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 日本は温暖で湿潤だ。一年を通じて暑過ぎず寒過ぎず、適度な雨季があり、雨季以外でも半年くらいは湿度が高め。と言われると異論を唱えたくなるよね。湿度はともかく気温については、こんなに暑いし寒いじゃないかと。でも、夏の日に当たるだけで血液が沸騰したり、冬の夜道を歩きながら凍死したりしないもんね。世界にはそういう場所もあるんだよ。それに比べたら極めて穏やかだ。


 そんな日本は菌類に祝福されている。菌類とはきのこと酵母とかびだ。…嫌なものに祝福されたもんだよなぁ。茸については、日本人なら言わずとも御理解いただけるだろう。そう、美味と毒の源だ。酵母も知ってる人は多いよね。酒やパン作りの主役だ。そして黴。


 蜜柑をウッカリ放置すると、燻んだ青緑色に一面が覆われる。パンをウッカリ放置すると、燻んだ青緑色が点々となる。餅をウッカリ放置すると、実に色とりどりだ。生活する中で身近な黴と言えばこんな所かな。


 そうそう、もう一つ大事な黴がある。蒸した米を放置すると生える黴。ウッカリかワザとかは微妙な所だ、神様に供えた物だったら。神様に供えた蒸し米が濡れて黴が生えたんで、それで酒を造って飲んだっていう記録が残ってるそうだ。播磨国風土記、西暦715年頃の公文書だ。


 考えてみればおかしな話なんだけどなぁ。お供え物に何かがくっついたから神様からの贈り物だと思ったってのは、まぁ、わからんでもない。でもねぇ… 黴だよ?黴だらけの飯なんか、よくも食べる気になったもんだ。あ、だから酒にしたのか。無知と思い込みと試行錯誤の結果かも知れないし、それなら理解できなくもないか。


 この黴こそがこうじである。麹に関する記述としては、現存する日本の文献においては最古の物だ。ここから麹利用の大発展が始まる…と言いたい所だが、話はそう簡単じゃない。チートな知識を持った転生勇者でもいれば数年で凄い事になったんだろうけども。発展の端緒は数百年後、室町時代になってからの話。


 当時、ギルドの間で揉め事があったらしい。酒ギルドと麹ギルドだ。当時の日本はギルドを座と呼んだ。後に織田信長が潰して楽市楽座を始めたという、あの座だ。え〜と、その座=ギルドの揉め事。経緯は省略するが、結論として、酒を造る際の麹は麹屋から買わなければならないと決められた。麹の扱いは麹ギルドに集中する事になる。


 この麹ギルド、凄い発明をした。木灰きばいによる麹の純粋培養と大量生産。


 丁寧に磨り潰した木灰に魔力を込めて祈りを捧げ神の祝福を賜わり…ではなく。粉にした木灰を蒸し米に満遍なくまぶす事で、米粒を一粒ずつ分離する。麹は米粒の表面に付くので、米粒をほぐす事で表面積を大きくして量を稼ぐ。木灰はカルシウムやカリウムなどの含有量が多くてアルカリ性になるんだが、アルカリ性だとやたらな雑菌は繁殖できない。繁殖可能なのはほとんど麹だけ。


 麹の為の灰は椿の木が一番だ。ありがちな話なら稲藁の灰になりそうなもんだけどね、違うらしい。これはどうやら、椿の木の灰が最もアルカリ性が強いって事のようだ。数多の菌類が死滅する猛毒の中で、唯一生存する麹。いやいや実に都合の良い性質を持ってたものだよ。


 ところで、奈良時代以降何百年も変化の無かった麹培養方法なんだが。どうしてこの時期になって突然、木灰なんて物を試す気になったのか?実はこの当時、勇者が召喚されて知識チートで無双した、訳ではなくて。技術者の間で木灰が流行したらしい。陶芸とか染物とかね。灰を専門に扱う灰屋なんて店まであったんだとか。


 さて、奈良時代に話を戻そう。今は蒸し煮にするのが一般的な米だが、播磨国風土記の時代、米の食べ方と言えば蒸し米だったそうだ。こしきという土器を使ったとか。そして、麹の繁殖に最適な水分量は、蒸し米と同程度だ。今でも酒造りの際には米を蒸して使う。蒸し米に麹が生えたのは必然だったと言える。余りにも話が出来過ぎてるよねぇ。やっぱり神の祝福か?


 出来過ぎた話は他にもある。


 麹と言えども黴には違いない。気になるのは黴毒だ。実際、麹の仲間には毒性の強い物も多い。特に有名なのはアスペルギルス・フラバスかな。こいつはアフラトキシンという猛毒を作る。自然界最強との呼び声も高い発癌物質だ。最強と聞くと厨二心をくすぐられるが、実態は最凶って奴だ。大量に摂ると肝臓をやっちゃって、中毒を起こして死に至る。


 麹の真名じゃなくて学名はアスペルギルス・オリゼー。そう、フラバスとは近い親戚だ。え?そうすると麹も猛毒を出しているのか?いやいや麹は大丈夫。学者さん達が遺伝子解析まで駆使して調べてくれた。色々とおっかない毒は、遺伝子レベルで出さないようになってる事が確認された。実に都合のいい話だ。


 そしてアスペルギルス・フラバスは寒がりだ。高い気温を好む。日本だと中国地方辺りが北限だったそうだ。また、どの個体か、何に生えるかによっても毒を出すか出さないかが変わるらしい。気まぐれにも程がある。今までは日本でアフラトキシン中毒の報告は無かったそうな。ちょっと気になるのは、地球温暖化の影響で生息域が北上しているという話。何年か前には関東地方からもフラバスを見つけたって報告を見かけた事がある。今はもっと北まで広がってるかも知れない。


 麹の方は、多少寒くったって普通に生える。他の菌類がじっと寒さに耐えるしかない冬の里山で、元気に…とまではいかなくてもそれなりに繁殖する。湿った落ち葉の塊がびっしり生えた白い黴でくっついちゃってる事もよくあり、うっかり見つけると汚いと思ってしまう。しかしこれは宝物だ。そのまま田んぼに持ってきてバラまいとくと一面真っ白に広がり、そうやって麹をばらまいた田んぼの稲は病気に強くなるって噂もある。


 こうも都合良く、無毒の黴が日本では自然に満ちている。そしてこの麹、どうも日本以外では見つからないっぽいんだよな。分布を調べようにも、少しネットでサーフィンした位じゃ解説記事が出てこない。まさに人間の為に存在するかのような御都合主義の権化のような黴が、実に日本にしか存在しない。どれだけ出来過ぎた話なのか。その為アスペルギルス・フラバスを家畜化したのが麹で、それが野生化したって説まである。この説を支持する学者は多い。というか主流派みたいだな。俺はちょっと疑問を感じているが、ま、こっちはド素人だからね。


 温暖湿潤の日本は菌類天国である。黴にまで祝福されて、人々はその恩恵に与っている。エルフの里もかくや。

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