1.16. ビバ地道
出涸らしを捨てた急須に番茶を大匙二杯程叩き込み、電気ケトルで沸かした熱湯をテケトーに投入する。しばらくの間を置き、茶の成分を存分に抽出した液体を用意した三つの湯呑にローテーション方式でトポポと注ぎ込む。
なぜか線香の香りがした。
「そ……粗茶でございます」
まだ小さかった頃「粗茶」という種類のお茶が存在すると思い込んでいて以下略。
「ありがとうございます」
「おう! すまんな!」
「どうも。ところで、テレビは購入されましたか?」
順に、笹原さん、クラミン先輩、そしてNOKの手先の……誰だっけ? たまに契約を迫りに来るNOKの手先氏の反応だ。名前は忘れた。
そう、ここにきて、このタイミングで、まさかのクラミン先輩御一行様の来襲なのだ。電車が止まっているし、まさか今日は来ないだろうと思っていればコレだ。
何でも、有給をもぎ取って会社からタクシーで来たらしい。熱海の時と同じパターンだ。恐るべし。しかも、お供に笹原さんとNOKの手先氏を引き連れているのが大問題だ。
笹原さんはまぁ良い。状況的には全く良くないが良しとしたい。だが、どうしてNOKの手先氏まで引き連れて来たのかと言えば、クラミン先輩曰く「大学の後輩でなぁ。偶然そこで会ったから連れてきた」だそうで、僕からすれば非常に関係の薄い人間なのに普通に連れてこられても困る。
こうなったのも、クラミン先輩が悪い。
ただでさえ店長さん一味の対応で「Oh! headache!」な状況なのだから、誰が来ようと居留守を使ってやり過ごそうとしたのだ。
しかし、玄関のチャイムが鳴った次の瞬間に掃き出し窓の向うから満面の笑みで「おーい」と手を振られたのだから、これはもう覚悟して家に上げる他無かった。
窓のシャッターを開けていたのは大いなる過ちだった。
それにしても、我が家の狭小なLDKに自分を含めて総勢七人も押し込む事になろうとは想像だにしなかった事態だ。これだけ人が居ると狭い。狭すぎる。
もし可能であれば「狭小空間の航海士」を召喚したいところだ。小上がりとスキップフロアを駆使してどうにかしてくれるかもしれない。どうにもならんだろうけど。
そんなこんなで、内心で頭を抱えているとクラミン先輩が口を開いた。
「ところで、なんでまもりさんがここに居るの?」
――先手、クラミン先輩。受け側、店長さん、もしくは僕。繰り出された手は「なぜ店長さん達がここに居るのか答えよ」です。
そういえば店長さんの名前は「まもり」さんだったか。前にどこかで聞いた気がする。
そして、一番触れてほしくない部分に切り込まれた訳だが、それもやむなし。何しろ、店長さん達は同じ部屋に居て目の前に座っているのだから嫌でも目に付く。と言うよりも、そもそも僕の家に居る事自体が不自然極まりないのだ。実際、クラミン先輩は店長さん達を目にした瞬間から怪訝そうにしていた訳で、今ようやくツッコミが入ったのはむしろ遅いくらいだろう。
「さて、こちらに聞かれても困りますね。気になるのであれば、そこで間の抜けた顔を晒……」
毒を吐き始めたリトルパーシャルさんに店長さんの目力が炸裂した。その強烈な眼差しにリトルパーシャルさんは一瞬怯んで口を閉じたが、直後にリトルパーシャルさんの目力がこちらに飛んできた。何とも壮絶な色の渦巻く眼力に鳩尾の辺りがヒヤリとする。
粗茶でも飲んで少し落ち着いていただだだだだだきたい。
「クラミン様お久しぶりです。少々込み入った事情がありまして、こちらにお邪魔しています。私どもはすぐにお暇しますので、その……、ここに居る理由については……ごく微妙な問題ですので触れないで頂けると助かります」
――後手、店長さん。受け側、クラミン先輩、および僕。繰り出された手は「どうかお構いなく。そして帰りたいな」です。
あからさまに突き放してきた。しかも「帰りたい宣言」まで織り込むという抜け目の無さ。まぁ、店長さん達からすればこの場から逃げたいのは当然か。僕的には逃げられると因……りはしないか。逃げられたところで、まり子がアッサリ見つけ出してくれるだろう。
とすれば、ここは一旦店長さん達にはお帰り頂くのが最良かもしれない。
まるっきり関わりのない闖入者が三人も居る以上、ここで大っぴらに宇宙規模の話をするのは憚られる。真顔で「プラネット・ハンターがどうのこうの」話していたら笹原さんに「こいつ頭おかC」と思われるだろうし。
「あっと、そうですね、では店長さん達にはそろそろ――」
「待った! そんな訳にはいかないだろう!」
店長さん達にお帰り願おうとした所にクラミン先輩の横槍が飛んできた。
「微妙な問題って何? トラブルでもあったのか? 一応俺はこいつの先輩だし、それに、まもりさんの店を紹介したのは俺だ。 だから、何かあったのなら俺にまったく関わりが無いとは言えないだろう? こいつが何か粗相をしたのなら、俺にも事情を聞かせてくれないか?」
クラミン先輩の横槍は暴投だが中々の威力だ。高く投げ飛ばせばアダムスキー型UFOに突き刺さって落ちてくることだろう。それはともかく、なんで僕が粗相した前提の話になっているのか。
「篁君、この方たちは?」
そこへ、笹原さんが小声で店長さん達三人組の素性を聞いてきた。
うん、困る。
どう説明すれば良いのだろう。いや、もう「キャバクラの女の子とボーイさんです」と説明する他ないのだろうけど。
しかし、その説明を笹原さん相手にするのはどうなのか。オカムラテクノロジー株式会社の中にあって唯一の心のオアシスであるところの笹原さんに! 宇宙人云々は伏せるとしても、飲み屋の従業員を自宅に連れ込んでいる事について説明しなければならないこの「嫌さ」。
ああ、笹原さん。今日もべっこうのフレーム越しに見える円い瞳が実に可愛らしい。こんな状況で無ければ、自宅に招いた喜びにド○ルド・オコナーばりの小躍りを披露したのに。
「実は、かくかくしかじかで」
誤魔化せるかと思って古来より伝わる伝統的な省略の言葉を発音してみたところ、返答代わりの視線は液体窒素のようだった。それがブスブス刺さってくる。
空気を読む、というのは重要な事だ。
-/-
キリリキリキリ胃が痛む。
僕の投げやりな説明を聞き終えた笹原さんは難しい顔で黙り込み、その向こうではクラミン先輩と店長さんが表面上穏やかな会話のデッドヒートを繰り広げている。
クラミン先輩は仕事で培った交渉の腕前をフルに活用し、店長さんも流石は客商売のプロといった感じで負けていない。ほんの数刻で、僕が嘴を突入させる隙間は無くなっている。
この二人が問題の中心だが、奥に座ったリトルパーシャルさんも問題だ。怖くて注視できないが、リトルパーシャルさんの目付きが時を経るにつれて悪くなっている気がする。その視線に怨念じみた重圧を感じるのだが、これはスルーしたいところだ。うっかり触って神に祟られても困る訳で。
そして、残りの二人は妙な感じだ。ボーイさんは無言・無表情でちびちびとお茶を啜り、NOKの手先氏は、無言・無表情に加えて室内のあちらこちらを忙しく見回して落ち着かない。まだテレビでも探しているのだろうか。
さて、いったいどうすればいいのだろう。この場はもう僕には制御不能な気がする。
しかし、何か手を打たなければならないのだ。
こういう場合、その問題を根本から打開するのは不可能だとしても、少しでも状況が改善するように手を打つべきだ。
場の空気に流されて何もしないで居るとロクな事にならない。その事は身に染みてわかっている。
かくなる上は、まずは無理矢理にでも店長さん達にご退場願い、その後でクラミン先輩達を何とかしよう。
既にゴチャってしまった物事を一気に解決する事なんで不可能だ。だから、問題を一つずつ取り出して個別に処理するしかないのだ。もしそれが不可能ならば、力技で問題を細かい単位に切り崩して個別に片づけるのだ。
スマートさの欠片もない泥臭い手段だが、それが一番確実だ。一発逆転が狙える「神の一手」なんて、この世には存在しない。そう思った方が良い。その方が幸せになれる。
「店長さん!」
店長さんとクラミン先輩のトークバトルに割って入ると、全員の視線が僕に集まった。
「長々とお引き留めして申し訳ありませんでした。このような状況になってしまいましたので、一旦お引き取りいただいて、後日改めてお話させてください」
畳みかけるように仕切り直しを提案する。早口で急かす感じになってしまったが仕方ないだろう。クラミン先輩の横槍が入る前に勢いで片付ける必要があるのだ。
「後日?」
しかし、横槍は別の所から飛んできた。リトルパーシャルさんだ。
何やらフラストレーションを積み立てているのは横目で見ないフリをしていたが、改めて正面から確認すれば、既に表情の険しさが北穂高岳クラスまで成長している。
マズい。これは非常にマズい気がする。
「パーちゃん!」
即座に店長さんが制止しようと訴えかけるが、今回ばかりは止まらなかった。
「理解できませんね。最初から、最後まで、何一つ」
リトルパーシャルさんはゆらりと立ち上がり、押し殺した声で言葉を続ける。
「勝手に連れてきて、何の説明もされないまま引き取れと? 人をコケにするのも程々にしていただきましょうか。ですが、まぁ、良いでしょう、帰りましょうか? ここに長居する理由もありませんものね? さて、ですが、私たちはどこに帰れば良いのでしょうか?」
「いや、それは……」
忘れていたわけではないが、彼女らの家は半壊したままの状態で入道相国の七十二番格納庫に放置してある。その状態で帰れと言われれば怒るのも当然か。
一応、まり子にお願いして修復すると共に元の場所に戻すつもりではあるのだが、それを彼女らにどう説明すれば良いのだろうか。
この場にクラミン先輩御一行様が居るせいもあるが、どうにも説明できない。
可能であれば「何とかするので帰ってください」的な曖昧なアレで納得して貰いたい。
店長さんとボーイさんは何か察している様子なので、空気を読んで速やかにお引き取り願えそうだが、しかしリトルパーシャルさんだけは納得してくれない気がする。
「ああ、そうでしたね。我が家はこちらの部屋にあるのでしたね」
あっ! と思った時にはリトルパーシャルさんはLDKの奥にある扉の前に移動していた。店長さん一味をこの家へ招待する際に通った扉だ。
入道相国から僕の家へと違和感なく移動する為に、その扉と七十二番格納庫を繋げたのだが、これはマズかったかもしれない。今その扉を開けられると、クラミン先輩御一行様に見られてはマズいものが色々見えてしまう。
「ちょっと待って! それ開けないで!」
思うより先に言葉が飛び出たが、そんな制止もむなしく、リトルパーシャルさんは扉に手をかけて一気に押し開いていた。
「我が家はこの有様なのですが……」
言いながらリトルパーシャルさんは扉の外を一通り見回して口をつぐんだ。
扉の外には|猫の額ほどの広さを誇る庭と、向かいに迫る隣の住宅、そして敷地の境界に建てられた簡素な塀があるのみだ。
それを目にしたリトルパーシャルさんはピクリとも動かなくなったが、あれは恐らく、扉の向こうの風景が思っていたものと余りにもかけ離れていた為に思考停止しているのだろう。
そこへちょうど塀の上を野良猫が歩いてきて「にゃあ」と鳴いた。
扉は七十二番格納庫への入り口ではなく、僕の家の勝手口として機能してくれた。恐らくもクソもなく、まり子が気を利かせて接続を切ってくれたのだろうが、助かった。
思わず「ふぅ」とため息が出たが、何やら存在感の増したリトルパーシャルさんの後ろ姿が目に入り、改めて胃のあたりが冷たくなった。
「タカムラさん」
そうして、リトルパーシャルさんはこちらを振り返りもせず言葉を続けた。
「説明して貰いましょうか」




