1.13. 鉄な人への問い
「停電?」
「はい、首都圏は昨日の朝から停電しています。復旧にはまだしばらく時間が掛かるようです」
朝、ベッドから起き上がれず鈍速回転中の頭脳にまり子からのお知らせが突き刺さった。
入道相国で生活するうえで、まり子は重要な情報源だ。この部屋にはテレビもラジオもインターネットも無いが、まり子に聞けば大抵の事は教えてくれるし、聞かなくても重要なニュースは教えてくれる。
今朝の目玉情報は「停電」か。
もっそりと上体を起こして伸びをすると、少しだけ眠気が飛んだ気がした。
「首都圏が停電って、結構大変な事になってるかも。電車止まってるだろうし……、会社いけるかな?」
「いえ、出社しても仕事にならないかと思われますが」
「あー、それもそうか」
流石にこういう時はテレビが欲しくなる。
街の状況がどうなっているのか映像で見られるのはテレビの大きな利点だ。最近は即時性の面でインターネットに負けているが、手軽さの面では勝っていると思う。電源を入れるだけで見れるし。
「テレビ買おうかな」
「いえ、買わなくても壁のモニターで見れますよ」
「え!? 見れるの!?」
壁のモニターはインターホン専用かと思っていたが、実は汎用的な物のようだ。
そのモニターに目を向けると、既にまり子が点けたのだろう、朝のニュース番組が映っていた。
『はい、それでは街の人に話を伺ってみます。すみません! 電車が止まってお困りと思いますが、これからどうなさるおつもりですか?』
『困ってますよ! 今日は待ちに待った特別列車が走る日だったのに! 最高の写真を撮る為にカメラもレンズも新調したんですよ!? それなのにこんなのって無いですよ!』
『え? ええ、はい、そうですね、困りますよね』
画面の中ではリポーターの女性が駅でインタビューしているのだが、話しかける相手を間違えた感じだ。こういうのを見ると、無難な回答をしてくれる人員を自前で仕込んでおきたくなる気持ちも解る気がする。
それにしても、停電中だというのにテレビ局は仕事をしているのが流石と言うか何というか。確か、テレビ局や電波塔は自前で発電設備を持っているのだったか? そのお陰で、こんな時にも休めないのは大変だなぁと思うが。
画面の中では、男性のボルテージがフルスロットルでヒートアップしており、既に報道と言うより一種のエンターテインメントと化していた。これはネタになってしまうかもしれない。
「あー、もういいや。まり子、テレビ消して」
「はい」
放送の内容はともかく、大変な事になっているのはよくわかった。
この所、頻繁に会社を休みがちなので気が重いが、今日も休むしかないだろう。一先ずは会社に連絡を入れて……と、そこまで考えた所でマズイ事に気が付いた。
「そういえば昨日、会社に何も連絡してない!」
無断欠勤だ。
あんな状況だったので仕方ないのだが、会社の人に説明しても納得して貰えないだろう。「突然、月みたいな所に飛ばされてました」とか言おう物なら、ふざけているとしか思われない。
「昨日の事でしたら大丈夫ですよ。会社には私から連絡しておきました」
「お? おお! ありがたや!」
入道相国の加護があったようだ。正確にはまり子だけれど。
「今日も休むから、連絡するよ。会社に電話繋いで」
「はい」
即座に呼び出し音が聞こえはじめる。いつもの事ながら、受話器はおろか電話本体すら手元にない状態なのは妙な感覚だ。
そして、言ってから気が付いたが、この状態で会社に電話しても果たして繋がるだろうか。
電車が止まっている状況で誰か出社できるとは思えないし、電話回線が生きているかも分からない。
そもそも、まだ朝の六時過ぎだった。
『はい、オカムラテクノロジー株式会社でございます』
「えっ!?」
あっさりと電話が繋がった、そして聞こえてきたのは、恐らくクラミン先輩の声だ。あの人は、また会社に泊まり込んでいるのだろうか。
「あー、おはようございます。篁です。クラミン先輩ですか?」
『おお!? 誰かと思ったらお前か! どうした? こんな時間に』
声色が明るい上、受け答えもしっかりしている。やはり徹夜明けのようだ。
「いえ、電車が止まっていて、出社できそうにないので、その連絡をー」
『そうか、まーだ復旧しないんだな。それにしても、良かったな。うちの会社で難を逃れたのは、たぶんお前だけだぞ』
「え? どういう事ですか?」
話を聞いたところ、クラミン先輩だけでなく昨日出社した全員が事務所に泊まっているとの事だった。客先に出ている人の状況は不明だが、恐らくどこも同じだろう。流石に笹原さんはビジネスホテルに行って貰ったそうだが、電気が使えない以上、そこでも不便を強いられているに違いない。
どうにも、自分一人だけ快適に過ごしているのが悪い気がしてくる。
『そういえば、お前、昨日電話してきたのは誰なんだ? 綺麗な声の女の人が電話してきた、って笹原さんが言ってたぞ』
「あ!」
当然だが、入道相国やまり子の存在については会社はおろか親兄弟に至るまで誰にも口外していない。この存在が知られた場合、非常に面倒くさい事になるのが目に見えているからだ。
いや、「面倒くさい」というレベルで済めば良い。万一これが世間に知られた場合、控えめに見積もっても地球規模で大問題になるだろう。
だから入道相国に関する事は、全て、一切、誰にも秘密にしなければならない。
『お前さ、彼女が出来たのなら教えてくれよ。がっつり呪ってやるのに』
「いや、ええと、違うんです、彼女じゃあないんですよ」
僕が抱える地球規模の懸念など知るよしもなく、先輩は呑気に誤解している。
まり子が彼女の訳が無いのだが、どうしたものか、説明できないのだ。
『そんな訳ないだろう。お前この間家を買ったろ? そんで、一緒に住んでるんだろう? 電話はお前ん家の番号だったって聞いたぞ?』
電話番号までしっかりチェックされている!?
「いや、彼女じゃあなくて、ちょっとした知り合いで……」
『悪いが、その言い訳は通らないなっ! 自宅に招く程度には深い関係なんだろ?』
なんとまぁ筋が通っている。咄嗟にうまい言い訳が思いつかないのがもどかしい。
『今度紹介してくれよ! いっそ会社に連れてきても……、いや! 俺がお前ん家行くわ! 家も見たいし! 新築なんだろ?』
「え!? いや! ちょっと待っ」
『よし! この話は今度煮詰めよう! 有給については了解した! じゃあな!』
一方的に言われた上、電話を切られてしまった。本気でウチに来るつもりなのだろうか? まずい。何とか説得しなければならない。
「まいったなぁ」
起きて早々疲れが出たが、ひとまずクラミン先輩の問題については棚上げする事にした。それよりも、昨日の事をまり子と話したいのだ。
「あー、まり子、昨日の事だけどさ、アレって何だったのかな?」
突然訳の分からない空間に飛ばされて、謎の男に襲われたかと思えばライトニングブレットがやってきて、乗って。
理解の範疇を超えている事ばかりで、何をどう訊ねれば良いのかすらもわからない。
故に、アレって何だったのかな? としか言いようがないのだ。ライトニングブレットについては、まぁ、一先ずどうでもいいが。
「はい。何が起きたのかについて、おおよその見当は付いていますが、まだ裏は取れていません。それでもいいでしょうか?」
裏が取れていないというのは、まだ何か確信が持てない部分があるという事か? まぁ、例え見当外れでも、まり子の見解は聞いてみたい。
「いいよ。教えて」
「はい。ええと、説明させていただくのは良いのですが……」
珍しく言い淀んでいる。何かまずい事でもあるのだろうか。
「どうしたの?」
「はい、そろそろ着替えませんか?」
「おわっ!」
軽装甲・枯芒を着たままだった。
-/-
すっかり忘れていた軽装甲・枯芒を解除して元の格好に戻った。
アレは見た目があんまりだが、着心地が良すぎる上に違和感が無いのでとてもマズイ。良いのだがマズイ。ある意味罠だ。
「では、確定している事象から説明します」
そうしてまり子による解説が始まった。
コトの起こりは、通勤中の僕が路地に差し掛かった時だ。
どうやらこの時、何者かが僕を半空間に閉じ込めようとしたらしい。
そして、完全に閉じ込められる寸前で、まり子が遠隔で策馬式を起動して外世界へ脱出させたという。本当に間一髪だった、との事だ。
半空間、というのはアレだ。キッチンにある壁面収納と同じで、時間軸の存在しない別空間だそうだ。
半空間というのはある種の人工の空間で、僕らの住むこの世界などの「時間軸の存在する世界」と接続している間だけ時間の流れが存在し、接続を切ると同時に時間軸からも切り離されるという特殊な空間の事だそうだ。
接続を切られた半空間は、僕らの住むこの世界から見た時「過去のある時点では存在したが、今は存在しない空間」という扱いになる。半空間を後から再利用する場合は、事前に「アンカー」と呼ばれる目印を打ち込んでおくようだ。
そしてまずい事に、僕が閉じ込められそうになった半空間にはアンカーが無かったらしい。
時間軸から切り離された半空間の中では時間そのものが存在しないため、全ての現象が停止するという。人が閉じ込められた場合、行動はおろか思考すらもできなくなるようだ。
つまり、そこに閉じ込められたが最後、自力で脱出する事は完全に不可能で、時間軸の存在する空間と接続された場合に限って脱出可能との事だ。
今回の場合はアンカーが無かったので、時間軸のある世界と接続する事は永遠に無かった可能性が高い。
過ぎた事ながら恐ろしい。一瞬遅ければ、あの何もない真っ暗な空間に閉じ込められ、何もできず、何もわかる事なく、一生を終える事すらできずその場に留まり続けたのだろう。
「一体誰がそんな事を!?」
「はい。まだ裏は取れていませんが、英治さんも何となく心当たりがありますよね?」
心当たりと言えば一つしかないのだが、どうしてこんなにも執拗に狙われなければならないのか。
「ちなみに、まず間違いなく、今首都圏で発生している停電は半空間を脱出する際に生じたエネルギーの逆流が原因です」
「あー、えええ!?」
まり子が観測したところ、首都圏各地の変電所でトランスが蒸発していたそうだ。「焼き切れる」ではなくて「蒸発」だというのが恐ろしい。何をどうすればそんな事になるのか。
「話を戻します。半空間からの脱出は成功したのですが、脱出先の選定まではできませんでした。何しろ切羽詰まっていましたので」
それで脱出先が「外世界」になってしまったのだそうな。
外世界というのは、青い格子模様の地平が広がっている世界の事だ。
僕らの住むこの世界は、あの青い地平の内側に存在しているのだそうな。それが本当なら、僕は地球人で初めて宇宙の外へ行った人間という事になるのだろうか。
まぁ、そんな事はどうでもいいか。いや、良いのか? この頃、色々と感覚がマヒしている気がする。
「英治さんが外世界に脱出した事自体は問題ありません。入道相国も外世界へ航行が可能ですし、昨日のように救助艇を派遣する事もできます」
救助艇というのはライトニングブレットの事だろう。見事に救助されたので文句はないと言いたい所だが、あの音声コマンドだけはいただけない。
話の続きが気になるので一先ずは飲み込むが、後でクドクド文句を言おう。
「ただ、ここで非常に稀な事態が発生しました」
「と言うと?」
「英治さんが降り立ったあの天体です」
あの白いマントの男が居るクレーターだらけの星の事か。
まり子によると、本来外世界には天体の類は存在しないらしい。
しかしそれでは、あの天体は一体なんなのか? という話になる。その答えは実に単純で、「どこかの世界から持ってきた」のだという。
そこで問題なのは、あの天体が外世界に存在する事ではなく、誰が、何の為にあの天体を外世界に持ち出したのか、という点だそうだ。
あの天体は太陽系の火星と同程度の大きさがあるそうで、それだけの質量を持ち出そうとすれば、入道相国でもかなり頑張らなければならないらしい。
……出来ない、と言わない辺りが流石だ。
「あの天体の素性がわかればいいのですが、組成を分析してもこれと言った特徴が無いので、正体不明なんですよ」
似たような成分の天体はデータベース内に無数に存在するが、その中から絞り込めないらしい。
「でも、何か重要なの? その、あの天体の素性とかさ」
「はい。誰にも所有権が無いのであれば接収したいのです」
「接収!?」
なんでも入道相国の基地にしたいらしい。外世界にある独立した天体なんていう物は、そうそう手に入らないそうだ。
まぁそれはそうなのだろうけど、どうなんだ? 不動産取得税や固定資産税はどうなるんだ? ってそんな物無いか。
「で、実は、あの天体の素性を知っていそうな方に心当たりがありますので、入道相国にお招きしたいのですが、構いませんか?」
「え? ああ、そうなんだ。別にいいけど」
流石は銀河の果てから来た超文明だ。何かその辺の伝手も、超広いネットワークでバビュンと来るのだろう。
「ありがとうございます。実は、先方には既に話を付けてありますので、すぐにお招きします」
その声が途切れるのと同時に入り口がスッと開き、何か見覚えのある白いマントの男が入ってきた。
そう、確か、昨日、見た、ミサイルの、クレーターが……!?
「おはようございます。船場山ヒゴノカミと申します」
「わーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
その後、冷静になるまでしばらくかかった。




