1.10. 雨のように降り注ぐ特別訓練
「ええと、これは一体どういう事なのかな?」
気付けば、神社の境内に居た。
澄み渡った空に浮かぶ白い雲、静かに凪いだ空気の中を暖かな日差しが降り注ぎ、周囲に広がる雑木林からは小鳥の囀りが聞こえてくる。
「はい、これから特別訓練を開始しますので、その為に訓練場を整備しました」
そう、ここは入道相国の内部なのだ。
まり子に案内されて乗組員室三〇一号から少し歩いた所にある真っ暗な部屋に入り、明かりがついたと思ったらこの有様だった。
ホウ酸団子を青酸カリで流し込んだ翌日。他人から殺意を向けられた事による精神ダメージで一日中寝て過ごそうと思っていたのだが、「護身の特別訓練をやる」と言い張るまり子に引っ張り出された結果がこれだ。
「訓練場? 僕には神社にしか見えないけど」
目前に二の鳥居がそびえ立ち、奥には小さなやしろが見える。よく見ると左手には手水舎まであった。
余りの自然さに本物の神社なのではないのかと思えてくるが、振り返ると今通って来た入り口が空中にぽっかりと開いているので、やはりここは入道相国の内部なのだ。
「はい、神社です。特にどこかの神社を参考に作ったわけではありませんが、ごく一般的な神社の体裁は整っているはずです」
「いや、確かに、これ以上ないほど神社だけどさ」
こんな所で何の訓練をするというのか?
古い神社によくある急角度で危険極まりない階段をダッシュで昇り降りするのだろうか? いや、しかしこの神社には階段が無い……、入り口の所に三段だけあるか。
一の鳥居の手前に三段の階段があるが、一段一段が平らで奥行きもあり実に昇り降りしやすそうだ。
これで踏み台昇降運動でもすればいいのか?
「すぐに特別訓練を開始しますので、英治さんは二の鳥居の下に立ってください」
大人しく指示に従って二の鳥居の下に移動した。
当初気乗りしなかった特別訓練だが、今はそこそこやる気がある。
まさか、この平和ボケした日本で他人から殺害を企てられるような立場になるとは想像もしなかったのだ。まり子に「次は実力行使されるかもしれません」と脅されようものなら一発でやる気も出るというもの。
そもそも、何故しがないサラリーマンである僕が命を狙われているのか? これについては何となく予想できるが、まり子に聞いてみたところ備前、備中、そしてビンゴだった。
荒唐無稽過ぎて目眩がしたが、そもそも、こんな宇宙船に住んでいる時点で現実を見つめ直す必要があるだろう。
「んで、これからどうするの?」
「はい、これから一定時間、空から色々と降って来ますので、ひたすら避けてください」
言われて頭上に目をやると、空に茶色い物体と黒い物体がバラバラと……。
「待て待て待て!」
目にしたものに慌ててその場を飛び退くと、幾つもの黒い塊が地面に突き刺さり、一拍遅れて無数の茶色い物体が地表で弾んだ。
「危ないよ! 死ぬよ!」
落ちてきたそれは「鉄アレイ」と「ちくわ」だった。
なぜこの組み合わせなのかはさて置き、ちくわは良いとしても、鉄アレイに当たろうものなら普通に死ぬ!
「いいえ、これは立体映像ですので当たっても怪我をすることはありません。一応、当たった感触はするように設定してありますが」
つまり、触れる立体映像が作れるのか。
これは便利……、いやちょっとマテ。
「でも、鉄アレイが地面にめり込んでるけど、これは?」
「はい、これは単なる演出です」
その言葉と共にちくわと鉄アレイがかき消えて、地面の窪みも元に戻った。
地面も立体映像なのか。
という事は、この神社自体も立体映像なのだろうか。そう考えて鳥居に触れると、硬く冷たい木の感触があった。まるで、本当にこの場に存在するかのようだ。
「触った感触も本物みたいだね」
「それは実物です」
「え?」
立体映像なのは「空」、「ちくわ」および「鉄アレイ」だけで、その他は実物らしい。
地面が窪んだり元に戻ったりするのは、単純に「そうなるように操作した」からだそうな。いつもの謎技術だな。
ちなみに、遠くでピピと鳴いている鳥も実物生身だというので目を凝らしたのだが、流石に遠すぎて見えなかった。
で、立体映像についてはさて置き。
「そもそもだけどさ、これって何の特訓なの?」
「はい、これは回避および逃走の訓練です」
「あー、んー、まぁそれもそうか」
そのままだった。
確かに、自衛――自らの身を守るには逃げるのが最良の手段に違いない。
「厳密には他の狙いもあるのですが、主目的はあくまで回避および逃走能力の強化です。ランダムに降り注ぐ『ちくわ』と『鉄アレイ』を一定時間回避し続けることによって判断力、瞬発力、平衡感覚および持久力を強化し、これを以て回避および逃走能力の強化とします」
「そう言われると、何だか凄く理に適っている気がするね」
降り注ぐ無数の物体を避けるには判断力が必要だろうし、咄嗟の判断に追従する為の瞬発力も必要だろう。
また、常に頭上を注意しなければならない事から上を向いたまま行動する事により平衡感覚も養われる気がする。上を向いたまま走るのは存外に難しいのだ。
そして、これを一定時間続けると言うが、果たしてどれくらいの時間続けるのだろうか。特別訓練と銘打ったからには生半可な時間ではないだろう。とすれば持久力も鍛えられるに違いない。
「この特別訓練は、戦闘員育成プログラムの一部です。今回の内容はごく基礎的なものですが、今の英治さんにはピッタリピタリだと思いますよ」
戦闘員て。
まぁ確かに、いきなり高度な格闘訓練などやらされても嫌だろう。
説明を聞いた限りでは大方問題ない訓練内容に思えるが、しかし一つ疑問がある。
「ところで、なんで『ちくわ』と『鉄アレイ』なの?」
「はい。申し訳ありませんが、それにはお答えできません」
-/-
特別訓練は一回あたり三分で、たまに小休止を挟みながら続けている。
しかし、どうにもうまくいかない。
まだ訓練を開始したばかりだが、十秒も経たない内にちくわか鉄アレイに当たってしまうのだ。
幾らやっても三分間回避し続けられる気がしない。
「いてっ!」
顔面に鉄アレイを受けて、反射的に声が出た。
地面に落ちている鉄アレイに足をひっかけて後ろ向きにすっ転んだ上、ちょうど降って来た鉄アレイを顔面に食らったのだ。
後頭部及び顔面部への痛打か。立体映像ゆえに「痛い」で済んで池田な事この上ない。
「まり子さんや、上向いたまま走るの辛いんですけど」
上を向いたまま足元にも気を配るのはとても無理だ。
一度、頭上と足元を交互に見ようとしたのだが、頭が揺れて気持ち悪くなり、むしろ難度が上昇した。
「はい。そうですね、では右目で上を見て左目で下を見るというのはどうでしょうか?」
「そんな無茶な!」
いや、しかし、もしかして出来るだろうか。
何と言っても硫酸飲んで平気な体なのだから、眼球の左右独立駆動くらいは出来る可能性がある。
出来るのか? 出来ているか? どうだ?
「英治さん、百面相はやめてください」
「お前なー」
眼球の左右独立駆動は出来ないようだ。
しかし、出来たら出来たで傍から見ると不気味だろう。これは出来なくて良かったのかもしれない。
「真面目に対策を考えてください」
「いや、真面目にって」
妙な事を言いだしたのはまり子なのに、これでは僕が悪いみたいだ。
しかし、対策か。
いっそ潜望鏡の要領で、右目で上が、左目で下が見えるように鏡を取り付けたゴーグルを作るか? いや、それでは前と横が見えないか。そもそも特別訓練の趣旨に反するだろう。
となれば――
「鉄アレイが落ちてくる場所を覚えるしかないな」
鉄アレイは落下後地面に突き刺さるので、平面上の位置は落下中から変化しない。なので、落下中にその位置を覚えておけば、地面を見ずとも大方の位置を把握できる。
とは言え、全ての落下位置を一瞬で全て把握するのは困難だ。何しろ、僕の記憶力はデータレコーダー並の性能しかないのだから。嘘だけど。
「まり子、もっかい頼む」
試してみると多少マシになった気がした。
鉄アレイの場所を全部覚えるのは無理なので、自分に近いものに絞って記憶する。唯一救いなのは、地面に落ちたちくわと鉄アレイは数秒で消えるので、いつまでも覚えておく必要が無い点か。
鉄アレイに集中していると、ちくわにはバシバシ当たるが、ひとまずちくわは無視する事にした。
まずは鉄アレイだけでも避けられるようになるべきだろう。
-/-
その日、訓練は昼食を挟んで夕方まで続いた。
幾度もの再挑戦を経て、鉄アレイの回避はある程度出来るようになったのだが、持久力の無さが災いして最終的にヘロヘロになってしまった。
足はガクガクで膝が大爆笑している。
思えば、数年ぶりにまともな運動をした気がする。
学生だった頃には体育の時間があったので、あれで週に何度か強制的にでも体を動かされていたのは良い事だったと痛感した。
あの頃に比べると、なんとも不健康になったものだと思う。
それでも、夕方まで続けられたのはまり子による適切なペース配分があったからだろう。
「体のあちこちが突っ張ってる気がする」
部屋でシャワーを浴び、一息つくと時刻はもう十九時を回っていた。
全身にまとわりつく気怠さと戦いながら夕飯の準備をしていると、不意にまり子の声がした。
「夕ご飯にはタンパク質を多めに摂ってください」
「ああ、肉だな。肉」
タンパク質を取れ、というのはやはり筋肉をつける為だろう。
タンパク質と言えば肉だ。運動した後は肉だ。寝て過ごしても肉は食べたいけど。
さて、今日は不覚にも好物のスージー肉牛は切らしているが、その代わりに「豚バラ軟骨」があるのだ! しかも、調理済みだからこの間のような失敗は無い。
圧力鍋を使用し、麺つゆに生姜を効かせて柔らかく煮込んだ豚バラ軟骨は、スージー肉牛に勝るとも劣らない味のパラダイスだ。これをご飯に乗せて食べれば明日に勝てる。
ちなみに、壁面収納を開けた時、昨日のベーコンが一瞬だけ目に留まったが無視した。まり子によると「変なものは含まれていません」だそうだが、今はまだ食べる気になれない。
そして、夕食を終えてまったりしていると「一日の締めくくりの運動」と称した筋トレをやらされる羽目になった。
メニューは腕立て、スクワット、腹筋ローラーそして懸垂等々だ。腹を括ってトライするも懸垂に至っては一度も出来ず、改めて己の肉体の「衰え」を実感させられた。
それでなくても余りにキツイのでまり子に泣きついたのだが「ひと月も続ければだいぶ変わりますよ。筋肉は裏切りません」等と切って捨てられる始末。と言うか、これを毎日やるのだろうか。からだ辛い君になってしまいそうだ。
世に言うモノのたとえに「飴と鞭」というのがあるが、今回は「飴」が少ない気がする。
それでも何とかやり終えてぐったりしていると、謎の台車が何かを運んできた。
「なにこれ? ループタイと、腕時計?」
腕時計を手に取って確認するが、何のことはない、ただの腕時計だった。
黒色の樹脂で一体成形さたデジタル時計で、正面から見て左脇に大きめのボタンが一つ付いており、他は何の特徴もない。
非常に安っぽく、その辺りの百均で売っていそうな感じだ。
対してループタイの方は、安っぽくはないが実に古めかしい感じだった。
焦げ茶色の紐を真鍮っぽい光沢の金具が束ねており、その金具には深緑に透き通った大きな石が嵌め込まれている。
「はい、護身用の装備です。身に付けてみてください」
「護身? 装備?」
まり子が用意した物ならばそれなりの物だろうが、具体的にどういう物なのか想像もつかない。
ひとまず、既に手にしていた腕時計をそのまま巻き付けてみる。留め具も樹脂製で心もとない感じだが、いざ付けてみるとしっかりと固定され、違和感なく収まった。
「で、これ、どうやって使うの?」
「はい、これはですね――」
その後、装備の性能に頭を抱える羽目になったが、一日中訓練して疲れていたのもあって、何もかもを心のゴミ箱にスリーポイントダンクシュートした上で惰眠の海へとかーるいすした。




