04 冒険は逃げ出すように
「お、お前ら! なにをぼーっとしている! やれ!」
彼が命令を下しても、後ろの連中はがたがたと震えるばかりだった。
構わず、広げた手で魔法式の構築する。
歪んだ円が宙に浮き、私の指がそこへいびつな線を重ねた。
手を繋いでいる彼女は、信じられないとばかりにいびつな図形を見る。
魔法陣を読めるらしく、このデタラメさが理解できたか。
これは私が開発した特別性のものだ。
他者には扱えない……というより、起動することもできないだろう。
尋常ならざる方法をもって、術式は完了する。
「まさか、これで発動するわけが……!?」
「発動するから私の魔法だ」
ありえぬ事象を起こして、驚愕する吸血鬼に構わず魔法を放つ。
「や、やめ――」
「このような夜だ。涼を取るといい……『北風』」
魔法陣が輝いて、あたたかな夜に冬の吹雪が吹き荒れた。
体温を奪われた男たちは、その場で凍りついた。
もはや震えもせず、硬直してその場で像と化す。
「そんな……『北風』は、風で涼むだけの魔法です」
彼女の言うことは正しい。
本来は、夏の寝苦しい夜に使うような些細な魔法だ。
しかし魔法は魔力に影響されやすく、そんなものでも私が使えばこうなってしまう。
巨人が小石を思って投げたものも、人にとっては大岩である。
なにをどうやっても、私が使えば大掛かりになってしまうのだった。
真正面から吹雪を食らった男は、雪像に変わってしまったようだ。
雪像を押し倒すと、表面がバリバリ割れて小太りの男が出てくる。
意識を取りもどしたのか、彼はうずくまりながら生まれたての子鹿の真似をしていた。
「さて、次はどうしてくれようか」
軽く脅すように言うと、彼の喉が引き攣った。
低体温のせいか、その顔色はむしろ赤黒い。
死人のような顔つきで、見上げてくるではないか。
「こ、殺すつもりか……私は、き、教会の……」
「ヴァンパイアを襲えば、命は吸われると考えるはずだ」
「か、あ……」
そこから彼は「なんでもします。助けてください」と言うだけのものになった。
背後の連中はすでに戦意をなくしているのか、動こうともしない。
この際、冬眠してもらおうかと思ったが、そうはいかない。
彼に「何の異常もありません」と報告してもらわなければ、この村がふたたび襲撃されかねない。
どうにかできないかと考えて、手のあたたかさに気づいた。
彼女の方を振り向くと、興味深そうに冬の残滓を眺めている。
「驚かせたようだが、すこしいいだろうか」
「は、ひゃい。なんでしょう?」
ぴくん、と彼女まではうさぎめいて震えていた。
しっぽがぴーんと張って、へにょりと折れる。
「約束、誓約、契約、いずれかの魔法は習得しているかな?」
「は、はい。契約の魔法は覚えていますよ」
「よかった。なら頼まれて欲しい」
私は彼女にざっくりと『契約』の魔法陣を習うと、それを何度か指で宙に描いた。
それは教えてもらったものに比べれば、かなりひずんでいて簡略化されていた。
通常の魔法は、私にとってあまりにも効率が良すぎる。
崩した上に略して壊滅的にすることで、ようやく実用可能な範囲になる。
私の特別な魔法とは、最低最悪の破綻した構築術だった。
『契約』の毒々しい赤光が、とろりと私の手に落ちた。
震える男の口を抉じ開け、血のような呪いを飲ませていく。
「あ、あぐ、あぐぐぐぐ……」
「『契約』しよう。この村に被害を及ぼすことを禁じる」
男の体内にある光が閃いた。段々と震えがひどくなっていく。
このまま芋虫のように這いずりまわるかと思われたが、ぴたりと止まった。
彼は虚ろな眼をして、口からよだれを垂らした。
「……私は、この村を、守る」
ぶつぶつと呟いて、彼は立ち上がった。
倒れていた連中へ近づくと、彼らを連れて村を出ていった。
私の『契約』がどういう効力を発揮したかは、定かではない。
しかし彼とその一派が、この村を傷つけることはなさそうだ。
ため息を吐いて、その場にしゃがみこむ。
やってしまった。
その思いでいっぱいだった。
「やっぱり、信じられません。どうしてこれで発動するんでしょう」
私が構築した『契約』の魔法を思い出して、彼女は首を傾げていた。
「単なる力技だ。考えるようなものでもない」
「略式構築と歪化による効果変化を考えたら、かなりの新発見だと思いますよ?」
「そういうものか。視点ってやつは変えなければ見えないな」
「ふつうは効率を高めようと思いますけど、下げようとはしませんからねぇ」
どうも彼女は、劣悪魔法が気になっているようだった。
二度も魔法を使ったせいか、体内の魔力はだいぶ落ち着いた。
その代わりに、翌日は相当の反動がくることが予想される。
消耗がいい魔法を使えれば、魔力の増え方も穏やかで済むのだろう。
それでは災害になってしまうのだから、八方塞がりだ。
使った分だけ増える厄介な体質を思えば、いまから憂鬱にもなろう。
しかし今夜も眠れそうにない。
深々と反省する一夜を過ごすことになりそうだ。
「脅威は去ったと思うのだけれど、クラメル女史はどうされる?」
「は、ひゃい。えーと……どう?」
「我が家で眠られるのなら、寝床が必要になりましょう」
「……あっ、そうでした。あたし、眠っちゃったんでした。すみません!」
ぺこりと、彼女はしっぽを垂らした。
謝ってほしいわけではないから、気にしないでくれと説得した。
頭を上げると、彼女は、我が家には入らないらしかった。
「夜はあたしたちの時間ですから、帰ることにします」
「そうか。……ろくなおもてなしもできなかったな」
「いえ、そんな。おいしいお酒でした!」
吸血鬼なのに、これほど太陽らしく笑う娘もいない。
お天道さまが似合うだろうに、それを苦手としているとは。
しかし、久々の来客だ。すこし寂しくもある。
引き止めるようなことはしないが、これからどうするのかと聞いた。
「実は、帰りにお友達のところによることになってたんです」
「お友達というと……そっち方面の?」
「はい。そっち方面の。ないしょですよ?」
片目を瞑って、いたずらに言う。
闇夜で妖しく輝く瞳は、吸血鬼ならぬ小悪魔のそれだ。
「内証ですとも」
「会いにいくのは、死霊王のお友達なんです」
死霊王。なんとぞくぞくする響きだろう。
吸血鬼に続いて、そんなものまで実在していたとは。
私が胸をときめかせていると、彼女は「あっ」と声を上げた。
「なにか?」
「……言っていいのかな。うーん……絶対ないしょですからね?」
「満月に誓って」
「ふふ。あたしたちみたいな言いかた。実は、お友達が魔力の研究をしてるんです」
「死霊王ともなれば、魔法の奥義を極めたものでしょう」
物語に謳われる彼らは、剣や矢を物ともしない向こう側の存在という。
死の国から、魔法の奥義で舞いもどってきた星幽体とはいかなるものか。
「だからガナイさんの問題も、どうにかなるのかなぁって」
私の中の疑問は、その言葉ですべて吹き飛んだ。
魔法の奥義を極めたものの、魔力の研究。その成果。
それがあれば、魔力が増え過ぎる体質など変えられるのではなかろうか。
いや、できるに違いない。
「クラメル女史!」
「ひゃい!?」
「私も死霊王の元へ連れて行ってくれ!」
「ひゃい!」
すこし強引に話をとりつけて、彼女についていくことにした。
もう二度と、本物の吸血鬼と知り合う機会などない。
いまを逃すわけにはいかなかった。
「勢いで言った。すまない。しかし、約束は頼まれてくれ」
「は、はい。でも、遠くまで行くことになりますよ?」
「そんなことは構わない。どこまでだってついていくとも」
「わ、わかりました。準備はあります……よね?」
「すぐにまとめる。掃除はきちんとしているからな」
物の在り処は百も承知だ。まとめて背負って家を出る。
夜逃げめいた格好になったが、そんなことは関係ない。
正面扉にしばらく出かけると張り紙をして、私の準備は整った。
「さあ、行きましょう。クラメル女史」
「……あうう、勝手に連れて行って怒られちゃわないかなぁ」
こうして私が第二の故郷とした村を出て、延命の旅が始まった。
後に起き出してきた村人たちが、積もる雪を見て驚いたことは、あずかり知らぬ。