1.12. 優雅に午後な紅茶
頭上から銀色の光が射した。
反射的に仰ぎ見ると、煙の切れ間から上空にあの男の姿が見えた。その手にある銀色の棒は強い光を纏っており、上段に高く振りかざされている。
直観的に確信できた。あれが振り下ろされれば、終わる。
避けなければならない。恐らく、あの一撃は防壁・松で対処できない。絶対に避けなければならない。だが空中では身動きが取れない。防壁・松を足場にすればどうだ? 出来るのか? 「展開」が間に合うのか? やってみるしかない!
男の口元が微かに歪められたのが見える。蔑みだろうか。腹立たしさが胸によぎるがとにかく回避だ。
「防壁・松! 展こハッ!」
突然、横合いから何かがぶつかってきて、そのまま弾き飛ばされた。
軽装甲・枯芒を貫通した衝撃に肺の空気が押し出されてヘンな声が出た。一体何がぶつかったのか確かめる間もなく視界が明滅し、気付くと頭の半分を大地に突っ込んでいた。
それと同時に、何か激しい衝撃音が響き渡って地面がぐらぐらと揺れ、砂礫がパラパラと飛来して体をサンドブラストする。
軽装甲・枯芒は優秀だ。砂が目に入らない。
そして顔を上げると、目の前にそれがあった。
極太のスパイクタイヤを穿いた大口径ホイールを、大きく張り出したダブルウィッシュボーンで支え、ゴツい箱型シャシーに直線基調の尖ったデザインのボディを乗せた四輪駆動車。ライトニングブレット……の実車だ。
「えぇぇ……?」
思わずそんな声が出た。
幾ら目を凝らしてもラジコンカーではなく実車サイズなのだ。元が十分の一スケールなので十倍だぞ十倍。
目を疑っていると、ライトニングブレットのキャノピーが跳ね上がり、中から声がした。
「エイジ様。お迎えに上がりました。どうぞお乗りください」
聞き覚えの無い声だった。
それは、落ち着いた艶のある男の声で、反射的にロマンスグレーの執事の姿が脳内に浮かんだが、現実にそんな人物は乗っておらず無人だ。通信による音声だろうか。それとも、まり子のような制御コンピューターかもしれない。
ともかく、状況から推察してこのライトニングブレットはまり子が寄越したものだろう。策馬式がライトニングブレットの図形を投射したのがその証拠だ。と言うか、こんな事ができる存在を他に知らない。
ちらりと砂礫が飛んできた方に目をやると、白い煙がモクモクと立ち上っており、そこからあの男がゆったりと歩いてくるのが見えた。その足元の地面は大きくえぐれ、新しいクレーターができている。
正真正銘の危機一髪だった事を認識した。恐らく、あれを食らう直前にライトニングブレットが撥ね飛ばしてくれたのだろう。そして、車に撥ねられても平気な軽装甲・枯芒は本当に優秀だ。
「申し遅れました。私はこのライトニングブレットの制御コンピュータで内藤千里と申します。どうぞお見知りおきください。さて、私の創造主たるまり子より、エイジ様を入道相国へお連れするよう承っております。状況を推察するに、急いでお乗り頂いた方が宜しいかと存じますが……。ああ、はい、座席にはもう少し深くお掛けください。あ、荷物は座席の後ろへ、投げ入れていただいて結構です。そうです、完璧でございます。では、シートベルトを締めて、ハンドルは握らず、座席の両脇にある取っ手におつかまりください。……はい、すべての準備が整いました。僭越ながら今回は私が運転させていただきます。それでは、快適なクルージングをお楽しみください」
悩んでいる蝦はないと判断し、カバンを座席後部に放り込みつつ飛び乗るとシートベルトが自動で身体に巻き付いてきた。その直後からライトニングブレットは物凄い勢いで走行を開始し、圧倒的な加速によって体がシートに押し付けられる。
座面が低いこともあり実際以上に速度を感じた。その上、キャノピーはピラーレスで透明度が非常に高い事から大変見晴らしが良く、何かきっかけがあれば自分の体だけブッ飛んでいくのではないかと錯覚する。無駄に……、無駄ではないか、シートベルトが六点式なので吹っ飛んでいく事は無いだろうが。純粋に、怖い。
「こんなのはクルージングじゃないと思う!」
「申し訳ありません。表が少々騒がしいものですから、こちらもそれなりの対応をしております。すみやかに安全圏まで脱出いたしますので、しばらくご辛抱ください」
その穏やかな声とは対照的に、目の前の状況は荒れ狂っていた。
体が右へ左へ引っ張られる。急旋回を繰り返しているのだ。旋回している最中は地平線が斜めに傾いて壁を走っているように感じる。右へ傾き、左へ傾き、視界がグルグルと回転してもうアレだ。頭もシェイク、おなかもシェイク。
そんなシェイクの中、車体のすぐ脇で次々と地面に着弾していくミサイルが見える。この連続急旋回は、あれを回避する為のものか。中々華麗に回避している。こんな物、見なかった事にしたい。
しかし、お外ではドンパチやっているというのに車内はとても静かだ。随分と遮音性が高いらしい。それでも微かにだが「ズガガガ!」とスパイクタイヤが地面を耕す音が聞こえてくる。同時に鳴っている破裂音はミサイルが爆発した音だろうか。
「アフタヌーン・ティーはいかがですか」
「っぷおゎああ!?」
突然ダッシュボードに生えたアフタヌーン・ティーが横Gにやられて飛んできた。
無暗に立派な三段重ねの皿にはクッキーが添えられ、ティーカップには紅茶が注がれていたようだが、全て飛び散った。どうして今出した。
「今は食べられないよ!」
「ははぁ、左様でございますか。大変失礼いたしました」
ジェットコースターに乗りながら食事をする様なものだ。無理過ぎる。
あと、違和感が無いので忘れそうだが、軽装甲・枯芒を着ている間は口に物を入れる事ができない。
……何か余計な事を考えてしまったが、そうじゃない。アフタヌーン・ティーなどどうでもいい。
まずはあの男から逃げなければならないのだ。
「で、大丈夫なの? 逃げられそう?」
「申し訳ありません。あの敵性体は予測よりも凶悪でございまして。私の力だけでは、逃走するのは難しいかと思われます」
「ええええ!」
ダメなのか。
ライトニングブレットはかなりの速度で走っているはずだが、それでも振り切れないのか。目の前のスピードメーターは六百の辺りを指しているのだが……六百!?
メーターは見ない方が良い。
それにしても、あの男はいったい何者なのだろう。
何かが視界の端でチラチラすると思い、見ると問題の男が並走していた。しかも、上半身を一切揺らすことなく、腰から下だけを使って駆けるという離れ業で。
「なんなんだあいつは!」
「あの敵性体の氏名や所属は不明です。隙を見て走査したところ、あの敵性体の体内には生体と機械が混在しているようです、……サイボーグかアンドロイドか、いずれかですね。機械の部分はそこそこ高度な技術で作られています。流石に私や入道相国程ではありませんが」
太ももと二の腕からミサイルが出るのだから人間ではないと思っていたが、生物も混じっているのか。
半分とはいえ、機械なのだからメカっぽい動きをするのも当然か。あの足さばきはいかにも産業ロボット的だ。
それにしても、本物のサイボーグ? アンドロイド? をこの目で見る日が来るとは思わなかった。初対面でミサイルをぶっ放してくるサイボーグになど会いたくも無かったが。
「ふごっ!」
余計な事を考えていると、フェイントを入れた急旋回で首を持っていかれた。直前にあの男がミサイルを乱射したのが見えたので、それの回避動作だろう。
「ええと、内藤さん? 何か反撃できないかな!?」
「申し訳ありません。急ごしらえで駆けつけましたので武装できておりません。その為、現在可能なのは体当たりのみでございます。お望みとあれば試みますが、いかがなさいますか?」
何か飛び道具があれば、と思って聞いてみたのだが、武器は無し、か。
体当たりしか無いという事だが、車体の強度は大丈夫なのだろうか? いや、今もミサイルを必死で回避している事から察するに、爆発物に耐えるほどの強度は無いのだろう。
であれば、あの男に接近するのは危険だ。そもそも、あの銀色の棒もある訳だし。
「いや、流石にそれはやめとこう」
「賢明でございます。さて、先程『私の力だけでは逃走するのは難しい』と申し上げましたが、エイジ様にご協力いただけるならば、容易に逃げる事は可能でございます」
「何!? どうすればいいの!?」
僕では役に立てない気がするが、何かできる事があったろうか。手持ちの札は防壁・松くらいだが、多量に展開すれば少しは足止め出来るのかもしれない。屁の突っ張りにもならない気もするが。
「ごく簡単な事です。あの命令を発行していただくだけです」
あの命令!?
「まさか……」
「あの命令については、エイジ様もよくご存知のはずです。さて、ライトニングブレットの操縦を手動に切り替えさせていただきます。どうぞ、ハンドルをお握りください。アクセルペダルは奥まで目一杯踏み込んでください。準備は宜しいですか?」
「待て待て待て! ちょっと! あの命令って、えええ!?」
あの命令というのは、森の中でまり子に教わったアレの事か。ここにきてアレを発音させられるのか。
「申し訳ありませんが、もはや選択の余地はございません。さあ、どうぞ、大きな声でお願いします!」
その言葉と同時に、操縦権が僕に移ったのだろう。ハンドルからゴツゴツとした手応えが伝わりはじめ、アクセルペダルが若干重くなった。
心の準備も何もできていないのに、急に操縦を任せられてもどうすればいいのか。一応、自動車の免許は持っているが、ほとんどサンデードライバーなのだ。というか、どんなに運転がうまくてもミサイルの回避なんて不可能だろう。例えセバ○チャン・ロ○ブでもできないに違いない。
つまり、最早あの命令を叫ぶしか無いのだ。そう仕向けられている。この状況で完璧に退路を断ってくるとは、この内藤さんは言葉は丁寧だが容赦ない。
「ちくしょう! 恨むぞまり子!」
もうやけくそだ。
「稲妻と疾れ! ライトニングブレット!」
叫んだ途端、視界が金色の光で溢れ、狂気じみた加速が始まった。
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「死ぬかと思った」
つい最近、同じセリフを言ったばかりの気がする。
血液が逆流するような加速に多少の神経がやられはしたものの、何とも呆気なく入道相国に戻って来れた。
内藤さんによれば、今居るのは「七十二番格納庫」だという。僕が居室としている乗組員室三〇一号から最も近い格納庫だそうだ。初めて来た場所だが、とにかくだだっ広い。僕の通っていた高校が校庭含めて丸ごと収まるかもしれない。
「今日は休もうかな」
ライトニングブレットの中でぐったりしながら、そんな事を言ってみる。
あの男から逃げおおせて一気に気が緩んだせいか、頭を使うのが億劫だ。普段から難しい事を考えるのは嫌いだが、今は簡単な事すら考えたくない。
あの月の様な場所は何だったのか。あの男は誰なのか。そもそも、なぜあんな場所に飛ばされたのか。疑問点は多いが、一先ずはどうでもいい。帰って来れたのだから。
「そうですね、今日はもうお休みされた方が良いかと存じます。まり子に言ってお部屋まで転送させましょう」
「あー、お願いします」
すると視界が切り替わった。見慣れた僕の部屋だ。
うまい事ベッドの上に転送してくれたようで、実に快適だ。思う存分手足が伸ばせる。こうなれば、もはや起き上がる気力は湧いてこない。
休むことを会社に連絡しなけりゃな。
かすかに残った意識がそんな事を思い浮かべたが、にじり寄る疲れの波にあらがう事はできず、そのままどっぷりと惰眠の海に沈んでいった。




