トラントデイズ
「お前の命はあと30日だ。それまでにお前が何を見たか、何を感じたか、それを30日後にきかせておくれ。それをきいたら、次にお前の転生するものを決めるとしよう」
トラントは神様にそう言われてうなずいた。
それは良く晴れた、青い空がまぶしい夏の午後の事だった。
太陽の光と共に現れた神様はあっという間に消えてしまい、トラントは自身の葉と花弁をゆらゆらさせてそれを見送った。
「神様も急なことを言うわね」
足下にあるオシロイバナがあきれたように言った。
「そうね、急だわ」
「大変だわ」
「あと30日だわ」
野に咲く花だけあって、オシロイバナは数が多い。
いちいち個々の名前を覚えられず、トラントは甲高い複数の声を聞き流した。
「やかましいぞ、チビども」
フェンスに巻き付いた朝顔のマタンが目を覚ました。
彼は昼や夜になると絶えずウトウトしているが、こうもやかましいオシロイバナ達に囲まれていてはぐっすり眠れないようだった。
「こんにちは、マタン。良いお天気よ」
「やぁ、トラント。本当に良い天気だが、こう暑いと干上がってしまいそうだよ。それにしてもチビ達がうるさいね」
「ふふふ、あなたの家族が増えたら、もっと賑やかになるわよ」
マタンの周囲には、三つほど蕾の朝顔がある。
まだ固く閉じられた花弁は眠っているのではなく、まだ生まれる前なのだ。
「彼か彼女かが目覚めたら、きっと私が居なくなってもさみしくないわね」
「そうかね? お前さんほど存在感がある花もこの辺ではめずらしいからね。やはりさみしいかもしれないよ」
言われてみれば、私と同じくらい大きな花は周りには居ない。
マタンだって、フェンスに上っていなければ、私と視線を交わすことは難しかったはずだ。
「でも、トラントがいなくなったら私達に日が当たるわ」
「そうよ、日陰の花ではなくなるわ」
「まぁ、なんて喜ばしい」
大きな私は、太陽の光を遮ってしまう。太陽の位置は一日でゆっくり変わるけれど、私はいつも太陽を見つめているので、彼女たちには日が当たらないのだ。
いつも影の位置になってしまうオシロイバナ達が一斉にはやしたてた。
「いつも顔色が悪くてやんなっちゃうわ」
「姉妹達よりちいさくてやんなっちゃう」
「目立たなくてやんなっちゃう」
「あと30日じゃない。我慢してちょうだい」
トラントはそう言って笑った。
すると、人間の子供達の笑い声がかぶった。
麦わら帽子に虫取り網。これからは林へ行くのだろう。
それを見て、トラントは古い記憶を思い出した。
昔、トラントは小さくて古い種だった。
それも、もともと自然の中にあったのではなく、気がつけばビニールのバッケージに包まれていた。
袋から見える景色に、大きな目をした動物がたくさん檻にはいっているのがみえた。
その中でも小さな、ハムスターとよばれている生き物が、自分たちをカリカリと音を立ててたべている。
ああ、そうか私は食べ物なのか。
あの頃のトラントはそう思っていた。
トラントがこの地へ根付いたのはそれから一ヶ月後だった。
長く長く、旅をした気がする。
まず人間がトラントの入った袋を買った。トラントは初めて車というものに乗った。
袋は人間の子供がたくさんいる場所に運ばれていった。
教室、とよばれたその部屋にハムスターがいた。茶色と白の小柄な体で、子供達からヒマワリと呼ばれていた。
きっと私達をたくさん食べているからに違いない。
大きな頬袋眺めながら、トラントは自分の番がやってくるのをじっと待っていた。
しかし、運命というのは時に思いがけないサプライズを送ってくる。
それは日差しが強くなり始めた頃だった。
いつになく教室は騒がしく、たくさんの子供がたくさんの荷物を抱えて教室を後にしていた。
その中の一人、「ヒロト」と呼ばれていた男の子がヒマワリのはいった籠と、トラントの入った袋を持ち上げた。
トラントはそのまま、白い家に運ばれた。近くに川のある、大きな家だった。
ヒマワリは見知らぬ場所に興奮して、籠の中をせわしなく駆け回った。
それをみたヒロト君が、笑いながらトラントの入った袋に、日焼けした黒い手をつっこんだ。
ああ!
トラントは叫んだ。
ヒロト君の小さな手からこぼれおちたトラントは、地面を転がって土手に落ちた。
かろうじて手の中に残った仲間達は、ヒマワリの籠の中に入れられていくのが遠目に見えた。
それから、トラントはしばらく泣いた。心細かったからだ。
周囲には暗雲がたちこめ、やがて雨が降ってトラントを濡らした。
トラントは雨の滴に流されて、土の中に滑り落ちた。
そしてトラントはしばしの間、泣き疲れて眠ってしまった。
「君、どこからきたんだい?」
目が覚めたのはそんな声だった。
見上げれば、くるりと綺麗な弧を描いた蔦が、トラントを見ていた。
「この辺の子じゃないだろう。そんなに大きくちゃ綿毛で飛んでもこられないだろうし。どうやってここまできたんだい?」
「わからないわ。車にのって、教室に行って、ヒロト君が私をつかみそこねたの。私、食べ物のはずなのに、食べられずに死んじゃうんだわ」
トラントがそう言うと、蔦は大きな声で笑った。
「君は食べ物なんかじゃないよ。君は僕と同じ、花という生き物だ」
トラントはそう言われて驚きました。
「嘘いわないで。あなたと私じゃ全然姿も形も違うじゃない。あなたはキレイな緑色だけど、わたしは黒と白だけ」
「おやおや、自分の姿をもっとよくみてごらんよ」
トラントは言われたとおりに自分の体をよく見てみました。
すると、確かに蔦の言うとおり、白と黒の体がぱきっと割れて、緑の双葉が芽吹いていました。
その様子を見て、蔦は嬉しそうに笑いました。
「よかったよかった。うんと大きくなりそうな良い芽だ。私もこれからうんと背が高くなるから、話し相手が欲しかったのだよ。何せ仲間は、みんな土に寝そべっているのかってくらい背の低い奴が多いからね。私は朝顔のマタンだよ」
「はじめまして、マタン。ねぇ、一体私はどのくらい大きくなるのかしら?」
「さてどうだろうね。まぁ30日もすれば、どのくらい大きくなるかみんな大体分かるさ」
マタンはそう言って、しばらくトラントの相談相手になってくれました。
やがてマタンの言うとおり、トラントは日に日に大きく育ちました。
マタンも一生懸命にフェンスを這い上ってきましたが、時間がたつにつれて少しずつトラントの背はマタンを追い越しました。そして、ようやく大きくなるのが止まった頃に、トラントに神様が話しかけました。
「こんにちは、トラント」
「こんにちは。トラントって私のことですか?」
「そうだよ、誰にだって名前があるものさ。お前のトモダチのマタンだって生まれたときからその名前なのさ」
ふぅん、とトラントは素直に受け入れました。なぜだかこの神様という存在が出会ったときから、100パーセント信じられる存在だと分かったからです。
「ねぇ神様。私はこれからどうなるのかしら。ずっと大きくなっていたけど、もう止まってしまった。なんだか顔がむずむずして、ふわっとなりそうなの」
トラントがそう言うと、神様はとても嬉しそうに笑いました。
「大丈夫だよ、トラント。君はそのままで大丈夫」
神様はそう言うと、すぅっとお空の遠いところに戻っていきました。
そうなると、姿は見えますが声は聞こえません。
トラントはその事を少し寂しく思いましたが
、その姿を遠くから眺めていると少し安心できました。
そして、神様の言うとおりになりました。
トラントはそのまま、むずむずしたり、ふあっとしたり、ありのままを受け入れて、大きな黄色い花を咲かせました。
ちょうどマタンと会って30日目のことでした。
そして、神様が言うにはまたあと30日たつと、トラントは死んでしまうということでした。
しかしトラントは恐くありませんでした。神様の最初の言葉を覚えていたからです。
『そのままで大丈夫』
大きな入道雲がながれていくのを見た。
雷が身を震わせるほど大きく鳴った。
アリが体を上ってきて少しくすぐったかった。
大粒の雨が花びらを何枚か散らした。
夜に大きな狸が横切った。
子供達の虫取り編みが間違えて私を覆った。
蝉が力尽きる瞬間を看取った。
熱い風と恋人達の笑い声が葉を揺らした。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
私は毎日をそのままに生きた。
そしてやがて、黄色い花びらがすべて風に飛んでいき、葉が茶色くしなびてきた。
「ずいぶんくたびれてしまったね」
マタンが小さな声でそう言った。
そういうマタンもずいぶんとシワが増え、代わりに小さくて元気な種達を大事そうに抱えていた。
「でも心地よい疲れだわ」
私は最初に土に触れたときのように、ふわふわとして眠たかった。
いつの間にか、照りつけるような太陽は弱まり、あんなに賑やかだったオシロイバナ達はすっかり緑の葉だけになっていた。
「明日で約束の30日だね」
マタンもまた、眠たそうな声でそう言った。
ああ、そうだったわね。と
、トラントは心の中で返事をした。
もう言葉がでないほどに、とろりとした心地よさがトラントを包み込んでいた。
「生まれ変わったら何になるんだろうねぇ」
そうね、何になるのかしら。
また、会えるかしら。
トラントはゆっくりとまぶたを閉じる。
ふわりと風が吹いた気がした。
初めて会った日のように、神様がすぐそこまで来ているのを感じた。
遠くにヒロト君の声が聞こえた。
ふふふ、とトラントは笑った。
神様は言った。何を見たか、何を感じたか、きかせておくれと。
トラントの答えは決まっていた。
いろんなものを見たけれど、なにもかもが素敵だったと。
川辺の土手で一輪だけ咲いていた大きな向日葵が、次の日地面に横たわった。
夏が終わろうとしていた。
トラントはフランス語で30のことです。
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