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第五話 優勝者


ハルたちが、レースの終盤に差し掛かる少し前のこと……。


皆がレースに夢中になる最中、怪しげな黒ずくめの大男達が、観戦用飛行船の裏ハッチから3機の蜂そっくりの型をしたモータービートルに乗り込み、ハッチから密かに出ていくのだった。




『ビイイイイイイイイイン』


レース中にハッチから羽音が響き渡り、裏デッキでのんびりと観戦を楽しんでいたラミロとレオがそれに勘付き、柵ごしにぼんやりとそれを眺めていた。


「あいつら、三人揃って一体何しに行くんだ?」


「さてな」


ラミロが小首を傾げ、レオはちょうど三本目のビールを瓶ごと呷るところだった。


僅かに口元から零れた滴を袖口で拭い、レオは再び観戦に意識を戻す。


「見ろ、まだまだ勝負はわかんないぞ。あのキザ男が追いついた!」


ちょうどアレンのモーターバードが、ゾイとハルの前につけたところをラミロが指差す。


「けっ、見てろ。今にあのチビがぶっち切るぜ。そうすりゃお前の三〇ビベルはオレの懐だ」


にやつきながら、レオはゴロンと空になったビールの空き瓶を後ろへ転がす。


「船長のその自信は一体どこから湧いてくんのかねぇ……」


呆れ顔でラミロは何気なくハッチから出ていった男達の方を見つめた。


「……ん……?」


ラミロは一瞬見間違えでもしたのかと思い、自らの目をごしごしとこすってみるが、どうもそれは勘違いではないらしい。


男達が、何やらコースに細工をしている模様。


今度は双眼鏡を手にとって、じっくりそれを覗き込む。


「馬鹿どもが、なんか小細工してるみただぞ」


「放っておけ。ちゃちな小細工で負ける位なら、最初からそんだけの能力しかねぇってだけのこった」


それ程気にも留めた様子もなく、レオがそう言うので、ラミロもなるほど、と納得したように頷くと、ラミロは双眼鏡をコースを翔ける三機に向け、再び観戦を始めた。






まさか、誰もレース中に外部の者の手によって、そんな細工がされているなんてことを知る由もなく……。


三機のレースはいよいよ終盤に差し掛かり、コーナーの大サイズのサークルを潜り抜ける直前であった。


『いよいよレースも終盤です!! あと少しで最後のサークルです。これを抜ければ、後は直線コース!! 三機のスピード勝負です!! 一体誰の手に栄冠が輝くのでしょうか!?』


興奮した声で、レースの解説者が叫ぶ。


約束通り、アレンがハルとゾイのモーターバードのすぐ横にぴたりと機体をつけ、スピードを揃える。


そして、些か大きすぎる翼を瞬時にパタンと閉じ、サークルを潜る準備を整えた。


『こ~~れは!! とうとう三機が横並びになりました。このままサークルを同時に潜り抜けるつもりでしょうか!?』



三機は半回転し、翼の向きが全て揃う。


アレン、ゾイ、ハルのモーターバードの順にちょうど三機が全て背中合わせになるような形をとった。


少しでも操縦を誤れば、クラッシュして全滅しかねない危険な体勢とも言える。



『すごい!! 嘗て、こんなに息の合ったレースが存在したでしょうか!?』



観客達は皆、固唾を呑んでレースの行く末を見守っている。



三機がサークルを潜り抜ける瞬間、アレンは閉じていた翼を再び開いた。


ゾイは、足元のペダルスイッチを財大出力に踏み換え、蒸気エンジンを全快に作動させる。


そしてハルは、ゾイと同様ペダルスイッチを勢いよく切り替え、更に両レバーのサイドについている赤い小さなボタンを同時に押す手筈だった。


直後、アレンの青と白の機体は翼を物凄い速さで羽ばたかせ、グンと飛び出した。


それと同時、ゾイの縦じまの機体は、残しておいた蒸気を一気に噴射させ、飛び出す。


「エアリエル! 行くぞ!!」


が、どういう訳か、アレンとゾイと同時にサークルから飛び出す筈のハルの機体は、何かに邪魔されたようにぐんと後方に引き戻される。


「え!?」


はっと目をこらせば、半透明の網のようなものがハルのエアリエルのどこかに引っ掛かっている。


誰もこの網の存在に気付いてはいない。



『どうした、ハル・シュトーレン! 急にサークルの真ん中で空中静止を始めました!! 何かの計画でしょうか!? しかし、二機はどんどん離れていきます!!』


ハルは強引に全パワーで前進を試みるが、網に引っ掛かった魚のように、網に後方に引き戻され、進むことができない。



「これは……」


短時間の間に、操縦席で冷静に原因を探る。


網は、どうやら着地用の足に引っ掛かっているらしい。



(どうしようか……。でも、これをなんとかしなきゃ……)


ぐっと唇を噛み、ハルはそっとエアリエルの翼に手を伸ばす。


「ごめんよ、エアリエル。ちょっと痛いかもしれない……! でも、後でちゃんと僕が直してあげるから……」


レバーをぐんと下に引き下げ、ハルは一気に斜め下へ向けてボディーを落下さ

せた。


「頑張って、エアリエルっ」


勢いよく落下したエアリエルの機体は、ぶらりとサークルに引っ掛かるような形で逆さを向いてしまう。


しかしその足には未だ網が引っ掛かったままだ。



『な、なんだ、一体どうした!? ハル・シュトーレンのモーターバードがサークルからぶら下がっています!! なにか……、そう、何か足の部分に引っ掛かっているようです!!』


ハルは逆さを向いたまま、一旦エンジンを完全に停止させた。


「いくよ」


勢いよくエンジンをかけたと同時、ペダルスイッチをダダダと踏み換え、最高

スピード十二段階に設定。


そして両レバーの赤い小さなスイッチを同時に押す。


巨大な風が起こり、ハルの機体は勢いよく真下へ発信した。



『メキメキメキメキ』



網に引っ掛かっていた着地用の足がもげ、網から解放されたハルの機体は物凄い速さで真っ逆さまに落下していゆく。



「いっけぇえええ!!」


下げていたレバーを一気に引き上げ、エアリエルは急降下したツバメが再び空へ舞い上がるかのような動きを見せた。


エアリエルの翔けた後ろには、強い風が巻き起こり、近くを飛び回っている中継用のモータービートルは、強風で何機も後方に吹き飛ばされかける。


『す、すごい風です!! しかしあの窮地をなんとか脱した模様です!! それにしてもハル・シュトーレンのモーターバードは……、まさに大空を悠々と翔け抜ける白きツバメのようです……。不謹慎にも、わたくしビーブスは、思わず見とれてしまいました……』 


小さな白いボディーは、後方から巻き起こる凄まじい程の風で目にも留まらぬ速さで翔ける。


離されていたアレンとゾイの機体が徐々に近付いてくる。


『ハル・シュトーレンの物凄い追い上げです!! 間に合うか!? いや、ゴールがもう目前です!! 間に合わないのか!?』


ゴールまで僅か数十カリアの距離。


アレンのエンジンは、既に限界が近付き煙を巻き上げている。


ゾイの蒸気も、もう底をつく寸前である。


ゴールまで、一〇カリア。



「あと少し!!」



二機と近くなる距離。



『ああ! もう見ていられない!!』



ゴールまであと五カリア。


四カリア。


三カリア。


二カリア……。



とうとう三機が並ぶ。






『わああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!』






凄まじい程の歓声が上から下からと巻き起こり、拍手の嵐が舞い降りる。



『やりましたー!!! ハル・シュトーレンが驚異の追い上げ!! 見事優勝を勝ち取りましたー!!!』


そのまま一旦ゴールを通り過ぎた三機だが、しばらくいったところで速度を落

とし旋回し、島の着陸地に舞い降りた。



『いや~~、実に見事なレースでした。こんなに興奮したレースは何年ぶりでしょう。皆様、見事にコースを翔けきったレーサー達に、もう一度大きな拍手を!!』



喝采の鳴り止まない中、ハルは足のなくなったエアリエルで、見事軽やかに胴体着地をやり遂げた。


近くに着地した二機のモーターバードの操縦席から、アレンとゾイが降りてきた。


アレンの機体は焼けてしまったエンジンが煙を吐いている。


「エアリエル、やったね」


微笑みながら、慈しむようにハルはエアリエルのボディーを優しく擦った。



「ハル・シュトーレン君。いいレースだったよ」


レース中は操縦席からの座った姿しか見ていなかったけれど、このすらりとした身長の男が、アレン・パーカーだということが分かって、慌ててハルは操縦席から飛び降りた。


そして、アレンの差し出した手を握り返す。



「君」


不意に視線を感じ、ハルはそっと目線をそちらに向けた。


すぐ近くで腕組みしながらじっとハルを見つめる少年がゾイだと知り、ハルははっとしてゴーグルを外す。


「僕はゾイ・ボルマン。正直、どこの航空学校にも通っていない君に負けるなんて、とても悔しいよ」


ゴーグルの下から出てきたゾイの顔は、少年の割にとても大人びていた。


「だけど、完敗だ。君は僕の常識を遙かに超えた飛び方をした。これで僕もまだまだ勉強不足だということがよく分かった気がする。次は全体に負けないからな、ハル・シュトーレン」


ゾイの差し出した手を握り、ハルは白い歯を見せて笑った。


「とっても楽しかったよ。また勝負しようね」


二人が握手を交わしたところで、パシパシと眩しいフラッシュに囲まれ、3人は目を瞬かせた。



「優勝の感想はいかがですか、ハル・シュトーレン君!」


記者に突然マイクを差し出され、呆気にとられるハルの顔が大画面に映し出されている。


「おい、まだ表彰式も終えていないんだ。質問はまだ控えてくれないか」


まるで大人が言うようなセリフを吐き捨て、ゾイは自分より小柄なハルの手を掴み、つかつかと歩き出した。


「へっ?? どこ行くの、ゾイ?」


「表彰式だよ」


ゾイは口元に笑みを浮かべ、はっきりとそう言った。







さて、観戦用飛行船の裏デッキでは、無名のハル・シュトーレン少年が優勝したのを目にしたラミロが、


「ええ!!?? まじかよっ」


と、驚きと落胆の声をあげていた。


「ほれ、出しな、三〇ビベル」


にやつきながらレオがラミロに右手を差し出す。


「ちぇっ」


と、唇を尖らせながら、ラミロは懐の皮財布から三〇ビベルの札束を取り出しレオに手渡した。


「だからいつも言ってんだろが。お前の読みは優れてるが、いつも模範解答すぎんだってよ」


レオはほれ見ろ、とでも言いたげな顔で、ラミロに説教を垂れる。


「なんでかな、いつも船長に勝てやしない」


すっかり落胆した様子で、ラミロはがっくりと肩を落とした。


「俺は生まれも育ちも野良だ。お前より読みが優れてなきゃ、今頃海の底で魚の餌にでもなってるつうの」


レオはラミロから受け取った札束をぽいと宙に放り投げ、見事キャッチして乱れた服の懐にそれを乱雑に仕舞う。


「俺もまだまだってことだな」


ラミロは気分を切り換える為に、大きく一つ伸びをした。


「まあ、ラミロ。お前の読みも満更じゃねえ。この俺が選んだ人材だ」


ちらりと地上に映し出されている大画面に視線を落とし、レオはふいとその場から立ち上がった。


「へ?」


大画面には、ちょうどゴールの瞬間がコマ送りで流されているところである。


ゴール寸前、ハルの白い機体が僅かに二機を追い抜き、続いてアレンとゾイの2機がほぼ同時にゴール。


もう一度コマ送り再生されたとき、僅か〇コンマ数秒の差でアレンの青と白の機体の頭がゴール線である赤い光線に触れているところで静止された。


「あのキザ男は二位か……」


勝敗差はほんの僅かだったことを知り、ラミロは悔しいような、同時に少し自分の勘に自信が持てた妙な気持ちになった。


ぽりぽりと頭を掻き、立ち上がったレオに気付き、ラミロは声をかけた。


「船長、どこ行くんだよ?」


「ちょっくら冷やかしにな」







ハル、ゾイ、アレンの三人は、スピッツバード島の陸地に設置された舞台に誘導され、表彰台に上がっていた。


その舞台の前は恐ろしい程の人々で埋め尽くされ、じっと三人を拍手と歓声で祝福していた。


「やりやがった!! ハルのやつ、やりあがったぞ!!」


パン屋の主人を中心とした、ハルを知る街の人々は泣いて歓声を上げている。


一方、アレンのファンの娘達は、優勝を惜しくも手に入れられなかったアレンに対する同情の涙を流し、咽び泣いていた。


アレンは、ファンに向かっていかにも自分は悲劇のヒーローだ。とでもいうように、悲しそうな顔をして言った。ちゃっかりとマイクを手にして。


「どうか泣かないでくれ! このレースはまさに最高のものだった。優勝は譲ってしまったけれど、このレースは生涯オレにとってかけがえの無い経験を自身に与えてくれた!!」

ファンの娘達が泣きながら、アレンのトレードマークである青と白の小さな旗をぱたぱたと頭上で振り、精一杯のメッセージを送る。


そんなアレンの様子に知ってか知らずか、司会者が淡々とした口調で進めていく。


「ただ今から、スピッツバード世界大会の表彰式を開会致します」


さっきまであれ程騒がしかった会場が、しんと静まり返った。


「今年は入賞者に、ヘルシオン国王陛下自らが、特別に賞をお与えになられることとなりました」


司会者の説明を聞いた途端、静まり返っていた会場がざわめき始める。


一人の観客が空を指差す。


「見ろ!! あれ!!」


銀に輝く五人乗り用のモータービートルが空から舞い降りてくるのが見えた。


「こ、国王陛下だ……!!」


舞い降りたモータービートルからは、SPとともに煌びやかな衣に身を包む国王が降り立った。


国王は少しカールがかった茶味の髪と立派な口髭を靡かせ、うっすらと微笑みを浮かべながら観客に手を振る。


先月五十歳を迎えたこのヘルシオン王国の国王は、即位三十年目のベテラン国王であった。


そして何より、温和な性格から、国民からもよく愛されている。



「ヘルシオン王国、ならびに他国の民よ。本日は、我国主催のこのレースを楽しんでくれたであろうか?」


国王は、よく通る低い声で会場に呼びかけた。


その直後、大喝采が起こり、国王は貯えた立派な髭を満足気に一撫でする。


「さて、入賞者諸君。実に素晴らしいレースであった。これほどに心を掻き立てられるレースは久しぶりであったぞ。出しゃばりは良くないとは思ったが、これ程のレースを見せてくれた諸君には、やはり直接礼を申したかった」


国王はSPに付き添われ、壇上へ上がった。


ハル、ゾイ、アレンの三人は表彰台から降りて頭を垂れた。


「3位入賞者、ゾイ・ボルマン」


ゾイが顔を上げる。


「そなたの知能と操縦技術は我国の誇りだ。これからも学を惜しまずその能力を磨いてくれ」


国王は小さな銅色の小箱をゾイに手渡した。


ゾイは、深々とお辞儀をし、有難くそれを受け取る。


「続いては……準優勝者、アレン・パーカー」


アレンは優雅にお辞儀をしてから顔を上げる。


「そなたは昨年に続き、素晴らしいレースを見せてくれた。そなたの白鳥の舞は誰もを魅了する。来年も期待しているぞ」


国王に銀色の小箱を受け取り、アレンは再び大きくお辞儀をしてみせた。ついでのファンサービスの投げキッスも忘れない。


「そして、今大会の優勝者、ハル・シュトーレン」


ハルはゆっくりと頭を上げると、ごしごしと汗ばむ手の甲をズボンでこっそり拭った。


「そなたの飛行はまるで、我国がシンボルとして掲げる、風のウィンド・バードのようであった。一体その操縦技術をどこで……」


と、その時突然国王の話を遮るかのように、


「意義あり!!」


という男の声が観客の中から大きく響いた。



その声に驚き、会場の誰もが一斉にその男を振り返った。


ハルは突然のことに、心臓がかつてない程早鐘のように打ち、手の平にものすごい量の汗が噴き出すのを感じた。


「国王陛下!! 畏れながら、その少年の優勝に異議を唱えさせていただきたい!!」


手を振り上げ、大声で叫ぶ男に、ハルは見覚えがあった。


度派手な赤と白のネクタイに、チカチカする黄色のスーツ。


紛れもなくこの前の金貸しの男の姿に間違いない。


「一体それはどういう意味だ」


少しむっとした表情で、国王はいかにも不審なその男に問いかける。


「その少年は年齢を十六歳と偽り、レースに参加しました。即ち、参加条件に満たないことから、その少年は失格となるべきです」


ハルは真っ青になって国王を見つめる。


会場は再びざわめき始め、ハルの唇がわなわなと震える。



「それは誠か……? ハル・シュトーレン」


伺うかのように、国王はハルに訊ねた。


ハルはもう、観念するしか無かった。


こうなってしまっては、とても言い逃れできるとは思えなかったのだ。


ぎゅっと拳を握り締め、ハルはこくりと頷く。


「……はい……。本当です」


それには、すぐ近くに立っていたゾイも驚きを隠せなかったようだ。


「年齢を偽っていた……!? じゃあ、君は一体いくつなんだ!?」


国王の面前であることを忘れ、ゾイが思わずハルの肩を揺さ振る。


「先月十三歳になりました……」


そのハルの答えに目を丸くしてゾイが揺さ振る手を止めた。


「じゅ、十三歳……??」


観客席のざわめきと、人々の目。


国王の御前での、反則発覚……。


ハルは、こうして大勢の前に姿を曝していること自体がどうしようもなく情け無いことのように思えた。


「ご、ごめんなさい……!! ぼく、失格でいいです!! ほんとごめんなさい!!!」


ハルは、勢いよく舞台から飛び降り駆け出した。


人混みを掻き分け、無我夢中で走った。


ハルの逃げ出す姿に、観客達がどよめいているのが耳に入ってくるが、ハルは聞こえない振りを決め込んで、俯き走りに走った。


(やっぱり年をごまかすなんて、できる訳なかったんだ……!)


くやしさと恥ずかしさで、ハルの目じりに涙が滲む。


(じいちゃん、じいちゃんごめん……!! ぼく、じいちゃんの工場を守れなかった……!!)


後から後から溢れる涙を、ぐいとジャケットの裾で拭ってどうにか辿り着いたエアリエルの操縦席に飛び乗った。


「ごめんね、エアリエル……」


そして、レースで傷ついたままのエアリエルに、ハルは小さく詫びたのだった。





レースと表彰式が終わり、スピッツバード港では、関係者たちが片付けに追われていた。


あれほど大勢いた観客達は、各々の家族や友人たちと会場を後にしている。


出ていた露店の店も道具を畳み始め、皆が忙しなく動き回っていた。


表彰式での一件は、確かに騒ぎにはなったが、大会が終わってしまったとなると、誰も特に気にした様子もない。


そんな中、レオはちょっくらある男を ”冷やかし” にぶらついていた。




「へへっ、これでなんとかあの修理工場はオレ様のもんだ。お前らが小細工でミスした時にゃ、一瞬肝を冷やしたがよぉ」


人ごみでも遠くから一目で分かるだろうド派手な黄色のスーツを身に纏った小柄な男は、黒ずくめの三人の大男に向けて偉そうに腕組みしている。


どうやら、ご機嫌はすこぶるいいらしい。


それもそうだろう。レースの結果が自分の狙い通りになったのだから。


それに反して大男たちは、レースの小細工がうまくいかなかったことに対し、幾分申し訳なさそうに肩を落とし、このド派手な男の顔色を窺っているようだ。



「小細工ねえ、ちょっと詳しく聞かしてもらいてぇなぁ」


ちょうどそこへ通りがかったかのように、ふと、レオは露店で買った骨つきソーセージを頬張りながら、金貸しの背後から呟いた。


「なんだ、おめぇは? 失せな」


部外者にいきなり口を挟まれたことに苛立ち、金貸しの男は、眉間に皺を寄せてゆっくりと振り返った。


「ああ……? 誰に向かって口きいてんだ、てめぇ。ぶっ殺されてぇか?」


が、その男の物言いはレオの怒りに火を点けてしまったようだ。


ソーセージーの骨を鈍い音を立ててへし折り、レオが金貸しの男にずかずかと近付いてゆく。


長い間手入れしていなかったせいで、すっかり伸びてしまったぼさぼさの黒髪の下から、妙に無表情な顔がのぞく。


そのくせ、目だけは鋭い眼光を帯び、金貸しの男の背筋に何かヒヤっとしたものを走らせるのだった。


「な、なんだ、やんのか!?」


先程よりは幾分威勢を失った金貸しは、後ろに控えている黒ずくめ達に目配せする。

大男達が、出番が来た、とばかりに腕捲くりしてレオに詰め寄った。



「俺の読みは外れたこたぁねぇんだよ。本来あのチビが優勝の筈だった。が、テメェは小細工で俺の邪魔をしやがった」



「い、一体なんのことだ? 知らねぇな」


金貸しの男は、あくまで白を切る気か、そっぽを向いて口笛を吹いた。


レオは大男達三人に囲まれていることをまるで物ともせず、構わずに金貸しの男の胸倉を、掴み上げた。


「お、おい! お前ら何やってる!!」


金貸しの男が、驚いた顔をしたまま自分を助けようとしない部下達に苛立ち、声を荒げている。


普通であれば、この黒ずくめの大男三人で囲まれた時点で、大抵の者は縮み上がって、助けを求めたり頭を下げたりするものだ。


なのに、この目の前にいる、肌蹴た服を羽織っただらしのない青年は、怯むどころか大男達を押し退けて、金貸しの男の胸倉を掴んでいる。


そのことに驚き、三人ともすっかり行動をとるのを忘れていたのだ。


「へ、へい……」


慌てて金貸しの男を助けようと、大男達がレオに掴み掛ろうとした瞬間、男達ははっとして顔を見合わせた。


「すっ呆けてんじゃねぇぞ。そこにいるテメェの部下が、サークル小細工すんのを俺は見てたぜ」


まさか、誰かにレース中の細工を見られていたなんて、男達は考えもしなかった。


「どこにそんな証拠がある? いいか、そんな馬鹿げた言いがかりで暴力でもふるってみろ。どこの誰だか知らねぇが、お前を国に訴えてやるからな! 覚悟しろ!」


それでも金貸しの男は、ただのその辺の血気盛んな不良青年を相手にしているかのように、レオにそう吐き捨てた。


だが、レオはその後にこう続けたのだ。


「そんなこたぁどうでもいいんだよ! それよか、なんで年齢のことバラしやがった!? あれさえなけりゃ、今晩はいい女ひっ捕まえて朝まで遊び倒せたたっつうのによ!!」


そう言って、レオは乱暴に引っ掴んでいた金貸しの男の胸倉をぐいと引き寄せ、そのまま力いっぱい頬を殴りつけたのだった。


鈍い音とともに、


「ぐうううう!!」


と、男が呻き声を上げて地面に倒れた。


それを見た黒ずくめたちは、慌ててレオに殴り掛かる。


同時に殴り掛かってきた大男たちを軽々と薙ぎ払い、レオはそれぞれの鳩尾に一発ずつ拳をお見舞いして、仕上げにぺっと唾を吐き捨てた。



「お、お前……、このオレにこんな真似して、ただで済むと思うなよ」


地面に倒れたままの金貸しの男は、すでに変色している頬に両手を当て、片目に生理的な涙を浮かべながら言った。


けれど、それはレオにとってはほとんど無関係なことだった。


口元ににやりと笑みを浮かべ、金貸しの男に言い放つ。



「訴えたきゃ訴えてみろや。俺にゃ、怖ぇもんなんて何もねぇんだよ。俺は空賊船ビアンカ号の船長だ」



それを耳にした途端、金貸しの男も黒ずくめ達も、


「ひっ……」


と、顔を真っ青にして声にならない声で叫ぶのだった。






スピッツバードでのモーターバード世界大会から数日の後、いよいよ一八〇ビベルの返済期日がやってきた。


勿論のこと、ハルは返済金をほとんど言っていい程用意できず、黙ったまま

古くなったバッグにできるだけ多くの物を詰め込んで、修理工場を去る準備を整えていた。



「こんなひどい話があるか! どうしてお前さんがここを出てかなきゃならない??」


年齢を偽っていたことで失格になったハルを心配し、パン屋の主人と幼馴染みのマリアンが修理工場に、ここのところちょくちょく顔を出しに来ていた。


「仕方ないよ。ぼくが十六歳だなんて嘘ついたんだ。これはその罰だ」


そう言って、ハルは作業場の前に貼り付けてある、祖父との思い出の写真をそっと外し、バッグのポケットに差し込んだ。


そんなハルの様子を見兼ね、マリアンは心配そうにこう話した。


「でもね、ハル。あなたのレース、最高だったわ。あなたが飛び出して行った後、街中の人があなたの失格に抗議したんだから。歳が少し位足りなくったって、十分に他のレーサーと渡り合えた事実に変わりはないないのだからって……」


それは、ハルにとって何よりの励ましの言葉だった。


嘘をついてレースに出たことを、街の人たちが怒るどころか、庇ってくれようとしていたなんて、思いもしない喜ばしいことだった。


「ありがとう、マリアン。みんなにそう言ってもらえたことが、ぼくにとって何よりの賞だよ」


そう言って、すっかり落ち込んでいたハルの表情にやっと笑顔が戻ったのだ。



ところが……。


ほんの少しの喜びも束の間、再び修理を終えたばかりの鉄の扉が蹴破られる音と、あの乱暴な金貸しの男が修理工場内に響いた。


「よぉ、チビ!!」


ド派手な真っ赤なスーツは、見る者に嫌悪感を抱かずにはいられない。


相変わらずド派手な服装以外はひょろいだけの金貸しの男だったが、どういう訳かその左頬はパンパンに膨れ上がり、左の頬から頭にかけて、ぐるりと包帯が巻き付けられている。


「一八〇ビベルは用意できたか??」


金貸しの男は目を細め、分かりきった答えが返ってくるであろう質問をハルに投げかけた。


男の後ろから、黒ずくめの三人の男たちが遅れて修理工場の中に入ってくるのが目に入る。


「いいえ……」


肩を落とし、ハルは消え入りそうな声で返答した。


そんなハルの声を、パン屋の主人とマリアンは唇を噛み締めて聞いていた。


「結構! 約束通りこの修理工場は一八〇ビベルの代わりにいただく」


さも嬉しそうに、金貸しの男は両手を打ち鳴らした。


それもその筈、この男の手によって、ハルのレースでの賞金が掻き消されたも同然だった。


まさに、計画通りと言ったところか。


しょんぼりと俯いたハルは、黙ったまま古ぼけたバッグを担ぎ、今にもここを立ち去ろうとしていた。



「ちょ、ちょっと待ってくれ! 一週間、いや、数日待ってくれれば、街の者でなんとか一八〇ビベル用意できる!!」


堪らなくなって、パン屋の主人が助け舟を出そうとする。


「そうよ! 寄付でなんとかなるかもしれないわ!!」 

マリアンも、パン屋の主人に賛成だった。


「残念だが、返済期日は今日だ。これ以上は待てねぇな」


そう言って、冷ややかな目で、金貸しの男は二人の言葉を撥ね退けたのだった。



「あんまりだわ……。ここは、ハルとおじいさんのとても大切な思い出の場所なのに……」


マリアンは堪えきれなくなって、悔しさに涙を溢し始めた。


心の優しいハルとその祖父に、街に人たちはずっと支えられてきたというのに……。


パン屋の主人はマリアンの肩をそっと抱き締めた。




『ごほん』


突然修理工場の開け放たれた扉から、見知らぬ咳払いの声を聞き、皆がそちらを振り返った。


見れば、白髭の老紳士が修理工場内を覗き込んでいる。


そして、


「ここはハル・シュトーレン君の修理工場に間違いないかね?」


と、声を掛けてきたのだ。


ハルはきょとんとした表情でこっくりと頷いた。



「おいおい、じいさん。悪いが、今取り込んでんだ。後にしてくれねえか!」


金貸しの男は、不機嫌にその老紳士を睨みつけた。



「おお、そうかそうか。ここで間違いないか。では、失礼する」


老紳士は、そんな金貸しの男の言葉を気にも留めない様子で、ハットを脱いでからゆっくりと工場の中に入ってくる。


「あの……?」


見覚えのない老紳士に、ハルは首を傾げた。


こんな小さな修理工場に、とても仕事を依頼しにやって来るような身分の人物ではないと、ハル自身も直感でわかっていたのだ。


だからこそこの人が、こんな場所に一体どういった要件で現れたのか、全く予想がつかなかった訳だ。


「ええと、それじゃあ、君がハル・シュトーレン君で間違いないですね?」


老紳士はハルをじっと見据えて、そう確認する。


ハルは、再びこくりと頷いた。


「おいおいおい! 俺の話が聞こえなかったのか、爺さん!! 今取り込み中だっつったろうがよ!」


まるで無視された金貸しの男が、不機嫌に老紳士の横に進み出る。


「わたしはホーネットという者です。ヘルシオン国王陛下の遣いとしてこちらにやって来ました。今日はハル・シュトーレンくんにお話が」


老紳士は、穏やかな口調でそう述べた。穏やかでありながら、その言葉は、金貸しの男を牽制するのには十分だった。


 ”ヘルシオン国王陛下の遣い” と聞いたハルは、否、パン屋の主人もマリアンも、そして金貸しの男達でさえ、そこのいた誰もが目を丸くしている。



「ヘルシオン国王陛下の遣いの人……?」


ハルがそう反復したので、老紳士はそれを肯定するかのように大きく頷いた。


と、ハルの顔から一気に血の気が引いてゆく。とうとう国王に罰せられるときが訪れたのだと思ったのだ。


すっかり顔色を失くしたハルの様子を見て、老紳士は慌ててそれに言葉を付け足す。


「勘違いなさらないで下さい。国王陛下は、あなたが13歳だということを何も責めておられる訳ではありません。ただ……、このまま君のような輝ける原石を、みすみす置いておくことを、ひどく惜しいと仰っています」


パン屋の主人とマリアンは、二人顔を見合わせた。


咄嗟に、この老紳士が持ってきたのは、悪い知らせではないと思ったのだ。


「失礼なこととは思ったのですが、少しばかりあなたのことを調べさせていただきました。最近、唯一のご家族であるお爺様を亡くされましたね……? その上、お爺様の残された借金でお困りだと」


ハルは驚いていた。祖父が亡くなったことを、まさか見ず知らずのこの老紳士が知っているなんて思いもしなかったのだ。


「そ、その……」


ハルが返答に困っているうちに、老紳士はもう少し話を付け足す。


「勝手な推測で申し訳ありませんが、今回のスピッツバード世界大会にも、その借金をどうにかしようと参加されたのではありませんか?」


ハルが担いでいたバッグがぶらりと力無く腕から滑り落ちた。


老紳士の言っていることは正しかった。



「……はい……。そうです……」


借金を返済する為に、多くの人に嘘をついてしまったことに、ハルは強い恥ずかしさを覚えた。


そして、国王に罰せられても仕方の無いことだとも思った。


ハルのしょんぼりとした返事をきいて、


「やはりそうでしたか……」


と、老紳士は溜息混じりにそう言った。


「あのっ、本当にすみませんでした……。ぼく、皆を騙すなんてとんでもないことをしてしまって……」


ハルは深々と頭を下げ、老紳士に今の精一杯の反省の気持ちを伝えようとした。


こんなことで、国王に許してもらえると思った訳ではないのだけれど……。



「では……。その借金をこちらで肩代わりいたしましょう」


にっこりと微笑み、老紳士はとんでもないことを口にしたのだった。



「へ!?」


「は!?」


これにはハルも金貸しの男も驚き、大声で同時に変な声を上げたほどだ。




「借金の返済はこちらで致します。その代わりと言ってなんですが、一つハル・シュトーレン君には条件を飲んでいただきたい」


今度は老紳士の口からどんな無理難題が飛び出すのかと、ドキドキしながらハルは唾を呑みこんだ。


よく見ると、老紳士の真っ白な垂れ下がった眉の下からは、綺麗に澄んだ青い目がのぞいている。


ハルは、この人の目は、まるで晴れ渡った空のようだな、と心の中で思った。


そして、次に老紳士から出た言葉にハルは思わず我耳を疑った。


「ヘルシオン国王陛下が設立なされた、王立ヘルシオン操縦士学校への編入学をなさい」


「編入学!? ぼくが!?」


落っこちそうな大きな栗色の目で、ハルは冗談を言っているようには見えない老紳士をまじまじと見た。


だが、当然のことながら、彼は至って真面目な顔をしている。


「ええ。あなた程の才能があれば、きっと将来このヘルシオン王国の大きな力となり得ます。今よりもちゃんとした環境で、あなたが学び更なる才能を開花させることを、国王陛下は強くお望みになっています」


ハルはますます目を大きく見開いて、信じられない思いで老紳士の顔を見つめていた。


「すごいじゃない、ハル!! お受けすべきよ!!」


マリアンはハルの腕を揺さぶった。幼馴染みだからこそ、ハルに願ってもいないこの好機を逃して欲しくはなかったのだろう。


「ちょ、ちょい待て!! 勝手に話を進められちゃ困るんだよ!!」


金貸しの男は、老紳士が急に現れたことで、どんどん自分の不利な方向へと話が流れていることに焦り始めていた。


このままでは、夢のリゾート計画がおじゃんになってしまうと……。


そんな様子の男を見据え、老紳士は言った。


「国王陛下が借金を肩代わりするのですから、何も問題はないでしょう? 他に何か言いたいことでもおありですか?」


冷静な物言いの老紳士に、金貸しの男はモゴモゴと口を動かして、ばつが悪そうにそのまま黙り込んでしまうのだった。


「ハル・シュトーレン君。この修理工場のことを気にしているのならば、何ら問題はありません。あなたが編入を希望するならば、あなたが学を修めるまでの間、この場所は責任を持って国王陛下の管理下に置くことも約束しましょう」


パン屋の主人は、小柄なハルの背中をトンと叩いた。


「いい条件じゃないか! ハル、行ってこい」


そう言ってニッカリと笑うと、ハルの服の袖を掴んでいたマリアンも笑顔で頷いた。



「……ぼく、お受けします……!!」


パン屋の主人とマリアンは、そのハルの言葉を聞いて飛び上がって喜び、そして老紳士は満足そうに微笑んだ。


その一方、金貸しの男はこの土地を手に入れそびれたことに、これまでにない程がっくりと肩を落とすのだった。



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