第六話 王立ヘルシオン操縦士学校
”王立ヘルシオン操縦士学校” は、ヘルシオン王国が所有するナイトブルー島という、小さな人工島の上に設立されていた。
そこは、ヘルシオン王国の未来の優秀なパイロットや航空機開発の技術者を育成することを目的とした由緒ある学校で、主に十三歳から十七歳までの子ども達が、航空学に励み、飛行技術を磨いている。
そんな学校に、ハルはヘルシオン国王の計らいで編入学が決まった。
それは、まさに異例の措置であった。
ハルは今、スピッツバード港とナイトブルー島を結ぶ定期便の飛行船の窓から、青く広がる空を見渡していた。
ハルがスピッツバード島をこんなにも離れたのは、生まれて初めてのこと。
ハルは、このスピッツバード島の街外れの丘の上でずっと祖父と暮らしていた。
祖父は小さな修理工場を営み、ハルはそんな祖父が大好きだった。
客から依頼を受けたモーターバードやモータービートルを祖父と一緒に修理することも大好きだった……。
ハルは、ふと、故郷の島でこの飛行船に乗り込むときのことを思い出す。
その時、既に、ハルの相棒エアリエルは飛行船の中に積み込まれた後で、後はハルが手持ちの古びたバッグ一つだけを持って、飛行船に乗り込むだけだった。
「ハル、いってらっしゃい」
乗り込み用の簡易階段を上ろうとするハルに、見送りに来ていたマリアンが、少し淋しさを滲ませた笑顔で手を振る。
「いいパイロットになって帰って来いよ!」
丸顔のパン屋の主人は、わざわざハルの見送りの為に、店を臨時休業にしてきたと話していた。
そんな彼にとっては、小さい頃からよく知っている修理工場のハルが、こうしてヘルシオン国王の目に留まり、立派に王立ヘルシオン操縦士学校へ旅立っていく姿は本当に誇らしいことだったのかもしれない。
「うん、行ってくる!」
元気よく振り返ったハルの目に、この二人以外にもたくさんの街の人たちが見送りに来てくれている姿が映った。
みんな、祖父の修理工場に足を運んでくれた人たちばかりだ。
中には、街でよく見かけた子ども達もいる。
街の人達は、この小さなスピッツバード島から将来有望な少年が現れたことを、心から喜んでいるようだった。
そして、そんなハルを心から応援してくれていた。
ハルはそのことに深く感謝し、そして故郷の風を思いきり吸い込んだ。
(しばらくは、この街に戻って来られないだろうな……)
なんとなくそんな気がして、次に戻ってきたときには祖父のように立派な男になって戻って来ようと、ハルはそう決意したのだ。
出発前に感じたことを思い出しながら、ハルは大好きな故郷を離れることに、少し淋しさを感じていた。
けれど、それ以上にハルはこれからの生活に胸をときめかせてもいた。
一度も学校というものに通ったことのないハルにとって、これから向かう先は正に未知の世界であり、希望に満ち溢れたものだったのだ。
『ナイトブルー島行きの本飛行船にご乗船いただいております、皆様にお知らせ致します。あと数分で、ナイトブルー島へ着陸致します。お席をお立ちのお客様は、指定の席にお戻りの後、もうしばらくお待ち下さい』
と、船内にアナウンスが流れる。
いよいよ、ナイトブルー島への到着の時が近付いていた。
飛行船の窓から島を見下ろすと、スピッツバード島よりは遙かに小さいが、青く光り輝く人工島が見え、小高い山の上には赤い大きな建物が見えた。
周囲は広い芝生に覆われ、巨大な湖。その奥には木々が生い茂る森まで広がっている。
けれど、そのどれもこれもが、生徒達の訓練の為の場所のようだ。
開けた広い芝生の上では、多くのモータ―バードが飛行訓練を行なっているのが見える。
「すごい……」
ハルはすっかり興奮した様子で、目を輝かせながら飛行船が着陸するまでずっと、飛び交う学生達の飛行訓練を見つめていた。
気付いたときには、飛行船はナイトブルー島に到着していた。
ハル以外の乗客はまばらで、何人かはこの学校の制服を着ていた。
何かの用事でスピッツバード島に出ていたのか、それとも帰郷していたのか。
兎に角、もう入学から半年も経ったこんな中途半端な時期にこの学校に入学する人間なんて、ハル以外にはどこにもいない訳で……。
あとは、教職員やこの学校で働く従業員らしき人が数名乗船していたくらいだった。
ハルが少し緊張しながら、古びた鞄片手に飛行船の出口の簡易階段を下り切ったところで、
「ハル!」
っという、聞き覚えのある声が耳に入ってくる。
きょとんとした顔でその声の主を探すと、そこには彼がいた。
ゾイ・ボルマン。
スピッツバード世界大会で知り合った十六歳の天才少年である。
白に紺のラインが入ったブレザーに、胸にはヘルシオン王国の象徴である伝説の
鳥、風鳥のマークが刺繍されている。
「ゾイ!!」
驚き、ハルは駆け出した。
ゾイはここまでわざわざ走って駆けつけてくれたのだろうか、僅かに息が上がり、肩が上下している。
「君がうちの学校に編入してくると聞いて、驚いたよ!」
ハルも驚いていた。まさか、もう二度と会うことはないだろうと思っていた彼と、こんなところで再開できるとは。
「うん。ぼくもびっくりしてる!」
興奮気味にそう言ったハルに、ゾイが右手を差し出した。
「ようこそ、王立ヘルシオン操縦士学校へ! 君を歓迎するよ、ハル・シュトーレン」
ハルは、迷わずその手を取り、強く握り返した。
「ありがとう!」
ハルは予感していた。
この先、どうやら素敵な学校生活が待っているだろうことを……!
けれど、忘れてはいけないこの男……。
空賊船ビアンカ号の船長。
彼はもの凄く機嫌が悪い。それもすこぶる悪い。
誰もがご機嫌斜めな船長レオに、びくつきながら甲板の掃除に精を出していた。
というよりも、気に障らないようにその振りをしていると言った方が良いかもしれない。
「えらくご機嫌斜めだな」
ラミロは苦笑を浮かべ、レオに話しかけた。
と、鋭い目つきでレオがラミロを睨み据える。
「そんなにあのオチビさんを連れて来られなかったことに苛立ってるのか?」
あの世界大会レース直後、ハル・シュトーレンが優勝、アレン・パーカーが準優勝と結果が出てすぐ、確かにラミロは三〇ビベルをレオに差し出した。
が……。レオがその目をつけたハル・シュトーレン少年を仲間に引き込もうとした目論見は見事失敗。
なんと、表彰式でどういう訳か彼が年齢を偽ったことで失格となったのだ。
結果、どういうことが起こったかと言うと、レオにとっては悲惨なことばかりだった。
まず一つ目に、対象のハル・シュトーレンが会場から逃げるようにして姿を消してしまったこと。
そして二つ目は、結果的にラミロのアレン・パーカーが優勝するという予想が順位繰り上げで当たってしまい、レオは逆にラミロに三〇ビベル支払わねばならなくなった訳だ。
その後はもう知っての通り。レオはこの状況を作り出したひょろい金貸しをこてんぱんに痛めつけた。
「うっせぇ。お前、俺の三〇ビベルをどうした」
昼間っからビール瓶を片手に、レオが不機嫌に木箱の上に腰掛ける。
「そりゃ、飲んで、食って、好きなもん買って?」
遠慮の欠片もなく、ラミロは正直にその使い道を教える。
「けっ! チャチな使い方しやがって。お前は金の使い方がなっちゃいねぇ。女の抱き方も知らねぇのか、馬鹿が」
ラミロは気にした様子もなく、にやっと笑い、
「余計なお世話だ」
とだけ言った。
「お前、また一風変わった部品でも手に入れたんだろう? この改造オタクが」
ラミロがこんなにやけた顔をするときは、決まってそうだ。
ラミロは基本的に女などには興味は無い。彼はいつだって、モーターバードの改造にお熱を上げている。
そうしている間にも、とばっちりを受けないように、他の部下達は皆レオから目線をわざと外して、そそくさと掃除をする振りをしている。
不機嫌な船長レオにこうして話し掛けられるのは、この飛行船でラミロと船医の二人位だ。
「でも、残念だったよな。あのオチビさん。あの操縦の腕はなかなかのもんだったからな」
ラミロのそんな言葉を聞きながら、レオはぐいとビールをあおる。
「誰が諦めるなんつった? 俺は手に入れると決めたもんは必ず手に入れる男だ。それはラミロ、お前がよく知ってるだろう?」
ラミロは苦笑を洩らした。
「そうだったな」