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塩と苦汁

 人力と自然の力を利用した製塩技術としては一つの極みと言える入浜式塩田。その次の発展…に進む前に、違う方向から考えたい事がある。


 そもそも、海水は純粋な塩水じゃない。当たり前だな、化学の実験をやってる訳じゃないんだから。つまり不純物が混ざってる。悪い言い方をすれば、しおに混ぜ物が入る。この混ぜ物は塩に何を齎すのだろうか?


 海水を煮詰めていくと、まず最初に出てくるのはカルシウム分だ。塩じゃない。これは、通常、捨てる。え?カルシウム不足が叫ばれる昨今、塩にカルシウムが含まれるなら喜ばしい?いやいやいやいや。


 海水を煮詰めて最初に出てくるカルシウム分は、まず炭酸カルシウム。次に出てくるのが硫酸カルシウムになる。分量では硫酸カルシウムの方が多いのかな?


 炭酸カルシウムってわかるよね。骨や貝殻の主成分。動物の体の構造材になる程に固く、水に溶けにくい。硫酸カルシウム、別名、石膏せっこう。そう、難燃性の建築材料として石膏ボードなんかに加工されている、あの石の粉だ。ちなみに石膏は漢方薬でもある。どうも解熱剤になるらしい。詳しくは知らないけど。


 え~と、つまりね、炭酸カルシウムにしろ石膏にしろ、固くて水に溶け難い。料理用の塩なんかに混ぜられてみろ、使い難くって仕方が無いだろう。だから、海水を煮詰めて最初に出て来た沈殿物=カルシウム分は捨てる。


 カルシウム分の次に出てくるのが塩化ナトリウム。うむ。しおだ。


 塩を出した後に残るのが、いわゆる苦汁にがりだ。昨今注目を集めてるアレ。知ってる人も多いかな。その成分は塩化マグネシウム・硫酸マグネシウム・塩化カリウムが主となる。問題は、この苦汁、味が苦いらしい。名前からして苦そうだもんね。


 そう、苦汁は苦いんだ。わかる?苦汁は苦いんだよ。大事な事だから2回言ったよ。


 純粋な塩化ナトリウムでは旨味が足りないから、不純物を多く含む天日塩の方が美味い、なんて風説がまことしやかに囁かれて久しい。俺も味についてはカミさんに溜息を吐かれるほど鈍いから偉そうな事は言えないんだけどね、苦いモノを塩に混ぜて本当に美味いのか?


 実際、苦汁を含む塩は嫌われた。苦汁を除いた塩は高値で取り引きされた。それが歴史的事実だ。


 製塩直後の塩を粗塩あらじおと言う…と思ったんだが、粗塩という言葉は商業的な都合で意味が変わったみたいだな。何だか健康に良さそうなイメージ、なんて漠然と感じてると騙されるよ。製塩直後の塩という意味では粗製塩そせいえんという言葉を使う方が間違い無さそうだ。


 その粗製塩だが、多少なりとも苦汁が含まれる。苦汁は苦い。苦味は万人共通で嫌われる。だから苦汁は可能な限り取り除きたい。そこで利用されるのが苦汁の潮解性だ。苦汁成分の内で塩化マグネシウムと塩化カリウムには潮解性がある。放っておくと湿気を吸ってベタベタになり、やがて溶けて流れてしまう。意図的に塩を放置して、湿気を吸わせて苦汁を流した塩を真塩ましおと呼んだ。


 そう、昔の塩は、湿気を吸ってベタベタになった。これを乾燥させると、今度は塩粒がくっついて固まった。いやはや使いにくいったらありゃしない。家庭では使う直前に塩を炒って、ベタベタの塩を乾燥させてサラサラにした。これを焼塩やきしおと言う。焼く事によって苦汁の成分や結晶構造も変化する。味も変わる。焼塩は美味いという説の根拠だ。今の塩はほぼ塩化ナトリウムで、焼いても何も変わらないんだけどね。


 苦汁を焼くと、温度によって結晶構造が変化する。高温になると成分そのものが変わる。マグネシウムから色んなイオンが取れて、最終的には酸化マグネシウムになる。水への溶け方も変わり、味にも変化が現れる。酸化マグネシウムになったら水にほとんど溶けず、つまり、味がしない。苦味が消える訳だな。理屈上は多少粉っぽくなる筈なんだけどね。苦いよりはずっとマシなのかも。


 ただ、高温で焼くなんてのは家庭じゃ無理だ。業者が焼いて売る事になる。素焼きの壺に入れて高温で焼いた塩は、壺焼塩と言って最高級品だった。幕末の黒船のペリーさんの接待でも使われたらしい。


 事程左様に苦汁を切る事に血道を上げた江戸時代の塩事情だったんだけどさ。どういう訳か、真塩を海水で洗ってまた苦汁を含ませるなんて事を、赤穂の塩ではやったらしい。苦汁を差し込むから差塩さしおと呼ぶ。これによって苦汁を含ませて味を良くする、なんて今時の宣伝文句になってるんだ。


 どうもおかしい。差塩は質の悪い塩って事になってるんだよ。江戸時代の赤穂藩の製塩事情を詳しく調べてみると、真塩と差塩は製塩業者も製塩方法も販路も値段も違う、っぽい。差塩の方が、当時最新式の大量生産技術によって作られた安物で、質の落ちる普及品の扱いだ。冷静に考えると、今時の健康志向と塩自由化を踏まえて、昔の用語をテキトーに捻じ曲げて消費者アピールに全力を尽くしてるんじゃないかなぁ…


 しかしだ。微かな苦味は味を引き立てる可能性がある。鰻の肝吸いとか。洋菓子のティラミスとか。但し、安物だと味のバランスが滅茶苦茶だ。はっきり言うと不味いんだけどさ。本物の美味いヤツを味わうと、そこに苦味が加わる事の意味っていうかね、そういうのが素人の舌にもわかるんだ。そう考えると、ほんの微かな苦味なら、加われば美味になるのかも知れない。


 でもさぁ、それって最初から塩に含ませておく意味はあるの?苦味を加えたいなら、後から純粋な苦味を加えればいいじゃん。


 もっと基本的な問題もある。苦汁ってさ、実は成分が安定してないんだ。塩化マグネシウムと硫酸マグネシウムと塩化カリウムの割合は、原料の海水によっても違うし、煮沸温度と時間によっても変わる。あまりにも違いが大き過ぎて、JASとかで規格化できなかったって話もある程なんだよね。微妙な味の変化に敏感な美食家は、そんな不安定な成分に満足できないんじゃない?純粋な塩化マグネシウムを用意して、塩とは別に量った方がいいんじゃない?料理ごとの微調整も利くし、何かと都合が良いんじゃない?


 と考えると、そうしない理由は何かって事になる。やっぱり俺たち騙されてないかな。世知辛い世の中だ。ま、味の世界は単純な化学では割り切れない事も多いしね。きちんと知識を持った料理人が、色眼鏡を外して試行錯誤して選んだ結果なら、俺たち素人は黙って従うだけだがね。その選択を宣伝文句に使われると、ものすご〜く胡散臭くなるんだよね。

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