異世界化学工業・まずは石灰
はっきり言っておこう。化学工業と言っても、現代地球の石油化学工業や製薬産業を異世界で再現しようなどという大それた野望ではないんだ。そんなものを可能とする知識と技術が異世界に存在しては、折角の剣と魔法が霞んでしまうよ。知識チートしたいと言ってもね、広めて良い知識と、広めちゃダメなヤツがあるってもんだ。まぁ、そんな無茶をした結果どうなるか、見てみたい気もするけれど。
ここで取り上げるのは初歩的なソーダ工業と、その周辺の技術各種だ。それならば高校生の化学知識で理解できるし、何より、俺にもついていける。
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遠浅の白い砂浜、そこで採れるアサリや帆立貝。筏から帆立貝の貝殻を吊るし、牡蠣の養殖。海に大量の杭を打ち込み、ムール貝の養殖。そう、恐らくは異世界でも貝を食べる文化はあるだろう。美味いよね。貝料理。
美味い貝料理は街の食堂や酒場で提供され、消費される。そして大量に排出される貝殻。これ、ゴミとして捨ててはいけないんだ。
貝殻は900℃以上でなければ変質しない。料理で煮たり焼いたりした位なら貝殻は貝殻のまま。こいつらは土に還らないんだよ。穴でも掘って埋めちゃった日には、一万年経ってもなお残る。一万年?誰が確かめたの?と思って調べると、およそ一万年前の貝塚が日本で見つかっている。そこまで古くないにしても、数千年前の貝塚は世界中で発見されてるんだよね。
そこから更に十倍以上の年月が経ち、大陸が動いたの何のって議論が出来る位になると、さすがに貝殻の形は残らない。何しろ地面が潰れる程の圧力が掛かって山が出来ちゃうわ、川の水で地面が削れて谷が出来ちゃうわ、って程だもんね。それでも貝殻の成分は残る。これが石灰岩だ。
貝殻の主成分、炭酸カルシウム。同じ成分を持っていて石灰岩の元となる生物は、貝の他にも色々いる。珊瑚とか、その他色々。いずれにしても炭酸カルシウムは、生物由来でありながら、輪廻の輪から外れた物質だと言えるだろう。神々も持て余してるんじゃないか?
貝殻を消滅させようと思ったら、酸に浸すか、高温で焼くか。実は前者が簡単だ。雨水でも溶ける。うむ、神様もちゃんと準備はしていたようだな。
雨は空から降ってくる間に、空気中の二酸化炭素を溶かし込む。ほんの僅かだけどね。この二酸化炭素が仕事をする。大陸が動く位の時間を掛ければ、石灰岩は溶けて流れていく。これが世界各地の鍾乳洞だ。しかし神様は気が長いね。
だけど人間は気が短いので、たかが酒場の貝殻ゴミを片付けるだけでそんなに時間を掛けられない。ならばどうするか。
貝殻の使い道は、ボタンやカメオなどの装飾品、子供の玩具、辺りが主な所かな?日本なら碁石や螺鈿細工、胡粉という顔料にする使い道もある。う〜ん、消耗品が少ないな。恐らく消費が供給に追い付かないんじゃないかなぁ。
実はこれ、現代日本でも困ってる。現代だと何に使っても経済的に引き合わないし。しかし異世界なら話は別だ。
貝殻を根こそぎ集めよう。そして高温で焼く。1,000℃程度なら火に空気を通せば達成できるから、それで焼くんだ。そうすると石灰に変わる。酸化カルシウム CaO、生石灰ってヤツだ。余談だけど現代日本では、同じ成分でも卵殻は貝殻とは扱いが違う。卵の殻は食用のカルシウム剤として使われている。異世界だったら貝殻と一緒に焼いちまおう。
ちなみに骨は別だ。鳥や獣や魚を捌いた後に残る骨。主成分はリン酸カルシウムで、貝殻とは違う。砕いて粉にすればリン酸肥料になって、花や実を付ける時に作用する。骨に付いてた肉もそのまま混ぜ込もう。これは窒素肥料になり、芽や葉の成長を促すんだ。
というわけで、異世界化学工業の最初は街のゴミ処理…じゃなかった、カルシウムから始まる。
貝殻と卵殻を集めて高温で焼き、生石灰を作る。生石灰 CaO は非常に湿気 H2O を吸い易く、消石灰つまり水酸化カルシウム Ca(OH)2 になる。まずは生石灰を乾燥剤として売り出そう。
生石灰の粉を小分けにして、紙…が無いなら目の詰まった布などで包む。食品などと一緒にビンやカメに入れて密閉しておけば、湿気が無くなって黴が生えにくくなる。
だけど残念ながら、中世ヨーロッパをイメージした異世界だと気候は乾燥している筈だ。とすると黴の心配は最初から無いかな。う〜ん、乾燥剤の出番は無いかも知れないねぇ。
生石灰や消石灰にはもっと別の用途がある。建築材料になるんだ。石灰モルタル。消石灰に砂を混ぜて水で練る。三匹の子豚で末っ子が苦労して煉瓦の家を建てるが、あの時に使う煉瓦のツナギはこれだろう。
但し、石灰モルタルはヨーロッパにおいて歴史が古い。異世界でも既に使われている可能性は高いなぁ。残念。すると消石灰も、貝殻じゃなくて石灰岩を焼いて作る方法が、既に普及しているかもね。チートのネタにはなりそうもないか。う〜ん残念。




