奇襲
ブルーに案内されて入ったそこは、家と呼ぶよりもコテージと呼んだ方がふさわしいものだった。丸太で作られた外壁、屋根からはこぢんまりとした煙突が見えた。木製のステップを何段か登って、温かみのある木の枝でできた取っ手を握って、ブルーが扉を開けてくれた。
家の目の前にある湖は、こちらもまた小型ではあったが、その水面は周りの木々や空を映していてとても綺麗だった。ここまで、驚くようなことしか体験してきていないので、なにかを綺麗だと思えること自体が、心に安寧をもたらすのだと、リオはあらためて感じ入る。
「リオ?」
扉の前で、言葉もなく湖を見つめていたので、ブルーが催促する。「今行くわ」と応えて、扉を開いて待っていてくれたブルーの隣を通り抜け、室内へと足を運んだ。
家には、住人の性格が現れるという。
ブルーのような家だ、とリオは瞬時に思った。
シンプルで飾り気がなく、素朴で素直。華美なところはないが、貧相でもない。媚びるようなところはなく、だからといって、つっけんどんな印象も与えない。どこまでいっても、自然体。そういう家であり、内装だった。
「今日は、あのベッドを使ってくれ。いつもリオが寝ているものに比べたら小さいかもしれないけど、寝心地はなかなか悪くないはずだ」
「ありがとう」
キッチンに置いてあったマッチ箱を手に取り、丸型のダイニングテーブルの上にあったキャンドルに火を灯すと、ぼんやりとあたりが明るくなった。
玄関から入って右側はほとんどが窓で、カーテンが閉められていないので、月の光が青く室内を照らしていた。ベッドは、左側の奥、暖炉の隣にあって、月の光が届かない場所だった。キャンドルの灯りに照らされてようやく見えたベッドは、たしかに普段のリオのベッドよりも格段に小さかったが、ブルーの言葉通り、どこか親近感の湧くものだった。
「あれは?」
ベッドとダイニングテーブルの間に、ハシゴのようなものが見える。指を指して尋ねると、案の定「ロフトに上がるためのハシゴだよ」と答えが返ってきた。
「ロフトにはなにがあるの?」
「うーん、なんだったかな。昔は、あそこがおれの寝る場所だったんだ」
「天井にとても近い場所で寝るのね」
「うん、それがロフトだよ。あそこ、なかなか広いからさ。おれと姉さんが寝てたんだ、子供の頃は」
「お姉さまがいらっしゃるの?」
返事の代わりに、ブルーが微笑む。
「今は? どちらに?」
「出稼ぎに行ってるから、ほとんど帰ってこない。竜騎士なんだ」
「まあ、それは重宝されるでしょうね」
竜騎士は、剣士としての技能と、魔法の才とを合わせ持つ者だけがなれる、花形職業だ。魔法の力を使って、竜とコミュニケーションを取る。ある者は竜を操り、ある者は竜にまたがり、またある者は竜の手助けを得る。
魔力が強いからといって、誰でも竜の力を使えるわけではない。現に、強い魔力を持つリオとその両親だが、亡き母、リディアーナだけが竜と少しだけ会話できたらしい。
いまだにブルーの振るう剣は謎だらけだが、姉が竜騎士と聞いて、なんとなく納得できるものを感じる。ベーシング家には、特殊な才がその血に流れているのだろう。
「ねえ。今でも、あのロフトっていうところで寝られると思う?」
「たぶん。なんで?」
「さっき、今晩は、私はここで寝て、あなたは宿屋へ行くって言っていたけれど、ここから宿屋まで戻るのって結構距離があるじゃない?」
「走ったらすぐだよ」
「でも、やっぱり悪いわ。だってここは、ブルーの家だもの。だから、あのロフトで眠ればいいんじゃないかしらって思ったの」
「ああ、なるほど。リオがそれでいいって言うんなら、おれは、ロフトで眠ろうか」
「そのほうがいいと思う」
ブルーから手渡された木綿のシャツをパジャマ代わりに着ることにした。着替えているあいだ、ブルーはわざわざ外に出てくれて、そのおかげでリオはゆったりとした気分で息をつくことができる。
ポニーテールをほどいて、リボンを枕元に置いた。いつもなら、ピアスも外してしまうのだが、今日はやめておく。手櫛で髪を整えてから、裸足にブーツを履いて、ブルーを呼びに出る。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
ブルーの笑顔に見送られて、リオはベッドの中へと体を滑り込ませる。脚い触れるシーツや布団の感触が、否応にも、ここは城ではないのだという現実を思い起こさせた。目を閉じて、眠ろうと意識する。体は疲れていたし、精神的にも休眠が必要なのだと感じていた。けれど、疲労感とは裏腹に、眠ろうとすると目が冴えてきてしまう。
「リオ? 眠れないのか?」
何度目かの寝返りを打ったころ、ブルーが声をかけてきた。ハシゴが軋む音がして、足音がベッドに近づいてくる。
布団の中に隠していた顔をぴょこんと出して、リオはシルエットだけしか見えないブルーに向かって頷いた。空気が震えて、ブルーが微かに笑う気配がした。
「ホットミルクでも飲むか?」
「……うん」
勝手知ったる家だからか、それとも特別に夜目が効くからなのか。どちらにせよ、ブルーの足取りは、室内にほとんど灯りがないのにも関わらずしっかりとしていた。マッチを擦る音がして、一瞬、オレンジ色が室内を大きく照らす。
ホットミルクというものが、どういう風にできあがるのか、実際には知らないリオは、その工程に興味はあったものの、キッチンには近づかず、枕を縦に置いて、上半身を起こした。
マグカップを片手にベッド脇にやってきたブルーは、ほんのりと甘い湯気を立てているそれをリオに手渡すと、暖炉に火を入れた。暖炉周りに置いてあった一人がけのソファを軽々と持ち上げ、ベッドのすぐそばまで移動させると、自分はそこに座る。
「おいしい……」
乳白色の液体からは、ほんのりと甘い匂いが立ち込める。鼻腔から摂取すれば肩の力が抜ける気がした。両手で手にしたマグカップから伝わる熱も、こくりと飲み込んだ喉や胃も、そして暖炉に照らされた肌も、これまで知らず知らずのうちに強張っていた引き攣れを元に戻してくれるようで、リオは、ほんの微々たるものではあったが愁眉を開く。それを黙ってみていたブルーは、リオと目が合うと白い歯を見せた。
「お父様は、無事かしら」
心を重くする最大の理由を、ようやくリオは口に出せる。言葉として外へ出してしまうと、微小だが背負っていた荷物が軽くなるような感覚があった。ブルーはすぐには応じず、リオは黙ってホットミルクをすする。
「きっと。大丈夫だ」
「ブルーは、この一件についてなにか知ってるの?」
「おれも、全貌は知らされていないよ。おれの役目は、リオを守ること。それだけだ」
「知らされていない? ということは、ブルーに私を守れと命じたひとがいるのね?」
「ああ〜……」
まずは開いた口を手で覆い、眉を寄せ、目を閉じ、それから頭を抱えて困却した様相で宙を仰ぎ見た。
「ごめん。これ以上は、言えないんだ」
「……そう」
心底申し訳なさそうに呟くブルーに、リオはポーカーフェイスで応えるが、内心では、また鎌首を持ち上げ始めたブルーに対する猜疑心に狼狽していた。表面上は、さきほどと同じようにホットミルクを口にしているが、頭の中はめまぐるしく動き始める。
ブルー自身の意思で、リオを守っているのではないということだろうか。ブルーに指示を下した人物がいて、その人物がブルーに対する絶対的な主導権を握っていると理解すべきだろうか。その人物が誰であれ、ブルーの上にいる人物がリオにとっての敵か味方かがわからない限りは、ブルーという駒の信頼性は確固にはならない。手にしている情報があまりにも少ないため、確証はないけれど、ブルーに指示を出している人物が、サフィールと結託している場合とそうでない場合の2種類は、現時点では考慮すべきだと感じる。そして、その人物が、サフィールと敵対している立場であった場合、その直下で動いているらしいブルーもまた、リオと敵対している立場ということになる。
決して悲観的ではない、可能性を考慮しただけの仮定ではあったが、その発想はリオの胸をかきむしり、ざわつかせる。
(ああ、私、ブルーが味方だったらいいなって思ってるんだ)
そんな風に、自分の気持ちを客観視できたとて、現状が変わるわけではなく、思わず自嘲の笑みが浮かぶ。
「うまく言えないし、おれから言えることなんてないけど。でも、これだけは本当だから。リオは、おれが守る。おれのことを敵かも、なんて思わなくてもいい。信じてくれなんて言っても、難しいけどな」
ブルーの腕が伸びて、リオの手首をつかんだ。小柄な方ではあるけれど、決して華奢ではないリオの手首を軽々と一周するブルーの大きな手は、暖炉の火よりも温かい。オレンジ色の炎に半面を照らされた顔にある、どこまでも続く空のように青い瞳には、いつもよりも元気をなくした自分の姿が写っていた。
「ありがとう」
ブルーのことを信じきれない罪悪感と、手首から伝わってくる彼の飾り気のない善意への随喜の狭間で、かろうじて微笑んでみせるのが精一杯だった。マグカップを差し出し、ごちそうさまと礼を述べる。受け取り、キッチンの方へと向かうブルーの背中に、声をかけた。
「ねえ」
振り向くブルーは、穏やかな笑みをたたえている。
「あの……。もし、ブルーさえ良かったらなんだけど……」
「リオが眠るまで、そばにいようか?」
幼い頃、寝付けないことが多かった。そんなとき、いつもサフィールがこっそりと寝室へやってきてくれた。どうやって、寝付けないことを知ったのだろうと、幼心に不思議ではあったが、サフィールがやってくると安心した。リディアーナさんには内緒だよ、と人差し指を唇にあてて、リオのベッドに座ると、リオが眠りの底へと沈みきるまで、額を撫でたり、手を握ってくれたりしていた。
そんな行為を、15にもなって欲しているだなんて、恥ずかしい。だけれど、今は、あのときのサフィールがくれた安堵感をなによりも欲している。
それをどうやって伝えたら良いものかと悩んでいたのに、ブルーはあっさりとリオの心を汲み取ってくれた。それに驚いて、口を軽く開いたまま止まってしまう。
「リオ?」
マグカップを床に置いて、ソファに座り直したブルーが小首を傾げる。
「そ、そうしてくれると……」
「うん。いいよ」
快諾して、手を伸ばしてくれる。布団の中にもう一度体を潜らせ、今度は仰向けではなく、横向きになった。片手を布団から出して、ブルーの手の方へと伸ばすと、彼はそれをためらいなく両手で包み込んだ。
「おやすみ、リオ」
「おやすみなさい、ブルー」
再びの挨拶の言葉を交わしてすぐ、睡魔が心地よく体を覆って、リオは眠りの湖の底へと沈んでいった。
夢をみた。
夢の中で、夢だとわかる夢だ。
リオは、パジャマ代わりのブルーのシャツを着た格好で、ふわふわと浮いていた。ふと人の声がしてそちらへと意識をやれば、勝手に体が動いて、人声の方へと移動できた。
見覚えのある部屋の中に鎮座する、天蓋付きのベッドの上に誰かが寝ていた。そして、その脇に、祈りを捧げる姿勢で両膝を床につける人物がいる。
(ここは、お父様の寝室……?)
吉兆を告げる、尾の長い鳥と、リディアーナの好きだった白い百合が描かれた壁紙は、今でも変わらないものだが、リオの目には壁紙が若干新しいように思えた。膝をついた人物は男性で、よく目を凝らせばリオの体がそちらへと移動してくれる。
(お父様だわ!)
今よりも若い風貌の父の顔を見ようと、リオはベッドを旋回する。そして、ベッドに鎮座するのが誰であるかを理解した。
(お母様……!)
ポートレートに描かれている母は、いつも髪を結った姿であったが、ベッドでの彼女は、リオのものよりも赤みの強い薄茶の髪を下ろしていた。髪には艶がなく、祈りを捧ぐために組まれた父の手の上に置いた手にも覇気が感じられない。リディアーナの、母の生命の時間が終わりに近づいているのだと思った。
「泣かないで、サフィール」
リディアーナの声は、リオの記憶のものよりもずっと慈悲深く、そして愛らしかった。涙に濡れた頬を拭おうともせず、サフィールが顔を上げて、微笑んでいるリディアーナを見つめる。
「あなたと、もっと長い間一緒にいられないのは残念だけれど、これでこの血はついえるわ。それは、吉報でしょう?」
「リディアーナさんがいなくなるのが吉報なわけがない」
サフィールの声も、今よりもずっと若く、リオは、過去の映像を見ているのだと思う。
「でも……、そうだね。たしかに、それだけは吉報なのかもしれない」
「そうでしょう? だから、悲しまないで」
「それは無理だけどね、リディアーナさん。でも、リオちゃんが、この呪いから解放されるのだとしたら」
「それは、私とあなたでできる、一番の善行ね」
二人で一つの文章を紡いで、リディアーナは生気の乏しい顔で、サフィールは涙で目を赤くして、微笑みあった。
溺れかけていた湖から引きずり出されるように、リオは息を吸って両目を開ける。鳥と百合の壁紙はもう見えず、代わりにカーテンの隙間から漏れる柔らかい光に照らされた木目が見える。
いつのまにか仰向けで寝ていたようで、頭を横にすると、リオの手を握ったまま眠っているブルーの横顔があった。ソファに座ったまま、頭だけをベッドの上に乗せている。
(本当に、私が眠るまでそばにいててくれたのね)
握られたままの手に感慨深いものを感じ、リオは意味深な夢を一瞬忘れて、微苦笑した。その微かな空気の動きのせいか、ブルーのまぶたが上がり、青い青い瞳がこちらを見据える。
「おはよう、眠り姫」
その何気ない言葉に、リオは息をのむ。
「それ……」
「うん?」
「お父様がよく言ってた。本当は、私は寝室で朝食を取ってはいけないのに、お父様は内緒ねって言って、こっそり私にココアを持ってきてくれたりするの」
言いながら、視界がぼやけてくる。夢の中の両親は、まるでリオになど気づいていなかった。それは夢なのだから仕方がないと、そう言い聞かせているのに、目が覚めてからずっと、両親に見捨てられたような気持ちが拭えない。父の安否が心配だったし、城がどうなっているのか、城に残してきた人々を憂慮すると同時に、昨日までの日常が恋しかった。なにもかもが謎だらけの今が恨めしく、誰かにこの鬱憤を聞いて欲しいけれど、そんなことは詮無いとも知っている。
大人になりたい自分と大人になれない自分の、板挟みになっているちっぽけな自分が、謎の説明よりもなによりも、父に抱擁を必要としていた。手に入らないと知りながら。
「じゃあ今朝は、ココアでも作ろうか」
涙の浮かんできた瞳には気づかないふりをして、ブルーが立ち上がる。変わらない素朴さで、キッチンへと向かう彼の背中を見つめた。
「おれ、そっち向かないからさ。着替えるか?」
「うん」
脱いだシャツをどう畳んで良いかわからず、とりあえず、くるくると丸めて、ベッドの上に置いた。いろんなことを知らないのだと、改めて思う。
「ねえ、ブルー」
ふと、昨日の夢の話をしてみようかと思った。思い出話に花を咲かせるような、突然指のあいだをすり抜けていった日常を懐かしむような、そんな気持ちだったのかもしれない。あるいは、ブルーに、第三者に話すことで、なにか新しいことを思い出したり、思いつくかもしれないと期待していたのかもしれない。
ブーツを履き終えて、キッチンへと向かう。ブルーが、あの凪のような瞳でこちらを見る。
と。
「リオ、伏せろ!」
ぐいと手荒に引き寄せられて、両腕の中に抱え込まれるた。そのまま、ブルーはダイニングテーブルの上に置いてあった剣を掴み、自分も身を低くする。玄関の扉とは反対方向、つまりベッドヘッドが触れていた壁が、嫌な音を立てて亀裂を入れた。かと思うと、目も開けていられない突風が吹いて、屋根が吹き飛ばされる。
木製の床のついた野外ステージのようになってしまったコテージに、足音が響く。
「ちっ。避けないでよ。話がややこしくなるじゃない」
リオを立たせて、ブルーが後ろ手に彼女を庇う。さっきの一瞬でベルトをつけたらしい彼は、剣の鞘に手をかけて足音の主を見据えた。
波打つような赤い髪が見える。黒と赤が印象的な服に、炭色のロングブーツ。腰には何本もの剣がぶら下がっていた。リオの位置からは顔が見えないが、声で判断する限り女性、いや、少女だ。自分よりも数年年上なだけだろう。
「どいてくれない? あたしが用があるのは、あんたじゃなくてそこのお嬢さんなんだけど」
「嫌だ」
「どかないと、お嬢さんだけじゃなくて、あんたも怪我するよ」
「なおさら、嫌だ」
「あっそ」
赤い髪が宙をふわりと舞い、少女が剣の一つを抜いた。白銀の剣身は、瞬く間に赤く染まっていく。色だと思われたそれは、炎だった。
「魔剣使いか」
ブルーの言葉で、リオもようやくその存在を思い出す。
魔剣使い。剣に魔力を乗せる技能をもった者と、魔力を蓄えている剣の力を引き出す者、どちらものことを指すが、少女が何本もの剣を帯刀していることから、彼女は後者の魔剣使いなのだろう。
さきほどの攻撃ーー壁を破壊し、屋根を吹き飛ばしたーーは、おおかた風の魔力を含有する魔剣を使ったのだろう。
少女が炎の魔剣を一振りすると、さながら蛇が舌を伸ばすように、熱風とともに火がブルーを襲う。ブルーは動じず、虹色に光る剣を抜くと、それを一閃させた。きらりと光っただけで、一体どういった反撃をしたものか。炎は瞬く間に消え失せてしまう。
「噂には聞いてたけどその剣、厄介ね」
舌打ちとともに少女が剣を振り、炎が再び巻き起こる。剣身から飛び出た火は、カーテンに飛び移り、白く美しかった布を黒い燃済みと化してしまう。
少女の振るう剣は的確で、魔剣が持つ魔力だけに頼った戦い方ではないのだと、見て取れた。後ろ手でリオを庇いながら、最小限の動きでブルーは彼女の攻撃を防ぎ、消炎し、間合いを開ける。
「あんた、それでも剣士なの? 防御ばっかりじゃ、あたしは倒せないわよ」
苛立ちを含んだ声で、少女が言う。赤い髪は腰まであって、まるでそれそのものが炎のように波打っていた。ちらりと見えた瞳も真紅で、激情家の資質を雄弁に語っている。
「おれは、剣士じゃないよ」
静かな声でブルーが応じる。眉根を寄せて「はあ?」と小馬鹿にしたようにせせら笑う少女に、ブルーは穏やかに、だけれども芯の強さを感じさせる声でさらに言った。
「おれは騎士だから。誰かを守るために剣を振るう。お前が誰かは知らないけど、お前を傷つけるためには剣は振るわない」
「あたしを傷つけないと、そのお嬢さんが守れないとしても?」
「うん。お前は、傷つけない。リオも、守る」
「ばっかじゃないの」
その言葉とは裏腹に、少女の瞳には倉皇の色があらわれる。
「リオ」
正面から少女が斬りかかってくるというのに、ブルーは顔だけでリオを振り向いた。いつもと同じ、静謐ですらある湖の表面のような瞳がリオを見据え、それはわずかばかりではあったが微笑んですらみせる。
「逃げろ。方向はどこでもいい。あとで探しに行く」
「ちょ、ちょっと待って。ブルーは?」
「おれは大丈夫。リオを守りきるまでは、死なない」
「そんなの」
なんの保証もない。ただの口約束ではないか。
そう文句を言ってやりたかったのに、ブルーの指がリオの胸を突き飛ばし、後ろ向きにたたらを踏んでしまう。
さきほどよりも大きな炎をたたえた剣が、ブルーの頭上から振り下ろされる。虹色の剣がきらめき、炎の魔剣をとらえた。金属と金属がぶつかり合う音の直後に、轟音がして、あたり一面が明るくなる。爆発したのだと頭が理解する中、とっさに目を閉じたリオは、再度、開眼した際に火の海と化したコテージを目の当たりする。
「行け! リオ!」
炎と煙の奥で、少女の剣を受けているブルーの張り上げた声がする。意を決してリオは後方に進み、熱くなった木の取っ手を握って、扉を開けた。
剣と剣がぶつかり合う音が遠ざかる中、リオは素早く左右に視線をやって安全を確認する。
湖の方向に向かえば、キーガンが住んでいる町がある。最悪の場合、あの少女が町にやってくれば、一般人にも被害が出てしまうだろう。それは、なんとしてでも避けないといけない。だとすれば。
湖の左右は、どちらも森だったが、向かって右側の森の方が緑が濃い。木々も高く、隠れるのならあちらだと思った。
(ごめんね、ブルー!)
名残惜しい視線を後方に一度だけ向けて、リオは腹を決める。『浮遊』で体を浮かせ、そこに『加速』を付け足す。ぐんと体が引っ張られる感覚に逆らわず、木々に守られた森の奥深くを目指して、低空飛行で進んで行った。
これで、二度目だ。
城ではキールやお父様を。コテージではブルーを。
私は二度も、人を見殺しにした。
ブルーのように誰かを守ることはおろか、私は自分を守るような強さすら手にしていない。






