02,
迷宮都市バルメドゥ。
その人口は10万とも20万とも……100万とも言われている。
正確な数は誰にもわからない。誰も数えた事などないのだから仕方が無いことだろう。
しかしその言葉に見合うだけの光景は確かに存在している。
バルメドゥのある国の中心地である王都よりも発展したこの都市は常に賑わい、活気と言う言葉だけは売りたいほどにある。
大きな街にはどこでも存在する陰鬱と暴虐に支配されるスラム街にすら活気があるのだから凄まじい。
国中を探してもスラム街に活気があるのはバルメドゥだけだろう。
そんなバルメドゥのスラム街に漆黒よりも尚暗い、闇を凝縮したような色をした身長2メートル半を越える巨大な物体が闊歩していた。
普段は活気があり、猥雑な雰囲気が満ちているスラム街の一角が静まり返っている。
そうさせるだけの雰囲気が、その物体にはあった。
「じゃ、じゃあわたしは本当に生き返れるの?」
「おうともよ。オレ様が聞いた話じゃマイマスターは生き返れるぜ! もちろんこのオレ様が必要不可欠だけど、NA!」
静まり返ってはいるが、物体の中で行われている話は外へまったく聞こえない。
単純に声が小さすぎるのと持ち主にしか聞こえない不思議な声だからだ。
「あなたが……必要不可欠……?」
「おうともよ! にゃっふー!
このオレ様、真闇の神魔鎧の中にいなきゃマイマスターには魔力がたまらない!
正確にはオレ様を通して魔力を集める事が出来る!
故に! オレ様! 必要! ゼッタイ!」
「は、はぁ……」
真闇の神魔鎧。
漆黒よりも尚暗い闇を凝縮したような色をした身長2メートル半を超える全身鎧。
醸し出される雰囲気は邪。
恐怖と畏怖を周囲に撒き散らすこの鎧こそが持ち主にしか届かない声を発する存在である。
「で、でもどうやって魔力を集めたらいいの?」
「あー……それは確かなー。魔物をぶっ殺せばいいって言ってたな!」
「魔物……迷宮の魔物でもいいの?」
「魔物ならなんでもいいらしいぜ? あ、でも強いやつほど魔力が多く集まるって言ってたな」
「強い……魔物……」
真闇の神魔鎧とアンデッドとなった幼女は周囲を静まり返らせながらもスラム街のある一角を目指して進んでいく。
ついでに話も進んでいく。
「都合よくここは迷宮都市っつー話じゃん?
ここで魔力を集めて生き返るってのが当面の目標でいいんじゃねぇ!」
「当面……目標……」
「生き返った後はマイマスターの好きに生きればいいんじゃね! 今度こそしなねーようにNA!」
迷いなく進むその足取りには明確な意思があり、目的がある。
鎧の内部で行われていた静かな話し合いは一時決着し言葉が途切れ、まるでタイミングを計ったかのように真闇の神魔鎧の足も止まった。
そこは棒を4隅に差して布をかけただけの粗末というにもほどがあるスラム街の家々の中では別格といっていい建物だった。
そう、建物なのである。
棒と布で作られた壁すらない、風雨を凌ぐのにすらまともに機能するのか怪しい家を建物と呼べるだろうか? いや呼べない。
建物とは壁があり、屋根があり、もっと心満たされる……せめて風雨くらいは凌いでほしいものである。
真闇の神魔鎧の目の前にあるソレは壁があり、屋根があり、心は……満たされるのか微妙だが風雨は凌げるだろう。故に建物である。
「マイマスター。着いたぜ!
ここが迷宮都市にある迷宮の1つ――オイトだ!」
「オイト……」
「ここはスラム街の連中も潜ってるくらい雑魚しか出ないらしいぜ。
オレ様はチートだが、馬鹿じゃねぇからな。迷宮初心者は迷宮初心者らしく、雑魚迷宮から潜っていこうぜ!」
「ぅ、ぅん……」
すでに開かれている両開きの扉を潜ると、中には最低限の武装――錆た鉄剣や錆た斧、防具は継ぎ接ぎが目立つ服のみばかり――をした者達が脇に並ぶ長机で激しく言い合いをしている。
長机には小さな赤い石や生々しい肉片や内臓などが置かれており、アレらが迷宮から産出される資源である素材だ。
「おーおー、超賑わってるぜ! いいねぇいいねぇ!」
真闇の神魔鎧が騒がしいが高揚感が抑えられない熱気溢れる空間に足を1歩踏み入れた瞬間に空間が凍りつく。
先ほどまであれほど喧しく騒ぎ立てていた者達が絶句してしまっている。
それもそのはず。
ここまでスラム街を通るたびに同じような現象が起こっていたのだ。
迷宮に潜り、素材を持って帰ってくる存在でもそれは変わらない。……迷宮オイトは大した武装がなくても潜れる雑魚迷宮なのだし。
そんな静まり返った空間を悠然と歩む漆黒よりも尚暗い存在。
ギリギリ頭が天井に擦れそうなほど巨大な彼は静まり返った空間をなんとも思わず突き進む。
……いや若干の優越感にも似たような感情がほんの少し彼の心にもあったかもしれない。
しかしそんな吹けば消えそうな小さな感情は今彼の心を占めている初めての迷宮探索という何かに侵食され、感じる事など出来はしない。
長机が多数置かれた静まり返った素材買取所を通り過ぎれば、迷宮オイトの入り口が見えてくる。
それは真闇の神魔鎧が想像していた迷宮の入り口では決してなかった。
故に零れた声は小さく、彼の持ち主であるアンデッドの幼女にも聞こえないほどのものだった。
「鏡?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「おー……なんというか、大! 草! 原!」
スラム街の雑魚迷宮――オイトに入った真闇の神魔鎧の第一声がコレである。
鏡のような入り口に一瞬だけ躊躇した彼だったが、持ち前のハイテンションでそれも一瞬のことだった。
ちなみに迷宮の入り口に警備などの兵は一切存在しない。
迷宮内に存在する魔物は一切外には出てこないし、中に入って何があろうと自己責任だからだ。
自己責任。
全てはその一言に尽きる。
迷宮内では例え泥棒をしようと、人を殺そうと全てが自己責任。
だが目撃者や被害者を生かしておけば大抵は悪い噂が立つ。
そういった迷宮に関わる者の悪い噂と言うものは素材と言う資源を持ち帰り、売る必要がある彼らにとって害でしかない。
故に迷宮内は比較的治安が良い……場合が多い……かもしれない……たぶん。
「さーて、ここからがオレ様達の冒険の始まりだ!
だがよく聞けマイマスター!」
「ぇ、ぁ、はい……」
真闇の神魔鎧の中にいるアンデッドの幼女は鎧の中という視界のまったく利かない空間でも周囲を視認する事が出来る。
故に真闇の神魔鎧同様に初めて迷宮の中に入った彼女も、そのあまりにも不可思議な光景に目を奪われて生返事を返すしかない。
「オレ様は戦闘能力がない!」
「……ぇ?」
「強烈な恐怖と畏怖を撒き散らす素敵なオレ様だが!
基本的には倒した魔物から魔力を吸収し、それをマイマスターに還元する能力とマイマスターを保護し、マイマスターの能力行使を補助することしか出来ない!
いやこれでも世界に1つしかないオンリーなワンなチートなんだけどな! にゃっふー!」
「……ぇ?」
真闇の神魔鎧の今更な告白にアンデッドの幼女の物理的に空っぽの頭蓋骨内は理解不能としか答えを返す事が出来ない。
それもそのはずだ。
これだけ見た目が厳つく凶悪で、周囲に恐怖と畏怖を撒き散らす存在に戦闘能力がないなど誰が思おう。幼女の頭蓋骨内はとても正常だ。空っぽだが。
しかしながら現実はいつでもどこでも何度でも、非情なのだ。
「そういうわけだから戦闘はマイマスターに頑張ってもらわねばならない!」
「……ぇ、ちょ……ま、待って……。わたし……ここから出たら死んじゃう……よね?」
「いえす! マイマスター!」
「じゃ、じゃあどうやって……戦うの……?」
幼女が死んだ路地裏で真闇の神魔鎧が急かしたように、彼女は鎧の中にいなければ死んでしまう。
正確にはまだ成り立てのアンデッドである幼女は人の多いこの迷宮都市では生に魔力を引っ張られて消耗してしまう。待っているのは死という終わりだけだ。
「心配しなくても大! 丈! 夫!
マイマスターは奇跡のような魔法の才能故に存在出来ている!
それで戦うのだ!」
「どう……やって……?」
「そうだな。習うより慣れろ。百聞は一見にしかず。豚の耳に小判」
最後はめちゃくちゃだったが彼は気にしない。
気にしていては進めない。故に気にしては負けなのだ。
「ちょうどよく子犬っぽい標的が向かって来ているぞ、マイマスター!
さぁいっちょぶちかましたれ! ライトバレットを!」
「ぇぇぇぇ!」
真闇の神魔鎧とアンデッドの幼女は迷宮の入り口で話しこんでいたわけではない。
実はこっそりと移動していたのだ。
そう、こっそりと。
これも全てアンデッドの幼女に考える暇を与えず実戦を経験させるための彼の憎い心遣い。
短い付き合いだが彼はすでにアンデッドの幼女が魔法の才能以外は幼女のソレでしかないことを見抜いている。
故に下手に考えさせてはならず、実際に行動させて納得させることにしたのだ。
「マイマスター! ぶちかませ! ライトバレットだ! 早く!」
「ま、まっぇ、ゃ」
「また死にたいのか! ホニャ!」
「ッ!」
ホニャ。
アンデッドとなった幼女の名前。
たった8歳で人知れず冷たい路地裏で死んだ者の名前。
彼女の名前を呼んでくれる者はもうほとんど残っていない。
いや……アンデッドとなってしまった彼女の事をそう呼んでくれる人はもういないだろう。
彼を、真闇の神魔鎧を措いて誰も。
その事を幼いながらもしっかりと理解していた故に。
彼女に与えた勇気と希望とたくさんの暖かい何かは彼の想像を遥かに上回るものだった。
「ライトバレット!」
魔法の才能とは何か。
通常5年かかる初級の魔法を1年で修める事が出来る早さだろうか。
視界を埋め尽くすほどの魔物を、その半数とはいえ殲滅する事が出来る力だろうか。
どちらも是であり、否である。
究極にして至高、奇跡と言わしめるその才能とは。
集中力。
魔法は発動するまでに集中する必要がある。
それが短ければ短いほどに魔力の消費が少なくなり、隙が少なくなり、効果が上昇する。
魔力は有限であり、時間をおけば回復するものではあるが事戦闘に於いてそんな悠長な時間は存在しない。
故に強力な事象を引き起こせる魔法という技術は如何に集中力を養うかによってその強さを変える。
アンデッドの幼女――ホニャが放ったライトバレットはどれほど才能溢れる魔法使いが使っても2秒は集中する必要がある。
それを彼女は0.1秒の集中も必要とせず放った。
奇跡。
魔法を知る者ならば皆等しくそう口にするだろう事は疑いようが無い。
それほどの才能。
故に死してすら存在を許される。
奇跡の才能。
真闇の神魔鎧とホニャの初戦闘は一瞬で決着がついた。