1.22. 入道相国
「入道相国」
入道相国。
気が付くとその名前を口にしていた。
それはスタンチョーユ博士が僕に押し付けていった宇宙船の名前だ。彼の言葉をそのまま借りるなら「超次元宇宙戦闘母艦」だそうで、名前だけで物騒な印象がある。と言うか、戦闘用の装備も満載しているので実際に物騒なのだけれども。
入道相国は、かつて宇宙のどこかに存在した未知の文明が作り出した「大いなる遺産」だ。入道相国自体、またはそこに搭載された諸々の装備を見れば、その科学技術の水準が地球のそれを遥かに超えたものである事は誰にでもわかるだろう。
例えば、入道相国が如何にして宇宙を飛び回るのか、どんなエンジンを搭載しているのか? その航行手段ひとつ見ても恐るべきものだったりする。
地球上で作られる宇宙船には、「ロケットエンジン」と呼ばれる噴射によって推力を得るエンジンが搭載されるが、入道相国に搭載されているエンジンは噴射をしない。ではどのようにして推力を得ているかと言えば、実はそもそも推力を使用していなかったりする。
入道相国の航行手段についてごく単純に説明すると「入道相国を移動させるのでなく、宇宙を移動させる」のだ。この説明は――厳密に言うと若干の語弊があるらしいのだが――およそ間違っていないらしい。
最初に聞いた時は意味が解らなかった。ちなみに、この件についてスタンチョーユ博士から受けた説明は以下のようなものだ。
「私は今ここに居て、この場から微塵も移動していない様に見えるだろうが、実のところ光を遥かに超える速度で移動し続けているのはわかるかね? そう、地球は自転も公転もしているし、太陽系は銀河の中で渦動し、その銀河自体も宇宙の中を移動し続けているのだからね」
「だが、それにも関わらず、キミから観測した私が移動していない様に見えるのは、宇宙を含む世界の規模で見た時に、私とキミの『速度』および『移動する方向』が同期しているからだ、ここまではいいね?」
「さて、ではこの状態のまま私という存在の座標だけを、宇宙を含む世界のある一点に固定した場合、どういう事になるか想像してみてくれたまえ」
「つまりそういう事なのだよ」
スタンチョーユ博士は、この航行手段の名前を「プトレマイオス」と翻訳してくれたが、まぁ、何というか何だ。ローカライズと称して偉人の名前を流用するのは構わないのだが、和風か洋風かどちらかに統一して欲しい気もする。
話が側道に脱線したが、つまりエンジンひとつ見ても超技術なのだ。そこに搭載された武装の数々は一体どれ程のものなのか? 目録上では一通り確認したが、それらの威力については想像もつかない。
しかし、それらの兵器を使用する対象がパトロール隊の戦艦であれば、一切通用しない可能性もあるかと考えるところだが、それは先んじてスタンチョーユ博士に否定されていたりする。
曰く、「入道相国の戦闘力は、単機で星間国家共同体を凌駕する」と。
パトロール隊は星間国家共同体に所属するひとつの機関なのだが、比較の対象がそもそもおかしい事になっている。なお、この辺りの事実を突き詰めて考えるのは胃に悪そうなので、深く考えないようにしている。
ありがたみが鼻に染みて目から汁が出そうだ。
-/-
ウォルアーグが入道相国を捕捉するまでの猶予は既に十秒を切った事だろう。
だから、いい加減決断しなければならない。
即座に思いついた手段は二つだけだ。一つは「何もかも捨てて逃亡する」、もう一つは「力尽くで解決する」というものだ。
どうしたものか。
何もかも捨てて逃亡するのはどうだろう?
これまでの人生を捨て、入道相国に乗って逃げてしまえば目先の問題からは解放される。そして、どこまでも逃げていくことが出来るだろう。
考えるまでもなく馬鹿げている。何もかも捨てる事など出来る筈もない。
では、力尽くで解決するのはどうだ?
物事を力尽くで解決するというのも一つの立派な手段だが、それが最良だとは到底思えない。いっその事、思い切ってウォルアーグを撃墜してしまえば爽快かもしれないが、それに伴う地上への影響はどうなるのか。あの巨大な戦艦が爆発しようものなら江の島一帯が酷い事になるだろう。
それ以前に、他人の持ち物を壊してしまうこと自体はどうなのか? 既にボーイさんがレムペーゼンを破壊してしまったのだが、ウォルアーグの場合はそんな規模では済まないだろう。いや、規模の問題ではないか。
或いは、ウォルアーグに搭乗しているであろう乗組員についてはどう考える? 撃墜すれば相当危険な目に遭わせることになるだろう。最悪の場合あの世行きだ。入道相国のようにコンピューター制御されていれば無人の可能性もあるが、確認できない以上は人が乗っていると仮定するべきだろう。そして、僕は人の命を奪うつもりは無い。
結論として、ウォルアーグを破壊する事はできない。力尽くでの解決はまず不可能だろう。
いや、撃墜までしなくても無カ化する事は出来ないだろうか?
例えば、「威力を加減した攻撃によって機関部の重要部品を破壊し墜落させる」などの手段が考えられるが、アレが墜落すればそれこそ周囲への被害が目も当てられないだろう。そもそも撃墜するのに都合のいい「機関部の重要部品」など存在するのか不明だ。
ならば、本山がやっているようにプリソナービームを使うのはどうだろう? 入道相国がプリソナービームを搭載しているか覚えていないが、似たような装備でも積んでいるかもしれない。
もしもプリソナービームそのものが使えるのであれば、捕縛対象を宙に浮かせた状態に保持できるので周辺への被害は免れるはずだ。
しかし、あの巨大なウォルアーグをプリソナービームで捕縛できるのだろうか?
防壁・竹が現在進行形でプリソナービームを跳ね返しているはずだが、跳ね返ったプリソナービームはどうなっているのだろう? そのままウォルアーグに返されているはずだが、跳ね返ったプリソナービームはウォルアーグに当たっているのだろうか? 当たったプリソナービームの効果は如何程なのか? 目視できれば効果が確認できるが、残念ながら見えないので効果のほどはわからない。
本来ならば確認するべきなのだろうが、時間が無いのでこのままやってみるしかない。
ならばこれにて決行……いや待て、仮に何らかの手段で捕縛出来たとしても、それだけでは不十分ではないのか?
捕縛したとしても、例えば応援を呼ばれるとか、入道相国の存在をパトロール隊の上層部に連絡されるとか、そんな事態が考えられる。そうなればどうなるだろう? 当然今以上に面倒な事になるのは目に見えている。
という事は、ウォルアーグの通信を遮断した上で捕縛しなければならない。
この方法でいけるのか? わからないが考える猶予はもうないはずだ。時間切れだ。具体的な手段は指示できないが、その辺りはまり子に丸投げするしかない。
「まり子! ウォルアーグの通信を妨害して! その上で捕縛!」
『はい』
-/-
まだ起きていない事について心配するのは、過ぎ去ってしまった事についてあれこれと考えるのと同じくらい意味のない事だとも言う。
しかし気になるのは、今下した指令が結局「妙手」だったのかそれとも「悪手」だったのかということだ。
まり子はいつもと同じ歯切れの良い返答を残して沈黙した。恐らく通信の妨害を始めたのだろう。
まり子に任せておけば問題無い、とは思うものの、それでも捕らえがたい不安を感じている。
決断を下した後になって、その決断が正しかったのか不安になるのはよくある事だ。大抵の場合、一度決断したならば容易くそれを覆すべきではない。決断した方針に沿って行動し、その範囲内で最善の結果を求めるべきなのだ。
なぜなら、一度決断したことを覆すのは単純に手戻りであり、物事の進行を阻害するだけでなく、混乱をもたらす種になる。だから腹を括ってやり遂げるしかないのだ。
しかし、この状況に在って、最善の結果を求めるために僕ができることは無い。すべてまり子任せの状態なのだ。目の前では今もボーイさんと本山が絶賛フィーバー中だが、それすらも「出来る事があって良いな」等と思えてくる。
宣告された二十秒はとうに経過したはずだが、見渡す限り事態に変化はない。これは良い事なのだろうか。それとも悪い事なのだろうか。ウォルアーグが入道相国を発見すれば何かしらの対応を見せると思うが、その予兆も見えないのだ。通信妨害はうまくいったのだろうか?
状況を確認できないまま時間だけが過ぎていく。大して時間は経っていないはずだが、ほんの少しの時間を恐ろしく長いものに感じてしまう。
ふと、違和感を覚えた。
その違和感の出処を捉える事はできなかったが、意識するよりも早く僕の目はその方角を向いていた。
水平線の向こう側から、せり上がってくるものがあった。海の中からではない。その物体は正しく水平線の向こう側に存在していた。
理解の範疇を超えたものがそこに在った。人々の目にはどう映っただろうか。もしかすると、「確認するまでもなく異様としか表現できないもの」がこの世には存在する事を思い知ったかもしれない。
まずは、「赤い」。それが第一の印象だろう。若干黒味がかった深みのある赤色は、空の軽やかな青色と対比を成して、より鮮明に人の心に焼き付くに違いない。
次に、「円い」。最上部から左右に向かって滑り落ちるように緩やかな弧を描いている。一見すると、日本人が概念的に描く「真っ赤な朝日」に見えなくもない。
そして、「巨大」。既に視界の端から端までを占有したその物体は、ウォルアーグと比較するのも憚られる程の巨大さがあった。せり上がりゆくその物体の全貌が明らかとなるにつれて、その印象は更に大きく変化していくだろう。
まだ、ここから先がある。この物体の本質たる要素はこれから現れるのだ。
続けて見えてきたのは、湧き上がる真っ白い雲だ。夏の入道雲の様な純白の雲が、もくもくと水平線の向こうに湧き上がってくる。続いてその下部に、何か黒い二つの円盤型の物体が見て取れた。
ここに至って、その物体を見たものは、それが何を模ったものか理解しただろう。
先に見えた白い雲は濃く太い「眉毛」であり、その下にある黒い円盤は「目」だ。更にせり上がって見えてくるのは、人にあっては高すぎる「鼻」と、その下に白い髭と分厚い唇だ。
日本人、或いは日本の文化に精通した者であれば、それを「天狗」と呼んだかもしれない。
天空に在り、視界のほぼすべてを占有する程に巨大な天狗の顔面は圧巻などというレベルではなかった。天狗の正体を知らぬ者は、それを目にして「この世の終わりが来た」と錯覚したかもしれない。何しろ、その正体を知っている僕ですらその迫り来る顔面からは恐怖以外を感じられないのだ。
その巨大さについて説明を受けていた事はある。「直径は島根県の東西端から端までと同じくらいです」という、わかるようなわからないような説明だったけれども。更に、地球とのサイズ比較用の縮小版モデルを手に取ったこともある。
しかし、比較対象がある状態で実物を客観視した場合、その巨大さは強烈な実感を伴って襲って来た。
圧倒的な大きさというものは、それだけで暴力だった。
天狗、それが入道相国。
嫌な事にあれが入道相国なのだ。外見は巨大な天狗の生首を模していて、まばたきをしたり表情を変える事も出来たりする。
この入道相国の奇天烈過ぎる外見はスタンチョーユ博士の仕業だ。最初に見せられた時は、単なる巨大な球形の宇宙船だったのだが、これもローカライズと称していつの間にか改造されていた。
あのオッサンは本当に……、と、待て待て、今はそんな場合じゃあない。
この状況で、なぜ入道相国が姿を現したのだろう? 恐らくは、ウォルアーグを捕縛するためだと思うが、どうにかして遠隔で対応する事は出来なかったのだろうか? いや、つまりそれが出来ないからこそ、ここにやって来たのか。しかし、これでは地球の人類にその存在がばれるけど良いのだろうか? と言うか、地表にここまで接近して重力の干渉は問題ないのか? 疑問は数あれど答えるものは無い。
気付けば、ボーイさんと本山は双方共に入道相国の方を向いたまま動きを止めている。二人とも背を向けているのでその表情を確認する事は出来ないが、恐らく唖然としているのだろう。その気持ちは良くわかる。
ふらりと一歩前に踏み出すと、空に浮かぶウォルアーグの姿が目に入った。先程まで威容を誇っていた雄姿は、今では入道相国に睨まれて縮こまっているようにすら見える。
そのまま為す術もなく佇んでいると、入道相国に動きが見えた。
思わずあっと声が漏れた。
入道相国の口が大きく開いてウォルアーグをパクリとひと飲みにしたのだ。
それで、すべてが終わった。
このところ、雨風が強くていやな感じです。
地域によっては早くも梅雨に突入しましたが、カツ丼が食べたくなりました。




