海塩の作り方
塩作りと聞いて日本人が真っ先に思い付くのは、海水を煮詰めるってやり方だろうね。この素朴な方法は歴史が古いよ。縄文時代後期くらいまで遡るらしい。
しかしこの縄文時代後期っての、これがまた面倒臭くてね。具体的に何年前かってのが確定しない。研究者によって説が違うとか。どうなってんだよ、おい… 一応の見当としては、おおよそ今から4000年くらい前、誤差は±1000年って所なのかな?合ってる?おしえて!えらいひと。
まぁ大体その位の時代の遺跡から、日本で最初の製塩土器が発掘されたって事だ。場所は茨城。使い方は想像するしかないのだが、海水を土器に汲んで火にかけたのではなかろうか。ま、海の近くで塩を得る方法としては最も素朴な方法だな。
ただねぇ、よく考えると製塩の動機が難しいんだよね。そもそも塩なるものを知らない人達が、どうして海水を煮詰めようと思ったのか。これに対する回答は見た事が無い。それこそ想像するしか無いんだけどさ。火を使って加熱調理するようになった人類が、偶然、少量の海水と共に加熱(煮るか焼くか)すると美味い事を発見。そこから長い経験を積み重ねて、海水の水分を飛ばすという方法で美味の素を発明した。と言った所かな。見方と言葉を変えると錬金術の一種…というのは言い過ぎかな。
うん、動機は脇に置いとこう。どうせ想像するしかないし、証明は無理だし。歴史的事実に話を戻そう。
縄文時代後期に初めての塩作りが試みられて以来、製塩とはコストとの戦いである。
火で煮詰めて水分を飛ばすのは効率が悪い。とっても悪い。どえらげにゃあ悪い。つまり、少量の塩を得る為にめっちゃくちゃ大量の燃料を使う。
まず、液体の水(というか熱湯)から気体の水蒸気に変化するだけで、ものすご~く熱を食う。蒸発熱って奴だな。
更に、加えた熱の大半が無駄に逃げるんだ。水分の蒸発とは関係無く。輻射って聞いた事あるよね?熱の伝わり方の一つとして理科の教科書に書いてあるアレ。その正体は赤外線の放射なんだけど、これが素人の想像より遥かに巨大でね。例えば90℃における水の輻射熱は、大雑把に言って、日本付近の直射日光と大体同じくらい。水分を飛ばす為に煮詰め続けると、直射日光と同じ位の熱エネルギー分は余分に燃料を食う事になる。なんてこったい、セニョ〜ル!
この蒸発熱と輻射熱を賄う為の燃料を、どこまで節約できるか?その為の工夫が、製塩技術の肝の一つだ。
そしてもう一つ。海水の汲み上げの労力を、どこまで減らせるか。人手で運ぶなら、その労力も馬鹿にならない。ハッキリ言って重労働だ。水は重いからねぇ。しかもその労力の大半は、塩とは無関係の水分を運ぶ為に消費される。どのくらい無駄か計算してみよう。海水の塩分濃度は3〜4%、逆に考えると96%は水分だ。はい、バケツ25杯の水を運んだら、その内24杯は消えて無くなる事になる。心が折れそうだ。
製塩技術で注目すべきポイントがわかったかな?それでは歴史的な順序で技術の発展を見てみよう。
最初の工夫は海藻の利用だったようだ。海岸に打ち上げられて干からびた海藻を集める。または海藻に海水を掛けて干すって作業を何度も繰り返す。表面に付着した塩の粒を海水で洗って回収。あるいはそういう海藻を集めて焼いて、塩と、灰と、灰になりきらない炭、これらの混じったものを海水に溶かす。そうやって出来た濃い塩水を煮詰めて水分を飛ばす。そうしてできた塩を藻塩と言う。
百人一首にもあるよね。
来ぬ人をまつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ
うん、良い歌だねぇ。
藻塩の特徴は、海藻の成分が非常に多く含まれる点にある。つまり塩分に旨味成分を混ぜ込んだ事になってるんだな。塩は古い作り方の方が美味い、という誤解?はこの辺にも原因があるのかも知れない。
藻塩の難点は、海藻を焼く事にある。塩に塗れた海藻だ、そりゃあ燃えにくいさ。燃えにくい物を燃やそうってんだから無理がある。
そこで考えられたのが砂浜の利用だ。室町時代中期の事らしい。塩田と言う。砂浜を綺麗に掃除してゴミを全部取り除き、海水を撒く。撒いては乾かし、撒いては乾かし、これを繰り返すと砂に塩が混じったものが出来る。砂は日に当たって熱いし、風にも晒されるから、乾くのが速いんだな。この砂+塩を集めて海水で洗って砂を濾しとると、猛烈に濃い塩水になる。これを火にかけて水分を飛ばす。
塩田の何が大変って、海水を撒くのが人力って所が死ぬほど大変なんだ。現代ならスプリンクラーとか色々工夫のしようもあると思うけどね、工業の技術も発想も無い昔の事だからね。この死ぬほど大変な塩田、現代でも一箇所だけ稼働している。奥能登塩田村。是非調べてみてくれ。ここは技術を残すのが目的の一つで、ちゃんと人力でやってるみたいだ。
その死ぬほど大変な人手の労力を省いたのが入浜式塩田だ。新型の入浜式塩田に対し、従来の塩田を揚浜式塩田と呼ぶ。構造は調べてくれ。よく出来てる。江戸時代に瀬戸内海沿岸で始まったらしい。これが始まってから、日本中の塩は大部分が瀬戸内産になったとか。仮名手本忠臣蔵の赤穂藩も瀬戸内だ。瀬戸内産と言う括りで見ると、その当時で全国シェア50%くらい。幕末には80%以上になったそうだ。瀬戸内以外の製塩業はほとんど壊滅って事だな。すげぇぜ…
すげぇのは良いんだがね、予定よりずっと長文になってしまった。こんなはずじゃなかったんだがなぁ。今宵はここまでに致しとうござりまする。
2018/01/28 計算を間違った…orz
旧: バケツ20杯の水を運んだら、その内19杯は消えて無くなる事になる。
新: バケツ25杯の水を運んだら、その内24杯は消えて無くなる事になる。
更に心が折れるな。
2018/03/09 サブタイトル変更
旧: 塩の製造 (1)
新: 海塩の作り方