III 対峙
急いで家の中に入る。玄関、廊下、リビング、キッチン、と、一通り見てみたがなかなか良さそうな道具は見つからない。バールのような物があれば車のドアをこじ開けられそうなのだが。残念ながらそんな物はこの家にはない。普通の一般家庭にはあるのだろうか。
「ガラス割るしかないかなあ…。」
事故の衝撃のせいか、窓ガラスにはヒビが入っていたはず。硬いもので叩けば簡単に割れるだろう。
「…お」
部屋の隅に立てかけてあった金属バットに目をやる。
俺は小学生時代に少しだけ野球を嗜んでいた。しかし野球部等に所属していたわけではなく、ただの遊びとしてやっていた。このバットはその頃に父親に頼んで買ってもらったバットだ。少し長めだが、小学生でも振れるようかなり軽く作られている。昔はこれでもかなり重く感じたが、久しぶりに持ってみると本当に軽く感じた。
俺はバットを握り、急いで玄関へ向かった。
家の玄関を出る。庭を駆け足で進み、道路へ出る。
しかし、さっき単独事故を起こしたと思われる車のドアは開いていた。自力で脱出できたのだろうか。
車に近付き、車内を覗きこむ。さっきまで車内でドアを叩いていた男性がいない。ふと道路に目をやると、おびただしい量の血痕があたりに散乱していた。あの出血した状態でどこへ行ったのだろうか。
近くで音がした。
トッ、と。おそらく足音だろう。
あの男性だろう、近くにいたのだ。当然だ、あの出血状態でそう遠くへ行けるはずがない。
音のした方向は後ろだ、振り返ろう…としたが、なぜか首がうまく回らない。肩に何か乗っている。
俺の左の首にさっきの男性が噛み付いていた。
「う…うわああああああああああああ!!!!!」
全力で男性の頭をどけようとするも、ビクともしない。とてつもなく強い力で俺にひっついてきている。
「くそっ…くそっ…なんなんだよアンタっ!!!!」
左手で男性の頭を何度も殴る。しかし、頭のある位置が悪くなかなか力を入れて殴れない。
男性は微動だにしない。
俺は右手に持っていたバットの先端を握った。ボールを打つ部分だ。そのバットで思い切り男性の頭を殴る。殴る。なんども殴る。
「こんのおおおおおおおお!!!!」
男性の頭皮が出血し始めた。しかしなおも男性は俺の首から離れない。
俺の首に噛み付いている男性を引き剥がそうともがき、5分ほどが経過した。
頭から大量に血を流した男性が自ら離れた。俺はその男性から距離を離し、再び向かい合ったあとに自分の首を触った。ズキリと鋭い痛みが走る。首を触った左の手の平は真っ赤に染まっていた。血だ。
男性の方を見る。ゆっくりとこっちに近づいてきている。
「なんだよ…なんだよっ!!」
男性との距離が縮まる。逃げ出そうとするも足が震えて動かない。動け、動けと自分に言い聞かせるが体はいうことをきかない。男性が3mほど前にまで寄ってきた。
耐えられずに目をぎゅっと閉じた。涙が溢れた。すると、後ろから大きな声がした。
「君!!!!早くその男から離れろ!!!!」
足が動いた。気が付くと声のした方に俺は全力で走っていた。
目の前には全身に濃い緑色の迷彩服のような物を着た男性がいた。いや、あれは迷彩服だ。
自衛隊員だ。自衛隊員が俺の方に、俺の後ろにハンドガンの銃口を向けている。
俺が自衛隊員に近付くと、彼は俺の手を掴んで振り返り、後ろに向かって駆け出した。
前方70mほど先に輸送車のような車が停まっている。俺は手を引かれながら必死に走る。
車に辿り着くと自衛隊員はドアを開けて俺を車に乗せ、続いてその自衛隊員も乗り込んだ。
その後、彼は運転席に座っていた別の自衛隊員に
「出してくれ!」
と言った。運転席に座っていた隊員がコクリと頷くと、車が動き出した。