1.19. レムペーゼン
本山と僕の反応はほぼ同時だった。
「レムペーゼン、あいつを捕縛しろ」
「防壁・松、多重展開」
本山の声に被せるように命令を口内でつぶやくと、即座に本山とレムペーゼンを覆うように防壁・松が展開される。
レムペーゼンは既に動作を開始していたが、突然目の前に現れた防壁・松に行く手を阻まれて急停止した。
もう少し反応が遅れれば詰んでいたかもしれない。そう考えると胃の辺りが冷たくなったが、ここで怯んではいけない。即刻、次の行動に移るべきだ。
ボーイさんを奪還するには、まずは彼自身を拘束している光の環を解除しなければならない。
あの「光の環」はパトロール隊の標準装備で、日本の警察で言うところの手錠のようなものらしい。
あの光の環に捕らわれると全身の動きが制限され、かつ宙に浮いた状態となることから自力での脱出は殆ど不可能になるという。また、光の環自体は一種の「力場」であり、物体ではないことから物理的に破壊することは出来ないらしい。
そして当然のように追跡機能も搭載しているらしく、これを外さずに逃げる事は不可能だ。
ではどうするのか?
相変わらずエヘラエヘラ笑っている膝を踏みつけながらボーイさんに駆け寄り、まり子から渡された「リムーバー」を光の環に押し付けてトリガーを引く。
押し込んだトリガーからカチリとした手応えと、何かがチッと擦れる感触が指先に伝わってくる。すると、それに反応して光の環は一瞬鋭く輝き、その後音もなく粉々に砕け散った。それと同時にボーイさんが解放されるので、地面に倒れ込みそうになったところを受け止める。
一見百円ライターにしか見えない「リムーバー」だが、効果は目覚ましいものがあった。警察機関のようなものの捕獲用装備が、こんなに簡単に解除されて良いものなのか、はなはだ疑問に思わなくもないが、一先ずそれは横に置いて速やかに逃げるのが先決だ。
本山をチラ見すると、何やら目を剥いてこちらを凝視していた。あっさりと光の環を解除したのが驚きだったのだろう。
ともあれ、念のため。
「防壁・松、多重展開」
防壁・松を追加して四重に張り巡らせる。
これも全ては念のため、そう、念のため!
防壁・松も入道相国由来の装備である以上、そこそこ頑丈で簡単には突破されないとは思うのだが、それでも心配が付き纏う。それはまぁ大部分が船場山のせいなのだが、今回は仮にも警察機関のようなものが相手なのでやりすぎという事は無いはずだ。
そんな事を考えている隙にも逃げる準備を進める。可能であれば、気付かれない内に三人とも確保して逃げたかったが、今更だ。振り返っても時間の無駄でしかない。
さて、救命領域は満員御礼のため、ボーイさんの身柄は次のような方法で搬送する事になる。
壱、広場の隅に捨て置かれている適当な木の上に防壁・松を一枚展開する。
弐、シーソー状になった防壁・松の片側にボーイさんを乗せる。
参、ボーイさんを乗せた反対側に重量物を勢いよく落とす。
四、以上の手順によって、ボーイさんを勢いよく「発射」する。
てこの原理を使用したごく原始的なカタパルトだが、こんな方法で良いのかとは少々疑問に思う。しかし、手持ちの札で使えそうな手段は他にないので仕方がない。
もっとも、僕が策馬式をうまく扱えるようになっていれば、こんな力技を使わなくて済んだと思うが、後悔は先に立たない。
ところで手順「参」で使う重量物だが、これも防壁・松を使えば良いとの事だ。防壁・松は基本的に高圧縮された石英だそうで、一枚当たり五百キログラム程もあるという。それを四、五枚束ねて使用せよとのお達しだ。
うっかり落とす場所を間違えると自分がせんべいになりそうだが、そこはまり子がうまい事補正してくれるらしい。例によって、どういう手段で補正するのかは不明だが。
そして、肝心の「どれくらいの距離を飛ばせば逃げ仰せられるのか」だが、出がけにまり子に確認したところ「直線距離で一〇キロ程飛ばせば逃げられるでしょう」とのことだった。
概算では、ボーイさんの発射時の角度を六十度と仮定した場合、目標とする初速は時速一二〇〇キロメートル程度だそうだ。
時速一二〇〇キロメートルというのは確か音速だった気がするのだが、大丈夫なのだろうか。少々不安に思うが今更考え直す時間は無い。
発射台となる防壁・松を三対二で分割する位置を支点として、「三」側の端にボーイさんを乗せるならば、「二」側の端に重量物を時速八〇〇キロメートルで落とせばいい、……らしい。
この時「空気抵抗とか、細かい事は考えなくて構いません」とまり子に言われた。空気抵抗が細かい事なのかどうかについてはこの際重要ではないだろう。
で、ボーイさんを発射した後は、路駐してあるライトニングブレットに乗り込んで落下地点に先回りし、着弾したボーイさんを回収後そのまま入道相国に帰還する予定だ。
考えれば考えるほど網タイツのような計画に思えてくるが、そんな不安は勢いでねじ伏せるしかない。
「ぃっしょい!」
丁度良い大きさの丸太を見繕って防壁・松を乗せ、適当と思われる位置にボーイさんを設置する。ボーイさんは見た目よりも体重があって運び辛い事この上なかったが、これにてどうにか手順「弐」まで完了だ。
続いて時速八〇〇キロメートルで重量物を投下する訳だが、これは重力加速度から計算して、地表から約二五〇〇メートル上空から落とせばいいらしい。
しかし、一〇キロも飛ぶとなれば二つ隣の市まで到達しそうだ。あと、飛ばされた時の最高高度はどれくらいになるのだろうか。
ここでも不安が襲ってきたが、やはり動き出した計画を止める訳にはいかない。およそ音速で「発射」されるボーイさんには非常に申し訳ないが、あきらめて貰うしかない。
だが、安心してほしい。僕らの後ろにはまり子様が控えているのだ。腹を据えて決行すれば、あとは何とかなるだろう。
「防壁・松、多重展開」
手をかざし、目分量で角度を見繕って命令を発行する。目の届く範囲では何も起こらないが、遥か二五〇〇メートルの上空に五枚ほど防壁・松が展開されたはずだ。
これでしばらく待っていれば、ちょうど良い位置に降ってくると思われる。
「……そうか、先に展開しておけば良かったのか」
先に防壁・松を上空に展開しておいて、それからボーイさんの発射台を作れば作業時間が短縮出来た事に今更気がついた。
どうやら能率の悪い仕事をしてしまったようだ。今回は特に「サッとやる」のが肝心要だというのにこの始末とは。
ここまで順調に思えていたが、これをきっかけに悪い流れが来なければ良いが――
などと考えた矢先に、背後で防壁・松の砕け散る音が派手に鳴り響いた。
振り返ると山ほど展開していた防壁・松がすべて砕け散っており、その砕け散り、舞い飛ぶ破片の向こう側から声がする。
「なかなか丈夫な障害物でしたが、この程度のおわわわわわわっ!」
当然だが、防壁・松を砕くと「撹乱」が発動する。あれを生身で受けるのは中々厳しいはずだ。
しかし、パトロール隊隊員としての本山の能力は未知数なので、「撹乱」がどれほど有効なのかは不明だ。あれくらい屁でもない可能性もあるが、逆に致命的な攻撃になってしまう可能性もある。
そう考えると、やり過ぎていないか少々心配になった。
傍らにいるレムペーゼンが何とかしそうな気もするが、どうなるだろうか?
と、悠長に眺めている訳にもいかないので、念のため追加で防壁・松を張り直して様子を見る。
内心焦りまくっているのでさっさと逃げてしまいたい所だが、ボーイさんが無事に射出されたことを見届けなければならないだろう。
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目の前には「防壁・松の破片が陽の光を反射してギラギラと輝きながら嵐のように飛び交う」という散々な風景が広がっている。
再展開した防壁・松もあって破片がこちらに飛んでくる事は無いが、それでも恐ろしい光景だ。
何しろ、かなり多量に展開していた防壁・松がすべて砕かれたのだから、その破片の量も半端ではない。
例えるなら、グラスの中でクラッシュアイスをかき混ぜているような状態だ。
今にもシャリシャリという音が聞こえてきそうだが、実際は激しい風切り音だけだったりする。それは破片同士がぶつかり合う事なく飛び交っているからだろう。
ふと、そんな破片の嵐の中から何か別の音が聞こえはじめた。
それは当初、うねる様な小さく低い音だったが、異変を感じた時には既に大きな高い音へと変化していた。
不快な音だった。それも、ただ「不快」と評するだけでは足りない、不快感を凝集したような甲高い爆音だった。それが耳の奥を突き抜けて脳髄へと突き刺さってくる。誇張ではなくそう感じた。
不快な音を大音量で耳にねじ込まれるのが、これ程までに苦痛だという事をこの時人生で初めて知った。
心臓が強く打ち、息が詰まり、口内には訳のわからない苦みが広がる。視界は明滅し、頭は割れるように痛み、方向感覚まで狂わされたのか天地すらおぼつかない。
これはきつい。
さすがの軽装甲・枯芒も音に対する防御性能は無いらしく、たまらず両手で耳を塞ぐが効果は無い。
この怪音波は本山による反撃なのだろうか。
音の変化はとどまらず、更に大きく、高くなっていく。
凝集された不快感に抗って、もつれる足を踏みしめ、苦し紛れに仰け反り苦痛を叫ぼうとするが、結果としては掠れ声が僅かに漏れただけだった。
音はまだ鳴り響いている。
そして鳴り響き、鳴り響き、鳴り響いて、――不意に弾けた。
その直前までの音が規格外の大音量だったせいだろうか、その弾けた音は、妙に小さく「ぱりん」と聞こえた。
その直後に襲ってくる「静寂」という名の変化に追従できず、全身硬直したまま重要な数瞬を呆然としたまま失った。
遅れて辺りを見回すと、飛び交っていた破片と防壁・松が姿を消している。代わりに在ったのは、一面に柔らかく降り注ぐ白っぽい粉だった。
「随分と面倒な妨害でしたが、私を足止めするには若干強度不足だったようですね。さあ、まずは大人しくお縄について貰いましょうか」
その声に振り向くと、丁度本山がレムペーゼンに寄りかかるところだった。
見ると足元がおぼつかなくなっており、しきりにこめかみの辺りを押さえている。
今の言葉から察するに、あの怪音波は本山の仕業で間違いなさそうだ。
あの怪音波は、本山が防壁・松を一掃するのに使用した何らかの手段によるものだろう。そしてその「手段」は標的である防壁・松だけでなく、僕や本山自身にもダメージを与えるものだったのだろう。
こんな、ほとんど自爆の様な手段を取らなければ「撹乱」を切り抜けられなかったのか。
そうであれば、防壁・松は「有効」だ。そう判断して再展開を命令し
「レムペーゼン!」
本山が一歩だけ先んじた。
寄りかかっていた体を起こし、その命令を発するまでに猶予が無かった訳ではない。ただ、自分が出遅れた。
レムペーゼンは即座に反応し、その機動力を以て一直線にこちらへと跳躍してくる。
「防壁・松、展開ッ!」
早口で展開出来たのは、僅か一枚だった。
目前に迫るレムペーゼンと僕の間に一枚だけ展開された防壁・松は、どうしようもなく頼りなさげに見える。そもそも畳一枚のサイズでは防壁の体を成していない。
しかし、それでも突進中のレムペーゼンの目の前にいきなり生えた防壁・松は、その役目を僅かながらも果たす結果となった。
障害物を検出したレムペーゼンは、その障害物を突破する手段として「回避」を選択したのだろう。防壁・松に直撃するコースを良しとせず、こちらに直進していた軌道を、曲げたのだ。
恐るべき機動性だった。
どんな制御をすれば、あんな動きが可能なのかさっぱりだが、レムペーゼンは直進していた軌道を、防壁・松の直前で上方に曲げ、防壁・松から充分に距離を取った上で、改めてこちらに向かって一直線に突進してきた。
感情は追いつかず、息をのむ暇すら無い。
上空から急角度で突進してくるレムペーゼンの影が、重く、大きくのしかかってきた。
お昼にお好み焼きを食べました。
それは甘くてジューシーで、まるで今川焼きを食べているかのような感じィでした。
よく見たら今川焼きでした。




