第七話 新たな友人
ハルが王立ヘルシオン操縦士学校に最初に編入学したのは、初級クラスであった。
このクラスの生徒は、既に半年前から航空力学の基礎とモータービートルの基礎操縦を学んでいた。
中には、昇級試験に落第して、この授業を受講するのが何度目かの生徒も数人いるようだが……。
ハルが編入して一日経ったこの日、丁度このモータービートルの操縦において応用とも言える実地訓練に入るところであった。
場所は、ナイトバード島内にある、木々生い茂る森の中だ。
「モータービートルとは言え、この実地訓練は、非常に難易度の高いものである。気を抜けば、大怪我をし兼ねないということを、しっかりと頭に叩き込んでおくように!」
スタンリー教官は、初級クラスの生徒を脅すようにそう言った。
このスタンリー教官は、主にモータービートルの基礎操縦と応用の実地訓練を専門とする四十代そこそこの細面の人物で、やや厳しそうな教官だった。
学校生達は皆、黙ってスタンリー教官の説明を聞いている。
「君達はこれまで、周囲に何も無い広く開けた原っぱでモータービートルの基礎操縦を学んできた訳だが、場合によっては周囲をこのように木や建物で囲まれた状態で操縦するときもあるだろう」
スタンリー教官は、周囲の木々をぐるりと見回した。
「特に、こうした木々が生い茂る場所、もしくは建物の密集する低空での飛行は、より困難を窮める」
そう言って、近くにあった一人乗り用モータービートルの一機に教官は乗り込んだ。
訓練用のもので、ボディーには目立つ赤色でNo.1と大きく記されている。
この他にも、同じようにボディーにナンバーが記されたモータービートルが生徒1人に1台準備されているようだ。
「そこで重要なのは、俊敏且つ確実なレバー操作と、ペダルスイッチによるスピード操作である」
ハルの隣では、一生懸命に教官の言ったことをメモ帳にメモをとる眼鏡の少年の姿があった。
スタンリー教授が訓練用モータービートルのエンジンをかけたことで、羽部分が間もなくけたたましい音を立て、せわしなくはためき始めた。
そして、スタンリー教官がペダルスイッチをオンに切り替えたことで、モータービートルの機体がゆっくりと前進を始める。
「慣れるまではこの速さで練習するのが良かろう。レバー操作のタイミングが掴めてくれば、このように徐々にスピードを速めていくと良い」
音に負けじと、教官は声を張り上げた。
少しずつスピードを上げ、スタンリー教官の操縦する訓練用モータービートルは、生い茂る木の合間をすいすいと通り抜け、飛び回る。
その見事な操縦技術、生徒達から思わぬ拍手が起こった。
「モータービートルでこんなことができたんだ!」
目を輝かせ、ハルはモータービートルを静かに着地させたスタンリー教官を見つめた。
「では、それぞれの割り当てられたモータービートルで、思うように訓練を始めること。但し、モータービートル同士のクラッシュや木との接触には十分に気をつけるように!」
ハルはわくわくしながら、ひょいと割り当てられたモータービートルに飛び乗った。
その近くで眼鏡の少年があたふたと自分のモータービートルを探している。
先程から、教官の言っていることを一字一句逃さずにメモしていた少年だ。
「ねえ、君のモータービートルってそれじゃない?」
ハルはエンジンをかける前に、見兼ねて声をかけた。
すると、顔を真っ赤にして眼鏡の少年は一瞬飛び上がる。
「ぼくはハル・シュトーレン。君は?」
「フ、フラン……。フラン・ベル」
戸惑った表情でハルを見返し、フランは赤い顔のまま自らのモータービートルによじ登った。
この様子だと、相当この訓練の前から緊張していたのだろう。
「よろしく! フラン」
「あ、ああ……」
ハルは、何気なく声をかけたつもりだったが、当の本人はどうやらそれどころではなかったらしい。
視線の合わないまま、フランはあたふたと不慣れな手つきでモータービートルのエンジンをかける。
「おい君! もう少し慎重にレバーを操作なさい! 今にも木枝に羽が当たりそうだ!」
少し離れたところで、スタンリー教官が学校生達の危なげな操縦に、思わず声を上げている。
既に、他の学生達は各自練習を開始していた。
木枝に頭をぶつけ、悲鳴を上げる者。
羽が幹に引っ掛かり、クラッシュしてモータービートルごと引っくり返る者。
速度を最低に落としていることで、軽い怪我でこそ済んでいるが、これにスピードがついていたなら、かすり傷や打撲程度ではきっと済まない筈だ。
そんな中、
「ええと……」
危なっかしい手つきでフランがエンジンをようやくかけたのを見て、ハルも愛用の大きすぎるゴーグルを装着し、モータービートルのエンジンをかける。
「ま、まずはペ、ペダルスイッチを……」
手元のメモに何度も視線を落としながら、フランがおそるおそるペダルスイッチに足をのせた。
『ビイイイイイイイイイイイイイイン』
途端、勢いよくフランのモータービートルが発信する。
「フラン・ベル君!! スピードを出しすぎだ!! すぐに落としなさい!!」
驚いて、慌ててスタンリー教官が声を荒げた。
明らかに練習用のスピードを越すモータービートルの動きに、学校生達がざわざわとフラン・ベルのモータービートルに目を向ける。
「うわあああああああああああっ」
既にパニックになっているフランは、悲鳴を上げた。
「フラン・ベル君!! 聞こえんのか!? スピードを今すぐ落としなさい!!」
教官は、ますます大きな声で叫ぶが、パニックに陥ったフランには、もうスピードを落とす為の手順は頭から吹き飛んでしまっている。
「ど、どうやって!!?? ああああああああああっ」
物凄い速さで飛び回るモータービートルは、学校生達のモータービートルのすぐ近くを掠め、木の枝を折り進んでゆく。
「危ない!! もういい!! エンジンを切りなさい!!」
教官は必死になって叫ぶが、そんな声も耳に届かない程、フランは顔面蒼白になり、ますますレバーをめちゃくちゃに動かし始める。
学校生達も青くなり、すぐにモータービトルから飛び降り、地面に腹ばいになった。
もういつ誰が巻き込まれてもおかしくはない。
「うああああああああっ、誰か、止めて~~~~~~!!!」
「フラン君!!」
慌てた教官は、まずは他の生徒をどうやって無事にここから離れさせるかを咄嗟に考えた。
フランの救出はその後に……と。
そんなとき、ハルは乗っていた訓練用モータービートルのレバーをぐっと握り締め、ふわっとそのボディーを浮き上がらせた。
「待ってて! すぐ助けるから!!」
浮き上がったハルの訓練用モータービートルに気付き、スタンリー教官が青くなって叫ぶ。
「ハル・シュトーレン君! 一体何をする気かね!? すぐに降りて来なさい!!」
教官の静止を聞かずに、ハルは答えた。
「大丈夫です! でもごめんなさい、一機ダメにしちゃうかもしれません!!」
ハルはレバーを引き上げ、絶妙な操作で茂る木々の枝をすいすいとすり抜け、あっという間に訓練場の真上にモータービートルのボディーを浮上させた。
そして、上から物凄い速さでめちゃくちゃに飛び回るフランのモータービートルの姿をじっと目で捕らえると、ハルは両脇に通しているシートベルトを取り葉外し始めた。
上空で何かしようとしているハルに勘付いた教官は、
「ハル・シュトーレン君!! 空中での状態維持は、上級者でも神経を使うものだ! そんな状態で一体何をする気だ!!」
とハルに呼びかけた。
スタンリー教授の慌てぶりに、生徒達も真っ青になってそんな状況を見守っている。
「うああああああああああっ、もう、もうダメだああああああ!!」
未だ物凄いスピードで暴走を続けるフランのモータービートルが無傷なのはまさに奇跡でしかなかった。
だが、そんな奇跡はもう長くは持たない。
数秒後には木にぶつかって大破するかもしれず、ひょっとしたら誰か他の生徒にぶつかって死傷事故を引き起こす可能性もあった。
「待ってて、フラン」
ハルはじっと目を凝らし、フランの機体が自らの操縦する機体のすぐ真下へ来る瞬間を待った。
(よし! 今だ!!)
ハルは掴んでいたレバーを突き放し、迷うことなく操縦席から飛び出した。
「危ない!!」
教授が絶望した声で叫ぶ。
誰もが思わず目を閉じた。
そして、きっと目の前にハルの無残な姿がそこにあるはずだと恐怖で固まっていた。
『ズガガガガガガガガガガガガガ』
1機のモータービートルが落下し、木々を殴り倒しながら落下する音が辺りに響く。
「おお……、まさかこんな……」
教授が、取り返しのつかない死傷事故を引き起こしてしまったと愕然として頭を抱え込んだ瞬間、学生達の驚きの声が上がった。
ハルは、なんとフランのモータービートルの真上に見事着地し、ボディーにしがみ付いていたのだ。
しかもそんな状態でありながら、フランの代わりに操縦レバーまで握っている。
「やあ、フラン。無事かい?」
白い歯を見せて笑うハルに、フランが口をパクパクさせる。
「き、君……、一体どうやって……?」
今は、さすがに落ち着いてフランの質問に答えられる状態にないハルは、
「ごめん、フラン。悪いけど、ここからじゃペダルスイッチに手が届かないんだ。たぶん今、全快になっていると思うんだけど。僕がレバーを操作するから、君は落ち着いてペダルスイッチの切り換えをしてくれる? ゆっくり速度を落としてけばいいから」
とだけアドバイスした。
こくこくと頷くと、フランは震える足で、一回、二回とペダルスイッチを確実に切り換えてゆく。
「そうそう、上手い上手い」
今にもモータービートルから振り落とされそうな体勢にも関わらず、ハルは木々を上手にかわしてゆく。
最後のペダルスイッチの切り換えを終えたとき、ハルはレバーをゆっくりと引き下げ、そっと静かに地面にモータービートルを着地させた。
「…………」
眼鏡がずり下がった状態で、フランはぐったりと操縦席にもたれ掛かる。
「ふう。間に合ってよかった」
周囲から、次々と他の学校生達の拍手が起こる。
少し離れたところに、ハルの訓練用モータービートルが煙を上げて横転している。
上空で、無人になったせいで、そのまま転落してしまったのだろう。
ハルは飛び降りる直前に、他の生徒のいる場所に落下しないように、操縦レバーの向きを咄嗟に変えて置いたのだ。
そのおかげで、幸いモータービートルは生徒の誰にも直撃することなく済んだようだ。
「二人共、無事かね!?」
青い顔で慌てて駆け寄る教官に、ハルは頭を下げた。
「すみません……。一機ダメにしちゃいました……」
がっくりと肩を落としたハルの肩に、スタンリー教授はぽんと手を置く。
「本当に、無事で良かった……。だが、あまりに危険で無謀な行為だ。下手すれば命を失っていたかもしれん……。勇敢な行動は評価に値するが、命を粗末にするのとはまた意味合いが違うぞ? そのことをよく考えてから、君は行動すべきだね」
労わるように、けれど諭すように、教官はハルにそう言った。
「はい……。すみませんでした」
ハルはまたがっくりと肩を落とす。
厳しい面持ちではあるが、スタンリー教官は決してハルの行動を叱り飛ばすことはしなかった。
それは、ハルの勇敢な行動のおかげで、ここにいるフランをはじめ、多くの生徒の安全が守られたことは明らかだったからだ。
そして、教官はこうも続けた。
「……が、ハル・シュトーレン君。見事な腕前であった。例外ではあるが、君の昇級試験から、このモータービートルの応用試験は免除しておくとしよう。」
きょとんとした顔をしているハルに、眼鏡がずり下がったままのフランは、まだ青い顔でハルに手を差し出した。
「助けてくれて、ありがとう……。君は命の恩人だよ」
こうして、ハルにまた新しい友人ができたのだった。
それと同時に、操縦士学校での学びには、想像以上の危険が存在するということに、うっかり気付いてしまったのだった。