けた。
「あなた、まだあのアルバイトを続けてるでしょ? 辞めてって言ったよね?」
「え?」
そういえば連休前にそんな事を言われた気がする。
高校入学を機に、近所の「トムトム・ハンバーガー」でアルバイトを始めたのだが、それが何かまずかったのだろうか。
アルバイトをする事については祖父の了解を得ているし、一応は学校にも届けを出してある。……どうして学校に許可を得る必要があるのか少々疑問だったけれども。
それはともかく、他人から辞めろと言われる筋合いなど無いはずだ。
せっかく仕事内容にも慣れてきた所なのに。
「な、なんで辞めなきゃいけないの?」
「あの店に行った時に、あなたの顔を見たくないからに決まっているでしょう」
どうしようもない理由だった。果たして私は何と答えるべきなのだろう?
自分が何とも言えない表情をしているのがわかる。錐蘭の後ろに居る二人も若干怪訝そうだ。
「何? その顔は? 私が言った事、理解できているの? 返事は?」
いったい何様なんだろう。
「私は製造の担当で、その、いつもお店の奥のほうに居るから、お店に来ても顔を合わせる事はないと思う」
「そんなの関係ないんだけど? あなたが居る、っていう事自体が嫌なの? わからない?」
どうあっても辞めさせたいようだ。
本当に、何と答えれば良いのだろう。どう答えれば諦めてくれるだろう。
私としてはアルバイトを辞めるつもりは全く無い。と言うよりも、今後の事を考えると辞めるという選択肢はあり得ない。
トムトム・ハンバーガーでのアルバイトを辞めてほかのアルバイト先を探す、というのは実際難しい。
田舎なのでそもそもアルバイトの募集件数が少ない上に、自分でも務まりそうな勤務場所、時間帯および業務内容で絞り込むと、候補となるアルバイト先はほとんど無くなってしまうのだ。
しかも、そうして探し出したアルバイト先も、必ずそこで働けるとは限らない。当然、雇う側であるアルバイト先にも取捨選択の権利があり、条件を満たさない人物を採用することはない。トムトム・ハンバーガーはそういった条件をクリアーし、採用されるに至った貴重なアルバイト先なのだ。簡単に辞める事などできるはずがない。
「なに黙り込んでるの? 喋れないの?」
畳みかけるように問いを重ねられるが、本当に何と返せばいいのだろう。うまい言葉などひとつも思い浮かばなかった。
ハッキリ出来ない自分のことが心底疎ましく感じる。真正面から「ふざけるな!」と言えたらどんなに良いだろう。
真面目に受け取りすぎなのだろうか。いっそ、口先だけ「辞めるよ」と言うだけ言っておいて、実際にはバイトを辞めずに続ければ良いかもしれない。そんな風に受け流せたらどんなに良いだろう。
いや、そんな受け答えをして、後で辞めていないのがバレたとしたら一体どんなことになるだろうか。バイト中に嫌がらせでもされようものならお店にも迷惑がかかってしまうし、私は耐えられないかも知れない。
喉の奥に何かモヤモヤしたものが詰まっているように感じる。息苦しい。どうしてこんな思いをしなければならないのだろう。
今すぐにこの場から立ち去ってしまいたい。いや、実際そうしても構わないだろう。こんな理不尽な物言いに真面目に答える必要なんて無いし、我慢する必要も無いのだから。
でも、立ち去れない。
足が動かないわけではない。小さく足ふみをしてみると、確かに足は動くのだ。
でも、立ち去れない。思い切れない。
頭の中で、考えていることが堂々巡りをはじめてしまう。自分で出口を塞いでいるのはわかっている。ほんの少しだけで良いはずなのだ。たった一歩だけ前に進むことができれば、たとえ問題を根本から解決できなくても、今この場を自分の力で切り抜けられるのだ。
それが、できない。
「里見さん」
私を呼ぶ声が聞こえた。
不意に発音された私の名前は、透き通るように深く落ち着いた色をしていて、思わず息を飲んだ。
その人の声は、ほんの一時間ほど前に初めて耳にしたはずだ。それが、ずっと前から知っていたように感じるのは何故だろう。
振り向けば、彼女が居た。
彼女、立花さんは口元に微かな笑みを浮かべて、そこに佇んでいた。
出会って間もなく、強烈に印象付けられたその姿は、今は柔らかに差し込む午前の陽に照らされて一種神秘的にさえ見える。
「どうしました? 何かお困りですか?」
「あ、あれ? ええっと」
問われて返答に詰まった。
困っていると言えば困っているのだが、実際のところ下らないいさかいなのだ。こんな下らない事に他人を巻き込むのは良い事ではない。
それよりも、下らない事で欝々としている自分を人に見せたくなかった。
「そ、そう、何でもない! 何でもないよ! ゴメンね、気にしないで」
少しそっけないかと思ったが、助け船を出してくれたことには感謝しかない。むしろ、転校早々にみっともない姿を見られたのを恥ずかしく思った。
そんな理由で強がってしまったのを自覚して、その強がりを別の方向に向けられない自分が更に情けなくなる。
気付けば、奥歯を強くかみしめていた。
「あなた誰? こっちの話に割り込まないでくれる?」
錐蘭の声が追い打ちとなって私の上に覆いかぶさってきた。
今の言葉は私に向けられたものではないが、それが発せられた理由は私と錐蘭の間に在るのだ。結局、その言葉の行きつく先は私に収束してしまう。
ふと目を上げると、立花さんはさっきまでと同じ表情でこちらを見ている。
一段と申し訳なくなって、立花さんに視線で「ゴメンね」と訴えかけた。我ながらどうかしていると思う。そんなのが伝わるはずがない。
そんな事を考えている最中、突然ガラスが割れるような音が辺りに響き渡った。
かなり大きな音だったので、気持ちが張り詰めていた私は心臓が弾けるように打って背筋が大きく揺さぶられた。
咄嗟に辺りを見回すと、廊下の突き当りにある非常扉のガラスが粉々に砕け散っているのが見えた。あれが音の原因だろうか。
なぜ壊れたのかはわからないが、自分達の居る位置からは遠いので、特に危険は無さそうだ。
数秒も間を置かず、非常扉の近くには早くも野次馬が集まり始めている。それを半ば呆然と見ていたが、錐蘭と話している最中だった事を思い出し慌てて向き直った。
「え? あれ?」
錐蘭の姿が消えていた。
辺りを見回しても姿は見当たらず、キョロキョロしていると錐蘭が連れていた二人と目が合った。二人ともポカンとした表情でこちらを見ている。
「あの、錐蘭は?」
聞いてみたが、彼女たちもよくわからないとのことだった。
その時彼女たちに指摘されて、錐蘭だけでなく立花さんの姿も消えている事に気が付いた。
廊下は一直線に続いているので身を隠せるような物陰は無い。トイレの中は無人で、最寄りの教室を覗いてみたが、そこにも姿は無かった。
錐蘭から目を離したのは、ほんの数秒間だったと思う。だから、そんな短時間で遠くまで移動できるとは思えない。どんなに速く動いても、今確認したトイレか隣の教室まで行くのが精々だろう。
でも、どこにも居ない。
そうしてオロオロしていると、錐蘭が連れていた二人は「そろそろ戻らないと」と言って去って行った。
時計を見ると確かに教室に戻った方が良い時間だったので、消えた二人を探すのは諦めて教室に戻ることにした。
教室に戻ると、先程のような喧噪はおさまっていて、平常通りの風景がそこにあった。立花さんの席には誰も座っておらず、彼女の荷物だけがそこに置かれている。
教室内をぐるりと見回しても立花さんの姿は見つからない。それを少し残念に思いつつ自分の席につくと、丁度二限目の始業を知らせるチャイムが鳴った。
結局その日は、立花さんが教室に戻ってくることは無かった。
クラスの皆や各教科の教師も戸惑っていたが、本人の行方がわからない以上どうする事もできなかった。
お昼に松浦先生に呼ばれていたのも仕方なく私一人で顔を出したが、立花さんが居なければどうしようもないとの事で用事は始まる前に終了した。なんでも、学校の案内を私にやらせたかったそうだ。それはちょっとやりたかった気がするので残念に思った。
その時に立花さんの行方を聞いてみたが、教員側でも「帰るなどの連絡を受けた人は居ない」との事だった。
そして、やはり錐蘭も二限目以降居なくなっていると聞いた。
やはり、あの時に二人ともどこかに消えてしまったのだ。
念のため、自分が見たことを先生に伝えたが、それが何かの役に立つとは思えなかった。私が見たことなど、要約すれば「ちょっと目を逸らした隙に居なくなりました」という程度の情報しか無いのだから当然だろう。それでも、もしかすると最後にあの二人を見たのは私かもしれないのだ。伝えないわけにはいかなかった。
あの二人は一体どこに行ってしまったのだろう。当然だが考えても答えは出ない。でもその事ばかり考えてしまうのだ。だから、その日は半ば上の空で過ごしていたように思う。
気になって休憩時間のたびに二人を探して方々を歩きまわったが、得るものは特に無かった。
下校前に二人が消えた場所をもう一度見に行ったが、やはり二人の姿は見つからなかった。
ふと気になって、あの時割れた非常扉の所を確認してみたが、そんな場所に何かある訳も無く、ガムテープで雑に補修された扉の向こうは、普通の外階段があるだけだった。
ちょっと私生活がアレで気分が底に行くとピタリと筆が止まりますね。




