03 ヴァンパイア殺し
突き刺すような魔力痛で目覚めた。
冴え冴えとした夜の暗闇は、見慣れたものだ。
月の明かりで辺りを見回し、ここが私の部屋であることに安堵する。
もしかしたら彼女が演技していて、拉致されていてもおかしくなかった。
あるいは、口封じをされたとして不思議はない。
しかしそうはならなかった。
彼女が信頼できる人間――ではなく、吸血鬼であるとわかる。
「……喉が乾いたな」
水を飲みに行く途中、ちらりとテーブルを見た。
そこに彼女の姿はない。
出ていったのだろうか?
そう思ったが、違うと気づいた。外に誰かの気配があった。
「君か?」
ごそり、と物音が聞こえた。
窓の外で宙を泳ぐ蛇は、彼女のしっぽだろうか。
夜は吸血鬼の時間だ。外にいる不思議はない。
「は、はい。ちょっと月光浴を」
日光浴ならば聞いたことがあるが、月光浴と来たか。
吸血鬼が人の血ではなく、夜のエネルギーを蓄えて生きているとは新説だ。
書き残し、いずれ私の死後に発見されれば、狂人の妄想か吸血鬼対策の情報足り得るかもしれない。
吸血鬼の月光浴、興味が沸いてくるではないか。
「見てもいいだろうか?」
「ええっ!? だ、ダメですよ! 待っててください!」
ごそごそと物音が早くなった。
ちらりと窓から見えたのは、月の光が映す小麦の肌である。
なるほど、吸血鬼の月光浴とはそういうものか。
たしかに見るわけにはいかない。
私は努めて窓の方を見ないようにして、水をコップで二杯飲んだ。
冷たさがじんわり体に染みる。
吸血鬼には歓迎される月の光が、ヴァンパイアの私にとって、痛みと苦しみを生み出すものでしかないというのは、なかなかの皮肉だった。
星々の輝きでさえ疼痛が走る。
どれだけ、あの穴だらけの天幕を落とせたらと思ったものか。
痛み止め代わりに、ゴブレットに半分残っていたワインを啜る。
冷え切った液体が、胃の奥でじんわり熱に変わった。
「おまたせいたしました」
玄関を開けて彼女が入ってきた。
髪色はわずかに淡く、朱金色になって輝いている。
瞳も赤味を増して、どこか魔性的な艶がかっていた。
これならば彼女が吸血鬼という話もうなずける。
昼間の彼女は、どこぞの農家の娘が、からかっているのかと思ったほどだ。
「それが君の本来の姿と思っていいのか?」
「はい。これがファテナ・クラメルです」
ファテナ・クラメル。
それが彼女の名前だと気づくのに、数秒かかった。
どこか意識がはっきりとしない。寝不足のせいでもなさそうだ。
コツコツと指の節でこめかみを叩いた。
なにかが引っかかるというより、なにかを引っかけられている。
夜へ滲む彼女の血色の瞳は、ひどく蠱惑的だ。
「自己紹介がまだだったな。私はガナイ」
そのむかしは家名もあったが、いまは無き身だ。
このように不健康な息子を、いつまでも家に繋ぎとめては置かないだろう。
縁も途切れた弟が、家を継いでいるにちがいない。
「ヴァンパイアさんは、ガナイさん」
彼女はガナイさん、ガナイさんと、私の名前を呪文のように唱えた。
その度に呪いを受けている気分になって、魔力痛がひどくなる。
まさかヴァンパイアが、吸血鬼に出会って共鳴してるわけもあるまい。
そのような特殊能力があれば、もっと早くに彼女たちを見つけている。
普段の魔力痛とも違う感覚に、私は落ち着かない気分だった。
しかし彼女は、快適そうに振る舞っている。
「君はなんともないのか。どこかおかしい気がするが」
「そうですか。あたしはなんともないですよ?」
くすくすと笑う彼女は、いかにも楽しように夜空を見上げた。
「外へ行きませんか。今日は、月がまんまるですよ」
「満月か」
魔力が最高潮になる時期だった。そのせいかもしれない。
彼女に続いて外へ出ると、生暖かい夜だった。
これなら寝衣を脱ぎ捨てても、さほど寒くはないだろう。
やはり、どこかおかしな夜だ。
初春の季節にはあたたかすぎる。
視線を感じて、満月から彼女へ目を移した。
どこか熱のある視線が私を貫いている。
むかしに覚えはあったが、それはなんという感情だったろう。
愛や恋のように、甘酸っぱいものではなかった気がする。
ふと考えていたせいか、彼女が触れるまでわからなかった。
やわらかい手が、私の骨ばった手を掴み上げる。
顔が近づいてきて、ちらりと長い犬歯が唇の隙間から見えた。
「ねえ、わかってますか?」
熱い吐息が耳にかかる。
なにを、と小さく囁くと、より唇を近づけてきた。
「……囲まれてます。あたしたち」
瞬間、すべての絡まった糸が解けた。
ああ、そうだ。この感情は「警戒」と言ったっけ。
正常な感覚がもどってきた。
引き伸ばされていた思考が行き渡る。
気配を探ると、たしかに何者かが家の周囲を取り囲んでいた。
夜目を凝らすと、白い衣服を身にまとった集団だと分かる。
彼らもこちらが気づいたのを理解したか、もう潜もうとはしなかった。
「私に用があると思ってよろしいか?」
言葉を投げかけると、代表らしき男が松明を上げて近づいてきた。
「噂どおりの青い肌だな。まさしくヴァンパイアではないか」
ふふん、とこちらを見下しているようだ。
その白い衣服は清浄だったが、それを着る男はそうではない。
やや肉のつき過ぎた体つきは、豊穣祭に出る丸焼きの豚のようではないか。
彼も焼かれていたら、すこしは愛嬌もあるだろうに。
「夜の来客は歓迎していないのだが。日を改めてもらいたい」
「そうはいかん。われわれはこれから貴様を処断するのだからな」
にぃ、と汚れた歯を剥き出しにして彼は笑った。
「処断される理由がないのだが?」
「あるとも。貴様はヴァンパイアではないか」
どうやら彼女と言わず、私がヴァンパイアという話はかなり広まっているらしい。
それにしても、そうと知っていて夜に襲撃をかけてくるのは矛盾している。
相手がヴァンパイアだというのなら、昼間に襲撃をかけようと思うものではないか。
「そうか。君たちは……」
「おっと、その先は言わないでもらおう。われわれはヴァンパイアを処断するのだ」
私を人間と知っていて、ヴァンパイア退治の名誉を手にする気か。
なんて、浅ましい。
後ろに控える集団は、それぞれに刃を手にしていた。
男が持つ嵐の過ぎた川の淀みを、彼らも備えている。
「ガナイさん……」
握った手から震えが伝わってくる。
手に力を入れると、彼女も手を強く握り返した。
私もこんな状況は慣れていないが、彼女は逃げ回る存在だ。
狼に追い込まれた子鹿にも等しい。
「すまないが、彼女を逃してもいいだろうか」
「そうはいかない。ヴァンパイアを匿う村は、すでに支配されているだろうからなぁ」
下卑た声を聞いて、パチンと頭のなかで意識が切り替わる。
ああそうか。
つまり、
「君たちは、命を捨てにきたわけか」
怒りのあまり、極限まで圧縮していた魔力が溢れた。
魔力が体に収まりきらず、圧力となって吹き出していく。
体中を駆け巡る魔力は、ザクザクと神経を切り刻んだ。
その痛みさえも、いまの私には捨て置けるものに過ぎない。
「ひっ!」
突如、卑しく顔を歪ませていた男の顔が、カエルのように青褪めた。
ぶるぶると震えて全身から脂汗を吹き出す。
カエル油ならば薬になるが、彼のは汚らわしいだけだ。
「な、ななな、なんだその馬鹿げた魔力は!」
彼の太い首がひゅうひゅうと音を立てた。
後ろの方で、白い服を着た連中の腰が抜けたのが見える。
私は大仰に、繋いでいない方の腕を広げた。
「なにをいまさら。君たちはその目的でやってきたのだろう」
「まさか、本物の……」
「お望み通りにやってみるがいい。ヴァンパイア退治をな」
満月の魔力が迸った。