勉強会とマリア
前世の記憶が確かなら、犬科の動物の成人年齢は約一年半。生後一ヶ月の僕はまだまだ大人には程遠いが、【幻獣種】の生態はよく分からないのでその知識が正しいのかは微妙である。
毎日を怠惰に過ごすことに慣れきっていた僕は、就寝前、いつもの通りにシルヴィア母さんの寝床に潜り込もうとしていた。だが、彼女の何気ない“一言”が眠気を彼方へと吹き飛ばす。
『────レオとレオナもそろそろお勉強しないといけない時期になったから、明日の朝から私と一緒に出掛けましょうね?』
「わ、わうっ」
聞き間違いだろうか?なんか聞きたくない単語が聞こえたような...。勉強?ナニソレおいしいの?
『こーら、聞こえてるでしょ?』
コツンと鼻先で僕の頭をつつく。珍しく【幻獣種】としての状態で話すシルヴィア母さんだったが、今はそんな些細なことはどうでもいい。
問題は彼女が伝えた“勉強”という言葉だけ。前世でも学校の勉強が嫌いだったのに、今世でも知識を学ばないといけないなんて最悪だ。
だからこそ僕は知らぬ存ぜぬを貫く。素知らぬ顔で後退しつつその場から離れようとしたが、
「わんっ!」
「わうっ!?」
またもや姉の襲来。ホントに空気を読んでください、あと君は突進以外のコミュニケーション方法を知らないのかい?
『よくやったわねレオナ。そのままレオを連れてきて』
「わんっ!わうぅっ!」
僕の尻尾を口で加えて母の元へと連行──もとい“引き摺られ”ていく。
あの...大人しくしますから優しく引っ張ってくれない?尻尾が引き抜かれそうなんですが?
『さあ、逃がさないわよレオ。いつまでもだらだらしてたら体が腐っちゃうんだからね。明日はレオナと一緒に勉強しなさい』
「くぅーん」
『はい、おやすみ~』
無視しないでお母様。しかも前足でがっちりホールドされてるから逃げれないし、もうダメだ。
大人しく現実を受け入れ、僕は母の腕の中で眠る。明日の勉強会はなるべくお手柔らかにして欲しいと願いつつ。
──────────────
はい、おはようございます。如月 玲央改めフェンリルのレオです。
今現在、人間状態の母親に抱っこされながら森林を歩いております。昨日の時点で抵抗を諦めているにも拘わらず、信用されてないらしくシルヴィア母さんに拘束されております、はい。
足元をちょろちょろと走り回る姉のレオナは、弟の心境も知らずにはしゃいでいる。いいよね、無邪気な子供は。僕もこの瞬間だけ赤ん坊に戻りたいよ。
「────ユグドラシルからだいぶ離れた場所に二人の“家庭教師”がいるからね」
一息、シルヴィアが告げる。
「その人......腕は確かだけど“気”は確かじゃないから気をつけて。くれぐれも大人しくするように」
なにそれ怖い。そんな危ない人物のいる場所に二匹の子供を置いていくの?何かの罰ですか、毎日ぐうたら過ごしていた息子へのお仕置きですか?
「ホントは不本意だけど、この森で“教師”なんて真似事が出来るのは“あの人”だけだから仕方無くてね、ホントに不本意だけど」
なんで二回言ったの?そんなに信用ならない人物なのですか?
「────とか言う間に着いちゃった。ほら、あそこに見える小屋がそうよ」
森林の奥の薄暗い場所に経つ木造建築。こんな自然豊かな場所にポツンと在るのはなんだか珍しい。何せ、どういった原理かは分からないが、この【世界樹ユグドラシル】が立つ大陸には“気候”の変動が無い。
いつも程よい天気を維持しており、だからこそ僕らの寝床には屋根もなく雨の心配をすることなく過ごせている。
いくら人型の状態で生活することが多いフェンリル種とはいえ、屋根付きの家に住むメリットが無いように思えてしまう。
(……まさか、あそこに住んでいるのは【人間】じゃないよな?)
少しだけ警戒する。前世が人間だったので別に差別意識は無いものの、新たな人生を【幻獣種】として謳歌しているので【人間種】がこの場に居るかと想像するだけで嫌気がしてしまう。
チラッと、後ろからシルヴィア母さんの様子を伺ってみる。すると、彼女の顔は予想だにしない“複雑”な表情であった。
おや、と。僕が疑問に首を傾けた瞬間だった。
「────シ・ル・ヴ・ィ・ア・ちゃぁぁあああん!会いたかったよぉぉぉおおお!」
突如として大声を発しながら小屋から飛び出す一つの影。それは二足歩行で僕らの元へと駆け寄ってきており、その表情はお世辞にも“まとも”ではなかった。
「ハァハァハァハァ!久しぶりのシルヴィアちゃん!酷いじゃない!出産の時も立ち会わせてくれないし、報せもくれないなんて!あ、その子たちが双子ちゃんね!?あぁ、可愛い!お願い抱かせて!」
異常な興奮状態のその“女性”は僕らへと突っ込んできており、身に纏う黒を強調としたゴシックドレスが“銀髪”とよく映えていた。
間近まで迫ってから気づいたが、どこかシルヴィア母さんと似た容姿で、雰囲気……というより“匂い”もそっくりだった。
“普通”の身内同士ならばここで親愛の抱擁くらいするのであろうが、僕が見た光景はその予想を裏切るものであった。
「まずは再会のペロペロを────」
「────近寄るな変態!」
「────おぶぅ!?」
僕を胸に抱えたままの状態で繰り出された回し蹴りが炸裂する。首筋を捉えた彼女の細い足が振り抜かれた後、謎の銀髪ゴシックドレスの女性が地面をゴロゴロと転がってからうつ伏せに倒れていた。
『『…………』』
その一部始終を眺めてしまった僕とレオナは大口を開けながら唖然とする。元気に走り回っていたレオナでさえピタリと制止してしまうくらいの衝撃的な場面だったので、僕も思わず言葉が出ないでいたのだ。
「はぁ~、ごめんね二人とも。驚いたと思うけど、あそこで目を回してぼろ雑巾のようになってる女がレオとレオナの家庭教師なの」
嘆息すると同時にシルヴィアが告げた後、嫌々ながら謎の銀髪女性を紹介する。
「────不肖の姉、“マリア”。今日から二人は私の姉さんから勉強を教わるのよ」
初めての勉強会は不安要素満載で開始されてしまったのである。