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血の呪縛~勝頼はなぜ突撃したのか~

作者: 橋留健志郎

できれば前書きで書きたかったんですが、【あらすじに書け】と明記してあったんで……。


不本意ながら移植の旨、あらすじに書かせていただきました(ToT)


修正、加筆の必要がある場合リメイク版と明記した上で再執筆してアップするつもりなんですが、今回はその必要は無いと判断しましたので、コピペによる移植となりました。


ですので、ハシルケンシロウ版と全く同じ内容となっています。ご了承くださいm(__)m

 お館様からは、三年間死を隠し通すため戦は控えよと遺言されておる。今はお館様の死からまだニ年しか経っておらん。

 ましてやわし自身がついこの間まで【諏訪四郎勝頼】を名乗り、今とて次期当主信勝様(わしの息子に様付けもどうかとは思うが……)がご成人なさるまでの陣代でしかないのだ。

 本来なら天下一富んでいる織田家と、我々武田軍、越後の上杉軍に次いで天下三に強いと言われておる徳川軍との連合軍にわしから仕掛けるなど、言語道断であろう。



 が、しかし。



 これ以上織田家の版図が拡がってしまったなら、必ずややつらが天下を手中に納めてしまうのだ。そんなことだけは、なんとしても阻止せねばならん!

 わしらと織田との長きにわたる因縁に決着を付ける機会は、まだ国力的に太刀打ちできる……、



   今しかない。



 今宵の評定で遠江攻めの方針を固めることにしよう。








「織田はこの頃急速に力を延ばしておる。今叩かねば……、武田は織田の軍門に降ることとなろう。……故に……、明日より遠江を攻略しようと思う」

 場がざわめく。お館様の遺言がある上に、宿敵諏訪の名跡を継いでおったわしの発言じゃ。袋叩きに遭うことは百も承知よ。

「何を申されます勝頼殿! 三年間軍事遠征は控えよとの仰せをお忘れか!?」

 来たな、信春。最初に何か言って来るのはいつも御主よのう。

「あと一年も待ってはおれぬ。それとも御主は織田の軍門に降れと申すか?」

「くっ……」

「近年急速に延びておる織田の国力が、向こう一年停滞する証左が何かあると申すのか?」

「ぐっ……」

「あるのなら申してみよ」

「ごっ……、ございませぬ……」

 たとえ形だけであるとはいえ、わしを支えてくれる重臣達に、かような責めにも等しい物言いはしたくないのじゃが……。許せよ、信春。

「それにな、あと二つ家康めの城を落としてしまえば、あと一年……待つことも出来るのじゃ」

 高天神城。この城さえ落としてしまえば、長篠城が我が手中にある今、遠江は制圧したも同然。これに加え、高天神攻略の足掛かりとなる城をあと一つ落とさなければならないが、この二つの城を落とすだけで、一年ぐらいは織田家に対抗し得る国力を維持できるのだ。

「陣代様はどのような手順で遠江を制圧なさるおつもりで?」

 昌景が問うてきた。もう、異論は無いということだろう。

「まずは明知。そして、そこを足掛かりに……、……高天神を攻める」



 やはりな……。やはり皆、目を剥いて絶句したか。高天神はお館様でも落とせなんだ要害、《勝頼のごとき者にどうにかできる代物ではない》皆そう思うておるだろう。



「されど高天神は……」

「みなまで申すな。言われずとも解っておる。わしとて何の勝算も無しに攻めると言うておる訳ではない。まあ見ておれ。必ずや高天神……、落としてみせようぞ……」









 明知城制圧に成功し、今は高天神城を取り囲んでおる最中だ。敵方もしぶといもので、決着が着いたも同然のこの状況に於いてもなお、必死の抵抗を見せておる。《頑張っておればきっと援軍が来る》彼奴らはきっとそう信じてやまないのだろう。



   無駄なことを



「ご注進! 高天神城より出た早馬を捕らえましてございます!」

 やっと出しおったか。

「行かしてやれ」

「は!? よろしいので!?」

「おう、よろしいのじゃ」

 そう、この計略は援軍を要請しに行ってもらわねば、成立せんのだ。

「御主は今の早馬が高天神に戻ってきたら再度報告せよ」

「かっ……、畏まって候……」

 フッ、あの者、気でも狂うたかとわしを疑うておるような顔付きじゃったな。

 まあ良いわ。あれが戻れば嫌というほどよく解る。なぜわざと援軍要請に行かしたのかがのう……。









 今日は風の騒がしい夜じゃのう。こんな夜はたいてい何かが起こる。この風はわしにとって吉兆か凶兆か……。

 月がいやに妖しい。低く大きく、そして……、朱い。あの早馬、無事に帰って来れれば良いが……。

「ご注進! いつぞやの早馬、高天神城に到着してございます!」

 吉兆じゃったか!

「ご苦労。高天神、一両日中に……、落ちるであろう」

 思わず笑みが零れてしもうたわ。おそらく今のわしは見るも悍ましいほど不敵な面構えをしておるのだろうな。

 フッ、この者もあまりの面構えに震えておるわ。


 勝てることが解り切っておる戦の朝のなんと清々しいことよ。

 ふっ……、ふふっ……、

「ふはははははははぁ! 皆の者、見るがよい! 敵方のなんとやる気の無いことよ! 援軍など来んわ! わしが来れんようにしてやったのじゃからのう!」

 石山本願寺を動かして、越前で一揆を起こしてもらったのよ!

 一向一揆はしぶといからのう。さしもの信長とてすぐには片付けられまい。

 家康めは三方原でお館様にこっぴどく叩き潰されてからというもの、臆病風に吹かれ切っておるからのう。今度もまた三方原のとき同様、ビビりグソでもちびっとるのが精一杯よ!

「ふはははははははっ! ぎゃはははははははぁっ!」

 ふう、笑うたわい。心から笑うのはなんとも爽快なことよ。早うかような不敵な笑いではなく、楽しげなことで笑える世を創りたいものじゃ。



 さて、ではそろそろ仕上げに入るとするか。



 両の腕を天に翳し、二度ほど手を叩く。側にあった木の梢が揺れ、傍らの草が揺れる音がする。

「陣代様、お呼びでしょうか」

 わしの横には隠密がいた。名を立浪吉綱といい、お館様の前の代から武田に仕える譜代の隠密頭だ。

「お呼びでないなら手は叩かぬ。御主に密使を頼みたい」

 あとは城主を降伏勧告に乗せるだけ。今のご時世援軍が来ぬ城など、三日も取り囲めば落ちるようになってるのよ。

「まずは……、そうじゃのう、窮地に援軍も遣さぬ薄情者はとっとと見限って、わしの下で働けと申してまいれ。余計な言葉は加えずとも良い。御主はただ、今わしが言うた旨のみを申し伝えるのみで良い」

「断られまする」

「構わん。もとよりそのつもりじゃ」 

 よほど追い詰めん限り、初回で交渉が成立することはない。こういう交渉は、じわじわと降伏条件を小出しにし、さらに提示する度に良くしていくのがよいのじゃ。

 よほどの忠臣でもない限りは二回か三回で落ちるだろう。









 帰りを待つわしの脇の草が揺れる。

「断られましてございます」

「であろうな。次は……、そうじゃのう、今降伏すれば今まで以上の待遇で大歓迎するぞと申してまいれ」

「……、落とせそうですな」

「フッ、左様か……」

「笑顔が……、不敵でございまするぞ」

「生れつきよ……」

 家康からはとうに見捨てられておるのじゃ。今以上の待遇を保証してやれば、家康に付き続ける必要もあるまい。


 今度は吉綱ではなく、最前線を任せておった昌景が、満面の笑みで駆けて来る。

「陣代様、ご注進、ご注進!」

「どうした?」

「城主小笠原氏助殿、降伏!」

「左様か、ご苦労であったな」









  ふふっ。勝ち戦と解り切っておる戦場の朝も清々しいが、やはり戦の無い朝が一番清々しいな。雀達のなんと可愛らしいことよ。どれ、米粒でも食うか?

「どうじゃ? 美味いか? もっと食うか?」

「ととしゃま、しゅじゅめじゃしゅじゅめじゃー!」

 わしが雀と戯れておるところに、どたどたと信勝が突進して来おった。それに驚いた雀が一斉に飛び立ってしまう。

「こりゃ、騒ぐな信勝。雀がおらんなってしもうたではないか」

 苦笑いを浮かべながら我が子の頭をわしわしと撫でてやる。

 おっと、いかんいかん。我が息子である以上に、武田家の次期当主に有らせられたな。

「信勝様、貴方様は毎日がこのような朝である世の中を創らねばなりませぬ。それが我等武田家の使命にございます。かような世になるまで……、共に力の限りを尽くしましょうぞ」

「はい! ととしゃま!」

 そのあと、わしら親子は笑い合った。何がそれほど面白かったのかは解らんが、何故か心の底から笑いが込み上げた。

 人間、朗らかな気持ちなれば自然と笑うものなのかもしれんな。

 信勝は単純にわしの馬鹿笑いに釣られて、貰い笑いしておるだけのようだったが、とにかくわしらは、おおいに笑った。








 いったいどこの誰なのだ? 【笑う門には福来たる】などと抜かしおった阿呆は!

 あれほど笑うたというのに、福どころかとんでもない凶報が飛び込んで来おったぞ。



 長篠城主奥平信昌、寝返り。



 天下では【高天神を制するものは遠江を制す】と云われておるが、それは遠江以西の勢力に限った話。わしら遠江以東の勢力は、高天神より寧ろ長篠を押さえなければ、遠江を制圧できんのだ。

 これは困ったことになったぞ……。 

 言うまでもなくわしらは今、緊急評定を召集しておる。蝋燭の炎に揺らめく影のなんと不吉なことよ……。

「長篠を奪い返す。このままではお家どころかお館様の遺言すら守ることが出来ぬ」

「しかり」

 今度の遠征に異論を挟む者は誰もおらなんだようだな。まあ、おればおったで、かような先の読めん奴には暇をつかわす気でおったがな。

「ついこの間まで高天神を攻めておったのじゃ。兵糧が足らん。奥平めが二度と寝返ろうなどという馬鹿な気を起こさんよう、武田の恐さを思い知らす必要もある。……、故に……全軍を以って短期で叩き潰すぞ」

 わしが全軍を投入するのはそれだけが理由ではない。寧ろこちらのほうが真の理由なのだが、ほぼ間違い無く今回は【織田信長が来る】のだ。

 明知や高天神のときとは違い、何の援軍妨害工作もしてはおらんのである。相手は第六天魔王織田信長。さすがに三度も援軍要請を断れば、同盟を破棄されることぐらいは解っておるだろう。



 ん!? これは少し……、使えんか?



「無駄とは思うが……、家康めを……、……、調略してみるか……」

 両の腕を天へと翳し、手を二度叩く。何かの気配が議場の蝋燭の炎を大きく揺らし、そして掻き消した。

 わしのすぐ傍らには、吉綱がいた。

「お呼びでございますか、陣代様」

 決まり文句だ。もはやこれが吉綱のわしに対する挨拶と化しておる。

「お呼びでないなら手は叩かぬ」

 わしも挨拶を返す。

「家康めを調略してみようと思う」

「畏まって候」

「いや待て、待て待て」

 調略作戦を聞く態勢に入った吉綱を慌てて制する。吉綱、御主には御主にしか任せられん重要な任務が別に有るのだ。

「もう一人連れて来てくれるか」

「畏まって候」


 吉綱が外している間にも、せねばならんことは山ほど有る。

「まず金掘り衆を……」


 あらかた指示を出し終えたところで、また蝋燭の炎が掻き消えた。今度は、吉綱の横にもう一人、忍がいる。

「考えたな、吉綱。歩き巫女か」

「戦の絡まぬ調略にござりまする故……」

 包囲による圧力が望めない分、色に付加価値を求めたのであろう。

「では、宜しく頼む」

 吉綱の横に控えるくノ一に、山吹色の包みを手渡す。

「申し訳ございませぬが……、成功率はかなり低いかと……」

「みなまで申すな。もとより動揺させるつもりでしかござらん」

 これによって信長との信頼関係の亀裂を少しでも深めることが出来れば、援軍を要請せんことも多分に有り得る。

 臆病風に吹かれ切っておる徳川軍のみの援軍であるならば、引き分けはあったとしても、少なくとも、負けはない。

「そして吉綱、御主には織田の物見を頼む。できれば援軍派遣も阻止してもらいたいが……、……それはついでと考えて良い」

「某は織田の動きを監視し、【可能なれば】援軍派遣を阻止するということで宜しいのですな?」

「左様。決して無理はするなよ」

「畏まって候」

 議場から立ち去ろうとする吉綱の背を見て、不意に寒気が走る。五臓六腑に染み渡る、病的なほどの寒気が。



 これが虫の知らせというものなのだろうか……。



 この虫は、いったいわしに何を知らせておるのだろうか……。



 吉綱は、数少ないわしに懐いてくれた譜代の重臣だ。戦のごとき不毛なことで死んでほしくはない。

「吉綱! 相手は第六天魔王織田信長じゃ。くれぐれも……、……抜かってくれるなよ」

 気付くとわしは、吉綱を呼び止め、声をかけていた。

「陣代様は某を誰だとお思いです? 某は……、立浪、吉綱ですぞ」

 不敵な笑みで返してきた吉綱は、その佇まい自体が自信に満ち溢れていた。









 わしらは今、全身全霊を以って長篠城を取り囲んでおる最中じゃ。金掘り衆により廓を次々と潰すことに成功し、主力部隊を兵糧庫に向ける余裕が出来たため、決行。当然水の手も潰してある。

 通常であればあと三日も囲んでおれば落とせる筈だが……、今回は信長が来る。家康への調略へと向かったくノ一が戻って来んのだ。しくじったとしか思えん。

 家康の調略にしくじった今、彼奴の援軍は必ず来るのだ。

 城内はとっくに飢えているであろうになおも抵抗を続ける奥平めに苛々しているところに、織田へと物見に出した吉綱が帰ってきた。

「陣代様、織田の援軍一万、岡崎城に到着。あと三日でこちらに参る模様です」

「編成は」

「鉄砲隊、寄せ集めの千、他全て徒武者。岐阜を発ち際大量の木材を買い込んでおるところから見て、おそらくは、馬防ぎを作り鉄砲隊で待ち受ける手筈かと」

「迂闊には手が出せんのう……」

「まだ解りませぬぞ。帰り際とある噂を小耳に挟んだのでごさりまするが……、織田方の佐久間信盛が寝返りを考えておるとかおらぬとか……」

 ……、……わしらは全軍一万六千……、織田の援軍一万……、長篠城兵五百……、

「家康めは何人で来るつもりじゃ」

「それはまだ解りかねまする。全軍をあげて来るならば、六千ぐらいでしょうな」

 ……敵軍合計一万六千五百……、わしらが一万六千……。まだ……、突撃は無理じゃな。

「報告ご苦労だった。御主は引き続き織田を頼む」

「畏まって候」

 わしの脇の木が揺れた。


「陣代殿! 織田方の佐久間信盛より、書状が参っておりまする!」

 この知らせが入ったのは、吉綱が戻った翌日であった。



 真の話であったか!



 徒武者の一人が書状を持ってくる。目を通してみると、そこには、信長に対する恨みつらみから始まり、援軍の数一万、鉄砲の数千、自分は二百の鉄砲隊を率いておること、設楽郷にて馬防ぎを張り鉄砲を持って待ち受ける手筈だといったことが事細かく書かれておる。そして、こう締められていた。

『勝頼殿の突撃を合図に、我等は後ろから織田鉄砲隊を狙い撃ちまする。あらかた片付いたところで柵を開きまする故、挟み討ちにて壊滅させてやりましょうぞ!』

 と。

 勿論これだけでは鵜呑みには出来ぬ。この書状だけだったなら、この寝返りを鵜呑みには出来んのだ。



    だが。



 一致しておるのだ。吉綱の報告とことごとく数が一致し、あまつさえ、作戦までもが吉綱の見解と一致しておるのだ。実際に寝返る気が無いならば、こうまで自軍の手の内を明かしたりはせんだろう。



 この寝返り、疑いの余地は無い。



 わしにも運が向いてきたか。ここで信長と家康を討ち取れば……残る強敵は伊達、上杉、毛利、島津の四家のみ。この戦に勝った後、その勢いで織田領を制圧して回れば……、



 武田の天下は成った!



「ふっ……、ふふふっ……、ふふははっ……、はーっはっはっはっはぁ!」



 この戦、もう負けぬ。









  わしの傍らの草が揺れる。

「織田、徳川連合軍一万六千、設楽郷にて築陣」

「やはり馬防ぎか?」

「左様にございます」


 あの佐久間の寝返り状にはほぼ全く疑いの余地が無い。それは解っておる。それは解っておるのだが……、わしの中の誰かが必死に【もっと良く確かめよ】と告げておる。

「いつぞや御主が申した通り、佐久間が寝返ってくれることになった。じゃが、わしは佐久間を全く知らん。それは佐久間とて同じであろう。故に、戦場でお互い討ってしまわんよう目印を付けたほうが良いと思う」

 腰から脇差しを外し、吉綱に手渡す。

「互いの脇差しを交換しようではないか。御主はこれを佐久間に渡し、彼から脇差しをもらって来てくれ」

 第三者の介入によって、もう疑いようは無くなる。わしの中の誰かも、吉綱が佐久間の脇差しを持って来たならば、おそらく黙ってくれるだろう。もし嘘であったなら……、済まぬ吉綱……、



   こんな友を

   許してくれ



 その夜、お館様が夢枕に立った。


 お館様は、暗闇の中、必死な形相をしておられる。人を殺め過ぎたせいか、はたまた野望のために坊主となったせいか……、地獄に堕ちてしまわれたようじゃな……。お痛わしや……。



「確かめよ……。もっと良く確かめよ……」



 この声、この言葉……。そうか。わしの中の誰かとは、わしに流れるお館様の血であったのだな。

 ご心配召されるな、お館様。その確認はしかとしておりまする。



「確かめよ……。あやつをもっと良く確かめよ……」



 あやつ? 誰でございますか? 佐久間信盛でございますか?



「今回の件……、誰よりも疑うべき者は……」



 ですから、佐久間信盛でございましょう? でしたら今……、



「【た……】」



「うわあぁあああぁ!」








 悪夢の夜が明けた。わしの中に残るお館様の一部が、今もまだ【確かめよ】と言ってくる。わしが一番疑いとうない……、



「【た……】」つなみよしつなを。



 思えば今回の勝算も全ては吉綱の報告を基に弾き出したもの。その吉綱が既に調略されているのならば、わしは千丁もの鉄砲が、いや、実際はそれ以上あるのかも知れん。

 とにかく通常有り得ん数の鉄砲が待ち構える【狩場】へと誘い出されてしまうことになる……。

 いったい……、いったい何をすれば友の無実を信じることができるのだ!?

 わしにはもう……、疑い続けることしかできんのか……?









 対陣して丸一日が経つ。彼奴らに動く気配は全くといっていいほど無い。やはり、わしらを狩場におびき出そうとしておることに間違いは無いようだ。

「いつまでも睨み合っておるだけでは詮も無い。陣を前に出すか」

 仮に吉綱の報告が真であるならば、わしらは狩場に入らん限り全く損害を出すことが無いということになる。移動してもさして問題は無かろう。


 一万六千もの軍を動かしておるのだ。陣を前にやるだけのことでも、いちいち戦評定をせねばならん。

「これから本陣を清井田まで進める。そして、相手の人足を確認でき次第突撃する故、鳶ヶ巣以外の砦におる者も皆集める」

「突撃は避けたほうが賢明にござる」

 信春か。やり合うのもこれが最後かもしれんと思うと……、なんだか淋しくなるのう。

「解っておる。彼奴らが設楽郷に狩場を作っておるのは解っておるのだ。滅多なことはせんわい」

 何か……、何か吉綱の潔白を示す出来事があれば……、自信を持って突撃出来るのじゃが……。

 天幕が揺れる。

「佐久間信盛殿より脇差し、お預かり致しておりまする」

 わしの背後に吉綱がいた。

「左様か」

 言いながら後ろに向きを変える。右手を差し出したが、わしの手に乗った脇差しは、わしの脇差しだった。

「佐久間殿より言伝を預かっております」

 もう一本、別な脇差しをわしに見せながら、言葉を続ける。その脇差しには、確かに人づてに聞いたことのある佐久間家の家紋がびっしりと描かれておった。

「脇差しの家紋とは目立たぬようで目立つもの。戦場での交換は避けたほうが賢明にござる。某の隊は鉄砲隊の最後尾。隊の位置さえ明かしておけば、戦場で顔を覚えて頂けまする」

 正論じゃ。そして、吉綱もまた、佐久間の家紋が入った脇差しを持参しておる。



 それでもまだ、信用できん。



「ご苦労であった。佐久間に脇差しを返し、引き続き織田の物見を頼む」

 頼む、神よ仏よ天よ先人達よ! 何か、何か見せてくれ! 我が友を疑わずに済む、何かを……。

「畏まって候」

 よいのか!? よいのか勝頼!? 疑惑の男をこのまま織田の陣にやって、真によいのか!?

「吉綱……!」

 気付くとわしは、吉綱の肩を掴み、引き止めていた。

「なんで……ございましょう?」

「わしが諏訪の血を引いておること……、御主はどう……、思うておるのだ……?」

 吉綱から裏切られる理由があるとすれば、間違いなくこれじゃ。諏訪は武田の仇敵。ましてや吉綱は家族を……、お館様とお祖父様との戦の際に皆、殺されてしまったのだから……。

「? 今更何を申すのじゃ勝頼? 別にわしの嫁や娘や息子を殺したのはおまえではないし、名前にしても、便宜上【諏訪勝頼】と言っとっただけの話しじゃろ? わしはかようなくだらんこと……、一度とて気にしたことはないぞ」

 突然態度が変わった故か、諸将は皆呆気に取られたような顔をしておる。唖然とする諸将を尻目に、満面の笑みで吉綱が続けた。

「以上が陣代様の友としての、某の答えにございます」

 と。

「行ってもよろしゅうございますか、陣代様」

 出来るのか……? わしに、この笑顔を疑うことが出来るのか……?

 相手は設楽郷から動こうともせん。わしから動かねば発動できん受け身の作戦であることは明らかじゃ。

 それに、吉綱は佐久間から脇差しを借り受け、それをわしに見せておる。寝返りに関しても疑う余地が無いではないか!


 何故疑う?

 お館様の血は、何を根拠にこの報告を疑えと申される?

 いったいわしの直感は……、何を根拠に吉綱が今……、……織田方に在ると感じておるというのだ!?



 何も無いではないか!


 潔白を示す材料も無いが、寝返りを示す材料も何も無いではないか!



「はっ……、はははははは……。突然済まなんだな。引き続き……、織田の物見を頼む」

 わしは友を……、



    信じる。



「畏まって候」

 天幕が……、揺れた。









 翌日、決定通りわしらは本陣を動かす。そして、突撃のために鳶ヶ巣以外の砦から人足を掻き集めることにより、事実上、長篠城に対する包囲を解いた。

 援軍には敵勢力の当主が雁首を揃えておるのだ。援軍を叩き潰すことに成功すれば、奥平にはもう、降伏するしか道が無くなる。


 相手は相も変わらず引き篭ったままいっこうに仕掛けて来ようとせん。

 わしらはわしらで、何の勝算も無しに奴らが作った狩場に入ることなど出来る筈もなく、互いにダラダラと対陣しておるだけ。

 正直このまま引き上げることも考えたのだが……、ここで引いたらば、長篠城を奪われたまま兵糧が貯まるまで待たねばならず、遠江制圧もままならぬ状態で、織田、徳川共に健在。待っておる間に両者が更に勢力を伸ばしたなら、わしらの国力では到底太刀打ち出来なくなってしまうだろう。

 結局わしらには、この戦で信長か家康の首をあげるか、長篠城を落とすかどちらかの結果を出して帰るしか道は残されてはおらんかった。


 もう少し。もう少しなのだ。もう少しでわしらの戦力でも突撃できる戦力差になるのだ。

 戦力とは数ではない。兵卒一人一人の力量もおおいに関係してくる。

 天下では信長率いる尾張兵は天下最弱、家康めの三河兵がその三倍強く、わしら甲斐兵は尾張兵の五倍強いといわれておる。

 今までの彼奴らとの戦を鑑みるに実際その程度の力量差はあろう。これは決して自惚れではない。

 この数を基に戦力を出すと、彼奴らめが一万、足すことの六千掛けることの三では……、二万八千。

 わしらが一万六千掛けることの五では……、八万。

 もう少し。もう少しで攻城戦に必要だといわれておる五倍の戦力に到達するのだ。

 勿論城を攻めると言うても、長篠城ではない。彼奴らの陣地は馬防ぎに空堀、切り崖で完全防御された城塞と化しておるに決まっておる。更に鉄砲のお出迎えじゃ。彼奴らの本陣に突撃することは、攻城戦と同じことなのである。


 天幕が揺れた。

「酒井忠次率いる部隊四千とそれに従う尾張兵四千、敵本陣より出撃。おそらくは鳶ヶ巣砦へ向かうものと思われます」

 吉綱が報告を入れる。



     !



 二万八千引くことの四千掛けることの三、足すことの四千では……、一万二千!



 思わず陣太鼓まで駆け出しそうになったが、思い止まった。もし、吉綱が調略されているならば、酒井の出撃自体が嘘かもしれんのだ。

 わしはもう、吉綱を信じる道を選んだが、流石にここは慎重になるべきときであろう。

 月が妖しく輝いて、不吉な雰囲気を漂わせておるわ……。風が騒ぐ……。突撃を考えておるわしにとっての吉風か……、はたまた、凶風か……。









 鳶ヶ巣砦から吉綱の潔白を決定付ける報告が入ったのは、夜が明けて空が白みがかったときであった。

「陣代様、ご注進! 酒井忠次の率いる部隊、鳶ヶ巣砦に襲撃してまいりました! 何卒援軍を!」

 酒井からの襲撃を受けた鳶ヶ巣砦から援軍要請が来たのだ。

「わしらはこれより、敵本陣に突入する。故に援軍は出せぬ」

「そんな!」

 使者は、泣きそうな顔になった。たいした人数を残しておらん砦に八千もの敵兵が仕掛けてきたのだ。まあ、無理もなかろう。

「まあ聞け。敵本陣には家康と信長がおる。壊滅させれば、酒井とて引かん訳にはいかんだろう。わしらは絶対に勝てる。故に御主らはわしらが彼奴らを蹴っ散らかすまで何とか持ち堪えてくれ」

「畏まって候!」

 今のわしは余程自信に満ちた顔をしておるのかのう。使者は泣きそうだった顔を笑顔に変え、希望に満ちた表情で砦へと引き返していった。


 陣太鼓に駆け寄り、戦評定を召集する。鳴り響く太鼓の音に誘われ、諸将が集まってくる。

「鳶ヶ巣が酒井忠次により襲撃を受けた。これで吉綱の報告に嘘偽りが無いことははっきりしたと言えよう」

「鳶ヶ巣を救援するのですな?」

 やはりそう来たか。代々仲間意識の強い武田家じゃ、仲間の危機、捨て置けはしまい。それはわしとて同じなのだが、今回だけは……、

「いや、敵本陣に突撃する」

「いま何と……、申されました? 鳶ヶ巣が落ちれば逃げ道を塞がれることになるのですぞ!」

 流石は歴戦の猛者信春よ。状況を良く把握できておるようだな。

 それなのに何故把握できんのだ? 我々の戦力が敵本陣の戦力の五倍を超えたことを。

「本陣には信長と家康がおる。壊滅させれば酒井などただの落ち武者よ」

「相手は千の鉄砲で待伏せておるのですぞ!」

 そんなことは解っておるわ。だが、結局は隊列の一列めの徒武者しか撃ち倒すことはできん。

「何丁有ろうが同じことよ。弓とは違うて連射ができぬ。どのような手練れでも二発目までかなり時間がかかる。一発目を喰らった者には申し訳ないが、二発目を準備しておる間に馬防ぎを突破してしまえばよい」

「しかし……」

 済まん信春、これ以上は時間が惜しい。

 刀を抜いて天に翳す。そして天を仰いで、わしは叫んだ。

「これより我等武田軍は、織田信長、徳川家康に対して決戦を挑みまする!」

 そして、禁断の言葉を続ける。横では相変わらず信春がごちゃごちゃ言っておるが、そんなのは知ったことではない。

「御旗、盾無も御照覧あれ!」

 これは武田家に代々伝わる軍旗と鎧。いわゆる家宝だ。これらの前で当主或は陣代が誓えば、それを何人たりとも抵抗できない、家全体の方針とする風習が武田家にはあるのである。

 わしが御旗と盾無に誓うことによって、突撃は決定した。



「全軍、突撃!」



 決定通りの下知を下し、お館様より授かった軍配を振り下ろす。









 清井田から設楽郷へと駆け降りたわしらを待っておったのは……、明らかに三万はおるだろう大軍だった。千の銃口がわしらを狙う。



「何故じゃ……」



「ようこそ、勝頼殿」

 信長が不敵な笑みを浮かべて挨拶を始めた。

「嘘八百を並べ立てた報告なら虚を見抜くは易いが……、虚と実の入り混じった報告からは、なかなか虚を見抜くは難かったであろう……? あやつには援軍の数だけ偽ってもらったのよ」

 虚ろな気持ちを奮い立たせ、佐久間を探す。鉄砲隊最後尾。あれか? あの、わしらに向かってピッタリと鉄砲で狙っておるあの男……。あれが……、佐久間信盛なのか?

「立浪吉綱とか言うたか、あの忍。あやつは御主が諏訪の血を引いておるのがどうしても許せんのだとよ。諏訪の軍門に降るぐらいなら、わしの軍門に降ると申しておったわ!」

 信長めが魔王のごとき不適に不気味な笑みを浮かべ、誇らしげに語る。 ああ……、これが謀略の鬼……、第六天魔王織田信長なのか……。

「勝頼殿。わしはそなたはもっと出来る男と思うておったのだがな。最後まで気付けなんだようじゃのう、信盛の寝返りと鳶ヶ巣襲撃以外の報告が吉綱からしか入らなんだことに」



     !



 そうか。わしは無意識の内に、それを気にしておったのか……。

「あやつ以外の忍は皆あやつが片付けてしもうたわ!」

 何故……。吉綱……。そんなに諏訪が嫌いか……。



 あの言葉……、あの笑顔は……、嘘であったと申すのか……!



「うおおおおおおお!」


 視界がぼやけおる。わしは今、泣いておるのか……? そうか、これが……、



 慟哭というもんなのか……。



「陣代様、ご注進! 鳶ヶ巣砦、陥落!」


 フッ……、勝ち目も無ければ逃げ道も無し……か。

「全軍……、突撃ぃ!」

「撃ち方、撃て!」

 捨て鉢なわしの下知と落ち着いた信長の下知が戦場に交錯した。









 武田兵が馬防ぎに立ち往生したところに、信長がかき集めた鉄砲が火を噴く。この程度の不利は始めから覚悟しておった。



 だが……。



 織田の鉄砲隊は普通の鉄砲隊ではなかったのだ。

 緩い斜面の手前、中程、奥の三箇所に馬防ぎが立っており、その手前に空堀と切り崖、馬防ぎの奥には身隠しの土塁が築かれておる。鉄砲衆はこの土塁に隠れて撃つわけだ。

 ここまでならありふれた鉄砲隊の姿なのだが……、その隊列が普通ではなかった。

 信長は、鉄砲衆をやたら横長に並べ、その左側から一発めを、真ん中から二発目を、右側から三発目を、そして、その間に発射準備を整えた左側から間を置かず四発目を発砲するといった具合に連射をしてくるのだ。

 わしの勝算は、相手の戦力が一万二千相当であり、佐久間が寝返ったうえで、鉄砲の連射ができないという条件のもとに成り立っているもの。

 その全てが望めない今となっては……、万に一つの勝ち目も無い。



「ぅぉぉおおお……! 信長、覚悟ぉ!」

 捨て鉢になって信長に特攻しようとしたしたわしの前に、一人の鎧武者が立ち塞がった。信春だ。

 信春よ、かようなときまで邪魔立てするか。

「ええい、そこをどけ! わしは信長と刺し違えるのじゃぁ!」

 信春は無言でまだわしの行くてを塞いでおる。

「どけどけ! そこをどけと申しておるのが解らんか! どかねば……、このままおのれを馬で踏み潰すぞ!」

 そのとき、一発の銃弾がわしの甲を掠めた。

「馬上は目立ちまする。馬は降りたほうが良うございますな」

 わしの前に立ち塞がってから初めて信春が口を利いた。

 納得し、馬を降りる。騎馬武者から徒武者に変わっても、信長と刺し違えるつもりに変わりは無い。刀を抜き、横に構えて駆け出そうとした先には、まだ信春がいた。

「おまえから……、刺されたいのか……?」

「落ち着け勝頼ぃ!」

 信春が言い終えるや否や、わしの甲を平手打ちが捉える。これが歴戦の猛者の力というものなのだろうか、甲越しであるにも拘わらず、左頬を衝撃が貫く。

「ここで捨て鉢にならねばならんのはおまえではなく、おまえが【諏訪四郎勝頼】じゃったことが心から気に食わん、わしらお家衆であろうが!」



 信春……まさか御主……。



「……、陣代様は某が命に代えても逃がして見せまする故、只々御自分が、無事甲斐まで逃げおおせることのみを考えてくださりませ!」

「御主……、わしのために死んでくれると申すのか……」

「勘違い召されるな陣代様。決して陣代様のためではござりませぬ。長年仕えてきたお館様のため、ひいては……、武田家のためでござる」

 信春は涙目で答えた。わしの目も涙目になっておった。まあわしの目は友の裏切りを知って以降、ずっと涙目なのだが。

「行かれよ!」

 信春がわしを突き飛ばす。済まぬ、信春。わしがもっと真剣に御主の言うことを聞いておれば……。



   真に済まぬ



 わしは、甲斐に向かって駆けた。












 このあと勝頼は無事に甲斐まで逃げ延びているが、武田軍はこの戦で一万人もの戦死者を出し、完敗に至った。


 この戦で、澱を買って出た馬場信春を始め、歴戦の猛者を多数失ったことが響いて武田家はこの後大きく衰退し、滅亡への道を歩むこととなる。


 そこには、こんな時代だからこそ友を疑い、それでも信じようと努力し、そして……、信じてしまったが故の苦悩があったのである。




    〈了〉

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