1.21. ウォル・アーグ
本山は僕らの様にずぶ濡れという事はなくパサパサに焦げている。どこに不時着したのか知らないが、五体満足で元気そうなのは何よりだ。
むしろ、爆発に巻き込まれた上でかなりの高度から墜落したはずなのに、大してダメージを負っていなさそうなのが恐ろしい。いったいどういう体をしているのだろう。いや、それは僕とボーイさんも同じか。僕については軽装甲・枯芒のお蔭で無事なだけだが。
それでもまぁ、彼が生きていてホッとしたのと、再来した面倒事にうんざりなのが半々……、いや、うんざりが大半か。僕達を追ってくる元気が無くなる程度にダメージがあれば良かったのに。
それにしてもどうしたものか。この様子だと、本山はボーイさん達をお縄にするまで諦めそうにない。そして、ボーイさん達を手助けした僕を見逃すこともないだろう。
僕の正体が知られていなければ逃げて終わりに出来たのだが、今この状況に至っては、これ以上逃げ回っても意味が無い。家も知られているし、クラミン先輩の知り合いではそっち方面の繋がりも厄介だ。これはもう、腹を括ってしっかり話し合うしかないだろう。
って、ちょっと待て。そうだった。本山はクラミン先輩の知り合い……、いや、大学の後輩と言っていたか? いったいクラミン先輩の人間関係はどうなっているんだ? これは、もしかして、クラミン先輩も……。
「流石、パトロール隊に所属しているだけの事はあるか。頑丈だな」
言いながらボーイさんは腰を上げ、僕にちらりとガンをつけながら一歩前に出る。
余計な事を考えている隙に先に動かれてしまった形だが、これはマズったか? ボーイさんより先んじて対話を求めるように動くべきだったかもしれない。
いや、そもそも僕はボーイさん達と本山の諍いに横槍をプスプスしている立場なので余り出しゃばるのも良くないか。まぁ、今更な気もするが。
と言うかボーイさん、なぜ僕を睨むのだ。
「念のため聞いとくが、あんたクラツか? それともダマキか?」
更に余計な事を考えている内に話は進んでいく。
何やら知らない単語が出てきたが、クラツとダマキ? 一体何のことやら僕にはサッパリだが、問われた本山には伝わっているようだ。
「生憎だが、私はどちらでもない」
本山は眉間に深くしわを刻み、絞り出すように吐き捨てた。
「私が従うのはパトロール隊の理念だけだ。他の腐った連中と一緒にしないでもらいたい」
「そいつは、大した志をお持ちで」
よくわからないが、言っているのはパトロール隊内部の腐敗に関わる事なのだろうか。
それにしても、ボーイさんはこんな状況でよく雑談をする気になるものだ。いや、煽って動揺を誘う作戦なのだろうか? 雑談しながらチラチラとこっちを睨んでくるので、むしろ僕の方が動揺しているのだが。
「あんた、出世しなさそうだな」
「余計なお世話です」
その言葉と共に、翳された本山の腕からリング状の光線が放射された。と、間髪入れずボーイさんがその光線を一太刀で切り捨てる。
ボーイさんの手には、いつの間にか銀色の剣が握られていた。先刻レムペーゼンに突き立てていた内の一本だ。一体どこに仕舞っていたのだろう。
「おいおい。現地人が大勢見てるが、構わないのか? 確かパトロール隊の規定では、他の文明に影響を与える行動は御法度だったと思うが」
ボーイさんの指摘どおり、周囲ではサーファー達が遠巻きにしてこちらを見ている。
サーファー達の中に在って「濡れ鼠」や「丸焦げ」が浮いてしまうのは仕方ないとしても、光線を出したり剣を抜いたりすれば更に悪目立ちするのは当然だろう。
見れば、スマホのカメラで撮影を始めた者も居る。僕らは見世物では無いのだが。
「黙れ」
本山はと言えば、そんな周りの状況にはお構いなしの様だ。
……どうでも良い事だが、本山の髪型が「弦巻バネ状態」なのが困る。何が困るかと言うと、体が動くたびにビヨンビヨンしているのだ。爆発に巻き込まれたせいで弦巻バネっているのだろうが、会話の内容も表情も真面目なのに、その上部でビヨンビヨンされるのは、何というか、何とも言えない感じだ。
「お前達は、レムペーゼンを破壊できる程の脅威だ。この場はお前達の捕縛が全てに優先する」
もうなりふり構わないという事か。勘弁して貰いたい。
そう、対話だ。対話が必要なのだ。出遅れたせいで話を切り出すタイミングを失ったのが痛いが、躊躇し続けるのもマズい。何とか落ち着いて話が出来ないだろうか。
「ちょっと待」
言いかけた所をボーイさんに睨まれ、小声で「何してる! 逃げろ!」と促された。
さっきからチラチラ睨みをくれていたのはそういう意味だったのか。うまく汲み取れなくて申し訳ないとは思うが、今更逃げてどうしろと言うのか。
「出し惜しみはしない! 総力を以てお前達を捕縛する!」
「させるか!」
ボーイさんが咄嗟に斬りかかったが、本山はするりと躱して光線を放射しつつ距離を取った。
これはこれは困ったことに、もはや対話を申し入れる状況ではなくなったかもしれない。
そして、二人とも物騒過ぎて笑えない。一応ボーイさんは「峰打ち」を試みているようだが、それでもあの速度で振り回される剣が当たれば酷い事になるのは明白だ。
そして本山の光線は正体不明だが、レムペーゼンが放射していたものと同じものに見える。あくまで「捕縛する」と言っており、「抹殺する」ではないのだから危険な光線ではないと思いたいが、進んで当たってみる気は起きない。
そうして「光線」対「剣」の攻防が繰り広げられる中、不意に本山が叫んだ。
「ウォルアーグ! 降下せよ!」
また知らない言葉が出てきた。ウォルアーグが何か知らないが、「降下せよ」という事は何らかの飛翔体だろうか。
またレムペーゼンみたいなのがやってくるのか? だとしたら恐怖なのだが。
「くそっ! タカムラさん! 上から来るぞ! 気を付けろ!」
ボーイさんに注意を促されて思わず仰ぎ見たが、特に異常はない。先程と変わらず、晴れ渡った空があるだけだ。いや、まだ目視可能な範囲に表れていないだけで、もしかするとこれから……、ちょっと待て、なんだあれは?
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当初、それは空の一点にある小さな染みの様だった。空の彼方にある薄らぼやけた小さな染みだ。
その染みが見る間に広がって、空を侵食していく。春先の白みがかった青空を徐々に暗く染めていく。それと共にゴウゴウと低く鈍い地鳴りのような音が響いてくる。
視界の端で本山とボーイさんが距離を取るのが見えた。異変に気付いたサーファー達がざわめきだす。凪いでいた風が突然強く吹き始め、付近に潜んでいた鳥がバサバサ音を立てて飛んでいった。強風に打ち付けられた海は、波を高く砂浜に打ち上げて、湿った砂が巻き上がって視界を遮ってくる。
叩き付けるように吹く風に交じって誰かの悲鳴が聞こえた。まともに目を開けれいられず、周囲を確認する事はできない。口に入った砂がジャリッと音を立てる。まるで台風の直撃に遭ったかのような暴風の中では直立するのにも力が要った。
このままではまずい、この状態で本山に何かされたら対処できないだろう。とにかく、まずはこの状況に対処しなければならないが、手持ちの札は軽装甲・枯芒か防壁・松の二択しかない。
いや、冷静に考えれば防壁・松の一択か。
軽装甲・枯芒はさっきの浸水で拷問器具と化しているのだから、防壁・松でバリケードを作って引き籠るしかないだろう。人前で使うのは若干問題がありそうだが、こんな状況であれば誰も僕の事など気にしてはいないはずだ。
そう自分に言い聞かせて防壁・松を多重展開すると一気に視界が開けた。
わかってはいたが、改めて見るに辺りは惨憺たる有様だ。
恐るべきことに、本山とボーイさんはこの嵐の中でも変わらず打ち合っている。サーファー達は、各々身を折って暴風に耐えていた。彼らには迷惑をかけて申し訳ないが、僕には成す術がない。いや、成す術はない事もないが、その術は使うべきではないだろう。
そして最大の問題は上空に在った。
開けた視界で仰ぎ見ると、空の中で拡大していく染みは先程よりも遥かに大きくなり、今まさに南天に輝く太陽を覆い隠して、その暗く重い巨大な姿を海の上空に浮遊する影として現した。
恐らく、あれがウォルアーグだろう。
その姿は、これまでに見たことのあるどんな飛翔体にも似ていなかった。それは飛行してはいるものの、飛行機の類とは全く違う形状をしている。全体的には、円柱を幾層もの重厚な装甲板で左右から挟み込むような形をしており、印象としては機関車に近いものがある。そして、こちらを向いている船首と思しき一端は、鳥のくちばしのように鋭く尖り、船体の下部では幾つもの噴射口が激しい光を発していた。
その巨大さはレムペーゼンなど比較にならず、小高い山ほどの大きさがあった。かつてマグリットが描いた「ピレネーの城」が実在すれば、恐らくこんな感じなのだろう。アレと違って全長と全幅も半端ないが。
いや待て、冷静に分析している場合ではない。
『管理者保護のため、防壁・竹を展開します』
突然、どこからともなくまり子の声が聞こえて、同時に僕からウォルアーグを遮るように円い影が現れた。
「何っ!? まり子!?」
『突然ですみませんが、緊急事態なので介入しました。状況を説明しますので速やかに指令をお願いします』
基本的に、僕が地球上に居る間にまり子が干渉してくることは稀だ。入道相国内部に居ると何やかんや話しかけてくるのだが、一旦外に出ると話しかけてくることは滅多に無い。もっとも、メールやら謎の書き置きを駆使しての連絡は多々あるのだが。
『現在、英治さんはパトロール隊の戦艦「ウォルアーグ」から攻撃を受けています。使用されている兵器は、捕縛用の力場を照射する「プリソナービーム」という物なので、ただちに致命的とはなりませんが、その後の状況によっては致命的となり得ます。現在は「防壁・竹」によって防御していますが、射線が変わった場合には対応できませんのでご注意ください』
「いや、注意するもなにも」
この「防壁・竹」というのは目の前に現れた円い影の事だ。これは「防壁・松」と異なり、物理的な防御力は皆無だが、可視光線なども含む多種多様な電磁波の類をほぼ百パーセント反射する機能を持っている。
形状は三角縁神獣鏡そのもので、大きさは直径百二十センチメートル程もある。どうして国宝じみた形状をしているのかは不明だが、大方スタンチョーユ博士の悪ふざけだろう。ちなみに、電磁波の反射機能があるのは表の鏡面側だけだ。
『私の介入に伴って、恐らくパトロール隊側に入道相国の座標を捕捉されます。そのため、こちらとしても何らかの対応をする必要があります』
「え? ちょ、まって!」
入道相国の存在がバレる!? それはかなりマズいのではないのか? 何らかの対応をするといっても、どうする? どう対応すればいい?
『落ち着いてください。この通信もですが、暗号化した上で、複数の中継器を経由しているので、入道相国の位置が捕捉されるまで多少の猶予はあるはずです』
「その猶予はどれくらいあるの!?」
『恐らくあと二十秒程かと』
「短ッ!」
二十秒で決めろと!?
ともかく、まり子が展開した防壁・竹のおかげで今のとことは何事もない。そして本山の相手はボーイさんが引き受けているのでひとまず問題は……、ある。
ボーイさんは、本山に加えてウォルアーグの対処もしなければならないのだ。
見ると、ボーイさんは上空から降り注ぐビームを避けながら本山と切り結んでいた。どう見ても圧倒的に不利な状況だ。あの状況でまだ持ち堪えているのは凄まじい気がするが、それが何時までも続くとは思えない。
それに、入道相国の存在を知られた場合は、更なる強硬手段に出られる可能性が高い。
何か、一手、横槍をハルバードする必要がある。
今すぐに。




