1.17. ヤケになる前に深呼吸
目の前ではリトルパーシャルさんが瞳孔の開き切った瞳でこちらを威圧しており、かたわらでは五人がこちらを凝視している。
何なのだろう、この状況は。
おかしい。
行動すればするほど状況が悪くなっていく気がする。
こうなったら、いっそのこと何もかも投げ出してまり子えもんに縋りたい。縋ってしまいたい。
しかし、ここでまり子が出てくると事態は更に面倒臭い事になるのが目に見えているので堪えるしかない。そして自らの力で乗り越えなければならない。
それでも、いざとなればまり子が何かしらのフォローを入れてくれることだろう。今は人の目があるため存在を潜めているが、まり子は間違いなくこの場を認識している。
現に、キッチンボードに置かれた電子レンジの液晶表示部分に「がんばってください!」などという本来表示されるはずのないメッセージがチカチカ点滅していたりする。
あれは、まり子からのメッセージだ。
わかっているよ。頑張るさ! そりゃ頑張るけれども! いったいどうすればいいのだろう。
「黙り込んでないで答えてくれませんか? 私たちの家をどこへやったんですか?」
「あー、え、えーと」
リトルパーシャルさんの気持ちもわかる。
そりゃあ家を壊されたり奪われたりすれば怒るのも当然だ。現に僕も一年前に同じような経験をしているので身に染みて理解できる。
壊してしまった外壁の修理と元の場所への移設は可能だと思うが、クラミン先輩御一行様が居るため、ここでは説明できない。
それでも、何とか取り繕わなければならないか。
「今ここには無いですけど、大丈夫です! 壊れた所は直して元の場所に戻しますから!」
「いい加減な事を言わないでください!」
声と共にリトルパーシャルさんの瞳が煌めきはじめた。涙かと見紛うたが、違う。瞳の中に点在する光の粒が、瞬き、広がり、収縮し、渦を巻いている。
これは、前にパーシャルさんと飲み比べをしたときに見た、あの光だ。
とすれば、次に来るのは。
「まもり!」
その声を聞いた次の瞬間、目にしたのは力なく崩れ落ちるリトルパーシャルさんと、それを支えるボーイさんだった。
ボーイさんはぐったりとしたリトルパーシャルを抱え上げると、勝手口から外へ駆け出して行った。
それに追従する影が目の前を過る。
数拍の後に、その影が店長さんの姿をしていた事を理解した。
「え?」
それは自分の声だったろうか。突然の事に理解が追い付かず、唖然として漏れた声は他の誰かのものだったかもしれない。
一体何が起こったのだろう。
リトルパーシャルさんは気を失っているように見えたが、それをやったのはボーイさんだろうか? 状況を見る限り他の線は無さそうだが、それにしても何故だ。
そんな逡巡に耽ろうとした矢先に「パチッ」という乾いた音が鳴り響き、延髄の辺りにチリチリとむず痒い感触を覚えた。
振り向くと、立ち上がって目を見開いたNOKの手先氏と目が合った。その横では、クラミン先輩と笹原さんが椅子にもたれ掛かってぐったりとしている。
「え?」
思わず口をついて出た本日何度目かの「え?」を契機にNOKの手先氏はハッとした表情でこちらをあらため、「ここで待っていてくださいね」と言い残して勝手口から出て行った。
こちらが何か言う暇もない迅速な行動だった。
あっという間に僕だけ置いてけぼりだ。
-/-
「まり子、何が起こったのかわかる?」
気を失ったままのクラミン先輩と笹原さんを放置してまり子に聞いてみた。
この頃、なんでもすぐまり子に聞く癖がついてしまっている。あまり良くない傾向なのはわかっているが、便利なものは仕方がない。
「はい。詳細は不明ですが……」
まり子情報によると、現在店長さんとボーイさんはNOKの手先氏から逃げているらしい。
NOKの手先氏、もとい本山氏(まり子が名前を記憶していた)は所謂パトロール隊の隊員だということだ。
まり子情報にちょくちょく登場するこの「パトロール隊」というのは、ざっくり言うと銀河規模の警察組織だそうで、この地球にも現地駐在員みたいな隊員が数名居て、各国の市民に紛れ込んで活動しているらしい。
そんな現地駐在員の彼らが何を目的としているのかといえば勿論「治安維持」なのだが、特に外部からの悪意のある干渉を防止するのが目的で、現地人同士のいざこざには基本的にノータッチとのこと。
そんなパトロール隊に追われている店長さん一味は、やはり何らかの犯罪者なのだろう。
さて。
クラミン先輩と笹原さんが目を覚まさないことを確認して入道相国へ戻り、ようやく一息ついた。
それにしても、自宅よりも入道相国の乗組員室三〇一号の方が落ち着くのは何やら複雑な気分だ。
「店長さん達が今どうなっているのか見れる?」
「はい」
まり子にお願いすると、森の中の空き地で店長さん一味と本山が対峙している姿がモニターに映った。
この場所は、いつぞやライトニングブレットを走らせた所だろう。
映像は偵察衛星による撮影だそうで、俯瞰する視点になっている。静止衛星軌道上からの撮影なのに、音声もばっちり拾えているのが流石だ。
『そう言われましてもね。決まりですので従って貰いますよ』
本山の声だ。声色は穏やかだが、その内容は否応なしか。
『一度くらい見逃してくれてもいいじゃないか? 俺たちは別にあくどい商売をしている訳じゃないんだぜ?』
ボーイさんは、リトルパーシャルさんを背負った店長さんを隠すように位置取りをしながら受け答えている。一見飄々とした感じだが、空気が張りつめているのは画面越しでも伝わってきた。
『残念ながら、今回は交渉の余地はありません。本来長話は得意なのですが、次の予定がありますのでさっさと片付けさせてもらいますよ』
本山の言葉が終わると共に、その背後に何の脈絡もなく巨大な物体が現れた。
どうにも表現し辛いが、何らかのメカであろうその巨大な物体は「甲虫」に似た形をしている。
足が生えている所を除けば、某自動車メーカーが販売していた「甲虫」の名を持つクルマに似ていなくもない。大きさは二tトラックと同じくらいだろうか。
カラーリングは全体的に白く艶やかで、所々に赤いラインが入っており、フォーミュラカー的な印象がある。
その「甲虫」が、のそりと一歩前に出た。
それを見たボーイさん達は顔をしかめて一歩下がる。
『レムペーゼン、彼らを丁重に捕縛しろ』
あの甲虫はレムペーゼンというのか。どういう意味の名前だろう。
突然現れたのはどこからか転送したのだと思うが……、という事はつまり本山もどこかに基地拠点を持っているのだろうか。
「まり子、あのレムペーゼンってやつだけど、どこから転送されたかわかる?」
「はい、行徳富士の地下からのようです」
「ぎょう……」
いや、何も云うまい棒。
行徳富士はともかくとして、気が付くと画面の中ではボーイさん対レムペーゼンの派手な立ち回りが繰り広げられていた。
レムペーゼンは、そのずんぐりとした見た目からは想像できない俊敏な動作で駆け、旋回し、跳躍して、口から発射される放射状の光線でボーイさんを攻撃する。
ボーイさんも負けていない。
どこから取り出したのかシルバーとメタリックブルーの双剣を手に、流れるような動作でレムペーゼンの光線を反らし、体当たりを躱して回り込み、斬りつけては離脱する。
思わず見入ってしまった。
まるでSF映画のようだ。
画面越しのせいで臨場感はあまり無いが、これが現実に起こっている事なのかと思うと背筋が震える。
ヒト(?)対メカのガチバトルなんて中々見れるものじゃあない。
……一瞬、船場山の事を思い出したが、ねじ伏せた。ガチバトルの当事者にはなりたくないでござる。
さて、彼らの戦闘を見た感じ、ボーイさんとレムペーゼンの力は拮抗しているように思う。とは言え、僕に戦闘の知識は無いので実際の所はわからない。
今のところ、レムペーゼンの光線はボーイさんにかすりもしていないし、ボーイさんの攻撃は当たってはいるが、何度切りつけてもレムペーゼンのボディには傷一つ入っていないのだ。
膠着しているのか? と考えた矢先、状況が動いた。
『――せい!』
ボーイさんがレムペーゼンの突進を躱した直後、振り向きざまに放った刺突がレムペーゼンの装甲を破り、その腹の下側末端に突き立った。
装甲の脆い部分に入ったのだろうか。今まで傷一つ入らなかったのが嘘のようだ。
それを目にして「おおっ!」と感嘆の声が出たのもつかの間、レムペーゼンが高速旋回を行ったことによりボーイさんは吹き飛ばされてしまった。
しかしボーイさんも然る者、空中で体勢を整えて平然と着地を決める。
そして、手元に残った双剣の一本を両手で持ち、眉間の前で水平に構えた。もう一本はレムペーゼンに突き刺さったままだ。
「これは……、ボーイさんが優勢なのかな?」
「どうでしょう? あの長さの剣では、目一杯突き刺しても機関部や制御部に届かないので決め手に欠けそうです」
確かに、戦闘用のメカを作るのにわざわざ弱点を外装付近に配置する訳がない。そんな設計をする奴は頭がユートピアだ。
つまり、結局はボーイさんが不利という事か。
まぁ、そもそもがヒト対メカなのだ。考えるまでもなくメカが有利なのは当然だろう。
ヒトに比べてメカは出力の桁が違うだろうし、スタミナ切れもない。
メカの場合「燃料切れ」はあると思うが、そうそう短時間で燃料切れになるとは思えない。
それよりも、メカにはスタミナ切れによるパフォーマンスの低下が無いのが大きいと思う。
仮に、熱ダレや金属疲労などでスタミナ切れのような能力低下があったとしても、ヒト程顕著ではない気がする。
現に、レムペーゼンは今だ変わらぬ機動性を保っている。
そしてボーイさんは一撃入れたのと引き換えに武器を欠損している。
これは大きな問題だ。
これまで見た限り、ボーイさんは双剣の片方で防御し、同時に残りの片方で攻撃を行っていた。
つまり攻撃と防御を同時に行う事でこの戦闘を拮抗させていたのだ。しかし、剣が一本となった以上、これまでと同じようには立ち回れない。
今後は、攻撃を捨てて防御に徹するか、或いは防御を捨てて攻撃に徹するか、そのどちらかを選ぶことになるのだろう。
だが、そもそもボーイさんの剣は決め手になれないのだ。攻撃に徹したところで詰んでいる。
防御に徹すればスタミナ切れが待っている。
詰んでいる。
「ん? あれは!?」
考察している間に、さらに状況が変化した。
レムペーゼンの背中の装甲が開き、その下から白い光が漏れ出したのだ。その光と共に細く高い振動音が鳴り始める。
漏れ出した光は左右に広がってゆき、同時に振動音も音量を増して鳴り響いた。
「あれは、羽!?」
正に甲虫がモチーフなのだろう、レムペーゼンの背中から展開された白く輝く羽は、細かく振動して高周波音を辺りにまき散らし、次いでその巨体を空中にゆらりと持ち上げた。
「あの大きさで飛べるの!?」
画面越しでもかなり壮観だった。
白い羽を輝かせたレムペーゼンの巨体が宙に浮かぶ様は一種幻想的にさえ見える。
ボーイさんは顔をしかめているが、まぁ、アレに襲われる身であればたまったものではないか。音もうるさいし。
そしてレムペーゼンは、上空に向けて垂直に飛び立った。
一瞬にしてトップスピードに乗るかのような、慣性の法則を無視した恐るべき加速だった。画面上で地面が急速に縮小されていくのがその事実を物語っている。
これに追従できる入道相国のカメラも大概高性能だ。
しかも、画面を分割して地表のボーイさんと上空のレムペーゼンを同時に見せてくれる。
至れり尽くせりだ。
レムペーゼンは吹き荒れる風を地表に残して空高く舞い上がり、急旋回して叩き付けるような垂直降下を見せる。
ボーイさんは微動だにせず剣を構えてレムペーゼンを待ち受ける。
レムペーゼンはボーイさんの頭上へと一直線に飛来して光線を照射した。ボーイさんは剣で光線を反らし、同時に地を蹴って衝撃波を回避する。
攻撃を避けられたレムペーゼンは地表スレスレの水平飛行へ移り、即座に引き返してボーイさんに迫る。
「何あれ! 怖えええええ!」
縦横無尽に飛び回るレムペーゼンと、それをヒラリヒラリと躱し続けるボーイさんの映像は、命綱無しの綱渡りを見ているようで心臓に悪い。
と言うか、ボーイさんは一体何者なのだろう。これはもう人間技ではない。
宇宙人か異星人か呼び方がわからないが、彼らはこれ位出来るのが普通なのだろうか。
まさしく、恐ろしい世界だ。
最初に本山が「捕縛」しろと言っていた気がするが、少なくとも地球人にとってはそういうレベルではない。あんなん死ぬわ。
ゾッとしながら見ていると、レムペーゼンが再び空高く舞い上がった。そして急降下の体勢に移る。
地表ではボーイさんが上空を見上げ、ゆったりと足を広げて立ち、腰を落とし、両手に持った剣を腰だめに構えた。
これは、もしかして、やるのだろうか? イチかバチかの最後の勝負を。




