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05 死霊王アトリー


 逃げるように旅へ出て二日目、早くも限界が来ていた。

 数年もの引きこもり生活は、私の足腰を確実に弱めていた。

 なにせ無労働者である。歩かず、動かず、力仕事せず。

 一日歩き通しの旅など、できるわけもない。

 旅とは馬に乗ってするものだと早々に気づいたが、買う財力もなし。

 迷惑を掛けに掛け、旅の日数を伸ばすものである。

 クラメル女史は気にするなとは言ってくれるものの、そうはいかない。


「せめてなにかをさせてもらわなければ、申し訳がない」

「うーん……そうですねぇ」


 見渡す限り土ばかりの大地を二人歩きながら、考慮するものである。

 空も日が落ちてから行動を始める、昼夜逆転の旅だ。

 野犬などがそこいらをうろついている。

 かわいらしい旅の仲間ではないか。

 時折、われわれを餌と勘違いして襲ってくるのも一興だ。

 魔力を向けてやると、ひゃんひゃん鳴いて去っていく。

 自然の格差とは、かくも厳しいものである。


「えーと、その、血を……飲みたいなぁって……やっぱり忘れてください!」


 吸血鬼とは文字通り、その行為からついたものである。

 はて、血を吸わぬ吸血鬼とはなんたるものか。


「いや、よろしい。だがそれは、直接吸わねばならないものだろうか?」

「えっ、いいんですか?」

「血を与えることはなんら。ただしまだ吸血鬼になっては困る」

「それは大丈夫です。仲間を増やそうとしないと感染しないんですよ」


 そういう仕組みだとは、なるほど。

 町を支配したあと、人間が居なくなっては食料がなくなる。

 そう考えれば適度に残しておくのは当然か。

 などと、ヴァンパイアとは呼ばれても、人間が考えるのもおかしな話だ。


「どこから吸うのが一番、よろしい?」

「……やっぱり、首ですねぇ」


 おずおず、といった風に彼女は私の首筋を眺めた。

 ちろりと赤い舌が覗く様子は、蛇の捕食じみている。

 哺乳類ではなく、爬虫類の類であったか。

 襟を剥いて首を差し出すと、その目はらんらんと光った。


「い、いただきます」


 喉を鳴らしたクラメル女史が、喉に食らいついた。

 ちくりと針を刺したに近い痛みが走る。

 直後に、そこから溢れでもものを吸われる、得も知れない感覚。


「ひにゃぁ――――――!」


 彼女が、ばっと離れた。

 口の中のものをぺっぺと吐き出して、水筒を傾けている。

 そんなに私の血はまずいのだろうか?

 まだ溢れる血を指で取り舐めてみる。

 ただの血だが、吸血鬼にしかわからない違いがあるのだろう。


「あぁぁ、口があぁぁ」


 血が美味いと言われても大した喜びはない。

 しかし、こうも不味いと言われれば悲しくもなる。


「そんなにダメか、私の血は」

「うぅぅ……ダメっていうか、魔力の味が濃すぎて……」

「魔力にも味があると、ふうむ」

「こう、なんていうか、たっぷりの塩と強烈なお酒を口に突っ込まれたような」

「……それは厳しい」


 どうやら魔力が増えすぎて食用に適さないようだ。

 ワインかなにかで薄めて飲めば、どうにかなるものだろうか。

 いまの私は食料にすらならぬ足手まといなのであった。


「面目ない」

「い、いえ。そんな」


 やはり、美味しかったとはお世辞にも言えぬようだ。

 私はその夜、せめて足を引っ張るまいと必死に歩いた。

 弱った足腰がひどく痛んだが、そこを我慢してこそ男である。

 翌日、無理がたたって進みが遅れたことは言うまでもない。




 このようにして辛酸を舐めに舐め、皿にして数枚分は平らげた。

 体中が酸っぱく成り果て、いまでは人間のピクルスになってしまう。

 がくがくと足腰が疲れて弱り、ほどよく浸かっている。

 私が、もはや翌日は歩けぬと言おうとしたあたりで、目的地についた。


「ガナイさん、着きましたよ」

「おお、ここが死霊王の領地……」


 荒野の最中に突然現れたそれを、なんと言おう。

 広大な敷地を、緩慢に人型のものが動き回っていた。

 ざくりざくりと金具で土を掘り返し、ばらばらとなにかを埋めている。

 等間隔に並べられた木切れには、文字が記されていた。

 周囲には異臭が漂い、息をするのも苦しい。

 乾いた喉につばを飲み込む。


「おーい、アトリーさーん、来ましたよぉー」


 和やかにクラメル女史が死霊王の名を呼ぶ。

 アトリー死霊王と思しき者が応え、遠くから歩いてきた。

 その姿は、まるで農家のおばさんであった。


「おお、ファテナ。おそかったねー……あれ、その人は」

「はい。この人はガナイさんと言って……」

「……ぐふっ」

「あっ、死んだ!」

「ええっ!?」


 アトリー女史が倒れ、そこからぷかーと青白い半透明な何かが浮いて出た。

 それは、足下を見てやってしまったという表情でぺろりと舌を出した。


「いやー、びっくりした。その人すっごい魔力してるねぇ」


 けらけらと笑う死霊王は威厳もなにもなかった。

 ……なんだか、思っていたのとちがう。

 吸血鬼といい死霊王といい、ただの人となんら変わらない。

 ちょっと特殊な生態をしているだけである。


「アトリーさん、はやく体にもどらないと!」

「無理無理。魔力が足んないわ。あー、お兄さん、ちょっと魔力もらってもいい?」

「……ええ。それなら好きなだけどうぞ」


 腕を差し出すと、半透明な彼女が私の腕を取った。

 ひんやりとした感触は墓石にも似ている。

 すうっと魔力がわずかに吸い取られて、半透明な彼女に赤味が差した。


「んー、濃厚濃厚。いやー、いい魔力だわ。あ、もちょっともらってもいい?」

「限界まで吸ってください。邪魔なぐらいで」

「贅沢な悩みねぇ。それじゃおかまいなく」


 彼女はすっかり血色が良くなり、バラ色の半透明ななにかになった。

 それでも劣悪魔法一発分ぐらいのものだった。

 しかし魔法も使わず、魔力が減らせたというのはありがたい話だ。

 バラ色の半透明が足下に入り込むと、ゆっくりとアトリー女史が立ち上がる。


「いやー、すっかり生き返ったわー」

「もう、アトリーさんってばいきなり死んじゃうんですからぁ」


 立ち上がったアトリー女史は、先ほどよりもかなり若く見えた。

 というかしわがなくなり、明らかに若返っている。

 魔力量が、見た目に反映されるのが死霊王なのだろう。


「あー、ごめんねーお兄さん。ほら、これお礼だから食べて食べて」


 そう言って彼女は懐から籠から野菜を取り出した。

 掘りたてで新鮮なニンジンである。

 土を払って食べると、風味がよく甘みがあり非常に美味しい。

 やはり、ここは農園のようだった。


「おいしいでしょ。一日中管理してるから」


 そういって彼女は、いまも動き続けている人型を指した。

 死蝋化したものたちが、せっせと鍬を使って畑を耕している。

 疲れ知らずの不死農場とは、なんともいいがたい。


「うまいニンジンだ。スープにしたらもっといい」

「でしょでしょ。お兄さんわかってるー。で、ファテナの恋人なの?」

「ちょっ、違いますよぉー。ガナイさんはそういうのじゃないです」

「またまたぁ。なかなか男前のヴァンパイアじゃない」


 若返ろうと、彼女が熟年女性であるという精神は変わらないようだった。


「いえ、実際ほんの数日前に出会ったぐらいでして」

「えー、ほんとうにー。揃って挨拶にくるぐらいでしょ?」

「もうー。アトリーさんってば、そういう話が好きすぎますよ」

「しょうがないじゃない。そういうものよ」


 世話好きのおばさんとかいたら、こういうものかもしれない。

 新しく湧き出た辛酸のスープを、啜るがごとく舐める。

 アトリー女史が落ち着いて釈明ができるまで、まだ掛かりそうだった。

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